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ベイトソン学習理論と、イルカの創造性研究について

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はじめに

この記事は Pryor et al. (1969)とPryor & Chase (2014)の2つの論文を読み、ベイトソンの学習理論(学習0~III)との関連で分析した結果をまとめたものです。継続的な議論のための基礎資料として作成しました。

  1. Pryor, K. W., Haag, R., & O'Reilly, J. (1969). "The creative porpoise: Training for novel behavior." Journal of the Experimental Analysis of Behavior
  2. Pryor, K. W., & Chase, S. (2014). "Training for variable and innovative behavior." International Journal of Comparative Psychology

ホウの学習プロセスの概要

目的

  • ホウ・マリアは オキゴンドウ(Steno bredanensis)イルカ
  • マリアは、公開デモンストレーションで、突然創造的な行動をするようになった。
  • すでに創造的な行動変容に至っているマリアの学習プロセスを可能な限り再現するべく、ホウをトレーニング
  • マリアでの「偶然の創造性」が、本当に訓練手法によるものなのか(再現可能なのか)を検証するのが、ホウの実験の目的

セッション

  • トレーニングは、セッションというタイムボックス(5-20分間)内で行われ、トレーナーは笛(イベントマーカー)で望ましい行動の瞬間をマークし、その後に魚の報酬を与える手法を使用した
  • 1日あたり: 2-4セッション、セッション間の休憩約30分をはさんだ
  • 記録を行い、15秒間隔で転写、累積記録を作成した
  • セッションは、1日2-4回、セッション間30分休憩で、合計32回数繰り返された(約1か月間)

各セッションの経過

  • セッション1-14: 固定パターン(ポーポイジング※1→反転→円泳ぎ)に陥る
  • セッション16: 突然の創造性爆発(8種類の行動のうち4つが新規)。イベントマーカーにより正確な行動の強化が可能となった
  • セッション17-27: 新行動の定着と応用。各セッションで異なる行動を選択的に強化
  • セッション28-33: 完全な創造性発揮(7回中6回で新行動産出)。「新規行動のみが強化される」というルールの完全な理解

根本的変化: 「従順で臆病な個体で、自発性に乏しい」状態から、創造性の権化のような存在へ変容(水槽仕切りを跳び越える技能の習得、観測者の記述能力を超えた複雑な空中行動の創出)

学習プロセス上、重要と思われる補足事項

  • 安全で支持的な環境設定: 通常の餌確保、セッション間の適切な休憩時間(約30分)、週末は作業なしの通常給餌、セッション長5-20分での疲労回避、トレーニング強制なしの選択保持
  • つまり、1967年基準で、ブラック労働は行われなかった

学習0~IIIにあたるマリア・ホウの行動

学習0(本能的反応)

  • 基本的な泳ぎ、ブリーチング※2、ポーポイジング※1

学習I(刺激-反応学習)

  • 笛→餌の条件づけ
  • 個別行動の強化(テールウォーク※3、フリップ※4など)

学習II(学習の仕方を学習)

  • ホウ: 「新しい行動が求められる」ルールの理解、セッション16の行動爆発
  • マリア: デモンストレーションにて、継続的に新行動の産出
  • 特徴: メタ認知的理解、学習セットの形成

学習III(認知枠組みの変革)

  • マリア: 水から出て舗装を滑り調教師の足首を叩く(水生動物の枠を超越)
  • ホウ: 水槽仕切りを跳び越える技能、観察者の記述能力を超えた複雑行動
  • 特徴: 種族から予想された行動カテゴリーからの根本的超越

学習IIとIIIの共通点と相違点、学習IIからIIIへの変化

共通点

  • 「いつもと違うことをする」行動の産出
  • 既存の行動パターンからの意図的逸脱
  • 創造的プロセスの発現

相違点

学習II 学習III
トレーナーの予想範囲内の創造性 トレーナーの認知の枠組みを超越
記録者が識別・記述可能な行動、複雑化により記録困難になる場合もある 行動カテゴリー自体の超越
既存の行動カテゴリー内での組み合わせ 生物学的・物理的境界の突破
トレーナーが「理解できる」新奇性 トレーナーが「想像もしなかった」革新性

学習IIからIIIへ、学習にあたっての変化

フラストレーション、行き詰まり

メカニズム:

  • 期待していた報酬が得られない → 欲求不満・ストレス状態
  • 既存の行動パターンが「効かない」ことによる混乱
  • 感情的動揺が行動の抑制を解除し、普段しない行動が出現

1969年研究での観察例:

  • ホウの固定パターン:「ポーポイジング→反転→円泳ぎ」を25回繰り返し
  • ホウの攻撃的行動の出現:「頭、尾、胸びれで水を叩く」
  • マルツマンの人間研究:被験者が「動揺し、困難な課題に苛立つ」

問題点:行き詰まり

  • 動物が完全に諦めてしまうリスク
  • 長期的なストレスによる学習意欲の低下
  • 「嫌悪的」な経験として記憶される可能性

情報提供視点(1967年以後の研究で発見されたこと)

メカニズム:

  • 非強化にて「この行動は求められていない」という情報を提供
  • 強化と非強化の対比により、動物は「求められている基準」を学習
  • 探索行動を促進するシグナルとして機能

上記問題点を回避するために、非強化は、罰という行動で与えるのでなく、あくまでもインフォメーションという形で提供する。

重要な追加洞察

創造性評価の制約

  • 創造性の評価は、観察者・記録者の認知の限界に制約される
    セッション32以降のホウの後期行動は、非常に複雑になり、間違いなく新規ではあったものの、その行動は観察者の識別・記述能力を超えてしまった
  • 真に革新的な行動ほど「理解不能」として排除されるリスク

相互感情同調(Mutual Emotional Attunement)※5の重要性

  • 創造性は、当時者(この場合イルカ)と支援者(この場合、トレーナー・記録者、イルカショーの観客)のネットワークの相互作用にて発生する

  • 動物・哺乳類間の情動的同調の枠内で「歓迎される」内容だと、学習IIIへのチャレンジと認知される

  • 動物を超えた「何か」で、本能的に未知で危害を加えそうと認知されると、学習IIIへのチャレンジと認知されない

  • 相互感情同調により、行き詰まりを乗り越える

  • トレーナーの期待感、緊張、集中状態がノンバーバルに伝達され、ホウがそれを感知し「今までの組み合わせ以上の何か新しいことが求められている」と理解

  • ホウは、トレーナーの深いレベルでの「受容的な態勢」を感じ取り、リスクテイキングに踏み切れたのでないか。すなわち相互感情同調・信頼関係が「意図の誤解釈」を防ぐ安全装置として機能

  • セッション16の「創造性爆発」は、おそらくホウとトレーナーの心拍数・呼吸パターンが同期した瞬間に起こったのではないか

  • ひょっとすると、種は違えど、脳の部位のうち、同じ部分が反応していたのではないか

  • ノンバーバルコミュニケーション(表情、姿勢、視線、声調など)による感情伝達大事

  • 種を超えた共通の生物学的基盤が、創造性の境界と基盤の両面を規定しているのではないか

  • 創造・革新と言っても、完全な枠組み破りではなく、より深い動物としての共通基盤は保持される

むすびにかえて

以上の議論より、イノベーションの発生は、当時者たちと支援者・顧客への深い感情レベルに根差したネットワークの相互作用の中で起こり、関わっている間での感情的同調が、真の学習III(認知枠組み変革)を可能にしていく。
深い感情レベルに根差したネットワークの相互作用、これが、野中先生のいう知的コンバットなり、"The New New Product Development Game"の中で触れられている「さりげない管理」「愛による管理(control by love)」の正体ではないか。
ハンナ・アーレント「人間の条件」の「活動」につながるものな気もしている。
そして、これは、AI(LLM)の活用だけでは発生しえないものではなかろうか。


用語解説

イルカの行動用語

※1 ポーポイジング(Porpoising): イルカが水面から滑らかに跳び出て、再び水中に入る行動。弧を描くような自然な跳躍動作。

※2 ブリーチング(Breaching): イルカが空中に跳び上がり、横向きに着水する行動。ポーポイジングより動的で劇的な動作。

※3 テールウォーク(Tail walk): イルカが水面から半身を出して垂直にバランスを取る行動。尾ひれで立つように見える動作。

※4 フリップ(Flip): イルカが空中で宙返りする行動。前方フリップ、後方フリップなどがある。

その他の用語

※5 Mutual Emotional Attunement(ミューチュアル・エモーショナル・アチューンメント/相互感情同調): 異なる個体間で感情状態が相互に同期・調和すること。単なる行動の模倣を超えた、深い感情レベルでの共鳴関係。

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