次世代エリア品質測定と運用の自動化 - 5G/Beyond 5G時代に向けたSelf-Healing Networkの実現 -
0. あらまし
5G/B5G時代の到来は、ネットワークに空前の機会と挑戦をもたらしました。動画、ゲームから自動運転、産業IoTに至るまで、ユーザーや産業界の要求は多様化・高度化し、「いつでも、どこでも、快適に繋がる」ことが事業競争力の源泉となっています。しかし、従来型の 「人手と経験に頼る」 運用モデルは、帯域を確保するために使われる鋭いビーム特性の高周波利用により爆発的に増大すると想定される基地局数(RF)とトラフィック量、そして品質要求の複雑化により、すでに限界に達しつつあります。
本書は、この課題に対するアイデアを提供します。その核心は、「多様なデータの収集・分析」 と 「AI/RICによるインテリジェントな自動制御」 を両輪とする、データ駆動型運用モデルへの抜本的な変革への道筋です。
この変革により、以下の実現を目指します。
- ユーザー体感品質(QoE)の最大化:圏外やパケ詰まりといった致命的な不満要素を撲滅し、ユーザーが問題を体感する前に品質を改善するプロアクティブ運用を実現します。
- 抜本的な運用省力化:高コストなドライブテストや手動解析を自動化し、創出されたリソースを新たな価値創造へと再投資します。
- 自己治癒ネットワークへの進化:ネットワーク自身が問題を検知・分析・修復する能力を獲得し、人手を介さずとも常に最適な状態を維持します。
本提案は単なるアイデアではありません。これは、通信会社全体の競争力を左右する事項であり、未来のデジタル社会を支える通信事業者として持続的に成長するための、変革への一歩です。
1. はじめに
1.1. 背景:5Gがもたらす社会変革とネットワークへの新たな要求
第5世代移動通信システム(5G)は、通信速度の向上に留まらず、社会インフラの中核としてデジタルトランスフォーメーション(DX)を加速させる技術です。5Gは、その技術的特性から主に3つのユースケースに分類されます。
-
eMBB (enhanced Mobile BroadBand - 超高速大容量): 4K/8K動画ストリーミング、VR/ARなど、圧倒的なデータ量を必要とするコンシューマ向けサービス。
-
URLLC (Ultra-Reliable and Low Latency Communications - 超高信頼低遅延): 自動運転、遠隔医療、工場のロボット制御など、ミッションクリティカルな産業用途。
-
mMTC (massive Machine Type Communications - 超大量端末接続): スマートシティ、スマートメーターなど、膨大な数のIoTデバイスを接続する用途。
※ユースケースは一般的な標準資料から引用
3GPP TR 22.891 “Study on New Services and Markets Technology Enablers (SMARTER)”, ITU-R M.2083-0 “IMT Vision – Framework and overall objectives of the future development of IMT for 2020 and beyond”
【図1:5Gが実現する3つの主要ユースケースと応用例】
これらの多様なサービスが社会に浸透するにつれ、ユーザーは 「どこでも、いつでも、安定して高品質な通信が使えること」 を当然の前提として期待しています。産業界では自社の事業継続を左右するライフラインとして、SLA(Service Level Agreement)/ SLO (Service Level Objective)で定義された品質保証を要求します。
このような背景から、通信事業者には、多様な要求品質を同時に満たす、より高度で柔軟なネットワークを提供・維持する責務が生じています。従来のように人が現地に赴き、測定・調査・チューニングを繰り返す方法では、5Gの高い周波数帯域がもたらす基地局数の増大や爆発的に増加する通信量に対応しきれず、パラダイムシフトが急務となっています。
1.2. 目的:プロアクティブな品質管理による事業価値の最大化
本資料は、5Gおよびその先のBeyond 5G時代を見据え、ネットワークの品質測定と運用を根本から変革するための戦略と具体的なアイデアを提示するものです。以下の3つの目的を達成し、顧客満足度の向上と事業競争力の強化を実現することが、目標として挙げられます。
-
QoE (Quality of Experience) を中核とした品質改善サイクルの確立:
ネットワークの技術指標(KPI)だけでなく、ユーザーが実際に利用するアプリケーションレベルでの「体感品質(QoE)」を最重要の評価軸とします。動画の再生開始時間やフリーズ発生率といった具体的なQoE指標を常時測定・可視化し、それを基点とした品質改善サイクルを確立します。
-
データ駆動と自動化による抜本的な運用省力化とコスト削減:
従来、多大な人的リソースを投入してきた現地での電波測定(ドライブテスト)や手作業によるログ解析といった運用業務を、データ駆動型のアプローチへと転換します。基地局や端末から得られる膨大なデータをリアルタイムで収集・分析し、AIを活用して改善策を自動実行することで、運用に関わるOpEx(Operating Expense)を大幅に削減します。
-
「自己治癒ネットワーク」への進化によるプロアクティブ運用の実現:
障害発生や品質劣化を事後的に対処する「リアクティブ運用」から、品質劣化の兆候をAIが予見し、問題が顕在化する前に自律的に対策を講じる「プロアクティブ運用」へと進化させます。最終的には、ネットワーク自身が問題を検知・分析・修復する「自己治癒(Self-Healing)」の能力を獲得し、人手を介さずとも常に最適な状態を維持することを目指します。エリア接続性を含む、障害の未然防止率を大幅に向上させることを目標とします。
2. 現状の課題分析
新たなアプローチを導入するにあたり、まずは現在のネットワーク品質と運用が抱える課題を深く、そして多角的に分析する必要があります。課題は「ユーザー体感」と「ネットワーク運用」の二つの側面に大別されます。
2.1. ユーザー体感における課題とその技術的背景
ユーザーが日常的に経験する通信品質の問題は、その裏側に複雑な技術的要因が絡み合っています。
-
圏外・パケ詰まり:
- 現象: スマートフォンのアンテナピクトが数本立っているにも関わらず、Webページが開けない、メッセージが送信できないといった「パケ詰まり」は、ユーザーに大きな不満を抱かせます。SNS上では「◯◯駅で電波立ってるのにLINEが送れない」といった声が散見され、ブランドイメージの毀損に直結しています。
- 技術的背景: 上りリンクの干渉、無線リソースの枯渇、制御信号の輻輳、不適切な基地局への接続(オーバーシューティング)など、複数の要因が複合的に作用して発生している可能性があります。
-
低スループット:
- 現象: 動画の画質が頻繁に低下する、大容量ファイルのダウンロードに異常に時間がかかるなど、期待される通信速度が出ない状態。ユーザーは「アンテナ4本=高速通信可能」という認識を持つため、このギャップは大きな不満を生みます。
- 技術的背景: 電波強度(RSRP)が十分でも、近隣セルからの干渉により電波品質(SINR)が低い場合に発生します。また、TCPプロトコルの輻輳制御アルゴリズムが、無線区間のパケットロスをネットワーク全体の輻輳と誤認し、送信レートを過剰に抑制することも一因と考えられます。
-
輻輳:
- 現象: スタジアムでのイベント、年末年始の繁華街、災害時など、特定のエリア・時間にアクセスが異常集中し、接続そのものが困難になる状態。日常的にも、ラッシュ時の主要駅や電車内での慢性的な混雑は顧客満足度を大きく低下させます。
- 技術的背景: 基地局の処理能力や無線リソースの絶対的なキャパシティを超えたアクセス要求が殺到することで発生します。ネットワークは新規の接続要求を拒否する「入場規制」を行うため、ユーザーは「繋がらない」状況に陥ります。
-
移動時の不安定性:
- 現象: 電車や車で移動中に通話が途切れる、ストリーミングが停止するなど、基地局間の連携(ハンドオーバー)の失敗に起因する問題。
- 技術的背景: 高速移動時は、ハンドオーバーの実行タイミングが非常に重要です。早すぎると不要な切り替え(ピンポンハンドオーバー)が多発し、遅すぎると通信が切断されます。最適なハンドオーバーパラメータは移動速度やセル構成によって動的に変化するため、固定的な設定では対応しきれません。また、満員電車での移動による大規模なハンドオーバ処理などに起因するコントロールチャンネルの輻輳から来るハンドオーバー処理の失敗なども不安定さの一因として考えられます。
2.2. ネットワーク運用における課題と非効率性
ユーザー体感の課題を解決しようとする通信事業者の運用現場も、構造的な課題を抱えていると想定されます。
-
属人化した原因特定プロセス:
- 課題: ユーザーからの「繋がらない」という申告の原因特定は、経験豊富な一部の技術者が、複数のツールから得られる断片的な情報を組み合わせて推測しており、スキルが属人化している可能性があります。
- 非効率性: 原因特定までに数日から数週間を要することもあり、根本原因にたどり着けず暫定的な対策に終始するケースも少なくありません。
-
高コスト・低頻度なドライブテストへの依存:
- 課題: ドライブテストは、専用車両、高価な測定器、専門の測定員が必要でコストが非常にかかります。また、広大なサービスエリア全域を網羅することは不可能で、測定したその瞬間の品質しか分からず、時間帯や曜日によって変動する動的な品質問題を捉えることは困難と想定されます。
- 非効率性: 例えば大都市圏全体をカバーしようとすれば数百人日規模の工数が必要となり、コストも膨大です。
-
部門間のサイロ化による非効率なワークフロー:
- 課題: 「RAN部門」「建設部門」「監視部門(NOC)」「カスタマーサポート部門」などが縦割りで構成され、各部門が異なるツールやKPIを見ているため、情報連携に齟齬が生じやすく、問題解決までのリードタイムが長期化する最大の要因となっています。
- 非効率性: 顧客からの申告が部門間を伝言ゲームのように渡され、迅速な対応を阻害している組織構造が存在する可能性があります。
【図2:従来の品質改善ワークフローと部門間のサイロ化問題の例】
3. 品質改善への新たなアプローチ
前述した課題を克服するためには、アプローチそのものの抜本的な変革が必要です。その基本方針を「リアクティブからプロアクティブへ」と定め、それを実現するための「3つの柱」を定義します。
3.1. 基本方針:リアクティブ運用からプロアクティブ運用への転換
従来のネットワーク運用は、障害やユーザー申告といった「イベント」を起点とするリアクティブ(事後対応型) が主たる方法だと想定されます。これに対し、目指すべきプロアクティブ(事前対策型) な運用は、ネットワークから常時収集される膨大なデータを起点とします。AIがデータをリアルタイムに分析し、将来発生しうる品質劣化の「兆候」を検知。ユーザーが問題を体感する前に、システムが自律的に最適な対策を講じることが望まれます。
この転換は、ネットワーク運用の目的を「障害復旧」から「障害の未然防止」へと昇華させる可能性があります。
【表1:リアクティブ運用とプロアクティブ運用の比較】
| 項目 | リアクティブ運用 | プロアクティブ運用 |
|---|---|---|
| 起点 | 障害、ユーザー申告(イベント駆動) | 常時データ収集・分析(データ駆動) |
| 目的 | 迅速な障害復旧(MTTRの短縮) | 障害の未然防止(MTBFの延長) |
| 分析手法 | 専門家による手動ログ解析 | AIによる異常検知・将来予測 |
| アクション | 手動での設定変更・現地対応 | システムによる自律的な最適化・制御 |
| 対ユーザー | 品質劣化を経験させてしまう | 品質劣化を体感させない |
3.2. 変革を実現する3つの柱
プロアクティブ運用への転換は、以下の「3つの柱」を体系的に構築することで実現します。
-
測定の高度化 (Advanced Measurement):
運用の全ての起点は、正確な現状把握、すなわち「測定」にあります。画一的なKPI監視から脱却し、ユーザー体感(QoE)を直接的・間接的に測定する多様なデータソース(基地局ログ、端末SDKデータ、コアネットワークデータ、外部オープンデータ)を統合し、ネットワークを多角的かつ精緻にデジタルツインとして再現します。
-
改善の自動化 (Intelligent Automation):
高度な測定によって得られたインサイトを、迅速かつ確実に品質改善アクションに繋げるエンジンです。中核を担うのが、AI/ML(機械学習)と、O-RANアーキテクチャで標準化が進む RIC(RAN Intelligent Controller) です。AIが劣化の根本原因を特定・予測し、RICがRANの各種パラメータを自律的に最適化します。
-
プロセスの改革 (Process Re-engineering):
最先端の技術を導入しても、それを活用する組織やプロセスが旧態依然のままでは効果は限定的です。各部門が同じデータを見て意思決定できる「Single Source of Truth」を確立し、部門間の連携を自動化されたワークフローに置き換えることで、組織のサイロ化を打破します。
【図3:変革を実現する3つの柱の概念図】
これら3つの柱は相互に連携し、スパイラルアップすることで、ネットワーク全体のインテリジェント化を推進します。
4. レイヤ毎の品質改善の方向性
真の品質改善を実現するためには、各レイヤの特性を深く理解し、それぞれに最適化された施策を講じると同時に、レイヤ間での協調制御を行うホリスティックなアプローチが不可欠です。本章では、各レイヤにおける改善策を技術的に深掘りします。
【図4:モバイルネットワークのプロトコルスタックと各レイヤの改善施策】
4.1. 物理/RFレイヤ:通信品質の礎を築く電波伝搬の最適化
このレイヤにおける主目的は、対象ユーザーへの信号強度を最大化し、それ以外の干渉を最小化すること、すなわちSINR(Signal-to-Interference-plus-Noise Ratio)の最大化です。
4.1.1. Massive MIMOとビームマネジメントの高度化
5Gの中核技術であるMassive MIMOは、多数のアンテナ素子を用いて電波の放射パターンを三次元で自在に制御します。この最適化は単一の技術ではなく、複数の要素から成り立ちます。
-
ビームフォーミング種別:
- Grid of Beams (GoB): セル内を複数の固定ビームで常時カバーする方式。端末が少ない環境や移動端末の初期捕捉に適しています。
- UE-specific Beamforming: 特定の端末に向けて専用のビームを形成する方式。端末ごとのSINRを最大化できますが、そのためには正確なチャネル状態の把握が不可欠です。
-
チャネル状態情報(CSI)の重要性:
UE-specific Beamformingの精度は、端末からフィードバックされるCSIの鮮度と正確性に依存します。このCSIを伝送するための参照信号がCSI-RS (Channel State Information Reference Signal) であり、この送信周期やリソース割り当てを最適化することが、ビームフォーミング性能に直結します。
-
ビームマネジメント:
特にミリ波帯ではビームが非常に鋭く、端末のわずかな移動や姿勢の変化で通信が途切れるリスクがあります。そのため、最適なビームを維持・管理するビームマネジメント(ビームトラッキング、ビームスイッチング)のアルゴリズムがQoEを左右します。
注記:Massive MIMOは5Gの主要技術ですが、現在採用している国内ベンダーの装置では未対応の場合があり、E//(エリクソン)等の海外ベンダーで先行している技術です。本提案では将来的な導入を見据えたものとなります。
4.1.2. アンテナパラメータの動的最適化(CCO/SON)
SON(Self-Organizing Networks) の一機能であるCCO (Coverage and Capacity Optimization) は、アンテナの物理的な角度(チルト、アジマス)や送信電力を、トラフィックの時空間変動に追従させて動的に最適化できる可能性があります。
- 入力データ: CCOは、基地局から収集されるパフォーマンス管理(PM)カウンタ(例:セルの負荷状況、ハンドオーバー失敗率)や、端末から報告される測定レポート(RSRP/RSRQ)を主たる入力とします。
- 最適化ロジック: 例えば、「Aセルの負荷が80%を超え、かつ隣接するBセルの負荷が30%未満の場合、Aセルのチルトを上げてカバレッジをBセル側に寄せ、一部のトラフィックをオフロードする」といったルールベース、あるいはAIベースの制御を自動で実行する方法が考えられます。
4.1.3. 高度な干渉協調技術
都市部におけるセル間干渉は、SINRを劣化させる最大の要因です。
-
ICIC (Inter-Cell Interference Coordination): セル中心部(高SINR)のユーザーとセル端(低SINR)のユーザーで利用する周波数リソース(RB)を分割し、隣接セル間でセル端ユーザーが利用するRBをずらすことで干渉を回避します。
-
CoMP (Coordinated Multi-Point): 複数の基地局が連携して干渉を制御します。
- Coordinated Scheduling/Beamforming (CS/CB): 隣接セル間でユーザーのスケジューリング情報を共有し、同一リソースで干渉しあわないように割り当てを調整します。
- Joint Transmission (JT): 複数の基地局から同一のデータを同期させて送信し、受信側で合成することで信号品質を劇的に向上させます。ただし、基地局間の非常に高速なデータ共有と厳格な時刻同期(PTP: Precision Time Protocolなど)が要求されるため、適用は限定的です。PTP精度が出ないと干渉を悪化させる原因になります。
-
上りリンク干渉の管理:
パケ詰まりの主要因である上りリンク干渉は、端末からの送信電力が不適切である場合に発生します。各端末からのPHR (Power Headroom Report) を監視し、基地局側で送信電力制御(TPC: Transmit Power Control)コマンドを最適化することで、過剰な送信電力による干渉を抑制できる可能性があります。
4.2. MAC/RLCレイヤ:有限な無線リソースの最適配分
このレイヤは、RANの司令塔として、ミリ秒単位で無線リソースを分配します。ここでの最適化は、スループット、遅延、公平性のトレードオフ制御が核心となります。
4.2.1. QoSアウェアなスケジューリングアルゴリズム
スケジューラは、どのユーザーに、いつ、どれだけの無線リソースブロック(RB)を割り当てるかを1ms周期(TTI)程度の精度で決定します。
-
スケジューリングアルゴリズムの選択:
- Max C/I: 電波品質が最も良いユーザーにリソースを集中させ、セル全体のスループットを最大化しますが、公平性に欠けます。
- Round Robin: 全ユーザーに均等に機会を与え公平性は高いですが、セルスループットは最大化されません。
-
Proportional Fair (PF): 瞬時の電波品質と過去のスループット履歴を考慮し、セルスループットと公平性のバランスを取る、最も一般的に利用されるアルゴリズムです。
- (補足) Proportional Fair (PF)とは: PFスケジューラは、各ユーザーに対して「現在の瞬時的な通信速度 ÷ 過去の平均通信速度」という指標値を計算します。そして、この指標値が最も大きいユーザーに次の通信リソースを割り当てます。これにより、現在電波状態が良いユーザーが優先されつつも、これまであまり通信できていなかった(過去の平均通信速度が低い)ユーザーにもチャンスが与えられやすくなり、「スループットの最大化」と「ユーザー間の公平性」という相反する要求を高次元で両立できる可能性のあるスケジューリング手法です。
-
5Gにおける高度化:
5Gでは、QoSフローと5QI(5G QoS Identifier)に基づき、データがDRB (Data Radio Bearer)にマッピングされます。スケジューラはこのDRBのQoS要件(遅延、信頼性)を認識し、PFを基本としながらも、URLLCのような低遅延要求を持つDRBのデータを最優先でスケジューリングします。また、URLLC向けには、事前のリソース要求なしにデータを送信できるGrant-Free Schedulingを適用し、制御遅延を極限まで削減するようなチューニングが考えられます。
4.2.2. データ伝送の信頼性を司る再送制御の最適化
無線通信のエラーを訂正する再送制御は、信頼性と遅延のトレードオフ関係にあります。
-
HARQ (Hybrid Automatic Repeat reQuest): 物理層に近い高速な再送メカニズム。最大再送回数を増やすと信頼性は上がりますが、再送に失敗した場合の遅延は増大します。
-
RLC (Radio Link Control): HARQで救済できなかったエラーをより上位で再送するメカニズム。
- Acknowledged Mode (AM): 受信確認応答(ACK/NACK)に基づき確実なデータ伝送を保証。ファイル転送など信頼性重視の通信で利用。
- Unacknowledged Mode (UM): 受信確認を行わず、データを一方的に送信。VoIPやライブストリーミングなど、多少のロスは許容できるが低遅延が重要な通信で利用。
-
実運用における適用:
5GネットワークはQoSを細かく制御できるアーキテクチャですが、現在のスマートフォン向けインターネット接続サービスでは、その多くが単一のQoSクラス(例えば5Gでは5QI 9、LTEではQCI 9)にマッピングされています。このトラフィックは単一の論理キューで管理され、データの確実な伝送が求められるため、RLC-AMが標準的に使用されます。一方で、VoLTE(5QI 1)や緊急呼(5QI 5)といった特定サービスは、専用のQoSクラスが割り当てられ、優先的なキューで低遅延なRLC-UM等が用いられるなど、明確に分離されて制御されています。本提案におけるQoE改善は、主としてこの単一キューで処理される膨大なインターネットトラフィックの最適化を目指すものです。
4.2.3. 将来技術への対応:Rel-18 L4Sの導入準備
L4S (Low Latency, Low Loss, Scalable throughput) は、3GPP Rel-18で標準化が進められている、ネットワークの遅延とパケットロスを劇的に削減する技術です。
-
目的: 従来のTCPが引き起こす「バッファブロート(過剰なバッファリングによる遅延増大)」を根本的に解決し、クラウドゲーミングやVR/ARといった超低遅延が求められるアプリケーションのQoEを飛躍的に向上させます。
-
仕組み: ネットワーク機器(基地局等)と端末が連携し、輻輳のごく初期段階を検知して明示的に通知(ECNマーキング)。端末側は、この通知を受けて即座に送信レートを微調整することで、パケットロスが発生する前に輻輳を回避します。
-
本提案への組み込み: 将来的にL4Sを導入するためには、基地局のスケジューラがECNを適切に処理し、対応するQoSフローを制御できる必要があります。本提案で構築するデータ収集・分析基盤は、L4S導入時の効果測定やチューニングにおいて重要な役割を果たします。Phase 3以降で、L4S対応のxApp開発や実証実験に着手することを見据えます。
4.2.4. 上り(UL)品質が下り(DL)パフォーマンスに与える影響と最適化
モバイル通信では、ユーザーが体感する品質の多くがDLのスループットに依存します。しかし、一見すると無関係に思えるULの品質が、実はDLのパフォーマンスを制限する隠れたボトルネックになることがあります。これは、TCPやQUICといった主要な通信プロトコルが持つ、フィードバックループという基本的な仕組みに起因します。
-
課題の本質:フィードバック信号の遅延
- TCPの仕組み: TCP通信では、DLでデータを受信した端末は、その受信確認応答(ACK)をULを使ってサーバーに返します。サーバーは、このACKを受け取ることで、次のデータを送るべきか、どのくらいの速度で送るべきかを判断します。
- QUICの仕組み: UDPをベースとするQUICも、信頼性を確保するために独自のACKフレームを持っており、TCPと同様にULを使って受信確認をサーバーに送り返します。
- ボトルネックの発生: モバイルネットワークでは、周波数リソースの効率的な利用のため、DLに比べてULのリソース(帯域幅や送信機会)が少なく設定されることが一般的です。このリソースが逼迫すると、ACKパケットの伝送が遅延したり、ACKパケット自体が破棄(ロス)されたりします。
-
各種輻輳制御アルゴリズムへの影響 サーバー側で動作する輻輳制御アルゴリズムは、このACKの遅延やロスを「ネットワークが混雑している」というシグナルとして解釈し、DLの送信レートを抑制します。
- ロスベース制御(例:CUBIC): ACKが返ってこないことによるタイムアウトや重複ACKをパケットロスと判断し、輻輳ウィンドウを大幅に縮小させ、送信レートを落とします。
- BBR (Bottleneck Bandwidth and RTT): BBRはRTT(往復遅延時間)を継続的に計測し、ネットワークの帯域を推定します。ULでのACK遅延はRTTを人為的に増大させ、BBRに 「ネットワークの遅延が増えている(=輻輳の兆候)」と誤認識 させます。その結果、BBRは実際よりも低い帯域幅を推定してしまい、DLの送信レートを不必要に抑制します。
- QUICの輻輳制御: QUICもBBRに似た輻輳制御アルゴリズムを採用している場合が多く、ACKの遅延は同様にRTTの不正確な計測を引き起こし、DLパフォーマンスの低下に直結します。
結果として、DLにはまだ十分な無線リソースの空きがあるにもかかわらず、ULのACK伝送路がボトルネックとなり、DLのポテンシャルを全く引き出せないという状況が発生します。
-
改善手法:
- この問題を解決するためには、DLのトラフィック量だけでなく、ULのフィードバック信号(TCP ACK, QUIC ACK, HARQ ACK/NACK)の遅延も考慮に入れた、総合的なリソース管理が必要です。
- 本提案で構築するデータ分析基盤では、DPIやクラウドソースデータを用いて、TCP/QUICのRTTや再送率を常時監視します。RTTの増大傾向が特定のエリアや時間帯で観測された場合、それはULの逼迫を示唆する強い兆候です。
- この分析結果に基づき、RIC/xAppが、該当エリアのULリソース割り当てを動的に増やす(例:TDDにおけるULスロット比率の増加、ULキャリアの追加割り当て等)といった自律的な制御を行います。これにより、フィードバックループを健全に保ち、DLのパフォーマンスを最大化することが可能になります。
4.3. ネットワークレイヤ:シームレスな移動性と接続安定性の実現
このレイヤでは、モビリティ管理と、通信の安定性を支えるバックエンドの品質が重要です。
4.3.1. AIを活用したハンドオーバー最適化
ハンドオーバーは、端末からの測定レポートを契機として実行される一連のイベントに基づきます。
-
標準的なハンドオーバー測定イベント:
- A3イベント: 隣接セルの電波強度が、現在接続中のセルよりも一定のオフセット値(Hysteresis)以上強くなった場合にトリガーされます。これが最も一般的なハンドオーバーの契機です。
-
課題となるパラメータ:
Time-to-Trigger (TTT)、Hysteresis (A3オフセット) といったパラメータは、従来手動で調整されてきました。TTTが短すぎると電波の瞬間的な変動で不要なハンドオーバー(ピンポン)が発生し、長すぎると移動速度によっては切り替えが間に合わず通信が切断されます。
-
AIによる最適化:
AIは、ユーザーの移動速度、過去の移動パターン、セルの混雑状況から、これらのパラメータをユーザー毎あるいはグループ毎に動的に最適化します。さらに、5Gで導入されたConditional Handover (CHO) を利用し、移動先候補の基地局に事前にハンドオーバー準備を指示しておくことで、切り替え時の瞬断時間をさらに短縮できる可能性があります。
【表2:主要ハンドオーバーイベントとパラメータ】
| イベント | 説明 | 主要パラメータ |
|---|---|---|
| A2 | サービングセルの信号強度が閾値を下回る | threshold, TTT |
| A3 | 隣接セルがサービングセルより強くなる | offset, hysteresis, TTT |
| A5 | サービングセルが閾値1を下回り、隣接セルが閾値2を上回る | threshold1, threshold2, TTT |
4.3.2. バックホール・コアネットワーク起因の品質劣化への対策
無線区間(RAN)の品質が良好でも、その先のトランスポートネットワークやコアネットワークがボトルネックとなり、ユーザー体感を損なうケースは少なくありません。ここでは主要なボトルネックとその改善手法を示します。
-
トランスポートネットワークの品質:
- GTP-U (GPRS Tunneling Protocol - User Plane): ユーザーデータはGTP-Uトンネルを通って基地局とUPF(User Plane Function)間を伝送されます。この区間でのパケットロスやジッタは、直接ユーザーのスループット低下や遅延増大に繋がります。
- SCTP (Stream Control Transmission Protocol): 基地局とAMF(Access and Mobility Management Function)間の制御信号(N2インターフェース)はSCTPで伝送されます。このプロトコルの安定性は、接続確立やハンドオーバーの成功に不可欠です。バックホールでの輻輳によるSCTPパケットの遅延は、制御プレーンのタイムアウトを引き起こし、「電波は立っているのに繋がらない」事象を発生させます。
- 時刻同期 (PTP): TDD(時分割複信)方式の運用や、導入は限定的だとは思いますがCoMPなどの高度な協調技術には、基地局間の厳格な時刻同期が必須です。PTP (Precision Time Protocol)の精度が劣化すると、フレームタイミングがずれ、深刻な干渉を引き起こす可能性があります。
-
対策:
バッファにおけるTail Drop
- 現象: 特にバックホール網のアグリゲーションスイッチ等で、ダウンリンクポート(例:10Gbps)とアップリンクポート(例:1Gbps)の速度差がある場合や、トラフィックが特定のポートに集中した場合、スイッチのバッファが完全に枯渇します。バッファが満杯の状態で到着したパケットは、例外なく全て破棄されます。これをTail Dropと呼びます。
- 影響: Tail DropはTCPのタイムアウトによる低速な再送を引き起こし、複数のTCPフローが同時にスループットを落とす「TCPグローバル同期」現象を誘発するなど、通信品質に深刻なダメージを与えます。
-
改善手法:
- WRED (Weighted Random Early Detection): AFなどのクラスに応じてバッファが完全に溢れる前に、輻輳の兆候を検知し、パケットをランダムに破棄し始めることで、TCP送信側に早期に輻輳を通知し、Tail Dropによる深刻なスループット低下を回避します。
- 適切なバッファ設計とQoS: ネットワーク機器選定時における十分なバッファ量の確保と、制御信号や高優先トラフィックを保護するためのQoS(DiffServ等)設計が不可欠です。
末端NW機器のハードウェア制約
- 現象: 末端のセルサイトに設置されるNW機器はコストや設置スペースの制約から、十分なバッファや処理能力を持たない場合があります。
- 影響: このようなハードウェア的な制約がある場合、バックホールがボトルネックとなり、潤沢な無線リソースを全く使いきれないという本末転倒な状態に陥ります。
-
改善手法:
- 意図的な無線容量の制限: このような場合の現実的な対策として、意図的に無線側のキャリア数を減らす、あるいは帯域を狭めるといった操作を行います。これにより、バックホールに流れ込むトラフィックの最大量を物理的に抑制し、NW機器の処理能力を超えた輻輳による大量パケットロスを防ぎ、結果として安定した通信を確保します。これは、フルスペックの性能を出すことよりも、安定性を優先する重要な運用判断です。
制御プレーンの不安定性
- 現象: バックホールでのパケットロスや遅延は、ユーザーデータ(U-Plane)だけでなく、接続確立やハンドオーバーを司る制御信号(C-Plane)にも影響を及ぼします。
- 影響: 基地局とAMF間の制御信号(N2インターフェース, SCTPで伝送)が遅延・タイムアウトすると、「電波は立っているのに繋がらない」「通話が切れる」といった事象が発生します。
- 改善手法: 制御信号を最優先で扱うQoS設定の徹底や、コアネットワーク(AMF/SMF)のクラウドネイティブ化による処理性能・可用性の確保が求められます。
4.4. サービス/QoEレイヤ:ユーザー体感を直接制御する最終防衛線
このレイヤは、ネットワークの最終的な成果物である「ユーザーの体感品質」を直接的に管理・最適化します。ただし、このレイヤにはこれまで前述の下レイヤの問題がすべて反映されるため、このレイヤだけをみても原因がわからない場合があるということです。そのため、原因が複合的に含まれた測定結果を受け取る可能性があることに注意してください。
4.4.1. アプリケーション識別(DPI)とQoEの可視化・推定
ネットワーク上を流れるトラフィックがどのアプリケーションかを識別するDPI(Deep Packet Inspection)技術を導入し、アプリケーション毎のQoEメトリクス(動画の再生開始時間、解像度、バッファリング発生回数等)を測定します。さらに、これらの実測データとネットワークKPI(スループット、遅延、パケットロス率など)との相関関係をAIに学習させ、ユーザーから直接情報を得なくともQoE(特にMOS: Mean Opinion Score)を高精度に推定するモデルを構築します。
4.4.2. ネットワークスライシングにおけるSLA保証
ネットワークスライシングで定義される個別のSLA(例:「自動運転スライス:遅延5ms以下、信頼性99.999%」)を確実に保証するため、NWDAF(Network Data Analytics Function) と連携し、スライス毎にリソースを監視・自律制御するメカニズムを確立します。NWDAFは3GPPで標準化された分析機能であり、各ネットワーク機能(UPF, AMF等)からスライス単位の性能データを収集・分析する責務を担います。
ただし、商用実装はベンダーによって進捗に差があり、NFが別になることから追加ライセンスが必要となる場合もあるため、導入計画にはベンダーとの密な連携が求められます。
4.4.3. QoE/SLA監視における役割分担
正確なQoE把握には、ユーザーの端末側で何が起きているかと、ネットワーク全体で何が起きているかの両面からデータを収集・分析することが不可欠です。以下の表は、端末SDKとネットワーク側コンポーネント、それぞれの主な役割分担を整理したものです。
【表3:QoE/SLA監視における役割分担】
| 領域 | 端末SDKで実施できる範囲 | NW側ノードで実施できる範囲 |
|---|---|---|
| アプリ体感 | - ページロード時間 - 動画再生開始時間・中断率 - 音声通話途切れ率 |
×(アプリ体感は端末側でしか直接見えない) △ DPIによりL4レベルのボトルネックは検出可能 |
| パケット送受信レベル | - 実効スループット - RTT測定 - ジッタ計測 |
- QoS Flow/DRB単位のスループット - パケット廃棄率 - 遅延統計(※ベンダ依存) |
| 無線品質 | - RSRP/RSRQ/SINR (端末測定値) - セルID, バンド情報 |
- gNB集計でのRSRP/RSRQ分布 - PRB使用率, セル負荷状況 |
| 制御プレーン | - Attach/Registration 成否 | - HO 成功率/失敗率 - Signaling遅延 |
| バックホール/コア品質 | ×(端末からは不可) | - UPFのGTP-U統計 - 遅延モニタリング - バックホール利用率, 廃棄ログ |
| SLA/Slice管理 | ×(端末からは不可) | - S-NSSAI単位のリソース利用率 - NWDAFによるスライス性能分析 |
5. 省力化に向けた取り組み
プロアクティブな品質改善の基盤となるデータを効率的かつ網羅的に収集し、運用プロセス全体を省力化するための具体的な取り組みを、技術的な側面から示します。
5.1. ドライブテストの抜本的改革:データ駆動型ピンポイント測定へ
「網羅的なデータ収集は基地局ログで行い、物理測定は必要な場所に限定する」 という思想に転換します。
5.1.1. 品質劣化エリアの自動推定ロジック
自動推定の精度は、利用するデータとその分析手法に依存します。
-
入力データソース:
-
PMカウンタ:
RRC.ConnEstabAtt(接続試行回数),RRC.ConnEstabSucc(接続成功回数),ERAB.EstabFail.NoRadioRes(無線リソース不足による接続失敗回数)など、基地局が周期的に集計する統計情報。 -
イベントトレースログ:
RLF(Radio Link Failure) report,HO Failurereportなど、特定イベント発生時に記録される詳細ログ。これには、イベント発生時の端末の測定レポート(RSRP/RSRQ)が含まれることが多い。
-
PMカウンタ:
-
分析手法(例):
これらのデータを地理情報(セルごとのカバレッジエリア)とマッピングします。そして、特定のエリアで「RRC接続成功率が著しく低い」「RLFが多発している」といったKPIの空間的な相関を機械学習モデルで分析することで、物理的な測定が必要なホットスポットを自動で特定・可視化します。
【図6:データ駆動型ピンポイント測定のワークフローの例】
5.1.2. ピンポイント測定の実施と効果
上記で特定されたホットスポットに対してのみ、小型のスペクトラムアナライザやスマートフォンベースの測定ツールを持った作業員、あるいはドローンを派遣し、詳細な電波伝搬状況や干渉源を特定します。このアプローチにより、闇雲に走り回る従来型ドライブテストと比較して、コストと時間を大幅に削減することを目指します。
5.2. QoE体感測定のクラウドソース化:ユーザーをネットワークのセンサーに
ユーザーの端末をネットワーク品質のセンサーとして活用することを検討します。実現には技術面以外の様々なハードルがありますので、導入には慎重さも必要です。
5.2.1. SDKのデータ収集アーキテクチャ
-
仕組み: 自社提供アプリや提携アプリに品質測定用 SDK(Software Development Kit) を組み込みます。SDKはバックグラウンドで動作し、個人を特定しない形でQoEに直結する情報を収集する方法を模索します。
-
データフロー:
- SDK: 端末上でHTTPの応答時間や動画のバッファリングイベントなどを検知。
- バッファリング: 収集したデータは即時送信せず、端末内で一時的にバッファリングし、Wi-Fi接続時や低負荷時にまとめて送信することで、ユーザーの通信やバッテリー消費への影響を最小限に抑えます。
- データインジェスト: 暗号化されたデータはクラウド上のデータ収集エンドポイントに送信されます。
- データレイク: 生データは大規模なデータレイクに格納され、後続の分析処理に利用されます。
-
プライバシーへの配慮:
収集データは技術的なパフォーマンスデータに限定し、ユーザーの通信内容や個人情報は含みません。また、k-匿名性や差分プライバシーといった統計的匿名化技術を適用し、個人が特定されるリスクを排除します。データの収集・利用目的については利用規約で明示し、ユーザーがいつでもオプトアウトできる選択肢を提供することで、透明性を確保することが必要です。
5.3. 測定結果の自動反映メカニズムの構築
収集したデータを迅速に改善アクションに繋げる自動化パイプラインを構築します。
-
短期的な自動調整(RIC連携):
リアルタイムで検知された局所的・一時的な品質劣化(例:特定のセルでの急なトラフィック増)に対しては、分析基盤が直接RICに改善指示を送り、RICが負荷分散(MLB)やハンドオーバーパラメータの最適化を自律的に実行します。このループは数秒から数分の単位で完結します。
-
中期的な設備投資判断へのフィードバック:
慢性的な品質劣化が観測されるエリアについては、そのデータを定量的なエビデンスとして自動でレポート化します。レポートには、時間帯別のトラフィック量、ユーザー数、QoE劣化の度合いなどが含まれ、基地局増設や周波数帯追加といった設備投資(CapEx)計画の客観的な判断材料となります。
5.4. 圏外の網羅的検知と能動的対策
「圏外」はネットワーク側からの情報収集が困難でしたが、複数のデータソースを組み合わせることで対処します。
-
基地局ログからの推測: 無線リンクの切断(RLF)やハンドオーバー失敗が頻発するエリアを、圏外スポットの候補として特定します。
-
SDKのオフラインバッファリング機能:
SDKにオフライン機能を実装し、ユーザー端末が通信に失敗した瞬間の位置情報とイベント情報を端末内部に一時保存。通信可能になったタイミングでデータをアップロードさせることで、これまで捉えられなかった 「サイレント圏外」の発生地点を正確にマッピング します。
-
DPIによるサイレント障害の検知:
パケットレベルのトラフィックを詳細に分析するDPI技術は、より高度な兆候検知を可能にします。
-
分析対象: コアネットワークのS/P-GW (UPF)を流れるGTP-Uパケットをミラーリングし、その中身をL4-L7レベルで解析します。
-
検知可能な事象:
-
TCP再送率の異常: 特定セル配下のセッションでTCP再送が多発している場合、無線品質の劣化やパケ詰まりの兆候です。
-
TCP Zero Window: 受信側バッファが溢れ、これ以上データを受け取れない状態を示すTCPイベント。端末側またはネットワーク側の輻輳を示唆します。
-
アプリケーションがボトルネックの場合(端末の問題): 端末上のアプリケーションが、OSのTCPバッファからデータを十分に速く読み出せない場合。これは純粋に端末側の問題です。
-
ネットワークがボトルネックを誘発する場合(ネットワークの問題):
- 高遅延・ジッター: ネットワークの遅延が大きい、または遅延の揺らぎ(ジッター)が大きいと、パケットがバースト的に端末に到着することがあります。これにより、アプリケーションの処理能力は一定でも、瞬間的にTCPバッファが溢れてしまい、Zero Windowが発生します。
- パケットロスと再送: ネットワークの輻輳によってパケットロス(特にTail Drop)が発生すると、TCP再送が起こります。再送されたパケットを待つ間、後続の順序通りに届いたパケットがバッファを埋め尽くしてしまい、結果的にZero Windowを引き起こします。
-
-
DNS解決時間やTTFB (Time to First Byte)の増大: 通信の初期段階での遅延は、制御プレーンの輻輳やネットワーク深部の問題を反映している可能性があります。
これらの通信の「前兆」を捉えることで、よりプロアクティブな対策を可能にします。
-
-
6. 従来手法からの変革:現地調査からデータ駆動型へ
本提案は、ネットワーク品質管理における長年のパラダイム、すなわち「物理的な現地調査と手動調整への依存」を根本から覆します。
6.1. 開局前調査の変化:デジタルツインによる「仮想空間での」エリア設計
基地局を新設する際のエリア設計を、物理世界を仮想空間に忠実に再現したデジタルツイン上でのシミュレーションへと移行させます。
-
デジタルツインの構成要素:
- 高精度3Dマップ: ビルや地形を数cm単位で再現した三次元地図。
- 建材データベース: 電波の透過・反射・回折特性を格納。
- 動的人流データ: 時間帯・曜日ごとの人の流れや滞留状況。
-
高度な電波伝搬シミュレーション:
このデジタルツイン上で、レイトレーシング(Ray-tracing)法を用いた高度なシミュレーションを実行します。これは、アンテナから放射された無数の電波(レイ)が、3Dマップ上の建物や地形でどのように反射、回折、透過するかを物理法則に基づいて一本一本追跡・計算する手法です。これにより、従来の統計的な伝搬モデル(例:Okumura-Hataモデル)では予測が困難だった屋内やビル陰、地下街のカバレッジをピンポイントで予測します。
-
AIを活用した高速な伝搬予測モデル:
近年、物理ベースのレイトレーシング法に加えて、AIを活用した伝搬予測モデルの研究開発が進んでいます。これは、膨大な実測データと3Dマップ情報を教師データとして機械学習モデル(GNNやCNNなど)に学習させ、電波伝搬の特性そのものを推論させるアプローチです。レイトレーシング法に比べて計算コストを大幅に削減できる可能性があり、リアルタイムに近い形でのシミュレーションや、より広範なエリアでの迅速なエリア設計への活用が期待されます。AIモデルは、地形や建物の構造と実際の電波伝搬の関係性を学習することで、測定データが存在しない未知の場所の電波強度を高速かつ高精度に推論することが可能になります。これにより、物理シミュレーションを大幅に補完・代替し、計算コストを劇的に削減しながら、迅速なエリア設計を実現します。
-
自己較正するデジタルツイン:
さらに、開局後にクラウドソースデータ(SDK)から得られる実測値とシミュレーション結果を比較し、その誤差をAIに学習させることで、伝搬モデルのパラメータを自動で補正します。これにより、デジタルツインは現実世界をより正確に反映するように自己較正を続け、シミュレーション精度が継続的に向上することが期待されます。

【図7:デジタルツイン上でのレイトレーシング法による電波伝搬シミュレーションのイメージ(例)】
6.2. 開局後チューニングの課題:時間とコストを浪費する手動サイクル
開局後のエリア品質最適化は、従来、**「ドライブテスト実施 → データ分析 → 対策立案 → 現地調整作業 → 効果確認」**という非常に長く、非効率な手動サイクルで行われてきました。このサイクルは、一つの問題を解決するのに数週間から数ヶ月を要することも珍しくないのではないでしょうか。
【図8:従来の手動チューニングサイクルとデータ駆動型自動化サイクルの比較】
6.3. 自動化による品質改善サイクルの超高速化:多層的Closed-Loopの実現
データ駆動型アプローチは、この非効率な手動サイクルを、システム内で完結する自動化された 「Closed-Loop(閉じたループ)」 へと置き換えます。このループは、対処すべき事象の時間スケールに応じて階層化されています。
| ループ階層 | 応答時間 | 担当コンポーネント | 制御内容の具体例 |
|---|---|---|---|
| Real-timeループ | ミリ秒〜秒 | Near-RT RIC / xApp |
入力: CSI-RS, SRS 処理: チャネル推定 出力: ビームフォーミングの重み付け係数変更、MACスケジューリングの即時調整 |
| Near-real-timeループ | 秒〜分 | Near-RT RIC / xApp |
入力: E2 I/F経由のUE測定レポート, セル負荷情報 処理: 負荷分散・HO最適化xApp 出力: HOコマンド発行、周辺セルへのトラフィックオフロード指示 |
| Non-real-timeループ | 時間〜日 | Non-RT RIC / rApp (SMO) |
入力: 長期的なPMデータ, QoEデータ, 外部イベント情報 処理: トラフィック予測AIモデル 出力: A1 I/F経由でのポリシー変更(例:来週のトラフィック予測に基づきCCOの基本方針を変更) |
6.4. 変革がもたらすビジネスインパクト
- OpEx(運用コスト)の劇的な削減: ドライブテスト、データ分析、現地調整作業に関わる工数を大幅削減することが期待されます。
- 品質改善の高速化: これまで数ヶ月を要していた品質問題の解決が数時間〜数日で完了することが期待されます。
- サービス品質の向上と均質化: 属人的スキルへの依存を排除し、全国どこでもデータに基づいた高品質なサービスを提供することが可能となり、顧客満足度(CS)とブランドイメージの向上に直結します。
7. 改善の自動化とインテリジェント制御
データ駆動型への変革を技術的に実現する両輪が、「改善の自動化」と「インテリジェント制御」です。本章では、その中核技術であるO-RANアーキテクチャとAI/MLとの関係を示します。
7.1. RIC/xAppによる自律的最適化アーキテクチャ
O-RAN Allianceによって標準化が進められている RIC(RAN Intelligent Controller) は、RANのインテリジェント化とオープン化を実現する頭脳として機能します。
7.1.1. O-RANアーキテクチャと主要コンポーネント
- SMO (Service Management and Orchestration): RAN全体の管理とオーケストレーションを担う最上位のフレームワーク。
- Non-RT RIC (Non-Real-Time RIC): SMO内に配置され、1秒以上の制御ループを担当。AIモデルの学習や、ネットワーク全体を俯瞰した長期的な制御ポリシーを決定します。
- Near-RT RIC (Near-Real-Time RIC): 基地局(O-CU/O-DU)に隣接して配備され、10ミリ秒〜1秒の制御ループを担当。ハンドオーバー制御や負荷分散など、リアルタイム性の高い最適化を実行します。
- xApp/rApp: RICの機能を実装する専用アプリケーション。rAppはNon-RT RIC上で、xAppはNear-RT RIC上で動作します。これにより、通信事業者やサードパーティが特定の機能(例:QoE最適化アプリ)を開発・導入し、RANを柔軟に拡張できます。
【図9:O-RANアーキテクチャと主要インターフェース (A1, E2, O1)】
7.1.2. オープンインターフェースによる連携
RICは標準化されたオープンインターフェースを通じて各コンポーネントと連携します。
- A1インターフェース: Non-RT RICとNear-RT RICを接続。Non-RT RICが生成した制御ポリシー(例:「セルAの負荷が70%を超えたら、トラフィックの一部をセルBにオフロードせよ」)をNear-RT RICに伝達します。
- E2インターフェース: Near-RT RICと基地局(O-CU/O-DU)を接続。基地局から詳細なパフォーマンス情報や端末情報をリアルタイムに収集(REPORT)、およびNear-RT RICから基地局への具体的な制御コマンドを送信(CONTROL)します。
- O1インターフェース: SMOと基地局などを接続し、設定管理や性能監視といった従来のOAM機能を提供します。
これらのO-RANインターフェースの標準化は進んでいますが、その商用実装の進捗はRANベンダーによって大きく異なります。エリクソンやノキアといった伝統的なベンダーは、既存の高度に統合されたプロプライエタリなRANソリューションを持っており、O-RANインターフェースへの**「準拠」**は表明しつつも、自社のエコシステム内での最適化を優先する傾向にあります。一方で、O-RANに特化した新規ベンダーや一部のメーカーは、オープンなインターフェースを積極的に活用したマルチベンダー構成のRIC/xAppエコシステム構築に注力しています。
したがって、本提案のRIC/xAppによる自律的最適化は、既存ベンダーの提供するRANと協調動作可能なRIC機能を活用する、あるいは将来的なO-RANデプロイメントのロードマップを見据え、今からデータ収集・分析基盤を整備していくという二つのアプローチで進めることが現実的です。たとえ現行のRANがO-RANに完全対応していなくとも、E2インターフェースに相当するデータ(PMカウンタやUE測定レポート)を既存APIやファイル転送で収集し、それを分析して得られた最適化指示を、既存のEMS/NMS経由でRANに適用する「ハイブリッド型」の自動化から開始することが可能です。これにより、O-RANの恩恵を段階的に取り入れ、将来の完全なO-RAN移行への基盤を準備することができます。
7.1.3. RICの能力と限界
RICはRANの振る舞いをソフトウェアで柔軟に制御できる強力なツールですが、万能ではありません。
【表4:RICの能力と限界】
| できること | できないこと(限界) |
|---|---|
| 干渉管理、HO最適化、負荷分散、QoS/QoE制御など、既存リソースの最適配分 | 物理的なリソースの追加(周波数帯域や基地局容量の増設) |
| 慢性的なトラフィック増大などの問題を検知し、アラートを上げること | 絶対的な容量不足を根本的に解決すること |
RICは「既存リソースの使い方を賢くする」ことでQoEを底上げするものであり、設備増設と組み合わせることで最大の効果を発揮します。
7.2. AIによる予測と高度な制御
AI/MLは、自動化ループの「分析」と「判断」のフェーズを高度化し、人間には不可能なレベルの予測と最適化を実現します。
-
予測 (Prediction):
- トラフィック予測: LSTM(Long Short-Term Memory)やGRU (Gated Recurrent Unit)といった時系列予測モデル、あるいはFacebookが開発したProphetライブラリなどを用いて、過去のトラフィックデータ、曜日・時間帯、イベント情報、天候データなどを学習し、セル毎のトラフィック量を高い精度で予測します。
-
異常検知 (Anomaly Detection):
Autoencoder、Isolation Forest、One-Class SVMなどの教師なし学習モデルを用いて、多数のKPIの正常な相関関係を学習させます。これにより、個々のKPIが閾値を超えなくとも、全体の「振る舞いがいつもと違う」という複合的な異常(サイレント障害)を検知できます。
-
根本原因分析 (Root Cause Analysis):
一つの障害が数百のアラームを連鎖的に発生させるアラームフラッドに対し、グラフニューラルネットワーク(GNN) が有効です。ネットワークの構成要素(基地局、スイッチ等)をノード、接続関係をエッジとするグラフを構築し、アラームの伝播パターンを学習させることで、膨大なアラームの中から事象の引き金となった真の根本原因を自動で特定します。
-
強化学習 (Reinforcement Learning) による最適化:
ハンドオーバーパラメータなど、環境が複雑で明確な正解が存在しない制御問題に対し、強化学習が有効です。
-
Agent (エージェント): 制御を行うRIC/xApp
-
Environment (環境): デジタルツインで再現されたネットワーク、あるいは実ネットワーク
-
State (状態): セルの負荷、ユーザーのスループット、遅延などのKPI群
-
Action (行動): ハンドオーバーパラメータの変更、負荷分散の実行など
-
Reward (報酬): QoE向上やネットワーク全体の効率化を目的として設計された関数
エージェントは、報酬を最大化するように試行錯誤を繰り返し、最適な制御ポリシーを自ら学習していきます。
-
【図11:強化学習によるネットワーク最適化の概念図】
7.3. プロセス標準化とオーケストレーション:Zero-Touchの実現へ
最終的に、サービス提供のライフサイクル全体を自動化することを目指します。その指針となるのが、ETSI ZSM(Zero-touch network and Service Management) のフレームワークです。その究極的なビジョンは、IBN(Intent-Based Networking) の実現です。これは、運用者が「スタジアム周辺で、VR配信向けに下り100Mbps、遅延20msを保証したい」といったビジネスレベルの 「意図(Intent)」 を宣言するだけで、システムが必要なネットワークリソースの設計、設定、払い出し、そして運用中のSLA保証までを全て自律的に行う世界です。
8. 今後の方向性
本提案で構築するデータ駆動型の自動化基盤は、将来の新たなビジネス要件や、Beyond 5G/6G時代の技術革新に柔軟に対応するための「進化するプラットフォーム」としての役割を担います。
8.1. ネットワークスライシングの本格対応とE2Eオーケストレーション
5Gの真のビジネス価値であるネットワークスライシングをエンドツーエンド(E2E)で実現し、そのライフサイクル全体を自動化します。RANだけでなく、トランスポート、コアネットワークといった複数のドメインを統合・協調させるE2Eサービスオーケストレーター を導入し、スライスの動的な生成、需要に応じたリソースの拡張・縮小、削除を完全に自動化することが望まれます。
8.2. AIによるスライス品質保証(Slice Assurance)
AIを活用してスライスの品質を常時監視し、SLA違反の兆候をプロアクティブに検知・対処するAI-driven Slice Assuranceの仕組みを確立します。コアネットワークの分析機能NWDAFと連携し、AIモデルが「2時間後に遅延SLAを逸脱する可能性が85%」といった将来の品質劣化を予測。SLA違反が発生する前に、自律的な予防保守アクション(リソースの再配分など)を実行します。
8.3. 特殊用途(モビリティ、産業IoT)への高度な適応
自動運転やスマートファクトリといった超高度な要件を持つユースケースに対応するため、ネットワークの適応能力を高められる可能性があります。無線という性質から究極的な保証はできませんが、ある程度の対応が期待されます。
-
高速移動体(V2X)向け予測モビリティ制御:
車両から得られるリアルタイムなGPS情報や地図情報といった外部コンテキストをRICに入力し、車両の数秒先の移動経路を予測。ハンドオーバーに最適な基地局とタイミングを事前に決定・準備させ、ハンドオーバー失敗のリスクを限りなくゼロに近づけられる可能性があります。
-
産業IoT向け超高信頼・低遅延(URLLC)保証:
時刻同期の標準技術であるTSN(Time-Sensitive Networking) と5Gシステムを統合し、RANのスケジューリングをμ秒単位で精密に制御することで、無線区間を含めたE2Eでの確定的な低遅延通信を実現できる可能性があります。
8.4. 外部インテリジェンスとの連携による継続的な進化
ネットワークのインテリジェンスを、外部のAI技術や多様なデータソースと連携させることで継続的に拡張します。
-
AI as a Service (AIaaS) モデルの活用:
Non-RT RIC/SMOを、Google Cloud Vertex AIやAWS SageMakerといったパブリッククラウドの最先端AIプラットフォームと連携させ、常に世界最高レベルのAI技術をネットワークの最適化に活用します。モデルは常に入れ替え可能な形での設計が望ましいと考えられます。コスト、電力、必要性、性能などを勘案して最適な選択を行う必要があります。
-
外部データソースの積極的な活用:
交通情報、気象情報、大規模イベントカレンダー、SNSのトレンドといった多様な外部データをAPI経由で取得し、トラフィック予測モデルの精度を向上させます。
9. 導入計画と期待効果
リスクを管理しながら変革を段階的に導入するためのロードマップと、それによって期待される具体的な投資対効果(ROI)を一般論から示します。あくまで、旧来のエリア設計・計画・維持管理方法をベースにした参考見積もりです。
9.1. 段階的導入計画(Phased Approach)(例)
-
Phase 1: 基盤構築と可視化(〜18ヶ月)
- 目標: 全ネットワークの品質状況を、ユーザー体感(QoE)という統一指標で正確に把握できる状態を確立する。
- 主要マイルストーン: データ収集・統合基盤の構築、全国QoEマップ・ダッシュボードの初版リリース、RIC/xAppの技術検証(PoC)完了。
-
Phase 2: 分析高度化と部分的自動化(〜24ヶ月)
- 目標: 特定の課題領域(例:大都市部の輻輳対策)でClosed-Loop自動化を商用導入し、その有効性を定量的に証明する。
- 主要マイルストーン: AI分析プラットフォームの本格稼働、主要都市部へのNear-RT RICの導入、第一弾xApp(負荷分散最適化等)の商用導入。
-
Phase 3: 全社展開と自律化の推進(24ヶ月以降)
- 目標: 実証済みの自動化ソリューションを全国展開し、プロアクティブな品質管理を標準運用として定着させる。「自己治癒ネットワーク」に向けた自律化レベルを継続的に向上させる。
- 主要マイルストーン: 効果が実証されたxApp/rAppの全国展開、E2Eオーケストレーター導入とネットワークスライスの商用提供開始。
9.2. 期待される投資対効果(ROI)
本改革への投資は、コスト削減と新たな価値創造の両面で、事業に大きなリターンをもたらします。以下に示す目標値は、業界のベストプラクティスや類似の自動化プロジェクトの事例を参考に設定したものであり、その算出根拠と共に提示します。
※あくまでも目安であり目標は架空の例となりますが、一般的な旧来の手法と比較しての大雑把な数字とお考えください。
9.2.1. 定量的効果(5ヶ年目標)と算出(例)
-
OpEx(運用コスト)削減:
-
現地調査(ドライブテスト)コスト:90%削減
- 根拠: 従来の網羅的なドライブテストは「(チーム数)×(日数)×(日当コスト)」で莫大な費用が発生します。新方式では、データ分析で特定されたホットスポット(全体の数%)に限定して短時間の調査を行う「ピンポイント測定」に移行します。これにより、調査対象エリアと稼働時間の大幅な削減が見込まれ、90%という目標値は、一般的に想定される現実的な削減率と思われます。
-
手動解析・チューニング工数:60%削減
- 根拠: 現在、障害発生時のログ解析やパラメータチューニングには、高度なスキルを持つエンジニアが数時間から数日を費やしています。AIによる根本原因分析やRICによる自動調整を導入することで、このプロセスが数分から数時間に短縮されます。エンジニアの作業は「自動化された分析結果の確認と承認」が主となり、解析・対策に関わる全体の工数を60%程度削減できると見込みます。
-
現地調査(ドライブテスト)コスト:90%削減
-
サービス信頼性の向上:
-
障害復旧までの平均時間(MTTR):80%短縮
- 根拠: MTTRは「検知時間+分析時間+修復時間」で構成されます。本システムは、異常検知をリアルタイム化し(検知時間の大幅短縮)、AIで原因分析を自動化し(分析時間の大幅短縮)、RICで修復アクションを自動実行します(修復時間の大幅短縮)。特に、これまで数日を要していたプロセスが数時間に短縮されることを想定するため、全体として80%のMTTR短縮は達成が見込まれます。
-
障害復旧までの平均時間(MTTR):80%短縮
-
顧客満足度と収益への貢献:
-
ネットワーク品質起因の顧客解約率(Churn Rate):20%低減
- 根拠: これは総解約率を20%削減するものではなく、「ネットワーク品質への不満」を理由に解約する顧客層をターゲットにした目標値です。例えば、全解約者のうち25%が品質起因であると仮定した場合、本提案によるプロアクティブなQoE改善によって、そのうちの8割の顧客の不満を解消・緩和できると試算します(25% × 0.8 = 20%)。
-
設備投資(CapEx)効率:15%向上
- 根拠: 従来、基地局増設などの設備投資は、比較的マクロなトラフィック統計やユーザーからの申告に基づいて計画されてきました。本提案のデータ駆動アプローチにより、「本当に投資が必要な場所」をピンポイントで特定できることが期待されます。RICによる負荷分散や動的最適化によって既存設備の利用効率を最大化することで、不要不急な投資を回避できます。これにより、トラフィック量あたりの設備投資額を抑制し、CapEx効率を15%向上させることを目指します。
-
ネットワーク品質起因の顧客解約率(Churn Rate):20%低減
9.2.2. 定性的効果(ビジネス価値)
- 顧客体験価値の向上: 「いつでもどこでも快適に繋がる」という信頼を提供し、ブランド価値を飛躍的に向上。
- ビジネスアジリティの獲得: 新サービスを数ヶ月単位ではなく数日単位で市場投入できるスピードを獲得。
- 新たな収益源の創出: 自動運転、スマートファクトリといった高付加価値な産業向けB2B2X市場へ本格参入し、新たな収益の柱を確立。
10. まとめ
10.1. 提案の要点
本提案は、従来の「人手と経験に頼る」運用モデルから、データ駆動型かつ自律的なエリア品質改善サイクルへの抜本的な変革へのひとつのアイデアを提示するものです。そのアイデアの中心は、「測定の高度化」「改善の自動化」「プロセスの改革」 という3つの柱を着実に実行することにあります。
この取り組みにより、ユーザーが問題を体感する前に品質を改善するプロアクティブ運用を実現し、顧客体験価値を最大化 できる可能性を示唆します。同時に、運用プロセスを抜本的に効率化し、OpExを大幅に削減できる可能性があります。これは単なるコスト削減に留まらず、創出されたリソースを新たな上位レイヤの価値創造へと再投資するための、未来への投資となりえます。
10.2. 自己治癒ネットワークの未来像とその先へ
標準化の場でも議論されているような目指す最終的なゴールは、ネットワーク自身が思考し、行動する 「自己治癒ネットワーク(Self-Healing Network)」 の実現です。それは、人間の介入を最小限に、ネットワークが自らの状態を常に監視・診断し、障害の兆候を予見して自らを修復し、環境の変化に適応して自らを最適化し続ける、自律的なエコシステムです。
さらにその先、6G時代には、ネットワークはAI機能を内包する AI-Native なアーキテクチャ(AI for NW, NW for AI)へと進化することが標準化では議論されています。これから構築すべきデータ駆動と自動化の基盤は、次世代の、より高度で知的なネットワークサービスを実現するための不可欠な礎となることが期待されます。
Discussion