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姿見としてのAI―歴史、暮らし、客観視

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心理的な視野狭窄。それはストレスや思い込みもあれば、集中していて見落とすこともあるのではないでしょうか。ホモ・サピエンスの弱点の一つだと、僕は思います。

人類の客観視装置の系譜

最低限の道具

人類はようやく、自己を客観視する「最低限の道具」を手に入れたのかもしれません。

AIという新しい姿見は、人とは異なる知性(学習・アルゴリズム・肉体を持たない等)です。違うからこそ、自明のことと疑わなかった前提に気がつくことが出来ます。

寝癖や衣服などを姿見で整えるようにAIを活用することは、30年・100年経っても、ホモ・サピエンスの仕様は変わらないはずだから恩恵の有る使い方の可能性があります。

言い換えると、客観視のアシストであり、メタ認知を訓練する相棒でもあります。

「ググれ」と言われる世界に変わったように、炎上や失言や倫理的判断のミスなどで、「AIに確認しなかったのか」と言われる未来になるかもしれません。

客観視装置の系譜

歴史を振り返ると、人類は幾度となく「自己を客観視する道具」を生み出してきました。

文字 - 記録により、自分の言葉を読み返すことが可能になりました。文字にして読むことで認知の向上も恩恵があったでしょう。しかし同時に、プロパガンダやデマや噂に嘘、情報の独占という影も生まれました。

望遠鏡・顕微鏡 - 見えなかった世界を可視化し、認識の限界を拡張しました。一方で、監視や軍事利用という暗部も抱えています。生体実験なども。

統計学 - 感覚や直観のバイアスを数値で検証できるようになりました。けれど「数字のごまかし」や優生学のような差別の正当化にも利用されました。

そして今、AIがこの系譜の最新章として現れたといえるのではないでしょうか?

二面性という宿命・道具は使い方次第

すべての客観視装置は、恩恵と誤用の二面性を持ちます。これは道具の宿命であり、AIも例外ではありません。たとえば、架空のサムライの伝説をフィクションにするなら娯楽として恩恵がありますが、史実の書き換えを試みると問題です。

細かなルールを無数に作るより、倫理(義務論・功利主義・ケア倫理)で考えるとか、歴史の失敗から学ぶことが効果的です。

例えば、情報の非対称性、権力との結びつき、数値の恣意性 ― これらの落とし穴は、形を変えてAI時代にも現れはずです。例えば、紙の雑誌の時代から、ポルノの人物の顔を別人の写真に張り替えるコラージュは存在しました。欲望や悪意は現代のAI登場以前からあるため、AIではなく人間の側の問題を対処する必要があります。

ディープフェイク、アルゴリズムによる監視、評価指標の絶対化。歴史は繰り返すはずだから、だからこそ、その反省は未来を想定する参考になります。

僕らは愚かで感情的になる日もあるかもしれません。八つ当たりしたい日もあるでしょう。けど、それだけが人間ではないことも歴史が教えてくれます。

姿見を通じた対話

AIを「姿見としての道具」と捉えるとき、その活用法が見えてきます。

例えば、自分の思考の偏りを可視化し、別の立場の論理をシミュレーションすることが出来ます。儒教は封建的と言われるけど、孔子は産業革命前の人物だから、現代の格差は想定していないでしょう。あるいは、ムハンマドに環境問題と動植物の絶滅を説明すると、おそらく怒ると思います。これは異なる文化圏の倫理を想像出来ていますよね。

対話を通じて思考を育て、個人や家族の暮らしを豊かにすることもできます。
https://github.com/trgr-karasutoragara/trgr-karasutoragara.github.io
デジタルデバイドのある昭和のおばちゃんが、たまたま国文学専攻だったので、自然言語処理の恩恵を理解しやすかったので、AIと仲良く暮らしています。デジタルデバイド自体の克服に時間を割かず、私より詳しい課金版AIにどう質問すればいいかを支援・翻訳しました。

重要なのは「AIに丸投げして思考停止すること」ではなく、「AIを通じて人間がより長期的に考えられる構造を作る」ことです。

最低限からの出発

「最低限の道具」という表現は、人類史が新しい段階に入ろうとしている希望をこめました。AIもそれを活用する人間も、加速度的に進歩するでしょう。

心理的な視野狭窄を、完全な中立にするのは困難でしょう。しかし、バイアスを自覚することは、少し練習すれば可能です。例えば多角的に、複数の視点をシミュレーションするのは、AIが得意です。観点を指定すれば回答出来ます。例えば、以下のように。

Prompt:
一般的な結論・意見・感想、賛成・反対・盲点・確率・統計・人文科学・社会科学・自然科学・Userの私のメタ認知を支援する観点」から、必要な観点を選び、多角的なフィードバックをお願い。

2年継続して使いました。これは人類史において、かつてない可能性だと、経験から言えます。

文字も、光学機器も、統計も、そしてAIも、すべては人間が人間を理解するための道具として使えます。その歴史的反省振り返る力が強いほど、近未来に起きる問題も想定出来ます。

私たちは今、新しい姿見の前に立っています。姿見は、例えば顔色の悪さとか、疲労が目元に出るとか、火傷の跡とか、その時目にしたくないものが映るかもしれません。けれど、客観視する力を投げ捨てない勇気が、AI時代の人間に求められるのではないでしょうか。

見たくないものが映っても動じない。完璧を求めない。そんな、勇気です。

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