「初心者の記事が全体の質を下げる」という言葉にビビる
入れたら出そう 教えるのは効率のよい勉強 と言われて
公式がまだ充実してなかったりすると、初心者の雑な記事が増えて全体の質が下がる …… といったような意見をみかけてメチャクチャにビビり、15日から毎日5000字くらいずつ書き溜めているRustチュートリアルの学習記事を書けなかった最初の日となってしまいました。小心者が過ぎる。
人に教えるのはとても学習効果があるというのは有名な話で、じゃあいつになったら教えられるのか・教えて良いのかという素直な疑問が出てきます。これについては「学び初めの段階から(自分よりもレベルの高い)誰かに教えはじめたって良い」というのが、僕の中の答えではあります。これをどこで見つけたかは忘れてしまいましたが。
学び始めや、レベルの高い人に教えるというのは意味のないことのように見えて、人に伝えようとする時点で調べたり素材不十分だったことへの自己点検が起こるのが、効果の高さにつながる一つの理由かと思っていたりもします。
でも、それと「教えたその内容の質」が高かったか、正しさは本当に確保されていたかは全く別の話でもあります。だから、記事として残る以上、多くの初心者によるアウトプットが全体を濁らせてしまうという意味で質の低下が叫ばれるのだろう…… というのも想像できます。
どんどんブログを書いたりしようと言われる中で、それが全体の質を下げるとも言われる。
たぶんほとんどの人が、質を下げてやろうなどと思っては書いていないのだろうけども、どうすれば良いのかはわかりません。手を動かすという意味であれば、それよりもコードを書けという方が正しいのかもしれませんし。
その時目的としている話のレイヤーを定めるにしても範囲はとにかく広く、初心者では全体の広さも深さも見えていなかったりもして…… それに大きな枠でイメージをなんとかつかんでから、細かい輪郭を整えていくというのが学習のステップであるようにも思えるので、そういう段階の記事だって当然あるだろうとも思います。
あらゆる高さのレイヤーで、あらゆる解像度の語り口がある。だから、場合によっては探している高さや粗さが一見自分に合っているように思えて勘違いにつながることもあるというのが、質が下がったように見える現象のひとつなのかなとも思います。数が多ければ実例の絶対数も増えるということで。
アウトプットは楽しいし勉強になるので、やりたいですが、やっぱりビビりますよね。自分が質を下げているのだろうかと思いながらやるのは、けっこう悲しいことです。どうしたらいいんだろう。