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なぜ日本のウェブサイトは異質なのか?

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source: https://medium.com/@mirijam.missbichler/why-japanese-websites-look-so-different-2c7273e8be1e

著者は、VISA要件の確認・旅行の計画・あるいは単なる買い物などのため、日本のウェブサイトを何度も訪れる機会があったのだが、その大量のテキスト・ド派手な色使い・10種類以上のフォントなどなどで作られたサイトに慣れるまでに長年を要したという。

この記事では、そうした(欧米人にはとっては)使いづらいサイトがなぜ未だに日本では蔓延しているのか?を、いくつかの観点から解説していく。

フォントとフロントエンド開発の制約

日本語のフォントは膨大な字体の考慮が必要

フォントを作る際、英字の場合230の字体(glyphs)を考慮する必要がある。ラテンアルファベットで構成される全言語をカバーする場合は840だ。

しかし日本語の場合、漢字・カタカナ・ひらがなの3システムが存在し、考慮が必要な字体は7,000から16,000に及ぶ。

それゆえ日本語のフォントを新しく作るには多大な労力が発生するのだ。
ちなみにこれは中国語や韓国語にも共通した課題となっている。

フォントの制約をカバーする為に、サイト側に工夫が必要になる

(先述した課題から)フォントを新たに作成するデザイナーは少なくなり、結果としてフォントの選択肢は狭まってしまう。

また、日本語フォントには

  • 大サイズの欠如
  • ローディング時間が(英字に比べると)長い

などの課題もあり、それらをカバーする為にウェブサイト側で工夫が必要になる。
例としてスターバックスが挙げられている。


スタバのアメリカ版のウェブサイトでは、画像の中に実際のフォントが埋め込まれており、さらにその中にクリック可能なボタンが配置されている。コピペできることからも、それが実際のフォントであることがわかるだろう。

対して日本版では一見似たようなレイアウトに見えるが、実は全て画像になっている。テキストは全て画像に埋め込まれ、ボタンの代わりに画像そのものがクリック可能になっている。モニターの解像度によってはこれらのテキストはぼやけて見えることがあるだろう。

技術開発/停滞と組織的デジタルリテラシー

日本は世界トップレベルのロボティクスを要する国の一つであるにもかかわらず、いまだにフロッピーディスクやFAXを使い続ける国でもある。

もしあなたが日本に興味があるならば、最先端の技術と、完全に時代遅れとなった技術が共存する光景に馴染みがあることだろう。

ドイツにおいてはメルケル前首相が「インターネットは未知の領域である」と発言し嘲笑されたが、日本の桜田サイバーセキュリティ担当大臣は「PCを使ったこともなく、USBもしらない」と、これをあっさり凌駕する発言をした。
https://gigazine.net/news/20181116-japan-cyber-security-minister-sakurada/

このように、日本がテクノロジーの進化に遅れをとっていることも、ウェブサイトの発展を阻害している一因と推測するのも決して的外れではないだろう。

文化的影響

最後の観点が「文化的影響」だ。
著者は日本での滞在や日本人と仕事をしていた経験があることから、幸運にもネイティブの日本人にこうした問題に対する考えを聞ける機会があったという。

ウェブサイトではないのだが、とある日本のYouTubeのサムネイルを知り合いの日本人に見せ、「どうして日本の人気動画では、タイトルが乱立し、色が散乱し、無秩序なフォントで構成されたサムネイルが多く使われているのか?」と尋ねてみた。

すると彼は、そうしたサムネイルがそのような混乱を引き起こすデザインであると思われていることに驚いていたという。

彼はそのようなアプローチ(大量のタイトルやカラフルなサムネイル)は、ビデオをより興味深く見せてくれ、多くの情報を見るものに与えてくれる有益なものだと考えていたのだ。逆に著者が英語動画のサムネイルを彼に見せたところ、彼には退屈に感じられたという。

こうした事例をふまえ、著者は日本人の「より多くの情報を求めようとする姿勢」がウェブデザインにも表れているのではないか?と仮定している。

西洋人にとっては難解極まりない日本のオンラインショッピング、ニュースサイト、政府系のサイト(記事内では「最悪の犯罪者」と表現されている)も、日本人にとっては必要な情報が網羅されるための必然性の結果だというわけだ。

もちろんこうした傾向はウェブデザインだけではなく、パンフレットや雑誌などにも表れている。少ないスペースにできるだけ多くの情報を詰め込もうとする手法に、日本人は慣れきってしまっているのだろうと著者は述べている。

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