ピーターティール思想の整理とアップデート
本文ではピーター・ティールの思想をまとめている。前半では2014年に日本語訳され出版された彼の著書『ゼロ・トゥ・ワン』の源流となったスタンフォード大学での講義内容に基づきティールが強調する秘密という概念を解説し、その具体的な事例として彼が特に重視する独占とべき乗に関する独自の視点を明らかにする。後半ではより最近のインタビューや講演から彼の政治や社会に対する思想や意見を紐解いていく。ただし、ティールの思想は広範かつ多岐にわたるため本書ではそのすべてを網羅するのではなく、筆者が重要だと判断した部分を抜粋・要約している。また、異なる時期の発言を繋ぎ合わせ、論理的な整合性を保つために筆者自身の解釈に基づき文脈を補っている箇所も少なくない。そのため、ここに記述された内容がティール氏本人の真意と完全には一致しない、あるいはニュアンスが異なる可能性があることをあらかじめご了承いただいた上で読み進めていただければ幸いである。ちなみに筆者は『ゼロ・トゥ・ワン』を読んでいない。
ピーターティールの説明
ピーター・ティールはシリコンバレーで最も影響力のある投資家・起業家の1人である。1967年、ドイツのフランクフルトで生まれた彼は1歳の時にアメリカへ移住し、スタンフォード大学で哲学と法学を修めた。卒業後は弁護士や金融トレーダーとしてキャリアを積んだ後、1998年にPayPalの前身となるコンフィニティを共同で設立し、2002年に同社をeBayへ15億ドルで売却。PayPal売却後はベンチャーキャピタルFounder'sFundを立ち上げ、伝説的な投資家としての道を歩み始める。Facebook初の外部投資家としてその後の驚異的な成長の礎を築いたほか、SpaceX、Stripe、Figma、Andurilといった、世界を変革する数々のスタートアップへの初期投資で知られている。彼の真価は、単なる投資家としてだけではなく、才能の発掘者・育成者としても発揮されている。大学中退を条件に若手起業家に10万ドルを支援する「ティール・フェローシップ」を主宰し、イーサリアム創業者のヴィタリック・ブテリンや女性で世界最年少ビリオネアとなったScaleAIのルーシー・グオなどを輩出。その才能発掘能力とネットワーク力は異次元と評される。また、J・D・ヴァンスを米副大統領にねじ込み、マスタークラスの腕前を持つチェスプレイヤーで、同性愛者である。
秘密
ピーター・ティールが探求する「秘密」とは、「ごく少数の人しか同意しない、重要な真実」のことである。この概念を理解するために、まず「秘密」を他の二つの概念と区別する必要がある。1つは誰もが知る慣習であり、これは社会で広く受け入れられているため秘密ではない。スペクトルのもう一方の端には、原理的に解明不可能な謎が存在し、これもまた探求の対象となる秘密とは異なる。ティールの言う「秘密」とはこの「慣習」と「謎」の中間に位置する、困難ではあるが可能な領域にある真実を指す。それは型破りな視点や粘り強い探求を通じてのみ発見できるものであり、真の進歩を生み出す源泉なのである。さらに興味深いのは、これらの概念の関係が固定的ではない点だ。時には、かつては常識であった「慣習」が時代と共に忘れ去られ、再び探求すべき「秘密」へと変化することもある。これは、世代間で信念が移り変わることで、過去の真実が覆い隠されてしまうために起こる現象である。
しかし、現代社会には秘密の探求を妨げる4つの大きな要因が存在し、これらは社会全体の構造や文化に深く根ざしていると彼は言う。
第1の漸進主義は、安全な進歩への執着である。学校では奇抜な発想よりも与えられた課題を少し上手にこなす生徒が評価され、企業では既存事業を10%改善する計画は承認されても全く新しい分野への挑戦は敬遠される。この文化は人々を失敗のリスクが低く、成果が予測可能な範囲に留まらせ、世界観を根底から覆すような大きな発見を見過ごさせる。
第2のリスク回避は、間違うことへの恐怖に他ならない。秘密とは定義上、大多数が信じていない孤独な仮説であり、その探求が失敗に終われば時間や社会的評価のすべてを失いかねない。正解が保証されていない道へ進む精神的なコストがあまりにも高いため、人々は世間の合意という安全地帯から出ることをためらうのである。
第3の自己満足は、探求意欲の欠如を意味する。現代の先進社会はある程度の豊かさと安定を達成しており、その快適さが「わざわざ困難な真実を探求する必要はない」という満足感を生む。今が十分に快適なのだから、波風を立てるような新しい真実は不要だという無意識の現状維持バイアスが知的な探究心を鈍らせる。
第4の平等主義は、突出した個人への不信感という風潮である。一部の天才だけが特別な真実を掴むという考え方はエリート主義的だと見なされ、未来を予見するビジョンを持つ者は狂人扱いされかねない。真実は個人の閃きではなく、多くの人々の合意によって見出されるべきだという考え方が主流となり、一人の人間が持つ特異な洞察の価値を信じることが難しくなっているのだ。
これら4つの要因が壁となり、我々は大きな発見から遠ざけられている。ではこの壁の向こうにある我々が探求すべき秘密とは具体的にどのようなものなのだろうか。ティールによれば、秘密には大きく分けて2つの種類がある。1つは形而上学的で宇宙の基本的な性質を扱う自然の秘密であり、もう一つは人々が語りたがらない事柄や隠された動機に関する人間に関する秘密である。ここで、ティールが最も重要視するのはこれら2つが交わる交差点である。この交差点とは、ある自然の秘密の発見が特定の人間に関する秘密によって意図的、あるいは無意識的に妨げられている領域を指す。この洞察が示唆するのは、ブレークスルーへの近道は純粋な科学探求だけでなく、なぜ人々はこの分野を研究しないのか?という人間社会への問いにあるということだ。社会的なタブーや常識という壁の特定こそが、未開拓の研究領域を照らし出す地図となり得るのである。歴史がその好例を物語っている。地動説がそれである。地球が太陽の周りを回っているという自然の秘密は、地球が宇宙の中心であるという教会の絶対的な権威、すなわちそれに逆らうことは許されないという人間に関する秘密によって固く閉ざされていた。地動説を明らかにするには、まず教会の権威という人間社会のタブーに挑戦する必要があったのだ。
このように交差点に存在する秘密の探求は、極めて強力な障壁に直面する。それは社会のタブー・権力構造の不都合な真実・人々が認めたがらない心理などデリケートな領域に存在するからだ。新しい物理法則の探求が失敗しても社会的制裁は少ないが、人間に関する秘密を公言することは既存の権威や社会規範への挑戦と見なされ、異端者として排除される直接的なリスクを伴い、リスク回避の姿勢を極度に強める。また、それは社会が目を背けてきた問題や人々の快適な自己満足を脅かす行為であり、強い抵抗に遭うのは必至である。このように極めて大きな社会的・心理的障壁が存在するからこそ人間に関する秘密の領域または自然の秘密との交差点には、未だ手つかずの重要な真実が眠っている可能性が高いのである。
この秘密の概念は、ビジネスの世界において決定的な意味を持つ。真に価値があり、独占的な地位を築ける企業とは他社が気づいていない独自の秘密を発見し、それに基づいた事業を構築した企業である。それは既存の製品をコピーしたりわずかに改良する「1からn」の漸進的な進歩ではなく、全く新しいものを創造する「0から1」の飛躍を意味する。
したがって、我々は常に「ごく少数の人しか自分に同意しない、重要な真実とは何か?」と自問し続けなければならない。そしてその答えは、「ほとんどの人はXを信じているが、真実は非Xである」という逆張りの構造を持つはずだ。これは常に逆張りしろということではなく、世間の認識や評価を鵜呑みにせず、まだ誰も気づいていない価値つまり「隠された秘密」を見つけ出すことである。またこの問いに答えることにはもうひとつの困難が伴う。それは自分だけが大切な真実を知っていると答えるのは、心理的にも社会的にもどこか居心地が悪いということだ。ここで要求されているのは大学は機能していないとか政治官僚は腐敗しているといった大勢が賛成しそうな答えではない。問われているのはまさしく「人が反対するような真実」であり、そういったことをあえて表明するのは非常に居心地が悪く、もし間違っていた場合非常に辛い。だが、これこそがまさに新しいことをはじめるときの本質的な課題なのである。新しいアイデアをかたちにするとき、新しいビジネスをはじめようとするとき、世界を新しい視点で見ようとするとき、必ずこの居心地の悪い思いをすることになり、そこでは聡明さよりも定説や常識を打ち破る勇気が必要になる。そして、この世の中では天才よりも勇気のある人のほうが不足しているのである。人類の知識の地図には未だ多くの空白地帯が残されており、それら未踏のフロンティアを探求することこそが、未来を切り拓くための挑戦なのである。
独占のための競争
ピーター・ティールが提唱する思想の核心には、経済学の常識を覆す独占と競争の再定義が存在する。彼は一般的に同義語と見なされる「資本主義」と「完全競争」は、全くの対極にあると断じる。資本主義が資本の蓄積を目的とするのに対し、完全競争の世界は、新規参入によって利益が即座にゼロに収斂してしまう全く儲からない世界だからだ。起業家は唯一無二の地位すなわち「独占」を目指すべきあり、競合がいないことこそ、独創性の高いことを極めて上手にやっている証なのである。
この独占対競争という極めて重要な概念が、なぜ多くの人々に理解されないのか。その理由をティールの主張から知識の問題と心理の問題という2つの側面に分類していく。
知識の問題:市場で語られる嘘
第1に独占の現実は意図的に覆い隠されている。独占企業は、独占禁止法などの追及を恐れ、自らの独占状態を公言しない。彼らは嘘をつくのではなく、自らが事業を行う市場の定義を巧みに広げることで現実を歪曲する。その典型がGoogleである。彼らは自らを検索エンジン市場の独占者とは定義せず、巨大な広告市場の1プレイヤーに過ぎないと主張したり、AppleやOpenAI、Metaなど世界屈指の企業と競合する巨大なテック企業であると語る。そうすることで、自らが厳しい競争に晒されていると主張し、独占の事実を巧妙に隠蔽するのである。逆に、東京の寿司店のように競争が激しい業界でこれから勝負しようとする事業者は、投資を呼び込むために非現実的なほど市場を狭く定義することが多々ある。フランス料理とインド料理が融合した寿司店は東京で唯一無二だといった具合に、顧客の嗜好とは関係のない独創性を無理やり演出して競争から目を逸らさせる。このように独占企業は市場を広げ、非独占企業は市場を狭めようとすることから両者の本質的な違いは見えにくくなる。ティールはこの力学を理解している者はGoogle社内ですら一握りに過ぎず、多くの社員は成功の理由を給料や福利厚生のような表層的な事柄に求めてしまうという。
心理の問題:ミメーシスと競争という名の罠
第2の理由は、より根深い心理的な問題である。トルストイは『アンナ・カレーニナ』の冒頭で「幸せな家族はみな同じように見えるが、不幸な家族にはそれぞれの不幸の形がある」と書いたが、ビジネスの世界ではその逆が真実だとティールは言う。幸せな企業は、それぞれが独自の秘密を発見し、独占を築いているため、みなそれぞれに違う。一方不幸せな企業は、他社との類似性すなわち競争から逃れられず、みな同じように苦しんでいる。この洞察は、ティール自身の経験に深く根ざしている。教育熱心な環境で育ち、スタンフォード大学、そしてニューヨークの著名な法律事務所へと彼は競争の階梯をひたすら勝ち進んできた。しかし、その法律事務所は奇妙な場所だった。誰もが入りたがる一方で、中にいる人間は全員がそこから脱出したいと願っており、ティールはそこをアルカトラズ刑務所と評する。多くの同僚は、長年の競争を通じて築き上げられた自尊心やアイデンティティと職が不可分になっており、正面玄関から出て行けばいいだけのその場所から抜け出すことすら考えられなくなっていたのだ。
なぜこのような罠に陥るのかをティールは我々は競争のレースの中であまりにも頻繁に「困難なこと」と「価値あること」を混同することを学ぶからであると主張している。激しい競争はただ他人としのぎを削るという事実だけで物事を困難にする。そして、いつしかその競争の激しさ自体が価値を測る代理指標となってしまい、人々は追い求めているものが真の達成であることを忘れ、ただ永遠に競争するためだけに訓練されているかのようになる。そこに本質的な価値がない限り人はただ競争のために競争しているに過ぎないのである。
またこの競争の罠の根源を、ティールはフランスの思想家ルネ・ジラールの「模倣理論(ミメーシス)」を引用し説明する。人間の欲望は自発的なものではなく、他者の欲望を模倣することで生まれる。この模倣が同じものを求める者同士の闘争、すなわち競争を引き起こすのだ。外部から競争を俯瞰して見ると激しく争う当事者たちはしばしば驚くほど似通っていることがわかる。そして争いのプロセスそのものが両者をさらに同質化させていく。当初の目的は次第に重要性を失い、いつしかライバルを打ち負かすという競争行為そのものが至上の目的へとすり替わってしまうのだ。ビジネス、特にホワイトカラーの世界の大半はこのミメーシス的な競争の悲劇に支配されている。企業は競合他社に夢中になり、互いを模倣し合い、類似性へと収束していく。この「違い」が消滅していくプロセスこそが競争の悲劇的な本質なのである。この力学は、ハーバード大学の教授陣について語ったヘンリー・キッシンジャーの「学会での競争は非常に激しい。なぜなら、得るものが非常に少ないからだ」という皮肉な言葉にも通じる。人々が互いに似通い、差別化できない状況では、本質的な価値が乏しいものを巡って競争はかえって激化するのである。
ではこの競争の罠をいかにして回避すべきか。ティールは事業を始める際に巨大市場のごく一部のシェアを狙う大海の中の小魚ではなく、まず支配できるほど小さな市場を見つけ、そこを完全に制圧すべきなのであるということを示唆している。PayPalは、まずeBayのパワーユーザーという明確な課題を持つ2万人のニッチ市場をターゲットにすることで、半年足らずで40%近いシェアを獲得した。Facebookも、当初の市場はハーバード大学の学生1万2千人に過ぎなかったが、その小ささゆえに10日間で60%のシェアを達成できた。彼らは小さな市場を制圧した後、同心円状に事業を拡大していった。これは全く新しい独自の価値を創造することで、競争相手が存在しない領域を創り出し、永続的な地位を築くラストムーバーとなることを目指すものである。
ただしこの破壊的な競争の本質を理解した上で、ティールはある程度の競争は避けられないものであり、それが学習や教育につながる価値を肯定している。この実用主義は独占を守るための組織論にも表れる。価値創造を志向する非ゼロサム的なナード(専門家)だけでは戦うべき時に戦えず、独占を守れない。そこに、競争に強く、勝つことを信条とするゼロサム的なアスリート(戦闘員)が必要となる。目標はあくまでミメーシス的な競争のない独占状態を創り出すことにあり、その独占を守るための戦術として競争に強い人材が必要となるのである。
政治が新しい価値を生まないゼロサムゲームの典型であるように、社会はミメーシス的な競争で満ちており、真の進歩を目指すのであればその土俵に戦略なく上がってはならない。圧倒的な違いを創造し、競争のない空間を自ら作り出すこと。そしてその平和な空間を戦う覚悟のある者たちと共に守り抜くことこそが永続的な価値を築く唯一の道なのである。
未来を歪める認知バイアス
我々の統計感覚は現実世界の構造を捉えきれていない。特に進歩や価値が生まれる領域において、我々の直感はしばしば誤った結論へと導く。その根源には世界の分布形状に関する誤解と、それに起因する未来へのアプローチの間違いという2つの大きな問題が存在する。
1つ目は、現実は正規分布ではなく、べき乗則により近いということだ。我々の日常経験は多くが線形的であり、物事の分布は平均値の周りに集まる正規分布に従うと無意識に想定している。身長や体重のように、ほとんどが平均に近く極端な例は少ないという感覚だ。これは既存のものをコピーする「1からn」の安定的で予測可能な世界観と親和性が高い。しかし、ベンチャーキャピタルの投資リターンやテクノロジーの成功が示すように、真に大きな価値が生まれる世界の現実は正規分布ではなくべき乗則に従う。べき乗則とは、ごく一握りの要因が結果の大部分を決定するという極端な不均衡分布である。VCのファンドにおいて、一つの投資先が生み出すリターンが、他の全ての投資先のリターンの合計を上回るという現象は、まさにこの法則の現れだ。ここには穏やかな平均値は存在せず、圧倒的な勝者とその他大勢しかいない。さらに、成功するスタートアップの成長は、直線的な線形グラフではなく爆発的な指数関数を描く。この急激な成長は我々の直感を裏切るため、その価値は常に過小評価されがちである。もちろん、この成長は永遠には続かず、やがて成熟期を迎えSカーブ(ロジスティック曲線)を描いて鈍化するが、新たなパラダイムシフトが起これば次のSカーブが始まり、全体として巨大な成長が続く。このように、進歩が起こる領域の現実は、穏やかな丘が連なる正規分布の世界ではなく、切り立った山々が聳え立つ、べき乗則が支配する極端な世界なのである。
この現実の形を誤解したまま未来へアプローチすると、我々は統計の罠に陥る。それは、2つ目の問題である未来を予測不可能なものと見なす不確定的未来観である。不確定的未来観とは、未来はランダムウォークであり、どの選択が成功するかは確率と統計に支配されると考える世界観だ。この思想の下では最善の戦略は多様な選択肢に分散投資するポートフォリオ理論となる。これは現代の金融工学やどの機能が当たるか分からないために行われるA/Bテスト、あるいは将来の職に備えて様々なスキルを身につけようとする学生の行動原理そのものである。この世界では、未来について唯一知ることができるのは「知ることができない」という事実だけであり、我々は運命の統計的客体の一つに過ぎない。しかし、ティールが強く主張するのは、このような統計的な未来観を捨て、確定的未来観を選ぶべきだということだ。確定的未来観とは、未来は計画し、設計し、意図的に創造できると信じる世界観である。それは統計学ではなく、月へロケットを送るように、遠い未来から逆算して計画を立てる微積分学の世界だ。全く新しいものを創造する「0から1」の進歩は統計的に分析できない。サンプルサイズが1の事象に標準偏差や大数の法則は適用できないからだ。統計的には我々は完全に暗闇の中にいる。だからこそ「0から1」を目指す者は確率論に身を委ねるのではなく、明確な計画とデザインを持って未来を決定しなければならない。
究極の悪としてのアンチキリスト
ピーター・ティールが警鐘を鳴らす未来とは、全体主義的であり、聖書における「アンチキリスト」的な世界である。現代社会が直面する核戦争、AIの暴走、生物兵器といった実存的リスクに対し、人々が求めるデフォルトの解決策はすべてを管理する「世界統一政府」だ。しかしティールによれば、この「平和と安全」を約束する究極の管理社会こそが人間の自由と真理の探求を停止させる究極の悪となり得る。彼の解釈では、アンチキリストは世界征服を企む邪悪な天才として現れるのではない。むしろ、ハルマゲドン(物理的破滅)への恐怖を利用し、「これ以上の科学技術の進歩は危険だ」と訴え、進歩の停止による普遍的な安全を約束する善意の人物として登場する可能性が高い。無神論的な枠組みでの「一つの世界か、無か」という問いは、キリスト教的な枠組みでは「アンチキリストか、ハルマゲドンか」という問いに等しい。ティールは、物理的な破滅を恐れるあまり、精神と自由の死をもたらすこの欺瞞的な救済(アンチキリスト)を受け入れてはならないと強く主張するのである。危険な自由は、安全な奴隷状態よりもはるかに価値があるというのが彼の信念だ。
教会化した機関と停滞する社会
このアンチキリスト的な未来が現実味を帯びる根拠は、現代の主要な機関が、かつての教会のように独善的で批判を許さない存在へと変質してしまったことにある。科学・政府・金融といったシステムは、かつて真理を探究する場であったが、今や安全やコンセンサスの名の下に、異論を許さない教条的な権威と化している。特に、かつて革命的であった科学はその精神を失った。1970年代以降、科学は官僚的な規制に絡め取られ、さらに過度の専門分化が進んだことで、もはや誰も全体像を把握できなくなった。この細分化と社会全体のリスク回避傾向が組み合わさることで、科学の世界には新たなタブーが生まれた。ダーウィニズムや気候変動への疑問、あるいは科学の停滞そのものを議論することすら異端として排除されかねないのだ。COVID-19への対応で見られたように、健全な懐疑主義を許さず科学の名の下に非科学的な教条を振りかざす狂った教会へと成り果てたのである。皮肉なことにかつて科学の進歩を妨げると非難されたキリスト教は今や創世記の地の支配の記述などを根拠に、危険な科学技術を可能にしたとして逆に非難されるようになっている。この制度的硬直は科学に限らない。政府はアフガニスタンからの撤退失敗が示すように、リベラルな民主主義を築いているという20年間の自己欺瞞のコンセンサスに誰も疑問を呈さなかった。FDAが全世界の医薬品を、原子力規制委員会が世界の原子力を事実上支配しているように穏健な形での世界政府はすでに実現しつつある。これらの機関は進歩がもたらすリスクを過度に恐れ、イノベーションにブレーキをかける。その結果社会全体の技術的発展は深刻な停滞に陥るのだ。アメリカの社会制度はすべて成長を前提に設計されており、科学技術の発展、すなわち「0から1」の創造が停滞し、経済成長への期待が崩壊すれば、社会は既存のパイを奪い合うゼロサムゲームの様相を呈する。新しい価値が生み出されなければ人々の思考もまた縮小再生産へと向かう。機能するものをコピーするだけの「1からn」の発想やより安い労働力を求めるグローバリズム、あるいは既存の富の再分配に固執する思想が蔓延する。これらはすべて、社会のパイがもはや大きくならないという悲観的な認識から生まれる症状であり、他者の創造した価値に依存して生きようとする寄生的な人間を増やすことに他ならない。
政治という次善の策とテクノロジーへの回帰
この社会の停滞と精神の腐敗を打破するため、ティールは政治的な行動を選択した。2016年にトランプを支持したのは、彼が少なくとも甘ったるいブッシュの戯言を言わない人物であり、何かがおかしいという現状認識を口にすることで停滞したコンセンサスを破壊する可能性を秘めていたからである。シリコンバレーの多くのリーダーが2024年にトランプ支持に転じたのも、DEIのようなリベラルな解決策の完全な機能不全を悟ったからに他ならない。ティールはトランプのポピュリズムを技術的ダイナミズムを再燃させるための「依然として最良の選択肢」と見なしている。しかし、彼にとって政治への関与はあくまで次善の策に過ぎない。ティールは政治を本質的に「ゼロサムで、狂っている」有害なゲームだと断じる。それは新しい価値を創造せず、勝者と敗者を生み、必然的に敵を作り、関わる者すべてを消耗させるからだ。彼が真の解決策と見なすのは、テクノロジーの発展を加速させる新たな統治形態である。「0から1」の創造を目指すスタートアップが、成熟後、最終的に最小公分母的な悪い結果に陥る合議制の民主主義ではなく、創業者による君主制として機能する時に最も力を発揮するように、社会の進歩には明確なビジョンと強い意志が必要なのである。そして、個人の自由を守り、加速させるためにも無秩序な自由よりむしろ階層性つまり階層が生み出す分散的自由が重要となる。TiktokやInstagramのような中央集権的なプラットフォームが個々のクリエイターに自由な活動の場を与えるように、プロスポーツリーグが全チームが従う統一ルールを定め、試合日程を組み、巨額の放映権契約をまとめて分配し、審判を派遣することで公正さを保つように、安全が保証されてこそはじめて自由が手に入るいう信念に基づき、秩序ある階層構造こそが結果として個人の自由や創造性を最大化させる。ティールが見据えるのは、危険な自由を許容し、テクノロジーによって新たなフロンティアを切り拓く未来なのである。
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