僕がスイスでエンジニアインターン採用に至るまでの話。
今回は、スイスで新しい挑戦をするので、そのご報告とこの挑戦をする上で一緒に戦ってくれた仲間に感謝の意を込めて、記事を書きたいと思います。
全てはここから始まった
スイスでは、コロナウィルスの影響でロックダウンを強いられ、
サッカーの活動
スポーツショップの仕事
が出来なくなってしまい、また外出禁止令も出ていた事も重なり、2ヶ月ほど家から出られないという状況がありました。
国からサッカーを禁止されたが故に、
「サッカー以外で僕が熱を注げるものは何があるのだろう」
と猛烈に考えました。
色々な人とオンライン上でお話をさせて頂いたり、
少しでも興味を持った事について猛烈に調べる
という事を繰り返していく中で、「プログラミング」に出会いました。
そこでプログラミングについて猛烈に調べていく中で、僕の幼なじみにエンジニアとして働いている人(以下、勇哉@yannaka25)がいたので、彼にLINEで聞きました
ここでは
「フレームワークはReact使ってる?」
と聞いていますが、当時の僕はフレームワークが何なのかも分かって無いですし、Reactについても理解していません。子供が新しい言葉を覚えたら、使いたくなるのと同じように、彼にプログラミングに興味がある事を示したかったのだと思います。
興味を示したいものの、お願いする事に申し訳なさを感じていた僕は、
勇哉がReactを仕事で使っている事を聞いただけで、何も起きませんでした。
しかし、その3日後
自力ではどうしても解決できないと悟った僕は、ここで初めて勇哉にお願いをしました。
ここから僕と勇哉との新たな挑戦は始まりました。
二人の新たな挑戦
会社の最前線で仕事をしながら、その上エンジニアとしても毎日勉強しながら、初心者にプログラミングを教えてくれてた事は本当に感謝しかありません。
それに加えて、僕の場合は日本から9600km離れているスイスにいることもあり、指導はいつもオンラインであり、時差8時間という大きな障害もありました。
それでも彼は、
『お前をエンジニアにするのは、俺にとっても挑戦』
と言いながら、夜中でも対応してくれました🙌
本当に恩に切ります。
そして、僕もそんな彼にサポートしてもらっていたので、
当時はサッカーの練習やリーグ戦も再開し、仕事の方も再開しましたが、
「時間が無い」
だけは口が裂けても言わないと決めて、絶対に成し遂げてやるという思いで、移動中の電車やお昼の休憩時間なども使って勉強しました。
「エンジニアになるのは、そんなに甘くないよ」
スイスでエンジニアの道を目指して2ヶ月目。
僕は壁にぶつかっていました。
いや、2ヶ月目に壁にぶつかったというよりは、2ヶ月間ずっと壁にぶつかり続けていました。
インプットしてもインプットしても、新しく覚えなきゃいけない事が出てくる。
インプットできたと思って、いざコードを書いてみようとアウトプットしようとすると全く書けない。
勇哉に質問されても、言っている意味が全く理解できていない。
「出来無さすぎて、当時はどうしようかと思った」
と後日、勇哉から言われました。
そのぐらい思うように成長していなかった僕に対して勇哉は
勇哉:「俺は仕事でもコードを書いているし、仕事が終わった後も勉強してる。お前はそういう人達とこれから競って行かなきゃいけない。エンジニアになるのは、そんなに甘くないよ」
と喝を入れてくれました。このように大人になってからも真摯に厳しく意見をぶつけてきてくれる人は大事な存在だと思います。
このように葉っぱをかけてくれた事で僕も吹っ切れました。
「質をあげる事を意識しながら、まずは圧倒的に量を増やさないと」
まずそう考えた僕は、時間の使い方を考えました。
まずスマホに入っていたSNSのアプリは全て削除しました。
プログラミングの勉強用のYouTubeも見ない。
サッカーの時間、勤務時間、家族の時間以外は家で勉強。
と1日の中で出来るだけプログラミングに費やすようにしていました。
シャワーを浴びながら、コードの書き方を考えたり…
それから1ヶ月後。
段々、今まで勉強してきた事が面白いように繋がってきて、理解できるようになってきました。
自分を売り込め
理解が深まり、技術ブログに記事を書いて見たり、簡単なアプリを自分で一から作成したりしていると、
勇哉:「もしかしたら、作ったアプリを人に見せていったら採用してもらえるかもしれない。そういう売り込むの得意でしょ?」
と言われて、ハッと自分の中で一つステージが変わった事に気付きました。
「売り込めるぐらいの能力がついている」
その時、僕はすぐに友人のツテなどで知り合ったスイスでエンジニアとして働いている人と話ができれば、僕がエンジニアを目指している事を話して、作ったアプリを紹介しました。
それから1週間後。そんなにすぐに見つかる事は期待していなかった僕は、何事もないように勉強していると、Facebookに一件のメッセージが。
ドイツ語なので、簡単に直訳すると…
「社長達(この会社は二人の社長が共同経営)が僕の履歴書を見たがっているので、彼らにメールを送ってみて」
との事。
スイスでエンジニアを目指して5ヶ月目。僕も勇哉も思っていたよりも早くチャンスが回ってきました。
「このチャンスを絶対にものにする」
そう思いながらも、スイスでは職業経験や大学で専門的知識を身に付けていない人には、就職するのが難しい状況なので、
1.自分が何が出来るのかというのを示すため作成したアプリを紹介。
2.どんなに厳しい状況でも折れないメンタルがある事をアピール。
3. 5 ヶ月でここまで成長できた伸び代をアピール。
4. 有給インターンで採用してほしい事を伝える。
この4つを意識して、志望動機と履歴書をもちろんドイツ語で一日かけて作成しました。
そしてメールを送信。
そして5時間後には、社長から返事が。
未経験だから、やっぱりダメだったかぁ…
と思ってメールを読んでみると
「来週の火曜日に面接に来て欲しい」
とのこと。心臓の鼓動が早くなっているのが、聞こえました。
「おい、おい、やったぞ! これは本当に採用してもらえるかもしれない!」
と昂り、それから面接の日までは勉強もあまり捗らず…。
そして面接当日を迎えました。
泳ぎ方は自分で身に着ける
ここまで、あまりに順調に事が進んできたので、ここまで好印象を与えていたのかなと予想しつつ、社長達が待っている会議室に案内されると
若い二人のCEOと一人のCTOが席に座っていて、僕が着席するやいなや、単刀直入にこう切り出されました。
「簡単な自己紹介と何が出来るのか私達に教えて下さい」
と言われたので、自分の自己紹介をしてから、何の言語を勉強して、作成したアプリの内容を話をしました。
すると片方の社長から
社長:「私達の会社では、現在、公式にはインターンも募集してないし、ソフトウェア開発も新しく3人が入ってきている状況です。」
(ん?じゃあ何で僕のことを面接に呼んだんだ…)
と懐疑的な気持ちになりつつも、そこで僕は
僕:「僕は、5ヶ月猛勉強して、このようなチャンスを頂けて、本当に感謝してます。職務経験はないですが、自作でアプリも作りました。分からない事は死ぬ気で勉強します」
と話すと、3人の空気が少し変わり始めました。
そして、その後も幾つか質問されて、逆に僕からもどんな業務をするのか質問しました。(僕が勉強した事ない言葉が沢山出てきて、正直あまり理解できませんでしたが…)
そして面接の最後に
僕:「泳ぎ方を覚えてから、川で泳ぐのではなくて、川に落とされて溺れかけてながらも泳ぎ方を覚えて行きたい。」
と伝えて、面談が終わりました。
そして帰り道、安堵からか電車で爆睡。終点で駅員に起こされました…
運命の日
そして、その次の日。
僕は、いつも通りプログラミングの勉強をしていました。
しかし、結果が気になって、まぁ集中できない…
採用かどうかのメールは、面接の日から次の日か2日後と言われていたので、ソワソワしていました。
そして、お昼ご飯の準備をしようとした、その時
一通のメールが来ました。
ドイツ語で書かれていますが、ここには…
インターンとして受け入れてもらえるという事が書かれています!!
採用決定です!!
家族にも、今回紹介してくれた友人にもこの事を報告し、感謝の意を述べました。
仲間
そして、もちろん怒涛の5ヶ月間を支えてくれて、共にこの挑戦に挑んでくれた勇哉にも報告。
お互いに傷の舐め合いをするのではなく、時に厳しく、時に暖かく接し合いながら共に高め合っていく事は、最高だなと思います。
不思議な事にプログラミングが、
幼馴染だった僕らを12年越しに再び繋いでくれて、
僕らの関係が『友達』から『仲間』に変わった
そんな怒涛の5ヶ月でした。
これからは、もっと厳しい試練が待っていると思われますが、引き続き頑張ります。
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