CTO協会のデジタル庁創設にかかる提言について
このエントリは、日本CTO協会が公開したデジタル庁の創設に向けた提言について私の意見をまとめたものです。
デジタル庁とは何か
まずデジタル庁はまだ存在していない組織で、今後作られる予定のものです。
これが、どのようなものであるかは、以下の記事を一通り読むことでおおよそ理解できます。
提言で主張して欲しいこと
もしデジタル庁が発足するとして、デジタル庁が持つべき役割と責任範囲はどんなものになるのでしょうか?
政府や行政の抱えるどのような問題がデジタル庁によって解決し、それによって国民生活はどう改善するのでしょうか?
それらを考えるにあたって、どのような理念でその組織は設立されるのでしょうか?
CTO協会の皆さまにおかれましては、その理念について整理して欲しいと考えます。
提言に期待する基本的な方向性
DXやデジタル化というものは、本来手段の話です。
我々ソフトウェアエンジニアが社会に対して貢献することで、国民生活をどのように改善できるのかということに注力して提言して欲しいと考えます。
そのうえで、必要なことを説明し幅広く協力してもらえるような提言にしてほしいものです。
文章としては、
- 背景情報の整理を含む課題設定
- 課題の根本的原因に対する仮説
- 課題解決に向けた提言
という構造なっていることが望ましいでしょう。
まず、CTO協会としての課題設定を公開してください。
それが無ければ、内容の妥当性を検証することも、提言の中に何が含まれているべきなのかも議論しようがありません。
また、課題の根本原因に対する仮説が明らかであれば、CTO協会の考えを理解し易くなるため、より議論しやすいと考えます。
現状の提言について違和感のある部分について
ここから先は、2020/10/09時点で公開されている提言について、私が違和感を感じた部分について説明します。
「コンピューターが働きやすい社会」
理念として同意できません。
コンピューターを使うことは単なる手段であって目的ではありません。まず、国民の生活があり、それを改善する道具の一つとしてコンピューターがあるに過ぎないのです。
確かに、ソフトウェアエンジニアとしては、もっとソフトウェアと親和性の高い仕組みになっていれば、より多くのことができるだろうと感じることは多いです。
だからといって、コンピューターが働きやすい社会を目指すというのは、手段と目的が入れ替わっています。
1. ソフトウェアコントローラビリティの獲得
まず、コントローラビリティがなんなのかよくわかりません。
そして、ソフトウェアとして扱いやすいかどうかは、単に手段の話です。課題を解決するうえでソフトウェアで行うことが望ましいなら、ソフトウェアによる操作が可能であることが望ましいでしょう。
しかし、この提言ではどのような課題を解決するのか明確ではありません。何らかのコストをかけて、ソフトウェアで扱いやすいようにすることが妥当なのか検証できません。
2. ソフトウェアファーストな法整備
全く同意できません。我々は法治国家に居住しています。
現行の法令に一定の不備があることそのものには同意します。
国民が利用するソフトウェアシステムの利便性が向上することは、極めて重要なことです。しかし、法体系がそれに劣後することなどありえません。
既存の法律が、ソフトウェアが存在しなかった頃には、非現実的で考慮に値しないとしていたものが、ソフトウェアによって現実的に解決すべき課題となったものは多く存在します。
つまり、ソフトウェアがこれから策定される法律の前提条件として加味されることは増えていくでしょう。
国家をデジタル化するというのは、法令の策定プロセスにおいてソフトウェアシステムの存在を前提にした枠組みを作るということです。まず法があり、それを補助するための有効だとソフトウェアエンジニアたる我々が考える道具の一つとしてソフトウェアがあります。
3. Nation as a Service(サービスとしての国家)
まず、「これまでに行政機関が提供してきたあらゆる機能を、行政だけの力でITサービスとして作り上げる」必要性はあるのでしょうか?
ITサービスとして提供されることで国民生活が豊かになるものと、そうでないものがあることは簡単に想像できることです。
また、この節においては「サービス」という言葉が、複数の意味で使われており、本来意味の違うものが混同されています。
ソフトウェアシステムの文脈におけるサービスと、行政が国民に提供するサービスは意味が全く違うものです、それらを混同して書かれると、その意図を正確に理解することは困難になります。
具体例を挙げていますが、利便性のためにプライバシーを捨てろという風に感じます。「さまざまな民間のサービスの住所変更」とありますが、それこそ民間企業が住所変更のために必要手続きを自動的に行う仕組みを提供すればいい話です。そこでの行政の役割はそれほど大きくはないでしょう。
4. データ駆動とKPI
いいですね、データ駆動とKPI。特定の分野の課題を解決するには非常に効果的なツールです。
しかし、ここで突然出てくる意味は分かりません。KPI設計を行うには、KGIが必要で、そのためには、ビジョンが必要です。そして、KPIは状況に応じて改定されていくべきものです。
単独で独り歩きするKPIはとてつもなくおぞましいものです。その数字だけが良く見えるように様々な不正が横行するからです。
「さまざまな政策・施策の成果をデータの活用・公開から定量的に判断していく」とありますが、この提言で取り扱う課題がそれに見合っているのかどうかが明らかでない以上、それに合意することは非常に難しいと考えます。
データベースに蓄積された情報を元に定量的な判断をするというのは、物事を決めるための手段の一つでしかなく、行政におけるあらゆる局面において、それが有効なのかは議論の余地があるでしょう。
私自身はソフトウェアエンジニアですので、定量的で明確な基準に基づく判断によって行政を駆動していくというやり方そのものには賛同します。
とはいえ、非常に多くの利害関係者がいるデータ分析基盤の構築は民間企業であっても非常に困難なプロジェクトです。
それを行政に適用するということは、多くの局面における意思決定のありかたを変えることになるわけですから、非常に多くの人に協力してもらうことになるでしょう。
多くの皆さまに協力してもらうためには、この変化によって、それらの人々がより良い人生が得られると感じられるような理念が必要です。
5. 失敗を許容する文化と透明性
失敗を許容する文化と透明性をなぜひとまとめにしてしまったのでしょうか?これらは分けて議論すべきものです。
「限られたボランティアの人々に対して提供できるようなベータ版というしくみを導入するべきだ」と書いていますが、それはすでに特区制度というものがあります。では、現状の特区制度は失敗を許容する文化を官僚社会の中に育むことができているでしょうか?
ここでも、この提言における理念が明らかになっていないため、既存の特区制度とこのベータ版という仕組みの違いを理解することができません。
バックログ、つまり未解決の課題を公開することが透明性であるかのように読み取れますが、それだけで施策の透明性を確保することはできません。また、行政文書については、情報公開制度があり一定の手順に基づいて請求できます。
黒塗りされていたり、請求項の書き方次第で期待したような文書を送付してもらえないという問題は別途あります。
もし行政の透明性について言及するなら、現行の情報公開制度が持つ問題点を明らかにし、それをソフトウェアシステムによって、どのように解決できるのかを丁寧に説明すべきです。
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