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思考のウーバーイーツ化 ~ AIが届ける「完成品」の先にあるもの ~

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考えることをやめた時代

スマートフォンを取り出し、数タップ。そして待つこと数秒。

「今日の夕食のレシピを教えて」
「この映画の感想を書いて」
「ビジネス企画書のたたき台を作って」

かつて人間が時間をかけて考え、調べ、試行錯誤していたことが、今やAIによって「出来合いの料理」のように届けられる時代になった。私はこれを「思考のウーバーイーツ化」と呼びたい。

ウーバーイーツが調理済みの食事を届けるように、AIは「完成した思考」を私たちに届ける。そして、多くの人々にとって、そこが終点となっている。AIが出した答えに満足し、そこから先へ進まない。届いた「思考の料理」を消費するだけの存在になりつつある私たち。

「完成品」という幻想

しかし、考えてみてほしい。

本来、思考とは何だろうか?それは単なる「正解」や「答え」ではなく、問いから始まり、試行錯誤し、新たな視点を得て、また問いを立て直す——そんな終わりなきプロセスのはずだ。

AIが提供する「思考の完成品」は、実は完成品ではない。それは単なる一つの視点、一つの可能性に過ぎない。AIによって生成された文章や回答を「思考の終点」にしてしまうことは、人間の思考の可能性を大きく狭めることになりかねない。

起点・中継点・結節点としてのAI

AIに価値があるとすれば、それは思考の「終点」ではなく、「起点」「中継点」「結節点」として機能する時だろう。

起点として、AIの生成した内容を鵜呑みにするのではなく、そこから自分の思考を始める。「なぜAIはこう答えたのか?」「他の視点はないのか?」と問いを立てる。

中継点として、自分の思考とAIの出力を往復させる。AIからのフィードバックを得て、自分の考えを深める。

結節点として、自分の思考とAIの思考、そして他者の思考をつなぐハブとしてAIを活用する。様々な視点や知識が交差する場所としてAIを位置づける。

思考の主体性を取り戻す

今、私たちはAIという強力なツールを手に入れた。だが同時に、思考の主体性を失うリスクにも直面している。

ウーバーイーツが料理する喜びを奪ったように、AIが「思考する喜び」を奪うことになってはならない。料理の宅配サービスは便利だが、自分で材料を選び、切り、火を通す経験には代えがたい価値がある。同様に、AIが提供する「思考の宅配」は便利だが、自ら考え、悩み、発見する経験には代えられない価値がある。

「思考のウーバーイーツ化」の先に私たちが目指すべきは、AIを終点としない知的生活だ。AIが届けてくれる「思考の料理」を、時に味わい、時に分解し、時に自分なりにアレンジする。そして何より、自分自身が考えることをやめないこと。

思考の道具としてのAIであれば、人間の知性を拡張する可能性を秘めている。だが、思考の代行者としてのAIは、人間の知性を委縮させる危険性をはらんでいる。

AIブームに浮かれる前に、私たちは自問すべきだろう。
「私はAIに何を届けてもらいたいのか?」
そして、「届けられたその先に、何をするのか?」

思考の終点ではなく、思考の新たな地平を開くものとして、AIと向き合う時が来ている。

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