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今年の総括(2020-2021)とコミュニティ

2021/12/06に公開

振り返ろうと,思いました.

今回は自分自身の話です.
今まで書いた記事の中では一番ノリノリで書く話題かもしれない笑
私はかさいさんとして今年三月からこのアカウントの運用を始めました.その中で,自分でもよくわからないくらいの成長を遂げたように思います.その成長過程の話をしようと思います.
そのためには,かさいさんとしての一年間と,ボカロ曲を書いて過ごしたアイなしという人間の一年間を振り返る必要があると思い,二人合わせて二年分の総括とします.

長文になることが予想されますが,まあ,ゆっくり見ていただけたらと思います.それぞれの見出しは人生の転機みたいなイベントを挙げているつもりです.

一章 アイなし

0x00: ボカロP,アイなし

コロナウイルスが広がり,世間では,客船の乗員の対応をどうするかで揉めていた頃でしょうか.私の目の前にあった課題は「何を支えにして生きていくか」みたいな問題だったと思います.高校在学中,心の支えにしていたものが一年ごとに一つずつ消えていき,最後まで支えにしていたものも何を血迷ったのか卒業直前になってへし折ってしまいました.今の私からしてみると血迷っているように見えるのですが,少なくとも当時の私としては正しいと思うことをしていたし,その過程があっての今の自分があると思うのでこの「へし折るべきだったかどうか」とか,そもそも「へし折ったものは何だったのか」という話はしません.

今から思うと,アイなし(当時は ABCDEFGH_JKLMNOPQRSTUVWXYZ と表記していました)という名前は「自分を支えるものがない = 自分がない」の言語化のようなものだったと思います.

https://youtu.be/xPGgZmGk8ZA

最初の一曲目「3月32日」を投稿する前だったか後だったか,私は酩酊堂さんが運営するボカロPが集まる(今となっては創作者があつまると形容した方が正しいが)Discordサーバーに入ることになります.この時の人数は今とは違って酩酊堂さんも小さく,Discordサーバーも20人くらいの今から見るととても小さなサーバーだったように思います.
ちなみに,酩酊堂さんとのやりとりはこの少し前にTwitterで募集していた「第一回クリエイターリレー」に動画師として参加したのが始まりです.当時は「この曲と絵に相応しい動画を作らねば」と必死になったものです.

https://youtu.be/QcijxSuP3Y0

この酩酊堂サーバーでの日常は後で話すことにして,アイなしという人間がボカロPとして,動画師として,調声屋として評価されていくことに私は喜びを感じずにはいられませんでした.自分の創作物が人に見られて評価される,これは無くしていた自分の存在意義そのものではありませんか!

小学校でも中学校でも高校でも得られなかった喜びを私は手にすることができたのです.そしてその評価は,何処か匿名のテキストではなく,ボイスチャットの向こう側にいる特定の誰かからの声となることでより強い自信となりました.

当時の自分もまた,ここまで飛躍するとは思いませんでした.さて,なぜ私はここまで飛躍することができたのかを考察します.

聞く人が聞けば不快だと思われるだろうし不謹慎だという人もいるでしょうが,あえて言わせてもらうとコロナ禍でさまざまなことがオンラインとなったことで私は一歩踏み出す勇気をもらいました.リアルで誰かに笑われることもなく,創作をしたいという共通の目的で集まった人達との会話は至上の喜びと言って過言ではないでしょう.換言すれば,私はノーリスク(少なくとも限りなくゼロに近い状態)で共通の目的を持つ人達とのコネクションを手に入れることができたのです.そしてそれは,ただ音楽を作りたいというだけではなく,それぞれがさまざまな人生を送っており,多くの人の人生経験を聞く最高の機会となりました.創作をしたいというバイアスがある以上,ある程度の偏りはあるでしょうが,だからこそ,一個人では経験し得ないような人生経験を聞く機会となったのです.

0x01: ボカロPサーバーでの日常

さて,この頃,この酩酊堂サーバーで過ごす日常は毎日が変化に富んでいました.
ある日は「こういう曲を作りました!」といいながら,YouTubeのプレミア公開をDiscordサーバーでみんなで集まって視聴して感想を言い合いました.ある日は,音楽の楽器やエフェクトなど,創作で使うようなものについて意見を交換したり,情報を共有していました.私のために作曲についてミックスの仕方や作曲の仕方を教えてもらったこともありました.ある日は一人の近況,抱えている問題を聞き,そこに居合わせた人たちがそれぞれの視点で解決策を提案していました.ある日は,遠くへ出かけた人がそこで得た経験を居合わせた人に共有したりしていました.
ここで明記しておかなければいけないのは,毎日私が話の主人公になるわけではないということです.むしろ,全体の比率から見ても私が話の主人公になることは少なかったと思います.それでも,私は毎日のように暇さえあればボイスチャットに参加して耳を傾けていました.そこで過ごす時間,聴いた話が私にはとても経験し得ないものだったからです.

ある日のことです.偶然Twitterのタイムラインで流れてきた,零ゴシックという,動画で使えそうなフォントをDiscordサーバーのテキストチャットで私は紹介していました.それを見たアシオリカさんから「これ,AviUtlのスクリプトとして色々なフォントで使えるようになるといいね」というコメントを私はいただきました.
AviUtlというのはフリーの動画編集ソフトで,その当時の私は動画師としての顔もあったので自分用にAviUtlのスクリプトも作っており,そのいくつかは公開していました.その時,私は困惑しつつも,決してできないわけではない,という結論に至り,制作することになったのです.
その間の苦労話は覚えていないので結論から言うと,私は「破砕A」と言うスクリプトを完成させ,公開しました.(アイなしのGithubアカウントは年内に削除するので復元したものをかさいのGithubリポジトリとして年内に公開します)この辺の話は酩酊堂さんのボカロP対談でも話しました

https://youtu.be/_lx1rgurv2Q

このスクリプトは単純に破砕するだけではなく,手書きで書いたようなフォントにかけることで,何度も手書きで書いたかのようなエフェクトに変化することがわかり,これを利用していくつかの動画には手書きで書いたような字幕をつけることで,その当時少し流行りだった手書きで書く動画に対抗できるくらいの少しエモい動画を作ることができました.

https://youtu.be/qZv5i5_j_Ds

この一連の流れで私は,物を作ることは必ずしも開発当初に抱いていた目的を満たすだけのプロダクトになるとは限らないと言うことを学びました.当初は砕けたような文字を作るつもりだったのが,いつの間にか揺れる文字を私はめざしていたのです.

0x02: 2個のハッカソン

さて,ここまでボカロPとしての私を話してきましたが,次は私が初めてエンジニアらしいことをした時の話をしましょう.ことの始まりはchokudaiさんが技育祭に登壇していることを知り,その回を見に行ったことから始まります.誰の話を聞いて思ったのかはわかりませんが,ただ漠然と,何か一つでもアウトプットをしなければと言う気持ちに私はなりました.その時の私はサポーターズの学生ハッカソンとJPHACKSに応募してみたのです.

と言っても,この時の私には情報系の学部に在籍していたわけでもなく,独学で何かを学んでいたわけでもないので,通信のTの字もわかっておらず,JSONすらわかっていませんし,ましてや全てVisual Studioの上で動かしていたので,今の自分にしてみればエンジニアなど夢のまた夢と言わざるを得ないような知識量です.
また,私には(これは今も言うほど変わりませんが)こういうものを一緒になって参加してくれる人を知らないので当然のように個人での参加となるわけですが,偶然にも全員がハッカソンについて何も知らない状態でスタートした私の初めてのチームはまもなく崩れました.お互いに連絡を取り合うこともせず,ただただ発表までの日数が過ぎていったのです.強調しておくのですが,連絡を取らなかった時点でこれは私ももちろん悪いです.
発表は私一人になってしまって夜に運営の技術サポートに泣きつき,一人で失敗談だと言い張りながら笑って発表したことをよく覚えています.

さて,この私の発表は一から十まで失敗するところに落ち着いたわけですが,おそらくこのハッカソンが今後参加するハッカソンと較べても一番私に大きな影響を与えたハッカソンです.
別に「失敗こそ最高の学びだ」などと詭弁を述べるつもりはありません.焦点を当てるべきはハッカソンそのものではなく,ハッカソンの後の表彰時か,懇親会かのどちらかでした.そこで,同年代のエンジニアが参加するDiscordサーバーに入る機会がありました.私は即決で参加することにしたのです.

そこで私は,学問を好きに学び,それを活用しようとする同年代(この時の私はまだ18歳だったので,その場にいた方々の多くは1〜5年程度年上でした)の姿を目にしました.ボカロPの集まるDiscordサーバーほどではないにしても,多くの出自を持つ人たちの話をよく聞きにきていました.この後,私は自分のいる立場,自分の置かれている現状を気にするようになりました.さらに言えば,そのサーバーにいる人から,私が今現在,開発のメインの道具にしているGo言語の話をここで初めて聞き,今のインターンもこのサーバーの参加者繋がりで実現したのです.

話は代わり,もう一つのJPHACKSですが,ここまで意気消沈していたにも関わらず,Award Day選考まで残り,最終的に審査員特別賞/スポンサー賞の一つである日立コンサルティング賞を受賞してしまいました.

https://youtu.be/XPKoUpRGA2c

いくら考えても,これはチームメンバーがみんな強かった,という結論に至っています.例えば,ちょうどこのチームメンバーにすずめさんがいたのですが,私達のチームが作ったプロダクトであるFlashReadingはすずめさんのアイデアによるもので,普段やっていないと言いながらも,フロントエンドを,また発表も担当してくださいました.また,As_Sqrさんはバックエンド全般を担当してもらい,基本的な機能からログイン機能まで全て実装してくださいました.
この時の私は,バックエンド側で当時の国語の知識を使いながら単語に分割された文字列を文節ごとに分割された文字列となるようなコードを書き,この機能欲しくない?みたいな気持ちになった機能の中で当時の知識でも実装できそうな機能を勝手にプロトタイプ的に足していました.特に後者に関しては,御二方に稚拙なコードを配慮してもらいながらUIを整えてもらったりして巻き戻し/早送り機能や速度変更機能などが最終的に実装されました.

https://flash-reading.herokuapp.com

この頃からアイなしは歪みが生まれ始めました.ボカロPとしてのアイなしは匿名でありたいと思いながら楽曲を制作しているにも関わらず,開発者としての私はしっかり名前を公開しているのです.当時の私は,この歪みを認識していながらも,直接繋がらなければ問題はないだろう,逆にいえば直接繋がらないような行動を取れば良いと考えており,実際にそれはしばらくの間実現していたのです.

0x03: 同年代のエンジニア

一章も中盤に差し掛かってきました.一章はできる限り去年の話をしようという心持で書いているので,実は記憶が曖昧になっている部分も決して少なくはありません.私は記憶することが苦手ですから,恒に考えるしかないのです.ただひたすら愚直に考えなければいけません.今何をするべきかは当然のこと,何をすれば今の環境が崩れるのか,何をすれば安寧が手に入るのか,何をすれば幸せになれるのかを考え続けなければいけません.

創作者としても,開発者としても,それぞれコミュニティに参画していったのは前の章で示した通りです.それぞれ元々若い方々が多くいるコミュニティではあったのですが,その中でも私はまだ年少と扱われることの方が多くありました.しかし,その中でも同年代,そして年下の人たちに囲まれ,私は焦りを感じながら作業を続けました.
もちろん,年齢は関係ないという人もいるでしょうが,特に年下を見れば,自分が同じ年だった頃に同じことをできなかったという事実を考えれば,直ぐに私には手が届かなくなることに気付き,それは私自身を追い込むには十二分な理由となったのです.

そのような状態であったためか,私は自分に足りないものを人に教えてもらう癖がつきました.この時の私には,誰に教えてもらうとか,何を教えてもらうとか,いうほど気にしてはいません.ただひたすらに学び続けました.ろくにものを作るためのプログラミングさえできず,フィーリングだけで書くメロディ以外のパートの書き方も知りません.

この頃,私がしていた開発らしいことはというと,Go言語でAPIサーバーを作るという,CyberAgentがTechTrain経由で出していた課題を知り合いと行っていたことです.この当時,何故かいまだにAPIの仕組みすら理解できていない中でのコーディングです.結果から言ってしまうと,ついに完了することはありませんでした.しかし,私は今まで理解できていなかったAPIの仕組みをようやく理解することができたのです.まあ,はっきり言って遅いとは思いますが,それでも何もできなかった時よりも前進したと思います.

P.S.

ああそうか,私の問題はここにあるのか.

みんなが普段記憶していることも私は考えているから手数が増やせないでいることに今更ながら気づきました.
そのうえで,何かにメモすればよいということも私は知っていました.

人に伝えようと言葉に書き落とすことで答えが見えてくるというのも珍しくはありません.答えが見えたにも関わらず悲しくなってしまい,この記事を書くためにキーボードを叩き続けていたその手を私は止めてしまいました.私は誰かのために伝える目的以外で記録することはあまりやってこなかったものですから,今更どうすれば良いのだろう,と私は思索に耽ります.

0x04 同年代の作曲家

話をボカロPとしての私に戻します.前述の内容を繰り返すのですが,この頃の私は同年代や年下の人たちにも囲まれ,私は焦りを感じながら作業をしていました.

その中で生まれた曲がカフェインビートでした.教えてもらったことを全て生かしきれたとはお世辞にもいえませんが,それでもフィーリングによって生まれた頭に残るメロディとそれを活かすだけのインストを作ることができたと思っています.

https://youtu.be/2FP3_JucviM

しかしながら,この自信作を持ってしても,ボカロPとしての私の不安を拭うことはありませんでした.この頃からGYUPくんやKakulyくん,Usagiくんといった年下のボカロPとの交流があったのですが,まあ,みんな私よりもずっと良い曲を書く.私には足りないものしかないことに焦りを感じていました.私の強みはなんだろうと考えた時に,このままでは何も無くなってしまうことを危惧するようになったのです.
その一方で,年上のボカロPもまた,私と同様の悩みを抱えている例も私は既に知っていました.私もまた一人の若年者として扱われました.私もそう遠くない将来に同じ道を辿り,今よりも苦しい思いをすることになんとなく,怯え続けました.

私の不安はそれだけではありませんでした.この時期は前述した通り,知識に恐ろしく貪欲でしたから,作曲についても幾らかの知識をコミュニティから受けました.それによって私は大きな成長をしたと今でも自信を持っていえます.しかし,その知識によって私のオリジナリティが消えていくような気がしてならなかったのです.私はフィーリングだけで書いていたメロディがそれ以外の要素に影響を受け始めました.

その中で生まれた曲がゼネラルでした.

https://youtu.be/oyLhVCGov2s

少なくとも当時の私にとってはあまりに一般化した楽曲でした.この時の私は,私の個性らしかったものが段々とコミュニティの影響を受け始めていることを実感し始めていたのです.

0x05: ボーマスで売り子になる

さて,話はゼネラルの投稿前に遡ります.
野中ハロウィンさんという方にお誘いいただいて,私はボーマスの売り子として参加することになりました.その時の私は,今まであったことのない人達と実際にあって話すことができるという数少ない機会に喜び,すぐに決定したことをよく覚えています.
野中ハロウィンさんは多くのボカロPと関わってコンピレーションアルバムを作る方で,様々なアルバムを作っていました.
私の当時の売りはその匿名性(実際には,メリットは概ね私にしかないので「リアルな私との完全な分離」と表現する方がより正確ですし,売りと表現するのも適切ではない気もしますが)でしたから,いかにして顔を隠すかが最大の問題点になっていました.
実際に私と会ったことのある方はご存知かもしれませんが,ついに私は顔を隠すことを諦めました.というよりも,なんだか顔を隠し続けることが面倒に感じ始めたのです.
次第に,アイなしという歪みは実際に会場に居合わせたボカロPと話すことでより深くなっていきました.今までSNS上でしか見たことのなかったような人たちが実際に人であるのだという,とても当たり前なことに改めて気付かされたのです.そして私はリアルでもアイなしという仮想的な人格を演じることの難しさを覚え始めるのでした.

ハッカソンの時に抱いたアイなしの歪みがボカロPとしてのアイなしも感じ始め,その歪みは段々と大きく,より明確になっていったのです.

ちなみに,野中ハロウィンさんとはその後も何度か絡みがあり,例えば前章で話したゼネラルは野中ハロウィンさんが主催するコンピレーションアルバム「紅蒼の琴歌」に収録させてもらうなどしました.

https://youtu.be/-4XJM64v9CA

0x06: 動画師,アイなし

さて,アイなしとして名前が通っているのはもしかしたらボカロPとしてよりも動画師としての側面の方が大きいかもしれません.
最初の方に示したクリエイターリレーをはじめ,多くの方に動画を提供する機会がありました.あまりに多いのでお気に入りをいくつかピックアップします.

https://youtu.be/81-xfrm0wU0

https://youtu.be/qhN7tO65yaU

https://youtu.be/0eKyZiuSg2o

こうやっていろいろな曲に動画を提供していくうちに,段々とボカロPとしてではなく,動画師としての側面が強くなっていったのです.動画はボカロ曲を公開する上での単なる手段の一つでしかなかったにも関わらず,私は作曲家であるよりも動画製作者であった方が良いのではないのかと思わずにはいられませんでした.
しかしながら,私は誰かの耳に残る歌が書きたかった,音楽で何かを訴えたかったのです.私は音楽が自分に不向きだと理解していながらも,音楽をやめようとは少しも思いませんでした.

0x07: 最後の曲

アイなしの作った最後の曲は,上書保存です.そのあとから投稿した曲もあるにはあるのですが,最後に作った曲はこの曲でした.

https://youtu.be/JD9QnCg1SRA

この曲は,Kakulyくんの手によって素晴らしい編曲が施され,私自身もずっと聴いていたくなる一番のお気に入りです.私は,自分の曲にこれほどの可能性を秘めていたのかと思いながら,この曲のプロトタイプと,過去に作った曲を見たときにその可能性を活かしきることのできない自分自身が少し嫌になりました.

私は,この一年間で,コミュニティの中で創作者と話しながら段々と感じていたことがこの時明確になったのです.私はコーディングを趣味としてやりながら作曲もやり,動画制作もやり,その目的は私自身の伝えたいと思ったことを伝えたいからでした.他方,実際にボカロPをやっている方の多くは仕事もあるとはいえ,作曲それ自体を生きがいにしているのです.そうした環境の中で,私は単にボカロPとして行動しようと思っても,大多数のボカロPに作曲家としての技術でついていくことができないことに気づいたのでした.

二章 かさい

0x08: 言語化コミュニティ

さて,ここからはかさいさんとしての話が主となります.

4月になり,気が付けば私は大学2年となっていました.
私は,この頃から人に興味を持ち始めました.というよりかは,去年一年間を通して,人と関わっていることが楽しかったのでしょうね.
知り合いの仲介に誘われ,その当時よく会話するくらいの仲だった田貝さんと一緒にみねさんとイワケンさんと四人,Clubhouseで話すことになったのです.これがイワケンさんとの最初のコネクションでした.
このあと,イワケンさんが言語化コミュニティという新しいコミュニティを作るのにメンバーを集めていたところに参加希望を表明したところ,言語化コミュニティへ参加し,今回の言語化コミュニティのAdvent Calendarに参加するに至りました.
このコミュニティは様々な物事に対して自分の意見を言ったり,思ったことを言葉にしてまとめるということを一番の目的として動いていました.しばしば,哲学的な議論も行われました.
ちなみに,私の書いた記事には以下のようなものがあります.

0x09: アイデアの創出源

ところで皆様はここまでの話でお気づきになられたでしょうか.私はここまでに一度も大学の話をしていません.実際,今年度に入るまで大学の課題に追われるくらいの話しかなかったのです.
これではあまりに学費がもったいないように感じ始め,私は新たに大学でのコミュニティに入ることをとりあえずの目標に立てることにしました.
結論から言えば,この目標は割とあっさり達成しました.
今大学内で在籍(という表現が正しいかどうかはわかりませんが)しているコミュニティを見つけたきっかけは単なる偶然で,そのコミュニティのある棟の一階にメンバー募集の張り紙が貼ってあるのをなんとなく眺めていたのです.
そこから,色々ありながら最終的に参加することになリました.そこは,ロボットを作ることを主としている組織でした.周囲が作業している様子を見ながら,私はもう少しログをリアルタイムに見やすく表示する手段はないだろうかと思い始めたところから,後に私が開発し技育展で登壇することになるrehearsalを開発するきっかけとなったのです.
換言すれば,大学でコミュニティに入ったことによって,私は一人では生み出せなかったアイデアを周囲の環境から得ることに成功したのです.

https://youtu.be/IeI_CtIQk_A

0x0A: 技育展での登壇

ここで,私が今年いちばん手をかけて生み出し,様々な恩恵をもたらしたrehearsalについて話さなければいけません.

https://rehearsal-open.github.io

rehearsalはGo言語で開発されたテストツールです.TCPや標準入出力,シリアル通信などのいわゆるアプリケーション間通信と呼ばれるものを相互に変換し,別のプロセスやデバイスに接続し入力値としてリレーさせるツールです.このプロダクト自体は技育展の前に行われたハッカソンで努力賞をもらう程度の記録しか残せませんでしたが,このプロダクトを通して,様々な能力を手に入れることができたのです.
まず初めに,プログラミングの技術という視点でみると,rehearsalは複数のプロセスを監視し,与えられた出力データを別のプロセスの入力として与えるという機能を有しているのですが,この機能を実現するためにGo言語の並行処理とメモリ管理の仕組みを一通り理解することが必須条件となりました.また,大量のデータを同時に送られても対応し,かつメモリアロケーション回数をできる限り減らすために,複数プロセスでそれぞれ複数回メモリ領域を使いまわすための技術などを必死こいて試行錯誤していました.
また,このプロダクトは複数種類の入出力を管理するというその性質上,今度は設計という観点から見て管理を厳格化させる必要がありました(最終的なコード量はわかりませんが,コメントも含めると5千行程度だったと思います).最終的に設計指針としてオニオンアーキテクチャを採用し,それぞれのモジュールが単一の機能に分離させることを目標としました.

この設計の経験を土台にして,Zennには「クリーンアーキわからんかった人のためのオニオンアーキテクチャ」という記事を提供し,さらにその勢いのままサポーターズ主催のLT会で登壇まで行いました.

さて,rehearsalによってもたらされたのは何も経験由来の技術力だけではありません.技育展で登壇している人たちとのコネクションをもたらし,さらにはスポンサー企業の方とrehearsalやバックエンドのことについて話し合ったりする機会がもたらされました.

rehearsalというプロダクトはこれだけの遺産を私にくれたのです.以前からプログラミングと開発の間に大きな隔たりがあるように感じてはいたのですが,この開発を境に次第に開発をしているという認識に変わっていったのです.

0x0B: コミュニティ観の変化

話は変わりますが,去年の私にとって,コミュニティは知識を得る場所という側面が深かったことを覚えているでしょうか.時には作曲の知識を教えてもらい,時にはエンジニアとしての考え方を教えてもらったり,私一人では経験できないような話を聞く場として機能していたのです.

私にとっての創作サーバーの立ち位置がこの頃から変わりはじめました.いいえ,本当はもっとずっと前から変わっていたのかもしれません.創作の話よりも毎日のそれぞれの暮らしを聞く方が楽しいし,ゲームをする方が楽しく,段々とその割合も増えていったのです.
この頃から,私が必要としていることが段々とわかってきました.というよりかは,目を背けざるを得なくなっていった,と表現する方がより正確かもしれません.
私はただ,居場所が欲しかっただけなのです.誰かに認めてもらい,自分が好きな共通の話題を語り合える,そんな居場所が欲しかっただけなのです.それは必ずしもボカロである必要も,作曲である必要も,さらにいえば私が比較的得意としていた動画制作の話である必要もありませんでした.

これを境に,「コミュニティは人とふれあう場所である」という再定義を私の中で行う必要があったのです.

0x0C: タスクの上で踊る

ところで,話がまた変わりますが,今年はアイなしが静かに眠っている間,私自身は恐ろしく充実していました.
今までもまあまあ話したつもりですが,すぐに終わったようなタスク(後で話すちょまどさんとのお話会など)や企画だけ行われて進展しないタスクなどを除いても,これくらいの話題があったりします.

  • 五月: 大学でのコミュニティに参加するためのエトセトラ

  • 六月: ハッカソンでの「希望の睡眠」開発
    これはこれで,初めてのElectronアプリ(それだけではなくJavascript・npmの使用もこの時が初めてだったりする)だったので多くの知見が得られました.

  • 七月/八月/九月: ハッカソン・技育展での「rehearsal」開発

    • 前の章で示した通りです.今年最大のプロダクトとなりました.
  • 十月:なんか色々あった(カオスでわからなくなっている)

    • JPHACKS
      賞こそ取れませんでしたが,アイデアワークのやり方を学ぶ機会となりました.また,偶然ではあるのですが審査員である江崎先生と話す機会が懇親会でありました.
    • 記事執筆
      前章で述べた「クリーンアーキわからんかった人のためのオニオンアーキテクチャ」の執筆です.それまで描いてこなかった規模での記事でした.また,(今も言うほど変わりませんが)当時の私のオニオンアーキテクチャの知識は経験によるところが多かったので文章にまとめるためにそれぞれの言葉の意味などを調べ直したりしていると,それはそれで別の発見があったりしました.
    • GCI2021
      知っている方がいるかもしれませんが,私の今のインターン先は機械学習を専門に取り扱っているスタートアップなのですが,それにも関わらず,いくらバックエンドを専門にしているからといって,「機械学習について何も知りません」ではナンセンスすぎることを気にし始めて,と言う経緯,また,技育展で知り合った方の広義の意味での機械学習に関するツイートがタイムラインに流れてきてはちょっと羨ましくなってしまった,と言う経緯など理由は色々あるのですが,機械学習を始めました.
      今まで途中まで読んで積読されていたゼロから作るDeeplearningなども読了し終えたタイミングだったので,改めて体系的に学ぶ機会となっています.
    • もくもく会サーバー立ち上げ
      後述します.
  • 十一月: 大学で積み上げまくったタスクの消化

    • 大学の講義:熱流体工学実験・電気電子工学実験
      私の在籍している色々なテーマの実験を行いレポートにまとめると言う,学部特有の講義の話です.
      その中でも特にレポートに時間がかかるとされていた熱流体工学実験,実験結果からスライドを作り,前で発表すると言う,大学入学以来初めてのスライド制作を含む講義である電気電子工学実験のレポートがこの時期にありました.終わってみれば,そっすか,みたいな気分になるのですが,実際手を焼いたのはその通りでした.
    • マイクロマウス
      手のひらに乗る程度の大きさのロボットでコースである迷路を探索してゴールを目指す競技なのですが,大学のコミュニティでロボットを7月ごろに渡されたにも関わらず,技育展やら何やらと出場していたら来月に大会があることに気づく,と言う経緯でもってコーディングを進めている最中です(執筆時点情報).
    • 記事の執筆(これ)
      この記事を執筆するのに,かなり時間がかかってしまいました.
      目の前のタスクをこなすばかりの毎日だったので,改めて,なんでこう言う行動に出たのかと言うことを考察するためのきっかけになりました.
    • GCI2021

さて,なぜここまでタスクを膨らませてしまったのか.と言うことを私は考察しなければいけません.

思うに,私がみんなから見て「こう言う姿に見えるのだろう」を実際に体現しようとしたばかりに次から次へとタスクを増やし続けたのだろうと私は考えています.

まず初めに周囲の環境を見たとき,私は,周囲に見えている方々,実際に私のTwitterでの発言を見ている方々が私よりずっと強いことを,その事もあって私自身が過大評価される傾向がありました.それは,ボカロPとしても,大学生としてもです.これだけで見るとまるで悪いことかのようですが,一方で誰かが見ていてくれる,見える形でレスポンスが帰ってくると信じるに足るだけの自信を与えてくれたという意味では私の向上心にもつながっていったのです.
その次に私自身がやりたいことを考えたとき,これは技育展のスポンサー企業の方とも話したのですが,私の根底にあるものは承認欲求です.何か結果を出せば承認欲求が満たされると言う経験則があって,かつたくさん認めてもらいたいと思ったから頑張れたのだと今の私はそう思います.
これらの上で,この頃から私は「アウトプットを出し続ける狂人であれば,何も見せない人よりかは誰かに見てもらえる」という考え方をしはじめました.
自身の周囲の環境と承認欲求に身を任せて,私は身の丈に合わないタスクを増やし続けていました.

0x0D: もくもく会サーバーの運営

これもただなんとなく,ぼぉっととぼけながら考えていたことがきっかけでした.何処かの章で書いたと思うのですが,私はただ,居場所がほしいのでした.しかし,多くの居場所というのはどこかで廃れてしまいます.その理由を考えたときに「話す内容が減るから」「内輪で盛り上がって新規参入者が入りにくいから」という問題があるように思いました.

それをどのように解決するかということで気にしていたのが作業をするという共通の目的で集まるもくもく会でした.今までももくもく会はDiscordサーバーで入ってた時期もあるのですが,どうにも会話がなくてそこに人がいる気がしない,と思いながら作業をして,いつからか私は飽きました.
だから私は作業をするという共通の目的を誰かと一緒にやっていることを実感しつつもしっかりと作業ができる空間を作りたいと思い,「適度に駄弁るもくもく会」を作るに至りました.
このもくもく会はお手製のBotによって参加者のミュート管理が行われ,一定時間経つと休憩するために休憩用のチャットスペースを作ってグループ分けしてミュートが解除されるという仕組みを設けました.

私がこのプロダクト一個に言及したのは,これが今までに経験した,今までに会ってきた人たちを集めたコミュニティでかつ,かさいとして作った最初のコミュニティだからです.
実際,ここでの時間は心地が良い.次に誰かと話せると思えば作業時間は頑張る気にもなれるし,時々入る休憩で作業の話もくだらない話もする,そういうコミュニティとなったのです.

おそらく,これがハッカソンとも仕事とも関係ない,本当の意味で趣味の範疇で行ったはじめての開発だと思います.

0x0E: ちょまどさんとのお話

話はもくもく会サーバーを立ち上げて人が加速度的に増えていった頃の話になります.
これも単なる偶然です.なんとなくTwitterのタイムラインを眺めていると,ちょまどさんがJ-WAVEのラジオで学生向けに授業をするという趣旨のラジオ番組に出演し,その学生サイドを募集するツイートが流れてきました.

https://twitter.com/chomado/status/1451391604149817351

私はただなんとなく,ただなんとなくマウスとキーボードが進むままに応募してみたのです.
結果は当選.ラジオ内でちょまどさんに質問を一つする権利を私は手に入れたのでした.
ラジオを聴き損ねたので私の覚えている限りの記憶で執筆するのですが(後からアーカイブ動画が出ると思うので更新で追加します),確か私は以下のような趣旨の質問をしたと思います.

「私は創作することが好きで,その点において共通点を感じています.その上で,ちょまどさんは絵を描くこととプログラミングを組み合わせて仕事する方だと思いますが,その組み合わさる部分はどうやって見つければいいですか?」

https://youtu.be/HbeSpU200rc

ちょまどさんの第一声は「わからん」でした.
回答は色々あったと思うのですが,憶測を書くわけにもいかないので特に印象的だったところの話を二つします.一つ目はMCである川田さんからの一言で,「誰かに見つけてもらうというのでもいいよね」みたいな趣旨の意見を聞いて,私はただ,確かに,と強く思いました.
もう一つは,ちょまどさんからここで技育展についての言及があったことでした.実は応募時に自己アピールの欄があったのでそこに技育展に出た旨を私は書いていました.そのことを見ていてくれただけでも私は嬉しかったのですが,その上で「だからアウトプットし続ければいいと思う」と言われたのでした.

この回答が終わる頃はまだ,平然を装ってはいたと思いますが,あることに気づいてしまい,私は選択を迫られるのでした.

0x0F: 決意

私は,ちょまどさんとのラジオの後,悩みました.
これまでに書いた通り,アウトプットは作曲でもプログラミングでも動画制作でもしてきました.であるにも関わらず,私は私自身のリソースを活かすことができないでいることに気づいたのです.
少し考えてみればわかることでした.アイなしは作曲を,かさいは開発をそれぞれアウトプットしていましたが,それを同時に見る人などいないということに気づいたのです.

アイなしは当初,完全な匿名を理想として作られ,声を表に出す時もボイスチェンジャーを導入するなどの徹底ぶりでした.しかしそれは昨年のJPHACKSをはじめとする多くの場所で崩れているのです.そうであるにも関わらず,私の作品はあくまでアイなしの作品なのです.私はアイなしという人格に私の作品が取られてしまう心地に自分がなっていることに気づいたのです.もちろん今年一年を見てみれば,単に忙しいから作曲などできなかったと言い訳もできます.しかし,私はその曲もアイなしという他人の曲になるのに,別にお金も発生するわけでも無いのに,なぜ作曲などしなければいけないのでしょう.
それは,アイなし視点で見ても同様のことが言えるのです.アイなしは実際に音楽を通して伝えたいことがあったし,アイなしは確かにメロディを作る際においてかなりの自信を持っていました.それにも関わらず,作曲に時間が割けなかったからついに一年投稿できなかった今があるのです.アイなしは私に,かさいに,作曲する時間を取られていたのです.

かなり長いこと悩みましたが,私はアイなしであり続けることを諦めたのでした.
以下はアイなしとしての活動を終了する際の,いわゆる創作者が創作活動をやめるときに儀礼的に公開する書面の前半部分です.

ボク,アイなしはボカロPをやめます.

一言で言ってしまうと,理由は,アイなしという人格に私が満足できなくなったからです.ボカロPとしてコロナ禍が始まったあたりからいろいろな人とふれあって,音楽の知識を共有したり,ゲームをしたり,いろいろな人の人生経験を聞くことがすごくすきでした.だからこそ,今のアイなしでは,ただのボカロPとしてのアイなしでは,ボカロPとして一途に最高の作品を目指し続ける創作者の皆様についていくことができないことを痛感しております.
作曲はすきです.作曲はすきですが楽器は弾けません.作曲はすきですがコード進行は分かりません.作曲はすきですがドラムパターンはわかりません.これでは皆様に追いつくことができません.
また,アイなしというこの分割して生まれた人格では,私が私としてみてもらえないことを実感したからです.確かに,アイなしという名前で曲を投稿し始めて,人にその感想を言ってもらえるのは嬉しかったです.けれど,名前を隠しながら活動することと,自分自身の承認欲求が満たされることが相反することがとてもつらいです.
ボクはこれらの事を悪いとは思っていません.むしろ,アイなしという人格が果たすべき目標の一つである自我の発見を達成することができたのである意味において目標を果たすことができたと判断しています.

三章 コミュニティ

0x10: コミュニティがもたらしたもの

さて,今までの話を振り返りながら,私は大まかなまとめを書いていかなければいけません.今回のテーマは「コミュニティ」でした.
コミュニティは多くのものをもたらしたのは言わずもがなでしょう.
はじめに入ったボカロPの集まるコミュニティでは,自らものを作る人たちのコミュニティとしてさまざまな知見を得るだけではなく,私一個人では経験し得ないようなそれぞれの人生経験を聞く機会となりました.
次に入った,同年代のエンジニアの集まるコミュニティでは,技術について話し合う場として,また,同年代と接する場として機能し続けました.
言語化コミュニティでは,ボカロPサーバー同様,私一個人では経験し得ないようなそれぞれの人生経験を聞く機会として,また,しばしば哲学的な議論も行われ,さまざまな価値観とそれぞれが抱く理想像を聞くかなり珍しい機会となりました.
大学でのコミュニティでは,初めて組み込みを行うきっかけとなり,そこからrehearsalの開発構想を完成することができました.また,同じ大学に通学しているにも関わらず,大学内での温度差を強く感じるきっかけとなりました.
私が作り上げたコミュニティでは,作業場という側面を担保しつつもゆるい会話も両立させる不思議な経験と,今まであってきた人たちがどのような人たちであったかを改めて考えさせられる機会となりました.

私が作り上げたコミュニティを含め,それぞれのコミュニティで言えることですが,それぞれに全く異なる雰囲気,価値観のもとに運営され,多くの人を知る機会となりました.

0x11: やりたかったこと

アイなしのアカウントを作った頃,私は誰かに聞いていてほしい,共感してほしいという気持ちで書いていたんだと思います.少なくとも私はそのつもりでした.
しかし,この二年間で多くの人と関わっていくにつれ,こうやって誰かと共通の話題で話す方が楽しいことに気づいたのです.この記事を書きながら,私はふと昔のことを思い出しました.

みんながゲーム機を持ち寄って公園へ遊びに行こうと言っていたり,さまざまなゲームの話題が出るたびに,当時ゲーム機を持っていなかった私はそれをただ近くで聞いているのみでした.公開された映画の話題など,映画館に行ったことのない私には関係のない話で,スポーツでどの選手が成果を上げただとか,そういった話も私にはわかりません.
私には会話する話題もなく,級友の誰かと話す用事など何もろくに持ち合わせていなかったのです.
親にはこのことを言ってもゲームがないと友人が作れないのかと散々馬鹿にされました.まあ,実際問題として愚かかもしれません.しかし,私には何もなかったのです.気づけば私は,友人宅でゲームをする日々になっていました.
もっとも,その時間が楽しいだけで今まで操作したことのなかったコントローラーなどろくに使えず,話題についていけるほどの知識も手に入ることはついにありませんでしたが.

昔とやっていることは何も変わっていないことに気づきました.ただ,居場所が欲しくて,誰かと共通の話題が欲しくて,そのための知識を私は集め続けていただけなのです.ただ,昔と違うのは,目の前に調べ実際に試してみるための道具がある.逆に言えばそれくらいの差しかありませんでした.

0x12: 今の立場

さて,先ほどは過去との比較をしました.続いて,この二年間のまとめをしましょう.
さきに結論から言ってしまうと,私の今の立場はおそらく偶然が何度も重なった結果だと思っています.

https://twitter.com/StreamWest1629/status/1465974257800732675

偶然あった人たちから面白い経験談を聞いたり,誘われたり,あるいはそうやって今まで会って来た人たちが次の人を紹介していく,あるいは次の成長の機会を提供してくれるという流れが構築されていたのだと思います.
だから,豪運だと言われればそれまでです.

神を味方につけたかのような豪運ではあるのですが,どうすればこうなるのかを私なりに考察しないと文章が落ち着かないのでまとめます.

結論から言ってしまえば,面白い話や人の集まっている場所,コミュニティには割と飛び込むようにしていたし,人に誘われたら極力行動すること,精神論的ですが,何よりアウトプットを出している様子を傍目に見ながらそれに追いつかなければ置いてかれると信じる焦燥感があれば割と誰でもこうなれるというのが私自身の意見です.
ここから先は私自身にも言い聞かせるためのメモ書きだと思ってください.

  • 最初は「募集のツイートが流れて来たから.」「知っている有名人が出るイベントがある」それくらいの些細なことでいいと思います.
    最初のハッカソンにでたのもchokudaiさんが技育祭で講演することを知って初めて知った訳ですし,今でさえ,偶然流れてきたちょまどさんが出るラジオの募集が,気づけば創作アカウントと開発アカウントを統合するという,大きな転換期になってしまっているのですから,そんなものです.
  • 私が問題を感じ始めてから実際にコミュニティを見つけたり,コミュニティで意見を聞いたりするまでに,それほど時間は掛かりませんでした.
    このことを踏まえると,思いのほか機会はそこらへんにポイ捨てされている模様です.それがどのようなものかは知りませんがどんなに小さいコミュニティであってもコミュニティ一個あたり一度くらい拾い食いしたところでそうそうバチは当たりません.
  • これらを踏まえたその上で,実際に何かイベントに出たとして,必ずしもイベントの結果,競技の結果が自分の立場を決定しうるものではないことも大事な要素です.
    実際,最初の方で示した通り,最初のハッカソンでは一から十まで失敗したと言って問題はないでしょう.しかし,表彰の後のふとした学生エンジニアのコミュニティの勧誘に乗り,そこでいろいろな人と話していったから今こうやってGo言語を使ったプロダクトで技育展に登壇し,バックエンドや機械学習を嗜みながら,その伝手で言語化コミュニティにも顔を出すようになったのです.最近の出来事である技育展もまた,賞こそ何も取れませんでしたが,そこで会った人たちがアウトプットしている様子を見ながら,私は以前より一層,「一度は同じ台に乗ったのだから,置いてかれてはいけない」という強い執念を抱き始めるきっかけとなっており,かつ私のもくもく会コミュニティのメンバー集めにも一役買っているのです.

JPHACKS審査員である江崎先生の言葉を借りれば,人が集まっている場所には当然人が集まっているのだから,面白い話を持っている人間が必ずいるはずです.その人を見つけ出してコネクションを持つことを私は大事にしています.
私の場合はすぐ見つかったので,その点において私はかなりの豪運であったと言えるでしょう.

0x13: これから

さて,アカウントの統合を果たした今,私はかさいであり,アイなしでもあります.
もっと具体的に言えば,私は趣味でボカロ曲を作るし,プログラムのコードも書くような一人の人間です.そういう個人としての私を維持し続けるために,あるいはコミュニティに参加する際の話題の種にし続けられるように,これからも何かしらの活動を続けていきます.
今手元では,メロディからコード進行をどのようにプログラムで錬成するかを考えながら,マイクロマウスに悩み,大学講義やGCIの課題をこなしつつ,インターンのお仕事を頭の片隅におきながらこの記事を書いています.きっとこの記事も最後まで誰かに読んでもらえると私は信じています.

以下はアイなしとしての活動を終了する際に書いた書面の後半部分です.この文章でこの記事を締めくくりたいと思います.

これらのことを踏まえて,私は現在運用されている開発用となっている本アカウント「かさい」にアカウントを統合することにしました.これからはかさい(StreamWest1629)という,一人の人間として,一人の創作者として,一人の開発者として,自分が形にしたいと思ったものを開発し,創作していきたいと思います.

本アカウントの扱いについて,ニコニコ動画,GitHub,Twitterの各アカウントは今年をもって削除します.YouTubeはかさいの管理下に置いた上で投稿を終了し,これからかさいとして発表する曲はかさいのYouTubeチャンネルでもって発表します.Discordに関しては各サーバーにかさいアカウントを参加させた上で削除します.

また,ネタ曲投稿際に投稿する曲がアイなし最後の曲となります.あの曲が最後の曲かと思うと,不安なことが多いのは間違いないのですが,一度決めたので何を言われても変えるつもりはありません.

最後に,アイなしでいた2年弱はとてもたのしかったです.ありがとうございました.かさいになっても見てくれる方はこれからもよろしくお願いします.

かさい

https://twitter.com/H_J_Ainashi/status/1463509990191165446

最後までお読みいただきありがとうございました.
この記事を執筆する際のサイドストーリー,「MSEdge公式「音声で読み上げる」機能を使って2万字超の記事を校閲しよう」もご覧ください.
宣伝ではあるのですが,私の運営する「適度に駄弁るもくもく会」の参加者を募集しています(このもくもく会についても記事に書こうと思ってまだ書けていません).ついでにTwitterのフォローも併せてお願いします.

https://discord.gg/pcR7uwYxe9

https://twitter.com/streamwest1629

また,最初の方でも案内しましたが,この記事は「言語化コミュニティ Advent Calendar 2021」6日目を担当する記事です.よろしければ他の記事もご覧ください.

https://adventar.org/calendars/6262

よろしければ記事のご感想もいただけると私は泣いて喜びます.本当に最後までありがとうございました.

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