エイリアンの真理(Alien Truth)
これは ポール・グレアム翻訳 Advent Calendar 2024 7日目の記事です。
- 英語原文:Alien Truth
- Paul はエッセイの翻訳を許可しています
- 翻訳原稿は https://github.com/spinute/zenn/blob/master/articles/b52eb343741036.md で公開しています(修正・改善のための issue や PR を歓迎します)
2022年10月
宇宙のどこかに知的生命体がいるなら彼らは私たちと共通の真理を持っているはずです。数学の真理は定義上普遍的ですし、物理学の真理も同様で、炭素原子の質量は彼らの惑星でも変わりません。しかし私は、数学や物理学以外にも彼らと共有する真理があるだろうと考えています。これはどのようなものか考察してみましょう。
例えば、ある仮説を検証するための実験がその仮説の信頼性を高めるという原理は、彼らも共有しているかもしれません。また、練習を重ねると上達するという事実も彼らにとって成り立つ可能性が高いでしょう。オッカムの剃刀(最も単純な説明が最も良い説明である)という考え方もおそらく共有するはずです。これらの考えには人類特有のものは特にないように思えます。
もちろんこれは推測に過ぎません。知的生命体がどんな形態を取り得るのか確実なことは言えませんし、それを探ることが私の目的でもありません。「エイリアンの真理」という概念の要点は、知的生命体の形態を推測することではなく、真理の基準、より正確に言えば目標を提供することにあります。数学や物理学以外で最も普遍的な真理を探そうとするなら、それは他の知的生命体とも共有できるものであるはずです。
エイリアンの真理を探る際は寛容な姿勢で臨んだ方が良いでしょう。これはエイリアンにも関連するかもしれないという程度で十分なのです。例えば、正義という概念について考えてみましょう。すべての知的生命体が正義の概念を理解するとは断言できませんが、理解しないとも言い切れません。
エイリアンの真理という考え方は数学者エルデシュの「神の本」という概念と通じるものがあります。彼は特に優れた証明について「神の本に載っている」と表現しました。これは、十分に優れた証明は発見されるべくして発見され、その素晴らしさは普遍的に認められるという意味です。もしエイリアンの真理が存在するなら神の本には数学以外の内容も記されているはずです。
エイリアンの真理の探求を何と呼べばいいでしょうか。明らかに「哲学」という言葉が当てはまります。哲学が何を含むにせよ、エイリアンの真理もこれに含むべきです。アリストテレスもきっとそう考えたはずです。エイリアンの真理の探求は、哲学の良い定義になり得ます。つまり、現在それを実践しているかどうかは別として、哲学者と呼ばれる人々が取り組むべき課題だということです。ただし、何と呼ぶかよりも実践することの方が重要です。
人工知能という形で私たちが異質な知的生命体を迎える日が来るかもしれません。その結果、知的生命体が必然的に共有する真理について、より正確な理解が得られるかもしれません。例えば、オッカムの剃刀を使用しないものは知的とみなせないということが判明するかもしれませんし、それが証明される日が来るかもしれません。しかし、そのような研究は非常に興味深いものの、私たちの目的にとって必須ではありませんし、同じ分野とも言えません。もし哲学の目的がエイリアンの真理を目標にしてアイデアを見出すことだとすると、その真理の境界を正確に定めることではありません。この二つの問いは将来的に一致するかもしれませんが、かなり異なる方向から収束するでしょう。それまでの間、確実にエイリアンの真理だと言えることだけを考えるのは制約が強すぎます。この分野では、おそらく最善の推測が意外にも最適解に近いものになるでしょう(これ自体がその一例かどうか、見守っていきましょう)。
何と呼ぶにせよ、エイリアンの真理を探求する試みには価値があります。そして興味深いことに、その探求自体がおそらくエイリアンの真理の一つなのです。
謝辞
この原稿を読み、意見をくれたトレバー・ブラックウェル、グレッグ・ブロックマン、パトリック・コリソン、ロバート・モリス、マイケル・ニールセンに感謝します。
Discussion