「Reddit の創業者たち(The Reddits)」ポール・グレアム翻訳 Advent Calendar 2024 2日目
これは ポール・グレアム翻訳 Advent Calendar 2024 2日目の記事です。
- 英語原文:The Reddits
- Paul はエッセイの翻訳を許可しています
- 翻訳原稿は https://github.com/spinute/zenn/blob/master/articles/a3e99ca567aeba.md で公開しています(修正・改善のための issue や PR を歓迎します)
2024年3月
Y Combinator[1] を始める前に、既に Reddit の2人と出会っていました。この2人に出会ったことが実は Y Combinator を立ち上げるきっかけの一つでした。
Y Combinator はハーバード・コンピュータ・ソサエティで私が行った「スタートアップの始め方」という講演から生まれました。聴衆のほとんどが地元の人だった中、スティーブ[2]とアレクシス[3]はわざわざバージニア大学から電車で来てくれました。せっかくの機会なので、コーヒーを飲みながら話をすることにしました。彼らが話してくれたのは、後に私たちが資金提供を検討するのとは別の、携帯電話でファーストフードを注文できるサービスについてでした。
当時はまだスマートフォンが存在しませんでした。サービスを始めるには携帯電話会社やファーストフードチェーンと契約を結ぶ必要があり、実現は難しそうでした。それでも、彼らの頭の良さとエネルギッシュな姿勢に感銘を受けました。彼らや他の参加者との出会いをきっかけに、私は資金提供の仕組みを作ろうと決意したのです。数日後、スティーブとアレクシスに Y Combinator を立ち上げると伝え、彼らが応募するよう勧めました。
第一弾の募集では応募者を区別するためにニックネームを付けることにしました。Reddit の2人は「セルフードマフィン」という名前にしました。「マフィン」は、ジェシカ[4]が子犬や幼児に使う愛称です。この呼び名からスティーブとアレクシスの当時の印象を想像できるでしょう。まるで、少し慌てた表情を浮かべた雛鳥のようでした。
しかし、彼らのアイデアはイマイチでした。当時の私たちは創業者ではなくアイデアに投資する考え方だったため、残念ながら彼らを選考から外すことにしました。でも、それは何か違うと感じていました。ジェシカも「マフィン」たちを断ることを悲しんでいました。そもそも YC を始めたのは彼らのためだったのに本当にそれで良いのだろうかと。
スタートアップ界で「ピボット」(方向転換)という言葉は当時まだ一般的ではありませんでしたが、私たちはどうにか彼らに投資したかったので、アイデアが良くないなら別の事業を考えてもらおうとしました。そして、その別の事業のヒントを私は既に掴んでいたのです。当時、Delicious というブックマーク共有サイトがあり、その一部が「人気のページリスト」として機能していました。私自身、自分のサイトにそこから多くのアクセスがあることに気付いていました。つまり、リンクの保存ではなく共有に特化したサービスが必要だったのです。
スティーブとアレクシスに電話をかけ「君たちのことは気に入っているが、今のアイデアは違うと思う。別のことをやってみないか?」と持ちかけました。彼らはバージニアからの帰りの電車に乗っていましたが、次の駅で北行きの電車に乗り換え、今「Reddit」として知られる事業に取り組むことを約束してくれたのです。
彼らはサイトの名前を「Snoo」にしたかったそうですが、そのドメインは高すぎました。そこで、マスコット[5]を Snoo と名付け、ドメインの取れた「Reddit」という名前を選んだのです。初期の段階では Reddit は仮の名前だったと聞いていますが、今となっては名前を変えるには遅すぎるでしょう。
多くの優れたスタートアップと同様に、会社と創業者の性格には不思議なほどの共通点があります。特にスティーブの場合は顕著でした。Reddit には「好奇心旺盛で、物事を疑ってかかり、面白がる」という特徴があり、それはまさにスティーブそのものだったのです。
スティーブ本人は否定するかもしれませんが、彼は知的な人間です。純粋に新しいアイデアを追い求める人で、それこそが彼がケンブリッジの講演に足を運んだ理由でした。彼は私の書いていた Lisp に興味を持っていました。これは、純粋な知的好奇心がなければ誰も学ぼうとしないような言語です。彼の持つ、まるで掃除機のような吸収力は、面白いリンクを集めるサイトを運営するのにぴったりだったのです。
スティーブは権威主義を嫌う人間でもありました。だからこそ、編集者の介入しないサイトという発想に惹かれたのでしょう。当時、プログラマーたちに人気の掲示板といえば Slashdot[6] でした。確かに Reddit と似ていましたが、トップページに載るニュースは人間のモデレーターが選んでいました。モデレーターたちはよくやっていましたが、ここの違いが大きな差を生んだのです。ユーザーが主導権を握ることで、Reddit は Slashdot よりも速報性の高いサイトになりました。ニュースは常に新鮮で、最新情報のある場所に自然とユーザーは集まってくるものです。
私は彼らに早めのローンチを提案しました。最初のバージョンは数百行程度のコードで十分だったはずで数週間もあれば作れるものでした。実際、彼らは素早く動き、YC のプログラムに参加してほんの3週間でローンチにこぎつけたのです。最初のユーザーは、スティーブ、アレクシス、私、そして YC の仲間や大学の友人たちでした。面白いリンクを集めるサイトなら、実はユーザー数はそれほど重要ではありません。一人で複数のアカウントを使えるサービスならなおさらです。
Reddit は、YC から更に優秀な2人の仲間を得ました。クリス・スロー[7]とアーロン・シュワルツ[8]です。2人とも並外れた頭脳の持ち主でした。クリスはハーバードで物理学の博士号を取ったばかり。アーロンは1年生ながらも、スティーブ以上に反体制的な精神の持ち主で、後の事件では一種の殉教者となった人物です。
少しずつではありましたが、確実に Reddit のトラフィックは伸びていきました。当初はノイズと見分けがつかないほどの小さな数字でしたが、数週間もすると、定期的に戻ってくる熱心なユーザー層が形成されていることが分かったのです。それ以降、Reddit は成長し続けてきました。
Reddit という存在(現在ではアプリも含めて)は明らかに有用なので、ある意味「不死身」と言えます。だからこそ、スティーブが去った後の長期間、経営が放置され大きな失態が続いても、トラフィックは増え続けました。普通の企業ではこんなことはあり得ません。たいていの会社は半年も放っておけば深刻な事態に陥ります。しかし Reddit は特別でした。だから2015年にスティーブが戻ってきたとき、私は世間が驚くことになると確信していました。
Reddit はシリコンバレーの単なる一企業、それほど重要でない存在だと多くの人は考えていました。しかし舞台裏を知る者たちはその可能性を感じ取っていました。スティーブが復帰して Reddit がどこまで成長できるのかその答えが見えてきます。少なくともその下限が分かるはずです。スティーブのアイデアはまだまだ尽きる気配がないのですから。
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訳注:Y Combinator は Paul Graham が設立したスタートアップ支援組織 https://www.ycombinator.com/ ↩︎
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訳注:本文中の「スティーブ」は、Reddit の共同創業者であり現 CEO の Steve Huffman を指す https://ja.wikipedia.org/wiki/スティーブ・ハフマン ↩︎
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訳注:本文中の「アレクシス」は、Reddit の共同創業者の Alexis Ohanian を指す https://en.wikipedia.org/wiki/Alexis_Ohanian ↩︎
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訳注:本文中の「ジェシカ」は、Paul Graham の妻 Jessica Livingston を指す https://ja.wikipedia.org/wiki/ジェシカ・リビングストン ↩︎
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訳注:https://reddit.lingoapp.com/s/dGekEY?v=21 や https://redditinc.com/brand に Snoo の公式情報が載っている ↩︎
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訳注:1997年に設立された技術系ニュースサイト https://ja.wikipedia.org/wiki/Slashdot ↩︎
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訳注:本文中の「クリス」は、Reddit の共同創業者であり現 CTO の Chris Slowe を指す https://en.wikipedia.org/wiki/Christopher_Slowe ↩︎
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訳注:RSS 1.0の仕様策定や Reddit の開発に携わった。"殉教者"という表現については https://ja.wikipedia.org/wiki/アーロン・スワーツ を参照 ↩︎
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