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「書く者と書かざる者(Writes and Write-Nots)」ポール・グレアム翻訳 Advent Calendar 2024 4日目

2024/12/04に公開

これは ポール・グレアム翻訳 Advent Calendar 2024 4日目の記事です。


2024年10月

技術に関する予測を普段は控えているのですがこれに関しては自信があります。これから数十年後で書く能力のある人はかなり少なくなるでしょう。

書くことが得意な人は、多くの人が書くことに思いの外苦戦するということに気づきます。医者が人々の気にしているホクロについて知っているように、コンピュータの設定が得意な人が苦手な人の多さを知っているように、どれだけ多くの人が書けずに困っているかを知っています。

苦労する人が多いのはそれが本質的に難しいからです。考えが明確でなければうまくは書けず、考えを明確にするのは難しいことです。

それにもかかわらず何かを書く職業は多く、高位の職になるほど書く能力が求められる傾向があります。

この二つの強力な相反する力、書くことへの広い期待と本質的な難しさがプレッシャーを生み出します。これが一流の教授さえ盗作に頼ることがある理由です。私が一番驚くのは盗作される表現の卑近さです。ごく普通の定型文が盗まれるのです。そこそこ書ける人なら何も苦労しないような表現です。つまり、彼らは書くことに非常に不慣れなのです。

このプレッシャーから逃れる気軽な方法がこれまではありませんでした。JFK[1] のように誰かにお金を払って書いてもらったり、MLK[2] のように盗作したりはできたものの、言葉を買ったり盗んだりしない限りは自分で書くしかありませんでした。そのため、書く必要のある人は基本的にそれを学ぶ必要がありました。

しかし AI がこの世界を一変させました。書くプレッシャーはほぼ無くなりました。学校でも仕事でも AI に書かせることができるのです。

その結果「書ける者」と「書けざる者」[3]に分かれる世界が生まれます。書くことが好きな人はいるでしょうが、書ける人と全く書けない人の中間はなくなるでしょう。良い書き手、普通の書き手、書けない人という3区分から、良い書き手と書けない人の2区分に変わるのです。

これは危惧するようなことでしょうか?技術の進歩により何かが不要になってスキルが消えるのは歴史上何度もあったことです。鍛冶屋はかなり減りましたがそれが問題になってはいないようです。

しかしそれでも書く技術が消えるのは問題があるのです。最初に言ったように書くことは考えることなのです。実際、書かないと実現できない思考があります。この点をレスリー・ランポート[4]が最も明快に説明しています:

書かずに考えても、それは考えていると考えているだけだ

ですから、書く人と書かない人に分断する世界は一見無害に見えて危険です。それは考える人と考えない人とに分かれた世界です。私がどちらにいたいかは明らかですし、あなたもそうでしょう。

この状況には前例があります。産業革命まではほとんどの人は仕事の中で身体が強くなっていました。今では強くなりたい人はトレーニングする必要があります。現代にも強い人はいますが、それは強くなることを選んだ人だけです。

書くこともそうなるでしょう。これからも賢い人はいますが、そうなることを選んだ人だけがそうあるようになっていくのです。

謝辞

ジェシカ・リヴィングストン、ベン・ミラー、ロバート・モリスがこの草稿を読んでくれました。

脚注
  1. 訳注:35代米国大統領ジョン・F・ケネディのこと ↩︎

  2. 訳注:おそらくマーティン・ルーサー・キング(日本ではキング牧師と一般に知られる)のこと ↩︎

  3. 訳注:「書ける人」と「書けない人」は原文では "writes" と "write-nots"。この記事のタイトルは「持てるものと持たざるもの」の "haves and have-nots" をおそらくもじっている ↩︎

  4. 訳注:レスリー・ランポートは LaTeX の開発や分散システムの研究などで知られる有名なコンピュータ科学者 ↩︎

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