読む必要性(The need to read)
これは ポール・グレアム翻訳 Advent Calendar 2024 11日目の記事です。
- 英語原文:The need to read
- Paul はエッセイの翻訳を許可しています
- 翻訳原稿は https://github.com/spinute/zenn/blob/master/articles/04544e44b348cd.md で公開しています(修正・改善のための issue や PR を歓迎します)
2022年11月
私が子供の頃に読んだSFでは、読書が効率的な知識習得方法に置き換えられていることがよくありました。謎めいた「テープ」がコンピュータにプログラムを読み込むように脳に知識を送り込むのです。
しかし、こんなことが実現するのはまだまだ先のこと。というのも、読書に代わるものを作るのは難しいだけでなく、たとえ存在したとしても不十分だからです。何かについて読むことは、そのことについて学ぶだけでなく書く方法も教えてくれます。[1]
ではそれは重要なのでしょうか?読書が置き換わるなら、誰もが書くことが得意である必要はあるのでしょうか?
書くことは単にアイデアを伝える方法ではなくアイデアを生み出す方法でもあります。優れた作家はただ考えを文字に起こすだけではなく、書く過程で新しいことを発見します。そして、この発見方法に代わるものはないと私は思います。アイデアを他の人と話し合うのはそれを発展させる良い方法ですが、それでも書き始めることで新たな発見をすることがあります。書くことでしかできないタイプの思考があるのです。
もちろん、書かずとも行える思考もあります。深く考える必要がない問題は書かずとも解決できます。例えば2つの機械の噛み合わせを考えるとき、書いてもあまり役立たないかもしれません。また問題が形式的に記述できれば頭の中で解決できることもあります。しかし、複雑で定義しにくい問題を解決する場合には書くことが助けになります。そのため、書くことが得意でないとそういう問題を解決する際に不利になります。
よく考えるためにはよく書けなければならず、よく書くためにはよく読めなければなりません。この「よく」というのは技術的な巧拙でもあり、良いものを読むという意味でもあります。[2]
ただ情報が欲しいだけの人は他の方法でそれを得るかもしれません。しかし、アイデアを持ちたい人は読書を避けられません。
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