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ソクラテスが現代エンジニアにツッコミ?プレイングマネージャーの葛藤

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こんにちは、しがないエンジニアの k_y16 です。

最近『国家(こっか)』という古代ギリシャの本を読んでみました。
著者はプラトン、語り手はソクラテス。ざっくり言うと「正義とは何か」「理想の国家はどうあるべきか」を延々と語り合う対話篇です。

正直、読んでいると「いや、その議論まだ続くの?」とツッコミたくなる場面も多々あります(笑)。でも、そんなやり取りが逆に人間くさくて面白いんですよね。

読み進めるうちに、「古典を軸にすると、現代の働き方って意外と見直せるところがあるんじゃないか」と感じる瞬間がありました。

今回のブログでは、プレイングマネージャーという役割について、具体的な実務の話ではなく、一般論としての特徴や理想との関係を整理してみたいと思います。

もしソクラテスに現代のプレイングマネージャーを紹介したら、きっとこう言うでしょう。

「なんで一人で二役やってるの?それ、理想じゃないよね」


プレイングマネージャーの葛藤

現代企業ではプレイングマネージャーという立場は珍しくありません。特に私たちエンジニアの現場では、次のような葛藤が常に生まれています。

  • プレイヤー(実務) として、バグ修正や機能開発で手を動かす
  • マネージャー(管理) として、チームメンバーのコードレビューや進捗管理、評価を行う

メリットは、現場感を持ちながら迅速に意思決定ができること。一方で、負荷が大きく、どちらの役割も中途半端になりやすいというデメリットもあります。

現実的な必要性から生まれた役割ではありますが、ソクラテスの目には「二兎を追う者」として奇妙に映るに違いありません。


『国家』から見た理想

『国家』の中でソクラテス(を通じて語るプラトン)はこう主張します。

「人は一つの役割を極めるべきだ」

この考え方の背景には、彼らが思い描いた「理想の国家像」があります。
国家を一つの大きな人間のようにとらえ、そこに「知恵を司る者(哲学者)」「勇気を司る者(戦士)」「欲望を支える者(生産者)」という三つの階層を置く。
それぞれが自分の役割をまっとうすることで、全体の秩序と調和が保たれる――これがプラトンの理想でした。

したがって、一人が複数の役割を担うことは秩序の乱れにつながります。
「戦士が商売をする」「職人が政治をする」というのは理想の社会ではあり得ない。

その視点から見れば、「プレイヤー」と「マネージャー」を兼務するプレイングマネージャーは、まさにこの理想から外れた存在だと考えられるのです。


理想を掲げることの意味

『国家』はプラトンの著作ですが、対話篇の形式をとっており、語り手は常にソクラテスです。作中で「理想の国家像」や「人は一つの役割に専念すべきだ」と語るのはソクラテスですが、思想そのものはプラトンのものとされています。

そのプラトンが大事にしたのは、 「理想を掲げること自体に価値がある」 という姿勢でした。

理想は現実には完全に存在しない。けれど、理想があるからこそ、人はそこに近づこうと努力できる。

これをプレイングマネージャーに置き換えてみると、 「本来は役割分担が理想」 ということを知っているだけで、自分の行動が変わります。

  • 自分のプレイとマネジメントの時間を意識的に分けて、それぞれに集中する
  • チームメンバーの得意なことを見極めて、少しずつタスクを権限移譲する
  • 将来的にチームをどう設計すべきか、長期的な視点で考える

結論

ソクラテス的には「プレイングマネージャーなんて理想じゃない」と切り捨てられそうです。けれど現実には必要な立場であり、だからこそ 「理想を知っていること」が私たちを支えます。

理想は、完璧な到達点ではありません。完全には到達できなくても、理想を灯台のように掲げていることで、現実の自分を少しでも前向きに改善できるのだと思います。


おまけ:古典の読み方

今回のように古典を読むときは、「現代に都合よく当てはめる」よりも、まず古典が語る理想をそのまま味わうのがおすすめです。

すると、ソクラテスが現代の働き方にツッコミを入れているように見えてきたりする。そんなふうに古典を軸に現代を眺めてみると、2,000年以上前の言葉が意外なほど身近に感じられるはずです。

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