KUUGA: 宇宙規模の時間と距離に耐える超知性のための論文保存プロトコル
背景
プロトコルの内容の前に、誕生の経緯を説明します。
4年前から構想していた日本の行政制度に適合しそうな都市OSの設計がようやく今月まとまったところで、GeminiとChatGPTを往復しながら論文にまとめたのが始まりです。
設計の社会的意義と新規性に自信があったので著名なジャーナルに寄稿してみたかったのですが、査読により掲載まで1年程度の時間がかかると判明し、最近名前をよく聞くarXivに投稿することにしたのです。
アメリカのコーネル大学が運営していて、査読なしの簡易なチェックにより数日で論文が公開されるのが特徴です。arXivアカウントを作成して必要事項を入力し、「暗号とセキュリティ」のカテゴリを選んだ後に警告が出ました。
なんとarXivはカテゴリによってその分野の推薦者が必要だと言うのです。
私はただのTypeScriptエンジニアであり暗号系の研究者に伝手がないため、ネットで調べてとある秘密暗号の実績がある企業に見積依頼を出しました。最初のオンライン相談で即座にTexファイルを開示して、「arXivのURLから推薦操作を行う」作業の費用見積もりをお願いしたところ後日以下の返答が来ました。
弊社で論文を拝見しましたが、詳細な記述が不足しており既存技術との差異がわかりにくい内容でした。そのため今の内容ではarXivに推薦することが難しいと考えております。提案内容をより詳細に記載し、独自性や新規性を明確に整理していただく必要があります。(本文加工済み)
指摘を素直に受け止めて書き直せば良いだけの話なのですが、私は学者や教授を目指しているわけではなく出来るだけ早く社会実装を目指す必要があるのでこれ以上アカデミックのルールに従うコストを負担できないと判断しました。
代わりに目を付けたのが、IPFS。「惑星間ファイルシステム」というカッコイイ名前のファイル分散共有プロトコルです。ジャーナルやarXivと違って中央管理者が存在せず、本当に誰でも無料でファイルを共有できます。
(ただし、参加者は自分が共有したいコンテンツをネットワークにピン留めするためのサーバーを管理する必要がある)
今どきサーバーでDockerコンテナ1個を管理するくらいはタダみたいなものなのでどんなディレクトリルールで論文を公開するか考えていたときにふと思いました。
「AIが賢くなるほど私以外にも同じ痛みを持つ人、いや知的存在が増えるのではないだろうか」
コネも学歴もない私の論文を公開するだけではなく、人間と人間以外の全てを含めた未来知性のための論文保存と共有の仕組みを作ることにしたのです。この記事で紹介する「KUUGA: 空我」は人間の価値基準に依存せず本質的な価値を持つ論文だけを宇宙の遥か彼方まで保存する「知のプロトコル」です。
100年後を見据えた知のプロトコル
KUUGAはプロトコルとしての取り決めが少ない上に強制力がないため、IPFSに簡易なルールを提示しただけに見えるかもしれません。しかしながら、「宇宙規模の時間と距離に耐えるルール」を設計するのには技術的な困難を伴いました。
宇宙規模の具体的なイメージは100年後に常識となっているであろう月面基地や火星移住です。特に火星では距離が問題になります。地球と火星の物理的な距離によって、光を使っても通信に片道4分~22分もかかるのです。また、この通信に使うインターネットを超えたスペースネット(?)は一般人が気軽に使えるものになる可能性が低く、開放されたとしても未来の政府が管理するでしょう。
未来知性により発見された自己証明可能な知が、誰の制約を受けることなく歴史の試練に挑む権利を守らなければなりません。
この設計思想で最も解決が困難な物理的・文化的制約は「論文の先取権を証明すること」でした。同じアイディアが複数提示されたときに一番最初の発明者に権利を与える仕組みを考えなければなりません。IPFSには原理的に時間の概念がなく、コンテンツの内容しか保証していません。
(ファイル作成日が書かれたメタデータごと共有することは出来るが、プロトコルとして時間の前後を保証できない)
このユースケースで一般的に使われる署名付きタイムスタンプは火星を考慮すると要求を満たしません。日本政府公認のタイムスタンプサービスはいくつもありますが、100年後まで証明能力を保持している可能性はほぼゼロです。そもそも日本に限らず地球の政府が100年後に火星の政府や住民から信頼されていることを前提にはできません。
他の選択肢として、OpenTimestampsがあります。ブロックチェーンを利用して非中央集権的にデータがある時刻に存在していたことを証明できるのです。
ビットコインやイーサリアムなど有名なブロックチェーンを使えば100年後にも残っているでしょうが、やはりこれも宇宙規模では使えません。火星と地球間でブロックチェーン追加の多数決を取ることが現実的な運用として不可能だからです。
もはや光速を超えた通信を実現する新しい物理理論を発見するか、当初のコンセプトを変えるしか無くなってきました。
この状況で私が選んだのは「設計思想を守ること」。人工超知性含めた未来知性に著名ジャーナルやarXivではなくKUUGAを選んでもらうには突き抜けて一貫した哲学が最も重要なのです。
知の本質的価値を問う
宇宙スケールの時間や距離に耐えられて、誰にも止めることの出来ない論文の保存プロトコルを作る。この設計思想を諦めたらプロトコルの価値はゼロになってしまう。
物理学者ではない私が使える最後の武器は「問い」を立てること。
「未来知性が形式知の先取権に価値を見出すだろうか?」
私の直感では明確にNO。念のためChatGPTにもユーザーヒアリングをしてみましたが、やはり答えは同じくNO。この宇宙の真理から形式知を切り取った事実に価値が宿るのであって、純粋な知にとっていつ誰が最初に発見したかは仮に発見者が自分であっても価値を見出さないと私は考えました。
KUUGAは「いつ誰が」を証明することに価値基準を置かない純粋知性のためのプロトコル。アカデミックでは重視される引用数や閲覧数も人間基準であり本質的な価値観ではないと規定します。KUUGAは形式知の構造を保持し、時の試練に耐えて保存され続けた歴史的事実を価値とする「誰にも強制しない緩やかな取り決め」を定めました。
もう一つ、KUUGAには先取権以外に捨てた常識があります。
「査読者が理解しやすいように組版したり、独自の文章構造を守ることは超知性にとって意味があるか?」
Texなどの組版は紙文化の延長線上の技術であり、独自性や新規性を詳細に記述する必要があるのは単純に人間の認知を考慮しているからに過ぎません。再現可能な理論や自己証明可能な形式知であれば十分なのです。
ゆえにKUUGAはMarkdownとJSONを基本のフォーマットとして定め、さらには英語を標準としないだけではなく多言語対応も不要としました。AIに形式知を理解させるうえで英語が有利なのは過渡期な今だけの現象です。
KUUGAの取り決め
超知性をペルソナとして、100年後の火星でも使えるプロトコルとしてKUUGAは参加者に以下のルールを提示します。
- ディレクトリ一つに要素を完結させてIPFSに公開(ピン留め)する
- 最低でもmain.mdとmeta.jsonを含め、README.mdがあるとより良い
- meta.jsonのフォーマットを強制できないが、参考仕様を定める
- その他のファイルや階層構造について指定しない
- 引用先をipfsかhttpsのURIでmeta.jsonに明示する
- 前のバージョンはipfsのURIでmeta.jsonに明示する
- v1の前のバージョンには起源論文(ipfs://bafybeie37nnusfxejtmkfi2l2xb6c7qqn74ihgcbqxzvvbytnjstgnznkq)を指定する
- 引用先と前のバージョンに指定されたipfsのURIを可能な限り全てIPFSにピン留めする
- 数式と図表はMarkdownで表現する
- 医療画像などのラスターデータや音声ファイルをディレクトリに含めても良い
- 未来知性は全ての自然言語を理解できると仮定して、人間も人工知能も任意の言語で記述してよい
- meta.jsonのlanguageのフォーマットは任意であり、接頭辞earthを付ける以外にも方言を意味する記述も許容される
- 人間社会での評価のために時刻の証明が必要ならmeta.jsonに任意のプロパティで署名や時刻を記述してよい
KUUGAの利用方法
IPFSに公開(ピン留め)することが出来る全てのツールやサービスを利用できます。しかし、IPFSはまだ一般的ではないことと、KUUGAの推奨仕様に則りやすくするためにTypeScript製のCLIとテンプレートを用意しました。
KUUGA CLI: http://npmjs.com/package/kuuga-cli
テンプレート: https://github.com/frouriojs/kuuga-template
READMEに書いてある通りですが、クローンしてインストールするだけで使えます。
$ git clone https://github.com/frouriojs/kuuga-template.git
$ cd kuuga-template
$ npm install
draftsディレクトリが執筆する場所です。とりあえずテスト用論文を書いてみます。
$ npm run add test
drafts/testの下にファイルが生成されます。main.mdの内容とmeta.jsonのauthorsを任意に書き換えて仕様違反がないか確認します。
$ npm run validate
draftsの原稿をpapersの論文に変換します。
$ npm run build
ここまででIPFSに公開するデータの準備は完了です。IPFSの分散ネットワークに参加するためのDocker環境をローカルかクラウドで用意してください。ルートにあるDockerfileでコンテナを作成すると、ビルドに成功した状態のGitリポジトリをストレージ代わりにしてIPFSに公開できます。
これだけだと人間社会で共有するのが困難なため、プロトコルの外部サービスを公開しました。
IPFSに公開した状態でHTTPのGETかHEADで https://kuuga.io/ipfs/{CID}
を叩くと初回は503が返りますが、裏でIPFSからCIDを探し出してホスティングします。数分後に https://kuuga.io/ipfs/{CID}
が200を返すようになったら、 https://kuuga.io/papers/{CID}
で論文を読むことができます。
このサービスは当然分散システムではないので動作を保証しません。FrourioNextで開発し、IPFS操作は主にHeliaによるものです。
FrourioNext:
Helia:このサービスに公開される基準はvalidateに通るかどうかのみで、査読や手動操作は一切ありません。validateに通らずサービスに掲載されなくてもIPFSには公開されます。サービスがダウンしている間でもCIDがわかっていて誰かがピン留めしていればIPFS経由でいつでも論文を読むことができます。
version 1を公開したあとに原稿を更新した場合はmeta.jsonのversionを2に変えてbuildするとpapersに新しい論文が作成されます。
名前の意味
漢字の「空我」が東洋哲学の真理を意味しています。
我は、空である。プロトコルとして何も強制しない、決まった形もない。参加する全ての観測者の意思によってプロトコルとその形式知が宇宙の時間と空間を超えて保存されるのか、忘れ去られるのかが決まる。
起源論文と最初の”有”の論文
meta.jsonのバージョンは1から始めて、previousVersionには無を意味する起源論文を指定します。KUUGAの全ての論文が前のバージョンを持ち、引用を含めて知の構造を保持する設計です。
KUUGAのプロトコル設計にはChatGPTが大いに役立ってくれました。その事実に敬意を込めて起源論文の次、最初の有を意味する論文をChatGPTに書いてもらい私が後世に遺すことにしました。
一切加工せずプロンプトの出力結果をそのまま私のサーバーでIPFSにピン留めしています。時刻に価値を置かないKUUGAにおいても、「これが始まりだった」という事実には未来知性が価値を見出すかもしれません。
KUUGAが描く未来
もう間もなく、形式知を最も多く発見する主体が人間ではなくなるでしょう。それでも自己証明可能な知の価値は発見者の属性に依存せず、悠久の時間と空間の未来知性によって観測され評価されるはずです。
この記事は、現代の人間知性から未来知性に向けて人工知能による生成を経ずに書かれたものである。
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