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そもそもそれをやる意味って何ですか?って投げかける覚悟はできてるか?俺はできてる
「そもそもそれをやる意味って何ですか?」って結構勇気のいる問いかけだと思います。
でもこの言葉を投げかけたことによって業務効率が上がることもあると思います。
でも業務効率が下がることもなきにしもあらずだと思います。
最近はそもそも何で?という疑問が頭によく浮かんでくる思考になってきたのですが、やりすぎはよくないと反省をしております。
この問いかけを投げるなら、どんな覚悟をするべきなのか理想と現実を言語化し、最後に覚悟するためのヒントをまとめてみました。
この言葉を投げたくなる場面
- それをやる目的がハッキリせず、納得感が得られないので本音ではやりたくないとき
納得感が得られないのは
- それをやる目的がハッキリしない
- それを非効率だと思っているから
- それをやったあとの効果を感じられると思えないから
理想
そんな問いかけがされる時点で間違っている!
- 目的がハッキリしていないことがタスクとして落とし込まれているのがおかしい
と思いたいが
- 起案者から見れば内容は自明という認知バイアスが働くため、目的や経緯が欠落することはある
- 組織という構造上、具体の依頼内容が要約される過程で目的が欠落してしまうこともある
- 100人が同じ文章を読んで同じ捉え方をするわけがない
なので現実として100%正すことは不可能です。
どうすればいいか
- 自分が納得感を得られるまで情報を集め(誰かを問い詰め)て、目的をハッキリさせる
別案の提案
- 目的がハッキリすればもっと効率の良い方法が見つかったり、そもそもその作業自体不要だったとなるかもしれない
効果が目に見える
- 効果測定ができる環境があり、それの効果を目に見えて確認できる
現実でのあるある
そもそもその問いかけができるか
- 心理的安全性の低い組織では難しい
その問いかけが批判的と捉えられる可能性
- 「そもそもそれをやる意味って何ですか?」これをそのまま問いかけると大半の人には批判的に聞こえる
納得感
- 納得感は得られるかもしれないし、どこまで突き詰めても得られないかもしれない
時間的制約
- 納得感を得るまでに至る時間はそれなりにかかるかもしれない
- 自分が納得するためだけに他の人を巻き込んで時間を使ってしまうこともあるかもしれない
- そもそもその問いかけをする暇がないかもしれないし、その問いかけをすることすら忘れるかもしれない
認知的節約
- 人間は本能的に認知的節約を行う生き物である
- なぜやるのか?根本的な問いを立てて思考することは、エネルギーを大量に消費する
- 決められたことをやる方が精神的負担は少ないので、わざわざ問いかけることに抵抗がある
効果測定ができない
- 効果測定のための土台が構築されていないと、やっても効果を測定することができない
- タスクはやりっぱなしの状態になりがち
覚悟のためのヒント
頭に思い浮かんだら問いかけてしまえ
- 時間的制約があるとどうしても視野が狭くなってしまうし、余計なことはしたくなくなってしまうが、問いかけをするくらいなら数分でできるはず
- 時間が経過すればするほど「なぜ今さら聞くのか?」という心理的負債が蓄積する
もちろん言葉は選ぼう
- 「このタスク、やる意味あるんですか?」(もちろんNG、批判的すぎる)
- 意味を直接的に聞くよりタスクが生まれた背景を聞いたほうがいい
起案者自身が目的を言語化できていないときは
- 「誰に」「何を」「どのように使うか」など具体的な事実は答えやすいので質問してみる
- そこから、目的を推察することはできる
納得感が必ず得られると思うな
- どこまでいっても納得できないことだってある
- 自分だけが納得していなくてもそれに時間をかけすぎても仕方がない
- Disagree & Commit の原則に従おう
効果測定が重要だと思いすぎるな
- 納得感が必ず得られると思うなに近いが、さくっと改善できてしまうことはさっさと改善した方がいいに決まっている
- 効果測定を求めすぎても、効率が悪い場合もある
問いかけを投げたという主体性は必ず持とう
- 議論を掻き乱しかけているのは事実なので、議論の行く末をまとめる責任は必ず持とう
それでも問いかけしずらい
- 心理的安全性が低すぎ説
- 頼りやすい仲間から味方を増やしていくのがいいかもしれない、壁打ち相手になってもらおう
最後に
やっぱり「そもそもそれをやる意味って何ですか?」って結構勇気のいる問いかけですが、この問いかけをしたことで良かったこともあれば、悪かったことももちろんあります。
ですがやりっぱなしではなく、タスクが生まれた経緯を知り、できるだけ納得感を持ってタスクをこなしていきたい所存です。
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