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tz databaseにおける18分59秒に関する元資料まとめ

2023/04/16に公開

たまたま 18分59秒をめぐって日本標準時の歴史をひもとくことに

という記事を読んだ。この記事の中に参考文書としていくつか上がっていたが、実際の資料にまではあたってないとのことだったので、検証してみた。

簡単な背景説明

  • tz databaseでは、1887年の12月31日までは +09:18:59 というオフセットで 定義されている
    • この根拠となるのが 1996年の理科年表とのこと
  • 一方、国立天文台の 暦Wiki には 東京天主台の経度を139°45′17.0″=9時19分1.13秒 とあり、+9:18:59とは2秒異なる。

1996年理科年表

1996年の理科年表がこの写真です。

1996年の理科年表

東京都港区麻生台2-1にあった旧東京天文台の大子午儀の中心跡を指しており、その位置は東経9h18m58.727s(139°44'40".9)、北緯 35°39'16".0である。

とあり、tz databaseの記述は正しいことが確認できました。

なお、図書館で確認できた最古の理科年表である昭和43年(1968年)の記述は以下の通り(禁貸出かつ図書館内撮影禁止なので写真はありません)

次の説明にある旧東京天文台とは、東京都港区飯倉旧東京天文台、詳しくいえば同台大子午儀の中心跡のことで、その位置は東経9h18m58.727s(139°44'40".9)、北緯 35°39'16".0である。

とあり、少なくともこの時点では9h18m58だと説明があります。なお、今年2023年の理科年表にはそもそも旧東京天文台に関する記述はありませんでした。

そしてこの時刻が「標準時」であるとの記載はありませんでした。

星の古記録

tz databaseの1888年以前の時差は2秒ずれてる? という記事には以下の記述があります。

次のサイトでも、「星の古記録」という本に1888年以前の時差は9時間19分1秒ということが書いてあったという記述があります。
すのものの「いろいろ」(その4)

斉藤国治「星の古記録」(岩波新書、1982)の 195 ページによれば、 現行の日本標準時が採用されたのは 1888 年 1 月 1 日だそうだ。 それまでは旧江戸城本丸跡中央気象台の地方平均太陽時を使っており、 両者の差は 19 分 1 秒、とのこと。

この「星の古記録」もあたってみました。

星の古記録195ページ

もっとも当時国内では一般に、東京(詳しくは旧江戸城本丸跡中央気象台)の地方平均太陽時が使われていた。本文中に出てくる時刻もみなこれをつかっている。東経135度(兵庫県明石)の子午線の平均時をもって、本邦一般の標準時と定めたのは、明治21年1月1日以降のことで、東京時との時差は19分1秒である。

たしかに19分1秒との記載がありました。

暦wikiをもう一度

東京天文台設立に至るまで には以下の記載があります。

- 一方、内務省地理局は編暦担当部署としてのみならず、地図作成・測量 (国土地理院 [外部サイト]) の基準としてやはり観象台建設を目指していました。
  - 明治10年11月 赤坂葵町で観測を開始、明治14年06月には旧本丸天守台に測量台建設が認められます。
  - しかし、この計画を聞いた海軍の柳水路局長は、海軍観象台と同じようなものを新設するのはムダであると猛反発、天守台には測量課事務所(のち内務省地理局観象台)が設置されました。

また、

- ところが、明治21年に柳水路部長が引退すると事態は急変を迎えます。
  - 同年6月 海軍観象台の事業のうち天象観測は文部省へ、気象観測は内務省へ (気象庁 [外部サイト])、内務省の暦書編纂も文部省へ移管されます。
  - そして、海軍観象台のあった麻布区飯倉町の地に東京天文台 (現在の国立天文台) が誕生しました。

とあり、旧東京天文台の位置は正しそうです。

まとめ

結論としては元記事と同じく以下の通りかと思います。

  • 東京標準時は東京天主台(=旧江戸城本丸跡中央気象台)の19分1秒を使っていた
  • 理科年表は旧東京天文台を基準に記載していた。これ自体は整合性が取れてるので問題ない
  • tzdataが理科年表の記載の時刻を東京標準時と勘違いして記載したのでは
  • つーか、ぶっちゃけそんな昔のしかも2秒程度の差なんて気にしなくていい

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