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スタートアップのための「ちょうどいい」プロダクト開発ドキュメントを調べて整理してみた

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はじめに

スタートアップの開発現場では、スピードが最優先されるあまり「とりあえず実装してリリース」という進め方になりがちです。もちろん初期はそれでも良いのですが、プロダクトが成長するにつれて「なぜこの機能を作ったのか」「どのユーザー課題を解決するためだったのか」「どういう経緯で設計判断をしたのか」といった背景がチームから失われがちです。その結果、認識の齟齬や意思決定の重複、同じ失敗の繰り返しといった非効率が発生します。

私自身もエンジニアとして個人開発(1人) -> 社員数5名規模 -> 30名 -> 100名という環境で開発してきた経験があるため、この課題は身にしみて理解しています。

一方で、大企業のように重厚長大なドキュメントを揃えてしまうと、スタートアップにとっては過剰でフットワークの軽さを阻害してしまいます。では、スピードを保ちつつ、必要十分なドキュメントで開発プロセスを整備するにはどうすれば良いのでしょうか?

そこで今回は、Google, Amazon, Metaなどの実際のプラクティスを調査しながら、スタートアップでも活用できる「ちょうどいい」ドキュメント体系はどんなものかを整理しました。それが MRD → PRD → エピック → ユーザーストーリー → 設計ドキュメント(Design Doc) → タスク という流れです。一見すると要素は多く見えますが、それぞれをシンプルにまとめてフローに沿って作成すれば、過剰にも不足にもならず機能します。

本記事では、このドキュメント階層ごとの役割と違いを、アウトカム(成果)やユーザーベネフィット(利用者への価値)、技術的知見の観点から整理します。また、GoogleやAmazon、Metaなどビッグテックで実際に採用されている事例やプラクティスも紹介しつつ、スタートアップのPMやエンジニアが現場で活用できる実践的ガイドを提示します。


ドキュメント階層の概要

まずはプロダクト開発における主なドキュメントの全体像を押さえましょう。それぞれの文書が担うレイヤーと焦点は以下の通りです。

  • MRD (Market Requirements Document、マーケット要求ドキュメント): ターゲット市場やユーザー課題、ビジネス機会を定義する文書。プロジェクトの大枠となるアウトカム(市場で達成したい成果)とユーザーニーズを明確化します。
  • PRD (Product Requirements Document、プロダクト要求ドキュメント): 解決すべきユーザー課題に対し、どのような製品機能で応えるかを記述する文書。プロダクトの目的や主要機能、ユーザーへの提供価値を示し、ビジネス・開発双方のチームを製品ビジョンに沿って束ねます。
  • エピック (Epic): プロダクトの大きな機能開発テーマやユーザーストーリー群をまとめたもの。複数スプリントにまたがる大規模な作業単位であり、具体的なユーザーベネフィットや事業目標にひも付いたアウトカムを表します。
  • ユーザーストーリー (User Story): エピックから分割される、ユーザー視点で書かれた機能要求の最小単位です。エンドユーザーが何を達成できるか(ユーザーベネフィット)を一文で表現し、その価値と受け入れ基準を記述します。
  • 設計ドキュメント (Design Doc): 仕様やアーキテクチャなど、機能を実装するための詳細な技術設計をまとめた文書。重要な技術的意思決定やトレードオフ、実装戦略を事前に共有し、合意形成と品質担保を図ります。
  • タスク (Task): ユーザーストーリーを実現するために開発チームが遂行する具体的な作業項目。設計・実装・テストといった技術的ステップに落とし込まれ、担当者ベースで管理します。

以下では、各ドキュメントについて役割や内容、他文書との関係を詳しく解説し、適切な運用方法を示します。


MRD: 市場要求ドキュメントの役割と内容

MRD(Market Requirements Document)は製品企画の起点となる文書で、狙う市場の定義や顧客の課題、ビジネスチャンスを整理します。

主に以下の内容を含みます:

  • ターゲット市場の明確化: 狙う市場セグメントやユーザー層の定義(実際のユーザーインタビューをベースにしたペルソナ設定など)
  • ユーザープロファイルと課題: 代表的なユーザー像と、そのユーザーが直面している痛みや問題・ニーズ
  • 市場機会と課題のエビデンス: 市場規模、競合状況、現在のギャップや未解決のユーザーニーズに関する調査データ

MRDの目的は、「誰のどんな問題を解決するか」を組織で共有し、プロダクトの方向性に対する合意形成を得ることにあります。MRDは往々にして経営陣やマーケティング、営業などビジネス側のステークホルダーにも読まれるため、技術的詳細ではなく市場視点でのアウトカムを強調します。「市場で達成すべき成果(例:特定セグメントのユーザー満足度向上や新規顧客○○人獲得)」がこの段階で定義され、後続のPRDや開発項目の土台となります。

MRDは形式も様々で、Word文書からWiki、スプレッドシートまで組織に応じて作られます 。重要なのは文書の体裁ではなく、記載された市場要求が明確で焦点が定まっていることです。「若年層ユーザー」程度の表現では曖昧さが残るため、少なくとも 「属性 × 状況 × 課題」 が分かる粒度が望まれます。例えば、「市場要求: 都市部在住の20代前半の大学生ユーザーが、モバイルアプリで商品をカートに入れるものの、決済入力が煩雑で購入完了前に離脱している」という課題をMRDで特定すれば、それが次のPRD以降で解くべき問題の出発点になります。

ビッグテックにおけるMRDの活用

GoogleやAmazonなどのビッグテックでも、新製品立ち上げ時にはMRDに相当するプロセスがあります。例えばAmazonでは、製品開発の最上流でプレスリリース+FAQ(Press Release/Frequently Asked Questions, PRFAQ)形式の文書を作成します。これは「発売日に出すプレスリリース」を想定して顧客視点の価値をまとめ、さらに想定質問への回答で市場ニーズとソリューションを掘り下げるものです。AmazonのPRFAQ方式は「顧客から出発して逆算する (Working Backwards)」手法とも呼ばれ、市場・顧客起点で要求を定義するアプローチとして知られています。このように、形式こそ異なれど「市場の声を起点に製品要件を導く」というMRDの役割はビッグテックでも重視されています。


PRD: 製品要求ドキュメントで何を示すか

PRD(Product Requirements Document)は、MRDで定義した市場・ユーザー課題を解決するために具体的にどんなプロダクトを作るのかを示す文書です。言い換えれば、MRDが「課題の定義書」だとすれば、PRDは「解決策の仕様書」に相当します。PRDには通常、以下のような項目が盛り込まれます :

  • プロダクトの目的・ゴール: プロダクトや機能開発のビジョン、達成したい目標(例:「モバイル購入フローの改善により離脱率を20%低減する」)。
  • 主要機能とユーザーシナリオ: どのような機能群でユーザー課題を解決するかを列挙し、それぞれの機能の目的やユースケースを記述 。ユーザーフロー(画面遷移や操作ステップ)やUIモックアップも含め、ユーザーが製品をどう使うか具体的に示します 。
  • 機能要件・非機能要件: 各機能の詳細な要件(例:入力項目やエラーハンドリングの仕様)や、性能・セキュリティ・互換性など技術上の制約条件。
  • 受け入れ基準: 開発した製品/機能が受容可能と見なされる条件(例: 「ユーザーが3ステップ以内で購入を完了できること」など)。
  • 制約と依存関係: 前提となる他システムや技術的制約、開発上の前提条件。

PRDの重要な役割は、「プロダクトチームとステークホルダーの共通認識を作る」ことです。Atlassian社の定義によれば、PRDはプロダクトの目的・特徴・機能・挙動をまとめ、ビジネスチームと技術チーム双方の道しるべとなる文書です(atlassian.com)。適切なPRDがあれば、関係者全員が「何を作ろうとしているか」「その製品が誰にどんな価値を提供するか」を理解でき、開発・マーケ・営業が一丸となって動けます 。

MRDとPRDは混同されがちですが、MRDが定義した市場ニーズに対し、PRDはそれを満たす製品機能を描くというように役割が明確に分かれています 。Kickmaker社のガイドでは、「MRDは上流で顧客ニーズを定義しPRDの土台となる。PRDはプロジェクトの技術的・機能的仕様一覧である」と説明されています 。つまりMRD=何を解決すべきか、PRD=どう解決するかと言い換えることができます。(kickmaker.fr

PRDと設計ドキュメント(Design Doc)の境界

PRDは製品要求をまとめる文書ですが、実際の開発ではさらに詳細な技術仕様書(設計ドキュメント: Design Doc)が別途作成される場合があります。両者の違いについて、Kickmaker社の解説が参考になります。(kickmaker.fr

  • PRD: 機能側と技術側のちょうど境界に位置し、実現方法の高レベルな方向性を含む(マーケティングなど非技術部門もドラフトに関与)。製品として何を実現するかを記述。
  • 設計ドキュメント(Kickmaker社ではスペックと読んでいる): PRDで提示された解決策を「どのように実装するか」という技術的回答を具体的に示す文書 。設計パターンやアーキテクチャ、アルゴリズム、データ構造などエンジニアリング面の詳細を扱います。

PRDはプロダクトマネージャー(PM)が中心となり作成しますが、技術設計はエンジニア主導で作成されるケースが多いです。ただし両者は連携しており、PRDの段階で高レベルの技術的方向性・制約を示すことで(例えば「モバイル決済には外部サービスXを利用予定」など)、後続の詳細設計がスムーズになります 。

補足: Design Docという言葉の使い分け

ここまで「設計ドキュメント」を Design Doc と呼んできましたが、実務では会社やチームごとに呼び方が異なります。指している中身はほぼ同じでも、文化やプロセスによって名称が違う点に注意が必要です。

  • Google: 「Design Doc」と呼ばれ、コード実装前に設計戦略・トレードオフ・代替案を記述し、レビューを経て合意形成する文化が定着しています(Googleのソフトウェアエンジニアリング)。
  • Microsoft: 「Technical Design Document」や「Functional & Technical Specification」と呼ばれ、さらに意思決定ログとして ADR (Architecture Decision Record) の利用を公式に推奨しています。
  • Spotify: 「RFC(Request for Comments)」や「Tech Spec」という形で設計ドキュメントを作成し、問題記述→提案→代替案の流れでレビュー・承認を行うスタイルを採用しています。
  • Kickmaker: 記事中の「Spec(スペック)」という呼び方は、上記のDesign Doc/Tech Spec/RFCとほぼ同義です。

つまり、PRDで「What / Why(何を作るか、なぜ作るか)」を定義した後に、Design Doc/Tech Spec/RFCで「How(どう作るか)」を具体化するという構造自体は共通しています。違うのは呼称やドキュメント文化のニュアンスです。

ビッグテックにおけるPRDの実情

GoogleやAmazonをはじめ、多くの大企業でもPRDはプロダクト開発プロセスで重要な位置を占めています。例えばGoogleのプロダクトマネージャー達は新機能開発時にPRDに相当するドキュメントを作成し、チームと共有する文化があります。Amazonの場合、前述のPRFAQドキュメントがPRDの役割を果たし、顧客価値とそれを実現する機能概要を一体の文書でまとめています(blog.logrocket.com)。これにより、関係者全員が早期から「何を作るか」「なぜそれが顧客に価値があるか」を理解した上で開発が進められます。

一方、Meta(Facebook)など一部の企業では、近年従来型の長大なPRDに頼らないケースもあるようです。実際にFacebookのPM同士の会話で「標準のPRDテンプレートはありますか?」という問いに対し、「もう4年間もPRDは書いていない」と答えた例もあるようです(Richard Holmes)。これは、プロダクト要求をよりアジャイルかつコラボレーティブに扱う傾向を示しています。例えば要件の多くをユーザーストーリーやプロトタイプ上で直接議論・反映し、ドキュメントを簡素化するアプローチです。ただし、たとえ形式が変わっても「チーム内で要求を明確に定義し共有する」こと自体は欠かせません。スタートアップではまずPRDという形で明文化することで、混乱のない開発基盤を築けるでしょう。


エピック: 大きな成果を示す開発テーマ

エピック(Epic)は、アジャイル開発における大規模な要求の単位です。複数のユーザーストーリーやタスクをまとめ上げる上位概念であり、一つのエピックが一つの大きなユーザーベネフィットやビジネス成果(アウトカム)につながります。

  • エピックの規模と範囲: Atlassianの定義によれば、「エピックは複数の小さなストーリーに分解できる大きな作業のまとまり」であり、しばしば複数チーム・複数プロジェクトにまたがることもあります 。エピック一つを完了するには通常複数のスプリント(数週間以上)が必要となります 。
  • エピックの目的: エピックには共通の目的や成果が設定されます。例えば「モバイル購入フロー最適化」というエピックであれば、「購入手続きの時間短縮によるコンバージョン率向上」といった具体的な成果目標が据えられます。そのエピックを完了することで、製品やビジネスに明確な価値が生まれるように定義します。
  • エピックからストーリーへの分解: エピックは大きすぎて一度に実装できないため、開発チームはこれをユーザーストーリーに分割します 。分割の観点はいくつかあります。ユーザーペルソナごとに機能を分ける、操作フローのステップごとに分ける、技術要素ごとに分ける、などです 。重要なのは、各ストーリーがエピックの目標達成に寄与することです。エピックとストーリーの階層により、日々の開発作業(ストーリー)が常に上位のビジネス目的(エピック)と紐づくようになります 。

エピックはプロダクトロードマップ上のテーマとも連動します。複数のエピックが集まってプロダクトのイニシアチブ(取り組み)を構成し、さらにそれらが事業の戦略目標(テーマ)を推進する構造です 。例えば「モバイル経由の売上拡大」がテーマなら、それを実現するイニシアチブとして「購入体験向上」があり、その下に「購入フロー最適化」エピックと「レコメンデーション改善」エピックが存在する、といった具合です。エピックは戦略と開発現場をつなぐブリッジといえます。

エピックの実例

Atlassianのたとえでいうと、2050年の架空の宇宙旅行サービス会社の例では、「3ヶ月で宇宙旅行打ち上げ数を3回から4回に増やす」というビジネス目標(テーマ)があったとします。その下に「2050年3月の観光ロケット打ち上げ」というエピックを設定し、そのエピックには様々なユーザーストーリーが含まれます 。例えば:

  • ソフトウェアチーム向けエピック「2025年3月打ち上げ – チケット購入体験」
    • ストーリー: 打ち上げ日程に「2025年3月」を追加する
    • ストーリー: フライト一覧の読み込み時間を0.45秒以下に短縮する
    • ストーリー: ファーストクラス予約確認ページに「土星サマーセール」を表示する
  • 推進チーム向けエピック「2025年3月打ち上げ – ロケット推進性能」
    • ストーリー: 燃料タンク圧力を常時250 PSI以上に維持する
    • ストーリー: 燃料消費率を1%削減する
    • ストーリー: 新しい推進エンジニアを採用する

このように、一つのエピックに異なる側面からのストーリーが集まり、最終的にエピック全体で「3月の打ち上げ成功と顧客満足度向上」というアウトカムを達成するわけです(atlassian.com)。


ユーザーストーリー: ユーザー価値を一つひとつ描く

ユーザーストーリーは、アジャイル開発における要求記述の基本単位です。ユーザー視点で書かれ、ソフトウェアが提供すべき価値をシンプルに表現します。一般的にユーザーストーリーは次のような特徴を持ちます。

  • ユーザー視点の記述: ユーザーストーリーは「~できる」という形式で、特定のユーザー(またはペルソナ)が達成したいことを一文で記述します(例:「私(ペルソナ)はモバイルアプリで商品をカートに追加して購入手続きを完了できる」)。これはエンドユーザーにとってのゴールを表しており、単なる機能説明ではありません 。実際、Atlassianは「ユーザーストーリーは機能ではなくエンドゴールであり、利用者の視点から表現される」ものだと述べています。
  • 価値の明示: ユーザーストーリーの目的は、その機能がユーザーにどんな価値をもたらすかを伝えることです 。例えば前述のストーリーなら、「購入手続きを完了できる」こと自体がユーザー価値(簡単に買い物ができる利便性)です。ストーリーには受け入れ条件も付随し、「何をもってこのストーリーが完成したとみなせるか」をチームで共有します。
  • 開発の最小単位: ユーザーストーリーは1スプリント内(通常2週間程度)で完了できる最小の機能単位となるようサイズを調整します。大きすぎる場合はさらに細分化してスプリント内で実装可能にします。ユーザーストーリーは短期間でユーザーに価値を届けることを重視するアジャイルの思想と一致しています。

ユーザーストーリーはプロダクトバックログに蓄積され、優先度に従ってスプリント計画に取り込まれていきます。ストーリーごとにポイントなどで見積もりを行い、スプリント内で実現可能かどうかを判断します。ストーリーはINVEST原則(独立性、一貫性、価値、見積もり可能、適切なサイズ、テスト可能)を満たすよう記述することが推奨されます(visual-paradigm.com)。

ビッグテックでも、日々の開発タスク管理にはこのユーザーストーリーの概念が根付いています。GoogleやMetaといった企業もアジャイル開発を取り入れており、Jiraなどのツールでストーリー単位のチケット管理を行うチームが多数あります(実際、Twitter社がJiraを採用しストーリーとエピックでタスク管理している例も公式に紹介されています(atlassian.com)。ユーザーストーリーによって、「なぜこの実装をするのか」という文脈をエンジニア一人ひとりが見失わずに済む点が大きな利点です。スタートアップでも、どんな小さな機能であってもユーザー価値の観点からストーリー化する習慣をつけると、チーム全体でユーザー志向を保ちやすくなります。


設計ドキュメント(Design Doc): 技術的知見の結晶

設計ドキュメント(Design DocまたはTechnical Specification)は、主にエンジニアリングチームが作成する技術設計のドキュメントです。大きな機能を実装する前に、システムの構造やアプローチを整理し、チーム内外からフィードバックを得るために用いられます。Googleをはじめ多くのテック企業で、この設計ドキュメント文化が根付いています。

設計ドキュメントの目的

Googleのエンジニアによる記事では、「Googleのソフトウェア開発文化の鍵となる要素の一つが設計ドキュメントの活用である」と明言されています(industrialempathy.com)。設計ドキュメントはコーディング開始前に作成される非公式な文書で、ソフトウェアシステムの高レベルな実装戦略や主要な設計判断(トレードオフ含む)を記録します 。要するに、コードを書く前に問題と解決策を高い視点で整理し、最適解を考える場として機能します。

設計ドキュメントの具体的な効用には次のようなものがあります :

  • 早期の問題発見: 実装に入る前に設計上の懸念点を洗い出し、致命的な問題を事前に潰せます。仕様の抜け漏れや非現実的要件もこの段階で浮き彫りになります。
  • 組織内合意形成: 提案するアプローチについて、関連するエンジニアや他部署と議論・レビューし、コンセンサスを得られます。特に大規模組織では、横断的な影響を確認し調整するための有効なコミュニケーション手段です。
  • 設計の記録と継承: ドキュメントとして残すことで、なぜその設計に至ったかという組織の記憶になります。将来、新メンバーがプロジェクトに参加した際や、別チームが関連部分を扱う際にも、過去の判断根拠を辿ることができます。Googleの例では、設計ドキュメントがエンジニアの技術的ポートフォリオの一部として機能し、ナレッジ共有に役立っているそうです。

設計ドキュメントの書き方と内容

設計ドキュメントに厳格な決まりはありませんが、Google内で醸成された有用な構成が参考になります(industrialempathy.com)。典型的には以下の項目が含まれます。

  • コンテキストとスコープ: 解決しようとする問題の背景やシステムの全体像を簡潔に説明します。読者が前提知識を共有できるようにするパートで、MRD/PRDで記載された要件を技術者向けに再確認する役割も果たします。
  • ゴールとNonゴール: その設計で達成すべきこと、および明示的に対象外とすることを箇条書きにします 。後者(非目標)も重要で、「将来的には検討しうるが今回の範囲からは外す事項」を明文化しておくと、議論の焦点が定まりやすくなります。
  • 提案する設計の詳細: システム構成やデータフロー、主要なアルゴリズムなどを記述します。可能であれば図解(システム構成図、フロー図)も用いて、関係者が全体像を把握できるようにします。Googleの推奨では、コードや詳細すぎる定義は貼り付けず、トレードオフに焦点を当てることが重要とされています 。
  • 代替案の検討: 採用しなかった他のアプローチも列挙し、それぞれの長所短所や不採用理由をまとめます。これにより、レビューする人が「なぜ別の方法ではなくこの設計なのか」を理解しやすくなり、議論も深まります。
  • クロスカッティングな考慮事項: セキュリティやパフォーマンス、運用、国際化など、横断的に影響する事項についても触れます。これらは個別のタスクでは見落とされがちですが、設計段階で網羅しておくことで後からの手戻りを防ぎます。

設計ドキュメントは一度書いて終わりではなく、レビューと改善のプロセスが重要です。Googleでは設計ドキュメント作成後、関係エンジニアによるレビュー会を開きフィードバックをもらう習慣があります。この過程で設計がブラッシュアップされ、皆が納得した上で実装フェーズに入れるのです。Hampus Wessman氏の記事によれば、Googleや他のビッグテックではこうしたライトウェイトな設計ドキュメントによる設計ディスカッションがアジャイル開発と両立する形で行われています(hampuswessman.se)。

スタートアップにおける設計ドキュメントの活用

スタートアップでも、実装が複雑な機能や初めて扱う技術領域では、設計ドキュメントを書くことをおすすめします。前述のスパイク的な「調査タスク」を設け、1〜2日で設計ドキュメントを下書きしてみるのも良いかもしれません。設計ドキュメント執筆自体をバックログの一項目(タスク)として計画に入れ、スプリント内でレビューまで済ませてしまえば、以降の実装タスクが格段に進めやすくなります 。このように「必要になった時に、必要なだけ設計する」というアプローチは、俊敏さと計画性のバランスを取る上で非常に有効です。

実例として、もし「モバイル購入フロー改善」のエピック内に「Apple Payによるワンタッチ決済対応」というユーザーストーリーがあれば、これに対する設計ドキュメントを作成する価値があります。文書では、Apple Payのトークン処理フローやセキュリティ考慮、バックエンドとの通信手順、失敗時のリトライ戦略などを整理します。短いもので構いませんが、この事前設計があるだけで実装段階の不明点が激減し、チーム内の誰もが安心してコーディングに臨めるはずです。


タスク: ストーリー実現のための技術的ステップ

タスク(Task)は、ユーザーストーリーを実現するために必要な具体的作業項目を指します。ユーザーストーリーが「何を実現すべきか(アウトカム)」に焦点を当てるのに対し、タスクは「どう実現するか(手段)」に踏み込みます。

  • タスクの性質: Visual Paradigmの解説によれば、「タスクはストーリーを完了するための分解された作業であり、『どのようにストーリーを完了させるか』に踏み込んだもの」です(visual-paradigm.com)。例えば「クレジットカード決済機能を実装する」というユーザーストーリーに対し、「決済APIの調査・選定」「フロントエンドのカード情報入力フォーム実装」「バックエンドでの決済トークン処理実装」といった具体的なタスクが考えられます。
  • 担当者視点の記述: タスクは通常、開発担当者が自分で詳細を計画・洗い出して作成します。ストーリーやエピックがプロダクトオーナーまたはユーザー視点で書かれるのに対し、タスクは開発者主体で書かれる点が異なります。ビジネス関係者が読んで理解できる必要は必ずしもなく、技術用語が含まれても問題ありません。
  • 技術的知見の共有: タスク分解のプロセス自体が開発チーム内で要件を技術的に深く理解する機会となります。どのような実装ステップが必要かを洗い出すことで、不明点やリスクを事前に炙り出し、チームメンバー間で認識合わせできます。また、タスクごとに所要時間や見積り工数を算出すれば、ストーリー全体の実装規模感も精度高く把握できます。

タスク管理は多くの企業でJiraやAsana、Trelloといったツールを用いて行われ、各ストーリーの下にタスク(あるいはサブタスク)を紐づける形で運用されます。例えばGoogleの社内でも類似のIssueトラッキングシステムが用いられており、エンジニアは与えられたユーザーストーリー(またはバグ)に対して必要な実装タスクを細分化してチケット化します。こうすることで、「今なすべき具体的作業」と「それが達成するユーザー価値」の双方を見失わずに開発を進めることができます。 (developers.google.com

なお、チームによってはスパイク(Spike)と呼ばれる調査タスクを設けることもあります。技術的に未知な要素がある場合、いきなり実装タスクに入る前にスパイクとして短期的な調査・実験を行い、設計方針を決めるやり方です。スパイクもタスクの一種ですが、純粋な開発作業ではなく知見獲得が目的のタスクという点で区別されます(このあたりは前述の設計ドキュメントとも関係します)。


実例: モバイル購入フロー開発におけるドキュメント階層

最後に、以上のドキュメント体系がどのように実践に現れるかをモバイルアプリの購入フロー改善プロジェクトの例でまとめます。

  • MRD(市場要求): 「モバイル経由の購入完了率が低迷している」という課題を定義し、ターゲットユーザーはスマートフォンから閲覧する20〜30代、問題として「購入フローの途中離脱が多い」ことを特定します。市場機会として「モバイルでのスムーズな購入体験提供により売上向上」が示されます。

  • PRD(製品要件): 「モバイル購入フロー改善」プロジェクトの概要を記載。ゴールは「モバイル購入完了率20%向上」。提供するソリューションとして「3ステップで購入完了できる新UI」「Apple Pay等のワンタッチ決済導入」「購入確認画面で関連商品をレコメンド」など主要機能を列挙します。ユーザーフロー図で、商品選択から支払い完了までの画面遷移を示し、各ステップの要件(入力項目や検証内容)を詳細化します。非機能要件として読み込み速度やセキュリティ要件も含め、チーム全員が何を作るかを把握できる文書となります。

  • エピック: 「モバイル購入フロー最適化」というエピックを設定します。これは上位のビジネス目標「モバイル売上拡大」に紐づく取り組みの一つです。エピックの完了によって「購入完了率向上」というアウトカムを得ることが目標となります。

  • ユーザーストーリー: このエピックを実現するため、例えば以下のようなストーリーが作成されます。

    • 「ユーザーは商品をカートに追加し、3ステップ以内で購入を完了できる」

    • 「ユーザーは支払い時にクレジットカードだけでなくApple Payも利用できる」

    • 「ユーザーは購入確認ページで関連商品の提案を受け取れる」

      各ストーリーには受け入れ条件が設定されます(例:「Apple Pay支払いの場合、Touch ID認証が成功すれば決済完了となる」など)。これらストーリーはそれぞれユーザーにとっての価値(利便性向上や発見性向上)を表します。

  • Design Doc: 特にApple Pay対応の部分については、事前に「Apple Pay導入 Desgin Doc」を作成します。ここではApple Payフローの概略図、iOS/Android各プラットフォームでの実装上の違い、セキュリティ上考慮すべき点(トークンのサーバ送信や検証方法)、既存決済システムとの統合方法などを記載します。Design Docはチーム内のシニアエンジニアがドラフトし、他のメンバーがレビューして修正を加えます。これにより、開発に着手する前に潜在的な問題(例えば「Apple Pay利用には事前にApple側でMerchant認証が必要」等)を洗い出し、対策やスケジュールへの反映を行えます。結果として実装段階での大きな手戻りもなく、短期間で高品質な機能をリリースできます。

  • タスク: ストーリー「Apple Payを利用できる」に対し、エンジニアリングチームは以下のようなタスクを洗い出します。

    • Apple Pay用の認証トークン取得処理をバックエンドに実装する

    • フロントエンドにApple Payボタンを表示し、クリック時にネイティブの支払いシートを呼び出す

    • 決済処理の単体テストケースを作成する

    • Appleのサンドボックス環境で動作検証を行う(スパイク的タスク)

      これらタスクを各担当者に割り当て、進捗をJiraなどでトラッキングします。タスク完了ごとにストーリーの条件が満たされていき、ストーリー全体の完了(=Apple Pay対応機能の完成)となります。

以上のように、この例ではMRDで課題を定義するところから始まり、PRDで解決策を描き、エピック/ストーリーで開発項目に落とし込み、タスクと設計ドキュメントで具体的な実装計画を立てています。各段階が連鎖し補完し合うことで、チーム全体が共通のゴールに向かって効率良く動けるようになります。


おわりに

本記事では、プロダクト開発における代表的なドキュメントとその構造を、スタートアップのPM・エンジニア向けに解説しました。MRDから始まりPRD、エピック、ユーザーストーリー、タスク、設計ドキュメントへと至る流れは、一見手間に思えるかもしれません。しかし、この階層構造がもたらす恩恵は大きいです。

  • 共通認識の形成: 上位レイヤーの文書(MRD/PRD)でビジョンとゴールを共有し、下位レイヤー(ストーリー/タスク)で実行計画を具体化することで、チーム内の認識齟齬を減らし一体感を醸成します。
  • ユーザー価値の追求: 全てのストーリーがエピックやPRDの目的に紐づいているため、個々の実装がどんなユーザー価値に繋がるか常に意識できます。「作ること」が目的化せず、顧客志向の開発を維持できます。
  • スケーラビリティ: ドキュメント体系が整備されていれば、組織規模が大きくなってもプロジェクトの全貌を把握しやすく、新メンバー参画時のオンボーディングも円滑です。ビッグテック各社がドキュメント文化を重視するのも、スケーラブルな開発体制を支える基盤だからです。

もちろん、現代のアジャイル開発においてはドキュメントも「ちょうど良い重み」に調整する必要があります。全てを詳細に書きすぎて非効率になることは避けつつ、要所要所で文章による整理と思考を行うことで、場当たり的ではない計画的なプロダクト開発が可能になります。各社の事例を見ても、重厚な要求仕様書を廃止する動きがある一方で、設計ドキュメントなど軽量な文書による知的生産を取り入れることで迅速さと計画性の両立を図っています。

スタートアップにおいても、小さく始めて大きく育てるプロダクトであればなおさら、初期からドキュメント構造を意識しておく価値があります。ぜひチームの実情に合ったドキュメント運用を検討してみてください。最初は簡潔なメモ書き程度でも、書いて共有するプロセス自体がプロダクトの成功確率を高めてくれるはずです。そして将来チームが拡大しても、土台があれば開発プロセスを健全にスケールさせることができると思います。

参考資料

付録:ドキュメント・テンプレート例(ご自身の組織によって適宜調整が必要です)

1) MRD(Market Requirements Document)

# MRD(市場要求ドキュメント)

## 1. 背景 / 市場機会
- 市場の変化・規制・技術潮流
- 既存プロダクト/競合のギャップ

## 2. ターゲットセグメント & 実在ユーザーとしての根拠
- セグメント定義(属性 × 状況 × 課題)
- 代表3名の実在ユーザー(連絡可能)とヒアリング要約リンク
- コアユースケース/JTBD(Jobs-to-be-Done)

## 3. 問題定義(Problem Statements)
- P1: 課題の一文(誰が・いつ・どこで・なぜ困るか)
- 現状の回避策(Workaround)と痛みの強さ

## 4. 機会規模 / 事業仮説
- 影響指標(売上/コスト/継続率等)と試算
- 仮説(例:入力ステップをN→Mに短縮で離脱率△%改善)

## 5. 成功指標(Outcomes/OKR)
- O: ○○を達成
- KR: 具体指標(例:モバイル購入完了率 +20%)

## 6. 競合/代替
- 競合機能比較表
- 参入障壁/差別化要因

## 7. リスク・前提・制約
- 主要リスクと緩和策
- 法規/ブランド/技術の制約

## 8. Go/No-Go ゲート
- 次フェーズへ進む判断基準(調査完了/ユーザー反応など)

## 付録
- インタビュー記録/調査リンク、ダッシュボード

2) PRD(Product Requirements Document)

# PRD(プロダクト要求ドキュメント)

## 1. 目的・ビジョン
- 誰のどの課題を解決するか(MRD参照)
- 成功指標(OKR / KPI)

## 2. スコープ / 非スコープ
- In: 今回やること
- Out: 今回はやらないこと(非目標)

## 3. ユースケース & ユーザーフロー
- 主要シナリオ(図解可)
- 画面/状態遷移、異常系フロー

## 4. 機能要件(What)
- 機能ごとの要件(前提/入力/出力/エラー)
- 受け入れ基準(高レベル)

## 5. 非機能要件(品質)
- パフォーマンス/可用性/SLO/セキュリティ/アクセシビリティ/ローカライズ

## 6. 計測/テレメトリ
- ログ/イベント/ファネル/AB計画

## 7. 依存関係・制約
- 外部サービス/法務/ブランドガイド/プラットフォーム制約

## 8. リリース/ロールアウト戦略
- 段階リリース、Guardrail、Roll-back条件

## 9. リスクとOpen事項
- 未確定点、意思決定待ち、期日

## リンク
- MRD / エピック / ストーリー / Design Doc / ADR

3) Epic(エピック)

# Epic(一つの大きな価値目標)

## 1. エピック目的 / 期待アウトカム
- 例:モバイル購入完了率 +20%

## 2. 成功指標(Metrics)
- 指標/計測方法/達成閾値

## 3. スコープ境界
- 含む/含まない(非スコープ)

## 4. 分割方針
- ペルソナ別 / フロー段階別 / 技術別 など

## 5. 子ストーリー一覧
- STORY-1, STORY-2, …

## 6. リスク・依存
- クリティカルパス、外部依存

## 7. 完了の定義(DoD)
- 指標達成+品質基準を満たすこと

4) User Story(ユーザーストーリー)

# User Story

## ストーリー
As a [ペルソナ], I want [能力], so that [ベネフィット].

## 受け入れ基準(例:Gherkin)
- Given …
- When …
- Then …

## 非機能要件(該当時)
- 例:P95応答<300ms、WCAG 2.2 AA、i18n準拠

## 計測/トラッキング
- 発火イベント、成功判定、実験設計(A/B など)

## 依存関係 / リスク
- 上位エピック、外部API、法務承認など

## Doneの定義(DoD)
- 受け入れ基準を満たすテストGreen、デプロイ/監視設定完了

5) Design Doc(設計ドキュメント / Tech Spec / RFC)

# Design Doc(設計ドキュメント)

- タイトル / 版 / ステータス(Draft/Review/Approved)
- 作成者 / レビュア / 審査期限
- 関連文書リンク(MRD/PRD/Epics/Stories/ADR)

## 1. コンテキスト & 問題定義
- なぜ今これが必要か(背景/制約)

## 2. 目標 / 非目標
- 達成すべきこと / 今回の対象外

## 3. 提案アーキテクチャ(How)
- コンポーネント図/データフロー/API/スキーマ
- データモデル/整合性/トランザクション/インデックス

## 4. 横断要件
- 信頼性(SLO/フォールトトレランス)
- 性能(目標/P95/P99)
- セキュリティ/プライバシー/コンプライアンス
- 運用・監視(メトリクス/アラート/ダッシュボード)
- i18n/アクセシビリティ

## 5. 代替案とトレードオフ
- 候補A/B/C、採否理由、将来の拡張余地

## 6. 互換性 / マイグレーション
- データ移行、段階リリース、ロールバック手順

## 7. テスト計画 / 実験
- テスト戦略(unit/e2e/負荷)、実験設計

## 8. リスク / Open事項
- クリティカルリスクと緩和策、未決定点

## 9. タイムライン / コスト概算
- マイルストーン、見積もり(粗)

## 付録
- 詳細API定義、計測仕様、ダイアグラム原本

6) ADR(Architecture Decision Record)※任意

# ADR-XXX: タイトル
- 日付 / ステータス(提案/採用/却下)
- 関連:Design Doc/PRD/Issue

## 背景(Context)
- 問題の文脈、制約

## 決定(Decision)
- 何を、なぜ選択したか(短く)

## 影響(Consequences)
- メリット/デメリット、影響範囲

## 代替案(Alternatives Considered)
- 候補と不採用理由

## 参照
- リンク/チケット

使い分けTips

  • PRDはWhat/Why、Design DocはHow。 AtlassianのPRD定義、Google/Spotifyの設計文化。
  • ADRで意思決定を短く残すと、設計の文脈保存が効く。

7) Task(タスク)

# Task(実装ステップ)

- 背景/目的(リンク:Story/Epic)
- 作業内容(詳細なHow)
- テスト計画(単体/結合/回帰)
- 成果物(PR/マイグレーション/ダッシュボード)
- 依存関係 / リスク
- 見積り / 担当 / 期日
- 完了条件(レビュー/QA/デプロイ/監視反映)

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