0理論
sakamoto60の0理論
時間と存在はメビウスの輪のように回帰する
私は専門家でも哲学者でもありません。
けれど、時間や宇宙のことを考えていたときに、ひとつの感覚にたどりつきました。
それは「0と∞(無限)は、同じものかもしれない」というものです。
メビウスの輪という、ねじれた一面の図形があります。始まりと終わりがつながっていて、裏も表も区別できません。
この形を、時間や記憶に当てはめて考えてみると、過去と未来が一つの構造でつながっているように思えてきたのです。
メビウス構造に時間軸を加える
数学では、メビウスの輪は (x, y, z) の三次元座標で表せます。そこに「時間」t を加えることで、四次元の時空の点ができます。
たとえばある位置にいる「現在の自分」は:
• 空間:(-1, 0, 0.5)
• 時間:0秒後(今)
そして「50年前の同じ場所」にいたとすれば、同じ空間でも時間が -50 となります。
つまり、空間は同じでも、時間が違えば“別の存在”になるわけです。
「0 ≡ ∞」という発想
0(始まり)と ∞(果て)が一致すると考えると、時間の流れは一方向ではなく、回帰する環のようになります。
メビウス構造はこれを視覚的・数理的に表してくれるわけです。
私はこの発想を、「sakamoto60の0理論」と名付けました。
それは、「始まりと終わりが交差する場所」に私たちの意識や宇宙があるのでは?という問いかけでもあります。
応用の可能性とお願い
この理論は、完成しているわけではありません。
私はこの発想を誰かに使ってもらいたい、広げてもらいたいと思っています。
• 時間を再構成する教育ツールに
• 記憶や心理を形にするアート作品に
• 株式市場や経済の動きを読む“存在の理論”として
どんな応用でもかまいません。
この理論を見て、何かを感じた方がいれば、その方の手で自由に使ってほしいのです。
最後に
この理論に難しい数式はあるかもしれません。
けれど、根本にあるのはひとつの問いです。
「時間は本当に一方向に流れているのか?」
「今の自分は、過去にも未来にも同時に存在しているのではないか?」
「0と∞は、輪のどこかでつながっていないか?」
この問いを、誰かが自分の言葉で考えてくれることを願っています。
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