独学プログラマーの終焉と本質
2022年、日本の高等教育においてプログラミングが必修となった。
この流れは確実に進んでおり、将来的にはほとんどの学生が学校教育を通じてプログラミングの基礎を習得するようになるだろう。
それはつまり、「独学でプログラミングを始める」というスタイルが、次第に特別なものではなくなっていくということだ。
学校で学ぶのが“普通”になる時代
これまで、プログラミングは一部の仕事で扱う人を除き、好事家が書籍やネットを頼りに“独学”で学ぶものだった。
けれど今後は、学校の授業の中で体系的に学び始めるのが当たり前になる。
Python、Scratch、JavaScript。
どれも教育現場に入り込みつつある。
これにより、"独学"が持っていた特別な意味は、少しずつ失われていくのかもしれない。
それでも独学には確かな強みがある
私は言いたい。たとえ制度に飲まれても、独学の本質的な価値は消えない、と。
なぜなら、独学で学び始める人間には強烈な「動機」がある。
誰かに言われたわけでもなく、自分から未知の世界に飛び込む意志がある。
正直、プログラミングは簡単じゃない。
私はJavaを選んで1日で辞めた。
理由は単純。難しすぎた。意味が分からなかった。
次にPythonを始めた。理由は「初心者におすすめ」とネットにあったから。
でも、そこでも環境構築で2回心が折れた。
コマンドプロンプトに意味不明な文字列を打ち込み、pip install なんとか。
何をしてるのかもよくわからず、ただ手順をなぞる。
ようやく環境構築ができた頃には、燃え尽きていた。
「まぁ頑張ったし、今日はここまでにするか」
#game_over
けれど、それでも前に進んだ
私が前に進めたのは、誰かの指示じゃなく、自分の「学びたい」という気持ちだった。
教科書もなければ、正解もない。
ネットの情報は散らばっていて、何が正しいのかわからない。
でもだからこそ、「試す力」「調べる力」「諦めない力」がついた。
独学とは、情報の海を泳ぎ切る体力を鍛えることなのだ。
独学の時代は終わるかもしれない
確かに、これからの世代にとって、プログラミングは学校で学ぶ"教科"になる。
だが、「命じられて学ぶ」のと、「求めて学ぶ」のとでは、得られる経験が違う。
だから私は、形としての独学が減っていっても、本質としての“自発的な学び”が生き残ることを信じたい。
誰にも強制されず、好奇心と情熱だけを武器にして前に進む。
それが、真の意味での“独学”だ。
その価値は、これからも消えない。
独学プログラマーは絶滅しない。
ただ、進化するだけだ。
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