働けなかった私と、プログラマを続ける日々
はじめに:この記事を書いている理由
私は、精神疾患で何度もキャリアを中断しながら、今はアルバイトのプログラマとして働いています。うまくいかなかった経験の方がずっと多く、職歴は自信を持って語れるようなものではありません。それでも、自分なりに働き続けています。
この記事では、自分自身のこれまでを振り返りながら、「働けなかった時間」と「働き続けている今」のあいだで考えたことを綴ってみたいと思います。
「仕事も取りたい」と思っていた昔の自分
高校生の頃の私は、将来に希望を持っていました。「恋愛と友情、どっちを取る?」という話題に「私は仕事も取りたい」と答えるような、野心家の側面もあったのです。
そして就職氷河期の中、プログラマになりたいと思って大学は理系の情報学科に進学しました。手に職をつけたいという考えと、結婚しても働き続けられそうな仕事ということ、そして始まったばかりのインターネットに触れて面白そうだと感じた、それらが合わさって決めた進路でした。
希望を抱いて入学し、絶望しながら卒業した
しかし、大学在学中に統合失調症を発症します。病識がなくなるくらいの妄想などには見舞われなかったので重症ではなかったと思うのですが、常に自分を責め立てる幻聴に襲われて日常生活にも支障が出てしまい、2年の留年を経てやっと卒業できたという有り様でした。就活はもちろん上手くいかず、新卒きっぷを不意にします。
そして実家に帰り、年単位での療養生活に入ります。
働いては辞める、を繰り返した日々
少し良くなってきたなと思った頃、働くことへの挑戦を始めました。
実家から通える範囲ではプログラミングの仕事はなかなかなく、また、私自身も希望の職で働くことは無理だと思い込んでいたため、求人と睨めっこをしてなんとかできそうだと思った仕事に応募していました。
この頃もプログラミングはしていたのですが、もう完全に趣味として続ける気でいたのです。
そうやって挑戦した仕事ではありますが、1年前後で病状が悪化して辞める。それを何度も繰り返しました。障害者枠での就労も経験しましたが、それも長くは続きませんでした。
私の統合失調症は幻聴が出るタイプでした。具体的に何が聞こえてたのかを文字にするのは憚られるのですが、基本的に自分を責め立てる内容の幻聴が聞こえていました。
家で何もしていないでいると幻聴も少しは落ち着くのですが、当時挑戦していた仕事は店員や事務員といった人と接する仕事で、そうなるともう幻聴が言われてもないことをああだこうだと言い始めるのです。幻聴はできる限り無視はするのですが、それでも自分の気持ちは削れていき、やがて動くこともしんどくなって仕事を続けられなくなるのです。
職歴はどんどんボロボロになっていきましたし、30代に入る頃には書類選考もなかなか通らなくなりました。
不安の中、プログラミングの仕事に手を伸ばす
そんな状態でも奇跡的に結婚でき、再度上京します。夫の希望もあり就労を目指した中で、東京でならプログラミングの仕事が見つかるかもしれない、そう思って再度プログラマの仕事を探すことにしました。それもやはり上手くはいかず、色々あった中で子どもが産まれました。そこで一旦は就活を中断しますが、子どもが1歳を過ぎたころ、アルバイトのプログラマとして雇ってくれる企業に出会いました。
きっかけは夫と一緒に参加した RubyKaigi でした。そこで出会ったある企業の方とプログラミングの話題で盛り上がり、その後うちで働いてみないかというお話を頂けたのです。
そのときに、統合失調症で障害者手帳を持っており、子どももいるのでフルタイムでの就労ではなく、週4日の6時間勤務にさせてくれないかとだいぶ無理目のお願いをしたのですが、それを快く容れていただきました。今でも本当に感謝しています。
それでも不安はありました。望んでいたプログラミングの仕事でも長期間続けられなかったとしたらと考えると怖かったです。
また、自分のコードすらも数ヶ月後には読めなくなるのに本当に人が書いたコードを読んで仕事することができるのかというのも不安でした。
けれども結果的にこちらの会社では3年間働くことができました。
長期間働いてみてわかった大きな体調の波
その3年間の中で、自分には大きな体調の波があるということがわかりました。大体月1、2回は体調を崩すのですが、数ヶ月という単位の周期で特に体調が崩れやすくなる時期があったのです。
最終的にはこの大きな体調の波に押し負けて仕事を辞める決断をします。
ただ、この決断は今思えば早まった決断だったかもしれません。よく言われている、メンタルが安定していないときに大きな決断をしてはいけないというのをもっと考えて、まずは休職できないかという話をするべきでした。
メンタルが底にあるときにそうしたところを客観視するのは難しいのですが、これに関しては割と簡単な条件文で判別できるので辞めようとする前に以下の疑似コードを思い出してください。
while 気持ち == しんどい
next unless 仕事辞めたい?
until 気持ち >= 普通
休む
// 気持ちは普通以上になってるはず
if 仕事辞めたい?
具体的に考える
しんどいときに仕事を辞めたいと思うのは当たり前かもしれません。だからこそ、しんどいときの「仕事辞めたい?」はかなり底上げされていると思うべきです。そんなときは気持ちが普段通りに戻るまで仕事を休むことが必要だと思います。
今もアルバイトなプログラマ
会社を辞めたときは、プログラマの仕事も辞めてしまったと落ち込む気持ちと、この私が3年も勤めることができたという気持ちがないまぜになって不思議な気持ちでした。
その後半年休んで、今の職場に雇ってもらえることになりました。現在もアルバイトですが、開発業務に関わらせてもらっています。
月1、2回ほどの体調不良による欠勤、子どもの体調不良による急なお休み、時短勤務、3週間に1回ほどの通院。そういった状況を理解し、受け入れてくれる今の職場にも本当に感謝しています。
また、このような状況の中で自分なりに工夫したりしている点を挙げます。
- コードレビューは最優先に
- いつ休むかわからないからこそ、待つ人のいるレビューは最優先で取り組んでいます
- あらかじめ分かっている休みはシフトで申請する
- 急に休むことが多いだけに有給休暇は使い切ってしまうので、シフト申請時に分かっている休みの日はそもそもシフトを入れないようにしています
- カレンダーのスケジュールはこまめに更新する
- 基本中の基本かもしれません
- Slack で対応が必要な依頼が飛んできたらまずブックマークする
- 今日依頼されたことでも、急なお迎えがあって明日にまわされてしまいそのまま忘れられるというような事態を防ぎます
- 薬はしっかり飲む
- これも基本中の基本だとは思うのですが、体調がよいと思うと飲まなくなって結果もっと酷い反動を引き起こすからです
- 若い頃はこれが分かってなくて酷い反動でえらい目を見たことがあります
仕事の評価と自己肯定感
私は仕事の評価が自己肯定感に繋がるタイプの人間だったみたいです。少なくとも私には仕事以外だけを人生として楽しむことは難しいです。
だからプログラマになる前、体調起因で仕事を辞めるたびに挫折を味わい、自己肯定感が下がっていきました。
けれども、プログラミングという仕事は動くものが出来上がるか否かという結果が出るので、仕事を自己評価しやすいと感じています。なので、私はこの仕事を続けることで少しずつではありますが自己肯定感を回復させています。
そしてあれだけ自己否定にまみれていた幻聴も、今はふとした弾みで出てくる程度にまで少なくなり落ち着きました。
それはきっと仕事で自己肯定感が回復してきたからなのではないかと思っています。
終わりに:今はまだアルバイトだけど
この先は今の会社で正社員になりたいと考えています。
そのために必要なもの、もう持ってるもの、まだ欠けてるもの、それらを上司と確認しながら手に入れていきたいです。
また、この記事は自分の現状を再認識するために書きましたが、これを読んだ方が何かを持ち帰ってくれたのならば、それに勝る幸いはありません。
ありがとうございました。
Discussion
読んでて元気が出ました。
ありがとうございます。
この記事で元気が出たとのこと、すごく嬉しいです。
書いてよかった。
ありがとうございます。
ありがとう。
こちらこそ、ありがとうございます。
病気は異なりますが私も精神疾患持ちで、何度かの療養を繰り返しながらエンジニアをやっています。
勇気をもらえました。ありがとうございます。
この記事がお役に立てたことが嬉しいです。
お互いに病気とうまく付き合いながら日々を過ごしていきましょう。
ありがとうございました。