女性、既婚、子どもがいて、障害者、35歳未経験がエンジニアになるまで
タイトル通りです。似たような属性の方の参考になればと思い、この記事を書きました。
現在の属性
- 女性
- 既婚
- 子どもあり
- 精神障害持ち
- 35歳未経験からプログラマになり、現在2年目
幼少期から高校生
1983年生まれ、千葉の片田舎で育ちました。
小さなころから家にはお金がないと言われて育ち、特に大学は女の私には必要ないから行かせられないと言われていました。だから高校だけは好きなところに行かせてやると言われていたのに、いざ高校進学の段になると進学校に行く必要はないからと地元の高校を勧められました。
しかし、地元の高校は中学校の同級生のほとんどが行く高校で、中学校でいろんな意味で目立ってしまった私は、同じ人間関係をあと3年も続けるのが嫌で、絶対に大学に行かないと約束することで遠くの高校へ進学する許可をもらうことができました。
高校も高校で変な人枠に入ってしまいましたが、中学校と比べるとだいぶ平和でした。
進学先の希望と将来就きたい仕事
お金はなくても様々な理由から大学には行きたいと思いました。約束は反故にし、大学受験に挑みます。そして現役合格は叶わなかったことがその後の進路に大きな影響を及ぼします。
まず、当時は就職氷河期であり、高校卒業で就職しようとした友人たちはほとんどがフリーターの道を余儀なくされました。そのため、手に職をつけるような仕事をしたいと強く思うようになりました。そしてインターネットが普及し始めた時期でもあり、その頃はまだiモードでしかインターネットに触れられませんでしたが、この道が面白そうだと思ってプログラマになりたいと志すようになり、大学は学費を考えて国立夜学の理系の情報系学部を志望しました。
私は高校時代は文系クラスに所属していました。そのため数3Cも物理も高校では履修しませんでしたが、その分浪人時代にアルバイトをしてその稼いだお金を予備校の個別指導に費やし、数学と物理を記述式中心にみっちりと教えていただきました。その甲斐あって無事合格、上京しました。
この先、順調に行けば学部卒の時点でプログラマになっていたでしょう。
大学在学中
大学在学中は昼間にアルバイトをし、そのバイト先でUNIXの使い方を教え込まれ、暇な時間にはプログラミングを勉強させていただき、エラトステネスの篩などをコーディングしたりしました。また、大学の授業でもプログラミング演習がありクイックソートのコーディングなどやりましたが、その過程で自分はプログラミングに向いている方なのかもしれないという自信をつけて行きました。
ちなみに、大学の学科は同級生が40人ほどでしたが、そのうち女性は私を含めて4人でした。その環境を殊更辛いとは感じた事はありませんでしたが、一度だけ、女性だから学力が足りなくとも理系の大学に入れてもらえたという趣旨の発言をされ、怒髪天をついたことがあります。
しかし、2年目から徐々に集中力が落ちて行き、単位を落とし、大学3年の時点で既に2年留年しなければ卒業できないほど学業成績は悪化しました。そして、あまりにも意識が散漫としていて交通事故に遭いかけたことをきっかけに、大学の保健管理センターにあった精神科の門を叩くことになります。数ヶ月かけて出された診断結果は、初期の統合失調症だろうということでした。
それから服薬治療が始まり、なんとか2年の留年で大学は卒業しましたが、四六時中幻聴が聞こえる有様であまりにも体調が辛いので実家に帰る選択をし、その後2年弱ほどをほぼ療養に費やし、引きこもることになりました。
それから結婚し、再度上京するまで
ここから先ですが、社会復帰を目指して働くものの、統合失調症という病気に苦しめられ職歴がボロボロになります。ずっと通院を続け、服薬もしていましたが、それでもなかなか寛解(ほぼ治った状態のこと。この病気は再発するため完治とは言わないみたいです)はせず、良くなったと思って働いては体調を悪くして辞めるのを繰り返しました。最終的には障害者手帳を取り障害者枠で就労したものの、その職場ですら続きませんでした。
ちなみに、この頃挑んだ仕事はプログラミングとは関係のない仕事ばかりでした。プログラミング自体は好きだったので自分用の小さなツールなどを作ってはいましたが、あまりプログラミングの仕事がない地域だったというのと、私自身がすっかり働くことに対して自信をなくしていて、そういう夢は諦めるべきだと思い込んでいたためです。
そんなどん底でいた頃、大学時代の研究室の先輩に声をかけていただき、色々とあってその先輩と結婚をすることになり、再度上京することになります。
上京してからの就活
夫の希望もあり、専業主婦ではなく就労を目指すこととなりました。そのために就労移行支援施設という福祉施設にお世話になりました。これは今までの経験から普通の仕事はちょっと務まらないということで、配慮のある仕事先を探すための選択でした。まずは施設への週5日の出席ができるようになるのが目標でしたが、それすらなかなか叶わないほどに体調は悪かったです。
結局施設にいられる2年間分ギリギリの時間を使って、Webに力を入れている小さな広告会社へ、Web担当としての就労が決まりました。
妊娠、退職、出産
その広告会社に就労が決まってすぐに妊娠をしました。つわりもかなりひどく、また、その会社が産休・育休を取ることが実質無理なほど小さかったこともあり、これは引き継いだばかりの仕事ではあるけれど、身重になる前に他の方へ引き継いで自分は辞めるのが自分にとっても会社にとってもいいだろうと判断し、その会社は3ヶ月ほどで辞めることになりました。
この選択は後から考えるとベストと言えたと思います。その後妊娠糖尿病に罹ったりもし、法定通りの産休を取れる時期まで働くことはどの道できなかったと思われるからです。
出産して、夫にひと月半の育休をとってもらいその間は夫にかなり頼って、それ以降は基本一人で子育てを始めました。私に障害があることで、区の福祉には手厚くしていただきました。数ヶ月単位で保健師さんが訪問してきてくれたりなどです。今でも感謝しています。
プログラミングを使った初めての仕事
出産してから半年ほど経ち、改めて仕事探しについて考え始めました。そして、今度こそプログラミングを仕事にしたいと思うようになりました。この心情の変化についてですが、妊娠、出産を経て何故かメンタルの調子が上向いたからとしか言えません。本当に何故メンタルの調子が上向いたのかは分からないのですが。
そして友人の紹介により、自宅でできるがプログラミングを使って効率化しないと終わらない類の仕事を請け負うことができました。自分にとって、プログラミングを使った初めての仕事です。使ったのはshとRubyでした。
目的のためにコードを書き、成果物を作る。これがなんとも楽しかったです。
数ヶ月という短い期間で終わってしまった仕事でしたが、これが大きな自信と機転になりました。
そしてプログラマへ
それから数ヶ月後、夫の出張について行ってRubyKaigi2019に参加しました。その時に現職の会社のエンジニアの皆さんとお話しする機会があり、最近shでスクレイピングしてRubyでデータの整形頑張ったんですよー、という様な話をしました。なかなかウケていた気がします。
そして東京へ戻ってみると、一緒に仕事をしたいので面談しませんか?というお誘いがきました。二つ返事でOKをし、自分の現状について正直に話しました。まず、プログラマは未経験であるということ、子どもを育ててる最中なので時短で働きたいこと、そして持病があるので週5ではなく週4から始めたいということです。今思えばだいぶ厳しい条件だったと思うのですが、快く容れていただき、アルバイトとしてプログラマの仕事に就くことになりました。
思えば大学進学時にプログラマを志し、それから15年ほどかかってようやくプログラマになれたのです。
仕事と体調と子育て
障害のこともあって子どもを保育園に入れることができ、働き始めることとなりました。体調面が特に心配で、やはり働き始めてみると週4勤務であっても月に数日は休んでしまう様な有様でした。また、体調には大きな波があり、不調の月が来るとさらに休みの日は増え、同僚の方々にはかなり迷惑をかけてしまったと思います。また、時短と言えども子どもの迎えもだいぶ遅く、子どもが布団に入るのが9時を過ぎる日々が続きました。
そんな中、コロナ禍により、突然の在宅勤務が始まりました。コロナ禍に苦しんでおられる方々も多い中非常に恐縮ですが、在宅勤務により通勤時間がなくなったことで、私の環境は上向きました。まず、病欠が減りました。そして、子どもを迎えにいく時間が早くなりました。
病欠が減ったといっても不調の月にはやはり休んでしまうこともありましたが、おそらく通勤があったらもっと厳しいことになっていたと思います。
そして通勤時間が無い分勤務開始時間を早めることができ、子どもを迎えにいくのはもっと早めることができました。おかげで今は子どもを9時前には布団に入れることができる様になりました。
また、仕事を始めてから1年半以上経ち、Githubを使った集団開発のフローにも慣れ、他の人のコードを読むこと、それに手を入れること、そしてテストを書くことなど、仕事をする上で最低限のスキルが身についてきたと感じます。仕事を始める前は、特に他の人のコードを読むことができるか心配でしたが、習うより慣れろとでも言うのか、なんとかついていけていると思っています。
これから先
当面の目標は、体調をより整え、週5勤務ができる様になることです。これから小学校の壁などもあると思いますが、心強い先輩女性エンジニアの方々がインターネットにロールモデルを残してくださっています。それらを参考にさせていただきながら、この先もプログラマとして働きたいと思っています。
また、この記事が誰かの参考になれば幸いです。
【2021/02/08】
フォーマットに沿うため、タイトルの変更と記事の一部リライトを行いました。
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