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本物は誰か、という問いが消えるとき—量子コピーが問う“本物”の条件—

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ある思考実験を通じて、「わたし」とは誰か、本物とは何かを考えてみました。

それは、たとえ10秒しか生きられなかったとしても、その10秒を生きた“わたし”が確かにいたということ。
脳のコピー、記憶の複製、量子的なゆらぎ。
このエッセイでは、問いを「解く」のではなく、ただ静かに「見つめる」ことを大切にしました。

※この記事は、noteに掲載したエッセイを加筆・再構成したものです。

🌐 思考実験
ある科学者が、最先端の量子コピー技術を使って、「わたしの脳と記憶を完全に再現」したもう一人の“わたし”を、遠く離れた研究所に出現させる。
コピーの作成プロセスでは、物理的な“転送”ではなく、「元のわたしはそのままに」「複製だけが生成」される。

🔁 状況変化

  1. コピーされた“わたし”は、作られた直後に何かを感じる(まばたき、光、痛み…なんでもいい)。
  2. その瞬間から、元の“わたし”とコピーは、別の世界線を生き始める。
  3. 10秒後、コピーが事故で即死する。

📌 ここで問われる「本物」は誰なのか?
即死したのは、“わたし”?
そこで生き続けていれば、“わたし”?

🧭 私の考え
私は、どちらも“わたし”だと考える。

なぜなら──
人が「生きている」ということそのものが、
情報の積み重ね × 感情の蓄積 × 時間の流れ
によって形作られると信じているからだ。

コピーがたとえ「複製」であっても、
主観として何かを感じた瞬間に、“わたし”はそこで始まっていた。

たとえ10秒で死んだとしても、その10秒には、確かに“わたし”が生きていた。

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💡 だからこそ、私はこう思う。
「“わたし”は、経験したその一瞬から“わたし”になる。」

だから、コピーされた“わたし”にも、
確かに“わたし”が宿ったのだと信じている。

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