はじめに
拡散過程の統計解析では,尤度関数が観測されたパスに対する確率積分で与えられる.例えば,
X_t = \int_{0}^{t}b(X_s,\vartheta)\,ds + W_t,\quad 0\le t\le T
というパラメータ\varthetaを持つ拡散過程に対し,観測されたパスをX^Tとすれば,尤度関数は
L(X^T,\vartheta) = \exp\left\{\int_{0}^{T}b(X_s,\vartheta)\,dX_s
-\frac{1}{2}\int_{0}^{T}b(X_s,\vartheta)^2\,dt\right\}
と表せる.この確率積分は観測されたパスX^Tから計算する必要があるが,確率解析を少し学んだことのある方であれば,確率積分はBrown運動が2次変分を持つのでLebesgue-Stieltjes積分のように
\int_{0}^{T}f(t)\,dW_t \overset{?}{=} \int_{0}^{T}f(t)\frac{dW_t}{dt}\,dt
と計算できないことをよく知っているだろう.実は,驚くべきことに(?)右連続かつ左極限を持つ(càdlàg)確率過程に対してpathwiseに確率積分を計算できることが知られている.本記事では確率積分の定義を確認し,pathwiseな確率積分の計算を解説する.
pathwiseな確率積分へのモチベーションとしてここでは拡散過程の統計解析を例に挙げたが,これは数理ファイナンスにおいても重要な話題のようである.筆者はまだ理解していないが,興味がある方は例えば
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/0304414994901287
を参照してほしい.
ちなみに,fが有界変動であれば部分積分によってBrown運動の”微分”をfに押し付けて,
\int_{0}^{T}f(t)\,dW_t = f(t)W_t - \int_{0}^{T}W_t\,df(t)
と計算できるので,fの性質が良ければBrown運動の2次変分の影響を受けることなくpathwiseに確率積分を定義できることは比較的イメージがしやすい.
確率積分の定義
(W_t)_{t\ge 0}を確率空間(\Omega,\mathcal{F},\mathbb{P})上のBrown運動とし,それに対応するフィルトレーションを(\mathcal{F}_t)_{t\ge 0}とする.L_a^2([0,T]\times\Omega)を次をみたす確率過程(f(t,\omega))_{0 \le t\le T}の集合とする.
-
(f(t,\omega))_{0 \le t\le T}は\mathcal{F}_t-適合である.
- 任意のBorel集合B\in\mathcal{B}(\mathbb{R})に対し,
\{(s,\omega);s<t,f(t,\omega)\in B\}\in \mathcal{B}(\mathbb{R})\otimes\mathcal{F}_t
が成り立つ.
-
\displaystyle \mathbb{E}\int_{0}^{T}f(t,\omega)^2\,dt<\inftyが成り立つ.
可測性の周辺が数学的にデリケートなので細かく書いてしまったが,本記事のメインではないのであまり気にしなくても大丈夫である.\mathcal{E}([0,T]\times\Omega)をF_{t_i}-可測かつ2乗可積分な確率変数F_iを用いて
f(t) = \sum_{i=1}^{n}F_i \mathbf{1}_{(t_i,t_{i+1}]}(t)
と表せる確率過程の集合とする.これを単過程といい,\mathcal{E}([0,T]\times\Omega)はL_a^2([0,T]\times\Omega)の稠密な部分集合となる.単過程f\in\mathcal{E}([0,T]\times\Omega)に対し,伊藤積分を
\int_{0}^{T}f(t)\,dW_t := \sum_{i=1}^{n}F_i(W_{t_{i+1}}-W_{t_i})
と定めれば,稠密性によってf\in L_a^2([0,T]\times\Omega)に対しても伊藤積分を定義することができる.単過程を経由した確率積分の定義はLebesgue積分の場合と非常に似ているため,測度論を学んだことがあれば理解しやすい.稠密性もLebesgue積分の場合と同様に”区分的に定数である関数による近似”のアイデアで示すことができる.
重要な確率過程のクラスとして,
X_t = X_0 + \int_{0}^{t}b(s,\omega)\,ds + \int_{0}^{t}\sigma(s,\omega)\,dW_s,
\quad 0\le t\le T
と表せる伊藤過程がある.(有名な伊藤の公式より,伊藤過程は滑らかな(2回連続微分可能な)変換に対して閉じていることが分かる.一見すると拡散過程の定義と似ているが,拡散過程は滑らかな変換に対して閉じていない.)
伊藤過程に関する積分を
\int_{0}^{T}f(t)\,dX_t := \int_{0}^{T}f(t)b(t)\,dt + \int_{0}^{T}f(t)\sigma(t)\,dW_t
と定める.ここではfに関する条件には深入りしないことにしよう.
pathwiseな確率積分
(X_t)_{0\le t\le T}を伊藤過程とし,(f(t))_{0 \le t\le T}を右連続かつ左極限を持つ確率過程とする.n\in\mathbb{N}に対し,(\tau_i^n)_{i=0}^{\infty}を
\tau_0^n = 0,\quad \tau_{i+1}^n=\inf\{t\ge \tau_i^n;|f(t)-f(\tau_i^n)|\ge 2^{-n}\},\quad i=0,1,\dots
と定める.この(\tau_i^n)_{i=0}^{\infty}に対し,(f_n(t))_{0 \le t\le T}をf_n(t):=f(\tau_k^n),\ \tau_k^n<t \le\tau_{k+1}^nと定める.
\displaystyle \int_{0}^{t}f(s)\,dX_sの近似列として
I_t(f_n) := f(0)X_0 + \sum_{i=0}^{k-1}f(\tau_i^n)(X_{\tau_{i+1}^n}-X_{\tau_i^n}) + f(\tau_k^n)(X_t - X_{\tau_k^n})
を考えることができる.Doobの不等式より,
\mathbb{E}\left(\sup_{0\le t\le T}\left|\int_{0}^{t}f(s)\,dX_s - I_t(f_n)\right|^2\right)\le \frac{T}{4^{n-1}}
が成り立つ.よって,
Y_n = \sup_{0\le t\le T}\left|\int_{0}^{t}f(s)\,dX_s - I_t(f_n)\right|
とすれば,\mathbb{E}Y_n\le \sqrt{T}2^{-(n-1)}となる.従って,
\mathbb{E}\sum_{n=1}^{\infty}Y_n
= \sum_{n=1}^{\infty}\mathbb{E}Y_n\le \sqrt{T}\sum_{n=1}^{\infty}2^{-(n-1)}
<\infty
となり,\displaystyle \sum_{n=1}^{\infty}Y_n<\infty\quad\mathrm{a.s.}となる.ゆえに,
\sup_{0\le t\le T}\left|\int_{0}^{t}f(s)\,dX_s - I_t(f_n)\right|\to 0\quad \mathrm{a.s.},\quad n\to\infty
が成り立つ.
参考文献
- David Nualart: The Malliavin Calculus and Related Topics, Springer-Verlag, 2006.
- Ioannis Karazas, Steven E. Shreve: Brownian Motion and Stochastic Calculus, Springer-Verlag, 1998.
- Rajeeva L. Karandikar: On pathwise stochastic integration, Stochastic Processes and their Applications, Vol. 57, pages 11-18, 1995.
- Yury A. Kutoyants: Statistical Inference for Ergotic Diffusion Processes, Springer-Verlag, 2004.
Discussion