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超伝導量子コンピュータと希釈冷凍機

2025/01/29に公開

はじめに

こんにちは、大阪大学 量子情報・量子生命研究センター[1]の宮永(@orangekame3)です。

当研究センターでは、量子コンピュータの研究開発を推進するとともに、クラウド量子コンピュータやその運用に関連するソフトウェアをOSSとして公開しています。本記事では、超伝導量子コンピュータの実現に欠かせない希釈冷凍機について紹介します。
末尾には実機見学時によく頂く希釈冷凍機に関するQ&Aも掲載していますので、ぜひご覧ください。

希釈冷凍機と量子コンピュータ

希釈冷凍機は、超伝導量子ビットを動作させるために必要な低温環境を提供する装置です。
以下の図は大阪大学に設置されている希釈冷凍機です。量子ビットは希釈冷凍機最下部の円筒形の部分に配置されています。

希釈冷凍機
大阪大学に設置されている希釈冷凍機

なぜ冷やすのか

超伝導量子ビットは絶対零度に近い温度で動作するため、希釈冷凍機によって数 \mathrm{mK} まで冷却する必要があります。では、なぜこんなにも低い温度が必要なのでしょうか。
量子ビットが超伝導体で構成されていることから、そのような極低温が必要であると連想されますが、実は他にも理由があります。

量子ビットと熱ノイズ

量子ビットを量子計算の情報単位として扱うには人間が制御できるシステムが必要です。超伝導体を用いた量子ビットは、電気的なLC共振回路に非線形素子を導入することで人間が制御可能な2準位系を構築しています。

この量子ビットを使って演算するには外部からエネルギーを与え、量子ビットの状態を操作します。超伝導量子ビットの場合はマイクロ波を用いて量子ビットを操作し、演算を行います。

では具体的にどの程度のエネルギーを量子ビットに与えてやれば基底状態にある量子ビットを励起状態へ遷移させることができるでしょうか。少し計算してみます。

Two Level System
2準位系のエネルギー準位

量子ビットが基底状態から励起状態へ遷移するためには、基底状態と励起状態のエネルギー差に相当するエネルギーを外部から与えてやります。

そのエネルギー量は以下の式で表すことができます。

E_{01} = \hbar \omega_{01}

ここで、E_{01}は基底状態から励起状態へのエネルギー差、\hbarはプランク定数、\omega_{01}は基底状態から励起状態への遷移周波数です。

例えば、理化学研究所が開発している量子ビットや共振器の動作周波数帯は 8\text{--}10 \,\mathrm{GHz} 程度です。この周波数帯でのエネルギー差を計算してみます。

簡単のため 10\,\mathrm{GHz} を遷移周波数帯としましょう。すると、エネルギー差は以下のように計算できます。

E_{01} = 6.63 \times 10^{-34} \, \mathrm{J \cdot s} \times 10^{10} \, \mathrm{Hz} = 6.63 \times 10^{-24} \, \mathrm{J}

より直感的に把握するために温度に換算してみます。

エネルギー差を温度に換算すると以下のようになります。

T = \frac{E_{01}}{k_{\mathrm{B}}} = \frac{6.63 \times 10^{-24} \, \mathrm{J}}{1.38 \times 10^{-23} \, \mathrm{J/K}} = 0.48 \, \mathrm{K}

ここで、k_{\mathrm{B}}はボルツマン定数です。この計算結果から、量子ビットが基底状態から励起状態へ遷移するためには 0.48\,\mathrm{K} 相当の温度が必要であることがわかります。分かりやすく摂氏に換算すると、これは -272.67\,\mathrm{℃} に相当するので、非常に小さい値であることがわかります。

逆に言えば、0.48\,\mathrm{K} 以上の環境の場合、量子ビットが基底状態から励起状態へ意図せず遷移してしまうわけですので、人間が制御できない系となってしまいます。


左)熱雑音がある環境では意図しない励起が発生する、右)熱雑音による影響がない環境

このように、量子ビットを低温環境で動作させることは、量子ビットの性能を保つために非常に重要です。

どうやって冷やすのか

超伝導量子ビットを制御するために極低温環境が必要であることがわかりました。
次に、極低温環境を実現する無冷媒希釈冷凍機(以下、希釈冷凍機)について説明します。希釈冷凍機は 10\,\mathrm{mK} 以下まで冷却可能で、超伝導量子ビットの動作に必要な極低温環境を提供します。

希釈冷凍機の内部構造

希釈冷凍機の内部は以下のように多段構造になっています。
上から順に温度が低くなっていき、最下部が最も低温の環境を提供します。ここに超伝導量子ビットが配置されます。

fridge
「希釈冷凍機の構造」図はWhy use attenuators in quantum computers?より引用

大きな金属板で仕切られた構造が特徴的ですが、それぞれステージによって冷却の方法も異なります。希釈冷凍機はミリケルビン帯まで冷却するために液体ヘリウムの特性を利用します。そのためにはヘリウムが液化する 4\,\mathrm{K} まで冷却する必要がありますが、この冷却はパルスチューブによって行われます。

パルスチューブ
「パルスチューブ」図はProduct Spotlight: PT450 Pulse Tube Cryocooler - Bluefors.comより引用

見ての通り、パルスチューブは2段構造となっており、上段で 50\,\mathrm{K} ステージを冷却し、下段で 4\,\mathrm{K} ステージを冷却します。パルスチューブは銅製のサーマルリンクを介して希釈冷凍機に接続されます。

サーマルリンク
銅製のケーブルがサーマルリンク、50Kステージに接触させている(Copyright: RIKEN Center for Quantum Computing)

4\,\mathrm{K} より低い温度では液体ヘリウムを蒸発させることで冷却します。その後希釈プロセスへと移行しミリケルビン帯まで冷却します。この希釈プロセスは以下の希釈ユニットで行われます。


「希釈冷凍機の冷却ユニット:①蒸留器、②連続流熱交換器、③ステップ熱交換器、④混合室」図はHow Does a Dilution Refrigerator Work? - Bluefors.comより引用

これはBlueforsの希釈冷凍機の希釈ユニットです。希釈ユニット内における冷却プロセスについて、続く節で詳しく説明します。

冷却原理

希釈冷凍機は、ヘリウムの同位体である ^3\mathrm{He}^4\mathrm{He} の特殊な性質を利用して、10\,\mathrm{mK} 以下という極低温を実現します。この極低温は、超伝導量子ビットを安定動作させるために必要な環境です。

ヘリウム同位体の特徴と混合

先述の通り、希釈冷凍機の冷却には以下2つのヘリウム同位体を混合します:

  • ^3\mathrm{He}:フェルミオン、希釈冷凍機の動作温度範囲では超流動状態にはならない。
  • ^4\mathrm{He}:ボーズ粒子、2.17\,\mathrm{K} 以下で超流動状態になる。

これら2つの同位体を混合すると、ある温度以下(約 0.87\,\mathrm{K} 以下)で独特の現象が起こります。それが「相分離」です。この状態では、混合物が以下の2つの層に分かれます:

  1. 濃厚相: ^3\mathrm{He}が主成分
    主に ^3\mathrm{He} で構成され、上層に存在します。
  2. 希薄相: ^4\mathrm{He} に微量の ^3\mathrm{He} が溶けた状態、^4\mathrm{He} が主成分で、下層に存在します。

冷却メカニズム:希釈による潜熱吸収

この相分離が起こった後、濃厚相から ^3\mathrm{He} が希薄相に移動する際、特定のエネルギーが必要になります。このとき吸収されるエネルギー(潜熱)によって周囲が冷却されます。

具体的には次のようなプロセスです:

  1. 濃厚相から希薄相へ ^3\mathrm{He} が移動
    濃厚相に存在する ^3\mathrm{He} が、希薄相に移動します。この移動は自然に起こる現象です。

  2. 潜熱の吸収による冷却
    ^3\mathrm{He} が希薄相に移動する際、エネルギーを吸収するため、周囲の温度が下がります。

  3. 連続したプロセス
    この過程をポンプで循環させることにより、冷却が連続して行われ、最終的に 10\,\mathrm{mK} 以下という極低温に達します。

簡単なアナロジー

この現象は、液体が蒸発するときに周囲の温度を下げる仕組みと似ています。例えば、アルコールや水が肌に蒸発すると、熱が奪われてひんやりする感覚があるのと同じ原理です。ただし、希釈冷凍機ではこの「蒸発」に相当するプロセスが極低温で行われます。

冷却プロセスの循環装置

希釈冷凍機は、以下の構造を通じてこのプロセスを効率的に実現します:

  1. 蒸留器:希薄相のみ存在、^3\mathrm{He} を選択的に回収。
  2. 連続流熱交換器:循環中に発生する熱を効率的に除去。
  3. ステップ熱交換器: 循環中に発生する熱をさらに除去。
  4. 混合室:希釈プロセスが進行する主要なエリア。濃厚相と希薄相が混合している。濃厚相から希薄相へと ^3\mathrm{He} が溶け出すプロセスで冷却が行われる。


(再掲)「希釈冷凍機の冷却ユニット:①蒸留器、②連続流熱交換器、③ステップ熱交換器、④混合室」図はHow Does a Dilution Refrigerator Work? - Bluefors.comより引用

冷凍機内配線

冷却原理がわかったところで、他の部品についても見ていきます。希釈冷凍機内部には、超伝導量子ビットを制御するための配線が敷設されています。
以下は希釈冷凍機内の配線の一例として理化学研究所の研究チームの論文[2]に掲載されている配線図です。

配線図を見ると、量子ビットを制御する「qubit drive」と、測定結果を読み取る「readout drive」などのラインがあります。さらに、これらのラインには減衰器(attenuator)やフィルター(Eccosorb, low-pass)が配置されており、それぞれが熱雑音を抑制し、信号を調整する役割を果たしています。

内部配線
「希釈冷凍機内部の配線図」図は[2409.04967] Fast multiplexed superconducting qubit readout with intrinsic Purcell filteringより引用

なぜ減衰器が必要なのか

本記事の冒頭で量子ビットを熱雑音から保護するために極低温環境が必要であることを説明しました。しかし、量子ビットを制御するためには制御するための経路を冷凍機外から希釈冷凍機内部に配線する必要があります。この配線によって外部からの熱雑音が量子ビットに影響を与える可能性があります。
量子ビットの制御ラインから流入する信号を減衰するために制御ライン、読み出しラインには減衰器が配置されています。

減衰器は、外部からの大きな信号を調整し、量子ビットに適したレベルに減衰する役割を担います。また、外部の熱雑音を抑制することで、量子ビットの動作環境を保護します。加えて、QPUから返ってくる信号は微弱であるため、これを増幅するためにも読み出しラインの戻り経路には増幅器(HEMT)が配置されています。

一方で出力ラインには減衰器が配置されていないため、室温からの熱雑音が流入してしまうおそれがあります。これを防ぐためにアイソレータ(isolator)が配置されています。

配線図を見ると、量子ビットの制御ラインには 46\,\mathrm{dB} 、読み出しラインには 76\,\mathrm{dB} の減衰器が設置されています。これにより、外部からの熱雑音や信号の過剰なエネルギーを効率的に抑制し、量子ビットの性能維持に貢献しています。

このように、希釈冷凍機内の配線は、量子ビットの性能を最大限に引き出すために精密に設計されています。減衰器やアイソレータなどの部品が、量子ビットを熱雑音や外部信号から守る重要な役割を果たしています。

希釈冷凍機の将来展望

今後量子ビットの数を増やしていく上で、冷凍機の将来はどうなるのでしょうか。冷凍機の大きさを大きくしていくのでしょうか?それとも、冷凍機を複数台設置するのでしょうか。
このどちらについても研究事例がありますので最後に紹介します。

冷凍機のスケールアウト

IBMが世界最大の希釈冷凍機Goldeneyeを独自に開発しています。
この冷凍機はプロダクトとして利用されることはないとのことですが、従来の冷凍機が 0.4\text{--}0.7\,\mathrm{m²} 程度の実験スペースであったのに比べ 1.7\,\mathrm{m²} のスペースを要する大型冷凍機です。すでにこの冷凍機で 25\,\mathrm{mK} までの冷却を達成しており、試験量子ビットで 450\,\mathrm{μs} のコヒーレンス時間を達成しています。


IBMの希釈冷凍機Goldeneye IBM cools down world’s largest quantum-ready cryostat | IBM Quantum Computing Blogより引用

また、Blueforsは希釈冷凍機のスケールアウトを目指しており、複数の希釈冷凍機を組み合わせることで量子ビットの数を増やすことができるKIDEを販売しています。
KIDEは1000量子ビット以上の操作に必要なインフラストラクチャを提供しさらに冷凍機間も接続可能なモジュール形式で提供されています。

https://youtu.be/ATasKGJlyNg

希釈冷凍機間の連結

また、アカデミアでは2つの希釈冷凍機間を連結し 30\,\mathrm{m} 離れた超電導量子ビット間で量子もつれを実現している例も報告されています[3]


2つの希釈冷凍機間を導波路で連結している。中央には追加のパルスチューブを配置し、冷却能力を高めている。図はLoophole-free Bell inequality violation with superconducting circuits | Natureより引用

このように、希釈冷凍機の進化は単なる冷却能力の向上だけでなく、量子コンピュータの大規模化や新しい応用の実現に寄与しています。

おわりに

最後までお読みいただき、ありがとうございました。本記事では、超伝導量子コンピュータの実現に欠かせない希釈冷凍機について紹介しました。希釈冷凍機は超伝導量子ビットを動作させるために必要な低温環境を提供する装置であり、今後の超伝導量子コンピュータの発展に不可欠な技術です。今後の動向にも注目していきたいと思います。

付録

大阪大学では1年に2回ほど学園祭で超伝導量子コンピュータの実機公開を行っています。その際によく頂く質問について(特に希釈冷凍機について)本節でまとめておきます。

Q1. 希釈冷凍機はなぜ金色なのですか?

A1. 希釈冷凍機内のプレートは高い熱伝導性をもつ無酸素銅でできており、外面を金メッキしています。金でメッキする理由は腐食を防ぐためです。

Q2. 希釈冷凍機はどのくらいの電力を消費しますか?

A2. 装填されているパルスチューブによって異なりますが、PT420が標準で2台積まれているXLD1000slの場合、12.5\,\mathrm{kW} \times 2 = 25 \,\mathrm{kW} 程度の電力を消費します。

Q3. 同軸ケーブルがくるくる湾曲していたりうねっていたりするのはなぜですか?

A3. 熱収縮による断線を防ぐために同軸ケーブルを湾曲させています。同軸ケーブルは希釈冷凍機内部の温度変化によって収縮・膨張するため、湾曲させることで断線を防ぎます。

同軸ケーブル
同軸ケーブルの湾曲例

謝辞

本記事の執筆にあたり、大阪大学 量子情報・量子生命研究センターの小川先生に貴重なご助言とレビューをいただきました。この場を借りて深く感謝申し上げます。

参考文献

脚注
  1. 大阪大学 量子情報・量子生命研究センター ↩︎

  2. [2409.04967] Fast multiplexed superconducting qubit readout with intrinsic Purcell filtering ↩︎

  3. Loophole-free Bell inequality violation with superconducting circuits | Nature ↩︎

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