Quantum Week 2025:量子技術の最前線 in アルバカーキ(後編)
はじめに
前回のポストはQuantum Week 2025が開催されたアルバカーキや会場の雰囲気について紹介した。後編では、カンファレンスの内容に焦点を当て、特に注目すべきセッションやトピックについて掘り下げる。現在の量子コンピューティング技術の潮流について少しでも理解を深める一助となれば幸いである。
セッションの種類
カンファレンスのプログラムは、1時間30分のセッションを一単位として、同時並列に複数が開催される形式を採用している。シリーズものになっているセッションもあり、同一テーマを集中的に学ぶことも可能。
セッションは主に以下の6種類に分類される。
キーノート
キーノート、いわゆる基調講演は、カンファレンス全体で共有される重要なテーマを示し、業界のリーダーたちが将来のビジョンやロードマップを提示するセッションである。そのため、朝一番(8時から!)に講堂で行われ、同一時間帯で開催されている他のセッションはない。
IBM QuantumのJay Gambetta氏による「Software for the era of quantum advantage」や、慶應義塾大学のRodney van Meter教授による「Quantum Multicomputers」といった講演は、コミュニティの長期的な目標を示すものであった。
ノーベル物理学受賞者であるWilliam Phillips教授とDavid J. Wineland教授による量子力学生誕100年と自身の研究の総括、また、ニューメキシコ州知事からの本分野に対する政治方面からの支援表明などもあり、様々な視点から量子技術を俯瞰する機会となった。
パネル
いわゆるパネルディスカッションである。業界が直面する様々なテーマについてそ専門家が議論を行う場で。3~4名のパネリストが参加し、モデレーターが議論を進行する形式が一般的である。最後には会場からの質問も受け付けられる。
チュートリアル
チュートリアルは、入門的な内容や、個人のPCを用いたハンズオンセッションが多く、初心者から中級者にとって有益な学習機会を提供する。
量子力学の基礎から説明するものもあったり間口は広い。急に難しくなったりするのだが。
ワークショップ
ワークショップは、特定の専門分野や新しいトピックを深く掘り下げ、コミュニティを形成する機会もある。チュートリアルの発展版のような位置づけか。ビジネスやエコシステムについてのセッションも含まれる。
テクニカルペーパー
テクニカルペーパー発表は、査読を経た最新の研究成果が発表される、カンファレンスの学術的中核をなす部分である。1セッションで3つの論文について約20分ずつ発表が行われる。発表後には質疑応答の時間も設けられる。
今回、筆者が著者の一人となった論文の発表もこのセッションで行われた。QIQBが中心となって作られた量子コンピュータ・クラウドサービスのソフトウェアスタックであるOQTPUSを紹介する発表である。詳しくは以下に関連リンクを貼るので、是非目を通していただければ幸いである。
- A Practical Open-Source Software Stack for a Cloud-Based Quantum Computing System(arXivへのリンク)
- セッション概要(TP82::QSYS::191:332:315 Software Infrastructure for Scalable Quantum Execution と書かれているセッション)
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OQTOPUSホームページ

宮永研究員によるOQTOPUSの紹介
ポスター
ポスターセッションは、研究者が自身の研究成果をポスター形式で展示し、参加者と直接対話する機会を提供している。企業ブースもある大きなホールに150枚ほどのポスターが掲示され、著者が説明に当たる。国内の学会でもよく見られる形式を想像して貰えればいい。

ポスターセッションの様子
列記したが、あくまで大まかなカテゴライズと考えたほうがいいと思う。スケジュール表を見てセッションに参加しても、思っていたより初歩的な内容だったり、PCに関連ソフトウェアをインストールをしただけで終わったりもある。セッション中も入退場は自由なので同一時間帯で見たいセッション候補を複数用意しておくのもいいだろう。
日本と違って積極的なセッションへの参加が求められることもある。アンケートに対しての挙手(リアルタイムにアンケート回答を画面表示するツールを使ったものも)、口頭での回答、横の参加者との自己紹介や議論がときたま促されるので、注意(?)してほしい。
気になったトピック
セッションがあまりに多いため、筆者が特に興味を持ったトピックについていくつか紹介する。かなり主観的な選択であることをご了承いただきたい。
FTQC (Fault-Tolerant Quantum Computing)
IBMのJay Gambetta氏がキーノートで「Software for the era of quantum advantage」と題して講演を行った際、最も注目を集めたトピックの一つがFTQCであった。IBMのロードマップが紹介され、2029年までに1億ゲートを超えるFTQCを実現する計画が示された。今後、数年間にわたってもっとも注目されるトピックがFTQCであることは間違いない。
量子技術についての論文や会議で、近年、再頻出となっているキーワードがNISQとFTQCである。2018年にJohn Preskillによって提供された概念で、NISQはNoisy Intermediate-Scale Quantumの略で、現在、実現されネット上で提供されていることもあるノイズの多い中規模量子コンピュータを指す。一方、FTQCはFault-Tolerant Quantum Computingの略で、量子誤り訂正を用いて大規模な量子計算を実現する技術を指す。
大まかに言えば、前者は過渡的で低性能な量子コンピュータで、後者は実用的な量子計算を可能にする高性能なものと考えてもらえればいい。
量子コンピュータの理論的な提案がなされた時期に前提とされたのは、量子状態が完全に制御され擾乱のないデバイスであり、その上で実用的なアルゴリズムが設計された。しかし、実際に作製された量子ビットは非常にノイズに弱く、外部環境の影響を受けやすい。これが量子コンピュータの実現を著しく困難にしている。
近年、IBMやGoogleをはじめとする企業が実際に量子デバイスを開発し、クラウド上で提供するようになった。しかし、これらのデバイスはノイズの影響を大きく受けているため、実用的な量子計算を行うには至っていない。つまり、NISQ era(NISQ時代)の量子コンピュータと言えるのである。
FTQCを実現するには、量子誤り訂正を用いてノイズの影響を抑制しなければならない。量子誤り訂正は、複数の物理量子ビットを組み合わせて一つの論理量子ビットを形成しエラーを検出するため、より多くの物理量子ビットが必要となる。効率的な量子誤り訂正とノイズの少ない大規模な量子ビットの実現が、FTQCへの道を開く鍵となる。
RL(Reinforcement Learning)
強化学習(Reinforcement Learning, RL)は、エージェントが環境と相互作用しながら収益を計算し最適な行動を学習する機械学習の一分野である。量子コンピューティングにおいても、RLの応用が注目されている。実用において社会変化をもたらした機械学習の応用は、極めて短期間に量子コンピューティングにおいても成果をもたらすのではないかと個人的には考えている。
著者が聴講したのは「AI Methods for Quantum Circuit Optimization: Session 1」である。
- セッション概要(TUT13 - AI Methods for Quantum Circuit Optimization: Session 1 書かれているセッション)
-
Practical and efficient quantum circuit synthesis and transpiling with Reinforcement
Learning(arXivへのリンク)
このセッションは、既にQiskit上でAI transpiler passesとして提供されている、強化学習を用いて量子回路を最適化する手法についてのチュートリアルである。ある量子回路を同一の量子計算を行う別の量子回路に置き換えることは「トランスパイル(transpile)」と呼ばれている。コンパイル(compile)と違って、同じ抽象度を持ったプログラム間での最適化を指す。
例えば、2つの量子ゲートで表される量子計算を、1つの量子ゲートで表される量子計算に置き換えることができれば、量子計算の実行時間を短縮や、ノイズの影響を抑制することができる。
提案手法では、ゲートレベルの回路合成に対して正負の報酬を設定して、強化学習エージェントが点数の高い回路を生成するように学習する。複数のベンチマークで従来手法を上回る性能を示しているとのことだった。
HPC(High-Performance Computing)
古典コンピュータを並列化や分散化することで高性能化を図るHPC(High-Performance Computing)は、量子コンピューティングと組み合わせることで新しい連携効果を生み出す可能性があると見られており、近年にわかに注目されている。誤解を恐れずに言えば「スパコンと量子コンピュータを結合させる試み」である。
今年のQuantum Weekでもそれに関するセッションがいくつか開催されていた。
著者が聴講したのは、
- セッション概要(TUT02 - Exploring the Challenges of Integrating HPC and Quantum Computing: Session 1 と書かれているセッション)
である。
HPCと量子コンピューティングを柔軟に組み合わせるときに生じるネットワーク遅延の問題やワークフローの最適化などが議論されていた。実用アルゴリズムが提案された瞬間に起きるであろう問題を先回りして解決しておこうという先回りの研究という印象を受けた。
おわりに
Quantum Weekは、量子コンピューティングの最新動向を把握し、様々な分野の専門家と交流する絶好の機会となっている。
また、研究者としては成果をアピールできる場である。QIQBのメンバーである三好健文特任教授を中心としたチームも、QTEM Best Paper Awardsで3位に入賞する[1]など、日本からの参加者も存在感を示している。

QIQB三好健文特任教授
来年はカナダ、トロントで開かれるQuantum Week 2026(9月13日-18日)に参加してみてはいかがだろうか?
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