ポエム: 大学入試数学の「悪問」
前書き
この文章はポエムです。
このポエムの主張することは
「出題側は受験生側に何を使ってはいけないのかという、客観的な正解が存在しない問題を考えさせるような出題をしてはいけない」「受験生側に降りかかっている判断の心理的コストは相当大きいんだぞ」
であり、入試問題としては悪だということです。[1]
前提知識
この文章で置いている仮定やら前提知識やら:
- 大学入試において、出題する大学側は「現行の学習指導要領範囲内」の出題という枷をかけている
- 難関大学では「発展的出題がある」旨の断りはある。
- 受験生には答案記述の際に「学習範囲内で解答せよ」などの範囲制約は課されていない。
- 文系が数III知識を使って解答してよいと明言されているケースがある。ん? 裏返すとこういう文言がある場合は大学の知識使っちゃダメなの?
- 高校までの教科書に出てくる内容は証明抜きで使ってよく、そうでないものは証明してから使うのが無難、とは言われている
- 受験生には年齢上限はない、高卒相当の受験資格を満たしていれば出身等の制約もない
- 外国人かもしれないし数学の専門家かもしれないし100歳かもしれない
- 大学側の採点に関して部分点などの採点方針はほぼ開示されていない
- かつて採点者だった方が引退後に言及しているケース等はあるけれど
- 試験であり、記述式、制限時間内の解答、与えられた解答用紙スペースに収まるように記述しないといけない、という条件なので受験生は完璧を尽くせるわけではなくどこかで妥協を強いられる。その一方で 1点(場合によってはそれ未満の点数)の違いで合否を分けるので、大問1問の配点が大きい数学において部分点の与える影響は大きい。
- 高校までの学習範囲では「定理」は出てくるし、定義っぽいものは出てくるが、数学的な意味での「定義」[2]や「公理」は言及されない。
- とくに「定理」と書かれていないものが何なのかは高校数学でさえ本当に言及されない。例:
- 三角形の合同条件
- 背理法
- 数学的帰納法の原理
- 挟みうちの原理
- とくに「定理」と書かれていないものが何なのかは高校数学でさえ本当に言及されない。例:
- 高校までには習わないロピタルの定理の使用が出題側から嫌われている問題
実例
- 2003年度 東大・前期・理系 第6問
円周率が 3.05 より大きいことを証明せよ。
世間では良問と言われている。これが入試でさえなければ良問と思うが、私はこれは大学入試問題としては悪問と考えている。
理由:受験生に数学の能力ではないある種の忖度を強いており、かつそれが直接合否に影響する結果を生じさせるから:
- 何を使ってはいけないのか (とくに学習済にもかかわらず使ってはいけない制約)
- 何を暗黙の裡に使ってよいのか
そういう判断能力も入試採点基準の一つであるというのであれば仕方がないが、つまり採点基準が公開されていないという問題でもある。[5]
高校までの教科書にあるものは自由に使ってよい、という基準は、出題側の枷である指導要領範囲内の知識で解答できる問題、という条件にも適合するので、受験生にとってはそこそこわかりやすい[6]し納得がいく指針といえる (そのうえでロピタルの定理を証明せずに使うリスクをとるかどうかは受験生の「自己責任」) 。がゆえに、教科書にあるにもかかわらず使えない例外が出るというのは、不公正が入る余地を生み出している、と考える。
以下に解答例を示して問題を具体的に説明していきたい。
それぞれ満点に対し何点の部分点(もしくは満点もしくは零点)を与えるべきか考えてみてほしい。
解答例 1
円周率はおよそ 3.14 である。(∵小学5年算数の教科書による)
「およそ」は概数であることを示しており、表示桁の1桁下を四捨五入した結果に一致する。したがって、
どうだろうか。大半の人はこれ 0 点と思っていそうで怖いのだが、私は出題者が反省して満点与えてもいいレベルと思っているのだ。
算数の教科書によっては「およそ3.14」が円周率を構成する定義あるいは公理であるかのように書かれている。これが定義あるいは公理だという立場で理解している受験者なら、この答案を避けることができない [7]。
もちろん使用した教科書の記述に依存する話であり、慎重にこういう書き方を避けている教科書もある。だが、大学入試の採点という視点で考えると、受験者がどの検定済教科書で学んだかに依存して合否が変わるとすれば大問題。「すべての教科書にこういう書き方がない」ことが確認できない限り[8]、この答案に関して妥当な落としどころが必要である。なお、受験者の年齢に上限が定められていないので、検定済教科書の探索範囲はおよそ1世紀分である。[9]
高校までで定義や公理の位置づけを学習することはないどころか「公理」という言葉もないはずだ [10]。明確に定理であるとは判別できない「およそ3.14」が定義/公理なのか定理なのかを入試の場で問うことは学習指導要領を逸脱する[11]ので、公理系の理解を問う意図があるとすれば入試問題としては失格であるといえる。
算数では「およそ3.14」を (糸を使ったりして実験的にそれらしく測定するものの) 数学的論証で求めることはないので、証明可能な「定理」ではないし、もちろん「定理」と書かれてもいない。直径がいくつかにかかわらず同じ比例定数であるのが正しいのかどうかについても同様なので、高校までの算数・数学では「円周率」の立場はそもそも不安定なのだ。
ついでに言えば、そもそも普通、数学の問題を解く際には、(リファレンスを示しておけば)定理であってもいちいち再度証明せずとも問題なく使えるはず [12] 。使えないケースというのは、使うなと明示されるケース、例えばその定理そのものを証明せよという出題くらいだろう。
解答例 2
逆に愚直に本来の円周率の定義[13] から攻めるとどうなるか。
円周率
ここで、半径
この円
また、正12角形
したがって、
題意は示された。
実際にこの方針の答案は普通にあっただろうし、世間の解答例にもよく見られるもの[15]だが、問題は、①の部分。これ本当ですか? [16]
この論証方針であれば 2点を結ぶ最短距離は線分である という命題(公理か定理かはともかく)に言及することが必須であると考える。はて、高校までの学習範囲内で、2点を結ぶ最短距離が線分である、という言及はあったかな? [17] なければ、証明しないと(入試では怖くて)使えない事柄である。
曲線が登場せず線分(折れ線)だけであれば、三角不等式もしくは余弦定理により事実であることは高校数学の範囲でもわかる。だが曲線の長さとの比較でも成立するだろうか? 自明ではないからこそ、たとえ循環論法と言われようとも
曲線の長さを現代数学流に折れ線の長さの上限値で定めれば線分の大小関係の論議に持ち込めるので証明可能だけれど、そんな定義は当然に学習指導要領範囲外なので大学側の想定解にはなりえない[19]。高校数学において曲線の長さは積分形で与えられるので、これを起点として直線が最短である証明はできるものの、少なくとも自明で済ませられる性質のものではないだろう。そして論証必須となると解答スペースと制限時間が気になるはずだ。
ユークリッドの「原論」では円周も含め曲線の長さを論じることは避けている [20]。アルキメデスは円周率を求めるにあたり、面積が
アルキメデスは公理として
2点を結ぶ曲線の長さは、凸であるもの同士ならば外側にあるほうが長い
というのを提示しているそうなので、この公理を認めれば線分は最も内側であるから正しい。高校までで習わない学習指導要領範囲外だと思うけど。
さて、このギャップ、何点減点に相当すると思いますか。
また指導要領範囲内という条件では何をどこまで言及すれば満点になるでしょう?
受験生は数学の道具なら大学レベルでも使ってもいいという立場 [21] なら、線分が最短距離であることを一言断るだけで十分だが、出題側は枷がある以上、枷の範囲内で数学的にギャップのない想定解を準備しなければならない。またその想定解に不足している答案に対して部分点をどうするのか、考えておかなければならない問題なのだ。
解答例 3
解答例2がダメというなら大小比較できる面積比較にするしかないね。
半径
半径1 の円(単位円)
内接正12角形
(以下略)
解答例1を認めない立場であれば、②もまた小学算数由来の公式であるから (中学校では小学校で習う公式を文字で書き直しただけだ)、同様に認められない、ということにならないか。こちらの公式の使用を認めるのであれば、その差は何だろうか? なにか忖度が働いてはいないだろうか?
この公式の使用も認められないのならば、この公式を証明しなければならなくなる。だが、積分で円の面積を求めるという行為は
なお、「円の面積公式に出てくる比例定数が円周率に正確に一致する」ことは、数学の立場では証明すべき定理である。円周率はあくまで「円周長と直径との比」が定義であって「円の面積と半径との比」という定義ではないから、証明しない限りは両者が偶然一致しているかのように見えるだけである。つまり証明しないうちは円の面積のほうの比例定数は「おおむね円周率のようだ」でしかない。もちろん小学校の教科書の記述では円の面積の公式が定義/公理なのか定理なのかは判別がつかないので公理であるという立場をとれるが、解答例1のロジックも同じである。
解答例 4
ウォリスの公式:
であり右辺各項は1より大きいので初項から求めると項数を増やすごとに単調増加する。したがって第8項までで計算を打ち切ったものよりも大きい:
であり、これを計算すると
題意は示された。
手計算は大変だがそれはさておき、一般に知られている円周率の公式を証明なしに持ち出して計算したら [24]、これは部分点だろうか?
ロピタルの定理の使用を認める立場ならこれは満点だろうか。
手計算だとかなり頑張る必要があるし、何項目まで計算すればたどり着くのかも試行錯誤になるから、頑張りは評価してほしいと思うけれど、「頑張り」は数学の採点基準ではないだろうとも思う。
解答例 5
余計な知識がなく教科書を愚直に読み込んでいる受験生ならこういう解答が思いつくだろう。
したがって
これを計算以下略。(解答例2と計算は同じ)
証明なしに③を使って問題ないと思うが [25]、ここまで簡潔な答案 (半角公式を使ってから数値計算するだけの素朴な計算問題 [26]) は解答例1と同じく嫌われそうな気もする。しかし、それを恐れて微分して増減表を書くのは変な話だ。
実際の入試の場だと余白のあまりまくる答案というのは不安になる。
まとめ
現実には解答例3か5が指導要領範囲内の正規ルートで、3が想定解法であるとは思う[27][28] のだが、高校数学まででは公理の体系を意識することは全くないので、解答例1も同様に正規ルートではないだろうか。
そうではないというのは、解答例1がほとんどトートロジーの論証であるから入試答案という受験者の能力を開示する目的にそぐわない答案だ、という、数学の枠外の恣意的判断が入っているからだと思う。だとすると解答例5も大幅減点の憂き目にあうのだろうか?
本来、数学なら、公理から出発して論証していれば、どれだけtrivialな論証であっても、高校生らしからぬ論証であっても、正しい論証のはずだ。
たぶん採点は意見が大きく割れると思う。
解答例2で進めたが①で証明できず行き詰って解答例1を書いたとしたらどうだろうか。最初から堂々と解答例1を書かずとも、白紙答案よりはましと思ってこういった答案を書く可能性は十分にあるのだ。[29]
また、解答例2のギャップは、数学の論証としては本当は致命的だが、入試の制限時間内の答案で減点をどれだけできるか? 実際に線分の長さの最小性をきちんと言及した答案はほとんどなさそうに思えるし。
これが入試ではなく校内の定期テストとかなら面白いけど。[30]
以上を踏まえた解答例(解答例2のギャップをなくしたもの)
円周率を
原点中心半径1の円
図の通り、円弧はY軸対称でY軸から両側に
また、線分
一方、
これを
したがって、曲線の長さの公式に当てはめると
とも表せる。
また線分
線分
である。
であるから、
また
ここで、三角関数の半角公式により、
であり、
したがって ③ に代入して、
ゆえに 円周率は 3.05 より大きいことが示された。
初版公開日: 2024/12/22
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問題を出すなとは言わないが、人生を賭けている受験生に気を使わせないような誘導なり明示的な配慮が必要 ↩︎
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Well-Definedとかの定義の作法 ↩︎
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定理の証明手順を知っていれば、それを具体ケースに置き換えてなぞれば定理名に言及しなくても済む話なんだから、嫌われるのは分かるんだけど ↩︎
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こっちはこれを使うことが本質的に設問を骨抜きにすることはないが、これを使うことで時間短縮になるので切実だった。だが受験生のほとんどはこの定理の一般形を知らないのもまた事実。 ↩︎
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採点基準を公開しない事情は理解できるので採点基準を公開せよというつもりはありません。逆に公開されていないがゆえ正解の見えない悩ませ方をする問題を出題するのが疑問、という意見です。 ↩︎
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社会人や日本の教育課程を経験していない人が受験する場合にはわかりやすいわけではないことに注意は必要 ↩︎
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暗記で
というのではなく教科書に記述されている事実を根拠に正しく論理展開している、というのが本稿で本質的に言いたいことである ↩︎3.14159 \cdots -
もちろん、過去から現在までどの教科書にもまったく存在しなければ、ありもしない定義を起点に論証しているのだから不正解=0点でよいだろう。 ↩︎
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教科書から根拠記述を探すというのは採点現場で実際にあったりするらしいが、現行教科書の範囲のよう。 ↩︎
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昭和52年ごろ?には公理とかあって現代数学寄りだったらしい。脱落者が多かったらしく割とすぐ消えたそうな。 ↩︎
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似て非なる話として:1999年度東大・文理共通・三角関数の加法定理の問題で一般角に対する三角関数の「定義」を問うたことがある。こちらは教科書に「定義」が書かれているので、丸暗記していれば解答できる問題だから指導要領を逸脱してはいない。丸暗記していない受験生には困る設問だけれど。 ↩︎
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ロピタルの定理やケーリー・ハミルトンの定理を使っていいのか問題にもつながる話だ ↩︎
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というが、任意の円・任意の直径に対して同一の比例定数になることを証明して円周率の存在を示さないとwell-definedではない、がそういう数学的な定義方法は高校数学までで学ばない ↩︎
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の近似値を「によよくよく」で覚えていて\sqrt{6} と書くと事故である。2.44949 \cdots であり、語呂合わせは四捨五入により切り上げられたもの ↩︎\sqrt{6}=2.4494897 \cdots -
参考書も含め「世間にある解答例は満点答案」というのは幻想である。にもかかかわらず、答案の書き方(作法)を教わる機会はあんまりない気がする。 ↩︎
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もちろん採点側は教科書をくまなく探索してそういう記述の存在確認が必要になる ↩︎
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通分した分子を
と変形する。0近傍で1-\cos{\theta}+\sin{\theta}<1-\cos^2{\theta}+\sin{\theta}=\sin{\theta}(\sin{\theta}+1) なので0<\cos{\theta}<1 を用いた。 ↩︎\cos^2{\theta}<\cos{\theta} -
受験生がそういう論証をするのは問題ないと考える ↩︎
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とはいえ「原論」は見た目で自明なものには論証を与えていなかったりする。第1命題の正三角形の作図について2円の交点の存在を証明せず自明に存在するものとして扱うなどしている ↩︎
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受験数学でロピタルの定理の使用を認めない立場の人は、この立場ではなく指導要領範囲内を目指さねばならない。 ↩︎
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天下りな
→\pi r^2 の面積挟み撃ち →\lim\limits_{\theta\to 0}{\frac{\sin{\theta}}{\theta}} の微分 → 積分による円の求積 = 置換積分で\sin{x} の微分を使う →\sin{x} という問題 ↩︎\pi r^2 -
よく知られている循環回避方法は、曲線の長さの定義(積分表示)を用いると弧長(=ラジアンの定義)が積分形でも表示できることを利用することで、積分形を置換積分せずにそのままの形で用い、不等式評価して挟みうちにするor扇形の面積の部分積分計算に代入して円の面積公式を得る、である。がそれだけで大問1問を超える記述量が必要だ ↩︎
-
不等式に持ち込めてそれなりの精度が手計算でも出せるような公式を知っている必要がある ↩︎
-
を求めるのに使う不等式の片割れ ↩︎\lim\limits_{\theta\to 0}{\frac{\sin{\theta}}{\theta}}=1 -
どころか、東大理系を受験するレベルだと
を覚えている人もそれなりにいるはずだし一桁の数の平方根の近似値も当然知っているだろうから、もはや算数だ ↩︎\sin{\frac{\pi}{12}}=\frac{\sqrt{6}-\sqrt{2}}{4} -
解答例5を東大は想定していなかった気がする。想定していたなら、東大の出題傾向としてもっと計算が面倒になるレベルの精度を要求する問題にしていそうだし。 ↩︎
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アルキメデスの方法の知識があると真っ先に解答例3が思いつくので、解答例5あたりは盲点になりがち。 ↩︎
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こういうパターンの場合、解答例2を消さずに残しておくほうがよい。 ↩︎
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この問題に手を付けられるレベルの生徒が赤点と戦っていることはないだろうし、後から採点結果の論議をしてもよいだろう。取り返しのつかないことになるとは思えない ↩︎
Discussion