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異業種で未経験からエンジニアになって今思うこと

2024/12/04に公開

はじめに

現在私はポート株式会社のSREエンジニアを務めています。

もともと、IT業界やWEB業界とはまったく違う業界でキャリアを積み、
異業種からエンジニアになりました。

エンジニアとしての業務歴は以下の通りです。

  • 派遣企業 サーバ・インフラエンジニア 2年
  • Web系開発企業(ポート) SREエンジニア 2年

仕事を辞めて一念発起してエンジニアを目指して、今まであっという間でした。
自分がエンジニアを目指したのは、非エンジニアだった前職の時代がルーツだったと感じます。

なので今までの自分のことを振り返ってみます。

1. 新卒時代

田舎に配属

私は地元の大学卒業後、新卒で物流業界の企業に就職しました。

総合職としての入社で、全国に約170人ぐらいの同期がいました。
みんなそれぞれの地域の支店に配属され、私と同じ地域の同期は10人程度でした。
田舎なのでそんなに多くないです。

もともと大学の頃から就職は東京がいいな、なんとなく大手の方がいいなと言う気持ちで、
特にこれがやりたいとか夢があるわけではない、ミーハーな大学生でした。
(20歳そこそこでやりたいことが決まっている人は個人的にすごいと思います)

晴れて就職を果たし、田舎から脱出して都会で働けたらいいな〜と思って
勤務地希望を東京とかにしていたのですが、入社前研修の面談で配属の辞令が言い渡され、
地元ではないけれど、地元の隣県の田舎に配属になりました。
(具体的な都道府県を言うと怒る人が出てくると思うので伏せます)

「やりたいこと」がわからない

当時の自分は「やりたいこと」がありませんでした。
「やりたいこと」がない、わからないし、見つからない、
だから「やりたくない」仕事も甘んじてやっていました。

総合職なので、いろいろなことをやらされます。
いわゆるジョブローテーションですね。
営業・人事・労務管理・接客・電話対応…
さらに物流関連なので倉庫での力仕事、フォークリフトの荷揚げ荷降ろし、トラックでの配送…
一応幹部候補です。現場のことをいろいろと知っておかないといけないからなのでしょう。

営業は特にきつかったです。
主に自社商品の売り込み、プレゼン…
新規開拓で飛び込み営業とかもやりました。

「やりたくないな〜」と思っていたことも何でも引き受けていた新人の頃の自分。
「やりたいこと」がないくせに「やりたくない」だけを言うのはわがままですから。
だから何でもやっていました。

マネジメント職での仕事

新卒は入社して4,5年ぐらい経つと管理職・準管理職のような立場を任せられます。
マネジメント系の仕事です。
現場の場合は、支店長・副支店長といったところです。
私の場合も同様でした。

当時の私は26,7歳ぐらい
部下となる社員の方たちは皆40~60代、親ほど歳が離れています。
その人たちに業務命令として指示を出さなければいけません。
これは思った以上に神経をすり減らします。
一回りも二回りも下の私の言うことに対して、素直に聞く人もいましたが、
中には反発的な態度を示す人もいました。
これは辛かったです。

管理職といっても、中間管理職ですから上からのプレッシャーもあります。
本社・本部での決定事項が降りてきて、現場社員に伝えないといけない。
その決定事項とやらが社員の反発を生みます。
「なんでそんな面倒なことしなくちゃならないんだ」「上の人間は現場のことを何にも知らない」
自分も同じくそう思っていました。
でも立場上、文句は言えません。
これも辛かったです。

当時の私の上司は「管理職は謝るのが仕事だ」と言いました。
ほんとにその通りで、1日に何回「申し訳ございませんでした」の言葉を発していたでしょう。
お客さんに対しての謝罪がほとんどですが、とにかく現場はトラブルが多い。
部下の失敗も責任者である自分が尻拭いをしたり、自分の時間を犠牲にして後始末をしたりする。
本当に辛かったです。

自分の中で
「仕事ってこんな辛い思いをしてまでしなきゃいけないの?」
と疑問を感じていました。
でもそれでもその仕事を続けていました。
親の期待もありました。
幹部候補として、出世をしてキャリアを積んでいくということを想像していたでしょう。

繰り返しですが、私は「やりたいこと」がわからない人間でした。
「やりたいこと」がないなら、嫌でもこの仕事を続けて出世していい加減ここから抜け出してやる
そんな想いでこの仕事を続けていました。

でもそんな想いでは仕事は続きませんでした。

我慢の限界

今まで「やりたくないこと」を続けてきた私はずっと我慢してきました。
でも、自分の中で我慢していたものがぷつんと切れてしまうことが起きました。

ある日の朝、上司に呼び出された私は、
「お前はやる気あるの?真剣に取り組んでいるように見えないよ」
と、言われました。

そんなことはない。自分は真剣に仕事に取り組んでいました。
会社のために身を粉にして、自分の時間を犠牲にして、
一生懸命仕事をしていました。
それを全否定されているように感じました。

でも振り返ってみると、
当時の私は表情も暗く、一生懸命やっているけれど肝心なところで手を抜いてたり、
社員とのコミュニケーションを大切にしなかったりと、
かなり悪い部分が目立っていたのだと思います。
だから上司の言うことは言葉はトゲがあったものの、その通りでした。

その上司から本気で怒られたのもこの時が初めてです。
おそらく上司からすると私に対して我慢の限界だったのでしょう。

「あ、もうこの仕事辞めよ」
初めてそう思いました。
もう続けられないのだなと。

自分の中で、先が見えてしまった感じです。
このまま出世できたとしてもずっと辛い思いをしながら仕事をしなければいけないんだなと。
そして初めて自分の「やりたいこと」を考えるようになりました。
とりあえず「やりたくないこと」もやるんだ!というのはいつまでも続かないのだと。

どんな仕事でも「やりたくない」こともやらないといけない場面はあると思います。
でも、それは程度問題です。
1日の仕事の中でほぼ100%近く「やりたくないこと」で埋め尽くされていたら、それは心が折れます。
このまま何も考えず、目の前にやってくる仕事だけやっていたら全て「やりたくない」仕事にふらふらと辿り着いてしまう。
だから自分の中で「やりたい」ことを探し始めるようになりました。

仕事を辞める日を決めて、その2ヶ月前に退職願を出しました。
上司、そのまた上司も面談に来て、慰留されました。
でももう自分の決意は固まっていたので、改めて退職したいと申し出て受理されました。

転職準備

今まで営業とか対人交渉とかをやってきましたが、
手に職をつけたい、自分のスキルを磨いて市場価値を上げる、
それを実現できる職業として思い浮かんだのがITエンジニアという仕事でした。
営業から技術の道にシフトチェンジです。

この選択が正解・不正解かは関係なく、これが初めて自分の中で「やりたいな〜」と思えることでした。

この頃はエンジニアになるためのプログラミングスクールとかもかなり流行っている印象でした。
異業種から転職に成功した、みたいな事例も広告とかで流れてきて、まぁ自分もそうなれたらいいな〜
みたいに思っていました。

とりあえずエンジニアはMacというイメージだったので、初めてMacBookを買いました。
退職するまでの休みの間に、教材でHTML,RubyとかPHPをやって勉強していて、イメージを掴んでいきました。

2. 無職で転職活動時代

独学と転職活動

仕事を辞めて、私は地元に戻ることにしました。
後に親にも仕事を辞めたことを話しますが、とても残念そうでした。

この時私は29の代、もうすぐ30代になろうとしている時、
無職でしかも今までのキャリアとは全く無関係の職種に転職しようとしている
時間がないな、という焦りは正直ありました。

ちなみに勉強はほぼ独学です。
スクールの料金が高すぎて無職状態の自分にはきつすぎました。
調べると、TechpitやUdemyなど優良な教材集があり、それらを使って勉強していました。

あと、Mentaでメンターを探しながらもやってました。
あるメンターが、「未経験はとりあえずGit使えればいい」みたいなことを言っていました。
でも「Gitって何?美味しいの?」
もうそんなレベルでした。
エンジニアの世界では当たり前でも、業種が違えば当たり前でない、なんてことはよくあると思います。

勉強はよくやってたなと自分でも思いました。
1日10~12時間ぐらい家にこもってずっとやってる日もありました。

肝心の転職活動ですが、やはり未経験だとかなり厳しかったです。
企業にエントリーするも、書類審査でバッサリ
面接すらさせてもらえないことが多い。

求人媒体は様々なサービスを利用していましたが、
人気企業、Web系企業などは即戦力を求めているので門前払いという感じでした。
なかには書類審査は通らなかったけど、ここを直した方がいいという改善点をあげ、フィードバックもらえた企業もありました。

なぜインフラに?

結局決まったのはインフラ系の案件を多く持つ派遣型の企業でした。
いわゆるSESです。

最初はアプリケーション開発エンジニア志望でした。
インフラは全く興味ありませんでした。
しかし、インフラの知識がなさすぎて困ることがありました。
転職のためのポートフォリオはみんなAWSを使っていましたが、当時の自分のAWSの知識はゼロに等しく、
EC2にデプロイしたはずが4xxか5xxエラーでアクセスできず、未解決のまま転職活動に臨み、
見事に粉砕していました。

だから、「結局どんなにいいアプリ作ったとしてもインフラがなければ存在しないに等しい」
インフラの重要性を思い知ると同時に、興味も湧いてきてそっちの道に進みたいと、
自然ななりゆきで転職先も決まった感じです。

ちなみに転職先の会社の社長さんは、インフラのメリットをこう述べていました。

  • インフラ系の仕事は流行り廃り関係ない いつの時代も需要がある
  • 開発言語は変化が早いが、インフラの知識は基礎の部分は変わらない
  • チーム開発より一人で黙々と考えてやるシーンが多く、職人気質な人に向いている

職人気質な部分は自分にあるなと思ったので、適正も感じました。

3. 派遣エンジニア時代

社内研修

転職先の企業で初めてエンジニアとしてのキャリアをスタートさせました。
SIer企業に派遣で案件に参画します。
PCは基本Windowsですが、そこまで大きな問題ではなかったです。

社内研修があったのですが、そこでもWindows中心で、
Windowsサーバ、仮想デスクトップ、Hyper-V、Powershellなどやりました。

そして研修終了後、担当営業の人が案件を獲得に成功し、
Linux環境でのシステム構築案件にアサインされることが決まりました。

SIerに派遣

某大手SIer企業が受け持っているシステム構築案件があり、
そこにプロパー社員の人と一緒にBP(ビジネスパートナー)として案件参画しました。

サーバーは基本 Red Hat Enterprise Linux 7系 といったところです。
一部AWSを使っている部分もありましたが、ほんの少し触れる程度でした。

WindowsでサーバーにSSHログインする場合は、基本 Tera Term を使います。
監視モニタリングは Zabbix

あとはExcelのパラシ(パラメーターシート)の整理が多かったです。
SIerならでは、という感じですが、
こういうドキュメントの整備も全体の中で大きな割合を占めていました。

クレジットカード案件

同じSIer企業で別の案件にシフトされることになりました。
某クレジットカード会社のサーバー更改案件でした。

VMWare Esxi や Kubernetes を利用している環境
もともと稼働していた物理サーバーをVM化やコンテナ化するという更改案件でした。

まぁこれはなかなか難易度が高く、しかも金融関連のシステムなので、
もうひとつひとつ作業が超超慎重に行われます。
絶対に失敗は許されない、ちょっとした障害でも起きたものなら一大事です。

金融系のような、エンタープライズ系システムは、サーバーやDB、ネットワーク、セキュリティ、
大人数が各グループに分かれて責任を持って作業を行います。
なのでシステム全体が巨大すぎで、どこで何が行われているかわからない、ということがしばしばあります。

でもこういう環境で仕事をできたのは、
自分のエンジニアのキャリアの中では良い経験になったと思っています。

AWS案件

最初にお世話になったSIer企業から離れ、次の案件に移ることになりました。

某チケット販売会社が各社共通で使う基盤をAWSで構築するものでした。

私にとって苦い思い出があるAWSです。
本格的にクラウド技術でインフラ構築の案件をやるのですが、
深く学んでみるとクラウドの面白さに気づきました。

オンプレ環境とかでは絶対実現できないような柔軟性とスピーディーさ、
いろんな技術の組み合わせではなく、AWSサービスで技術統一できることによりコストを抑えられる、
最新の技術アップデートによりどんどん便利になる面白さ、

まるで某牛丼屋のように
「はやい」「やすい」「おもしろい(うまい)」みたいな三拍子みたいな
魅力が詰まっているような感動を覚えました。

特にCloudFormationによるIaCは衝撃的で、
コード内容でそのインフラのパラメータや構成がある程度わかるので、
Excelでパラシを書くよりよっぽど良いなと感じました。

4. SREエンジニア時代

SREの魅力

AWS案件に関わるうちに次第に自分の中でAWSへの苦手意識が薄れていきました。

  • AWSをはじめとするクラウド技術により深く関わりたい、
  • オンプレの巨大システム構築では自分の触れられる技術の幅に限界があり、
    今いる会社だとその現状を打破できない

このような理由で、より自分の「やりたいこと」に近づくために転職することを決意しました。

単なるインフラエンジニアやサーバーエンジニアではなく、
SREエンジニアである方がよりアプリケーションエンジニアと近く仕事ができ、
自分の技術の幅が広がると感じました。

そして求人媒体を通して、今現在所属しているポート株式会社に出会い、
SREエンジニアとして勤務することになりました。

入社後は、AWSだけでなく、GitHub Actions, Datadog, Kubernetes, Cloudflareなど
いろいろなモダンな技術に触れられる機会があり、貴重な経験をしていると実感しています。

また、エンジニアだけでなくビジネス職の方も多数在籍している会社ですが、会社の雰囲気もとても良いです。

  • 社員の成長意欲が高く、会社が成長し続けていて活気あふれる職場である
  • 社員同士がオープンな雰囲気で、互いを讃えあう文化がある

だから今のこの環境にはとても満足です。
これからも技術の幅を広げていき、キャリアを積んでいきたいと思います。

説明できることもエンジニアの仕事

SREになって多くなるのが、
アプリケーションエンジニアに対してのインフラの説明をすることです。

ただIaCコーディングしていれば良いものではないです。
ちゃんと、なぜそのような設定にしたのか、これによってどのような変化が起きるか、
をチームメンバーに説明し、理解できるようにします。

SREはアプリエンジニアに対して快適な開発環境を提供しますが、
単なる技術力ではなく、人に説明する能力も仕事を潤滑にしていくための必須スキルといえます。

会社の利益を考えるのもエンジニアの仕事

今、SREエンジニアとして大きなテーマとして取り組んでいるのが
コストの最適化です。

サービスのプラットホーム構築で、AWSは欠かせません。
モニタリングツールとして障害対応の迅速な対応のために、Datadogは欠かせません。
アプリのスムーズなリリースのために GitHub Actions は欠かせません。

でもこれらってすごいお金がかかります。
必要だからといって、会社も無限にお金があるわけではないので、
コストの最適化は必須です。
最近では FinOps という言葉もあり、エンジニア × コスト の重要性は高まっていると感じます。

エンジニアになってつくづく思うのは、
自分の技術を高めるためだけを追い求めてるのはよくないなということです。
ユーザーにより良い体験を提供し、そのためのアプリ開発環境を良いものにし、
それにかかるコストとの兼ね合いを調整し続ける

例えば、粗利100万残すという目標を立てたとします。
利益率10%としたら売り上げ1000万あげなければいけません。
ここでコストを100万円削減したとします。
すると誰かが粗利100万を残すために1000万売り上げないといけないのが必要なくなります。
つまりコスト100万削減は1000万売り上げたことと同義になります。

少し極端な例ですが、でも、
「うちの会社業績好調だし、営業が1000万稼いでくれるよ」と
「がんばってコスト100万削減しよう」とでは、
エンジニアの仕事のクオリティは全く違ってくると思います。

まとめ

過去の経験は解釈の仕方でいくらでも変わる

前職時代での経験は意味がない?
そんなことはないと思います。

例えばエンジニアの業務はただコードを書く、構築するだけではありません。
それを人に説明したり、ドキュメントを整備したり、
対人スキルも重要です。

私は決して技術力の高いエンジニアではないです。
それでも未経験からやっていけたのはこのスキルが支えになっていました。
前職の営業時代に嫌というほど営業やプレゼンをしてきた
自分にはこれがありました。
技術力はあとから付いてきました。

転職を考えようとしても、
自分には大した経験もしてないしスキルがないから・・と諦め気味になる人も見かけます。
ですが、その意味のないと思い込んでいる経験もスキルも自分なりの解釈次第いくらでも変わります。

異業種での経験から今のエンジニアの仕事
それが一つの線でつながっているのだなと、そう感じています。

結論 エンジニアになってよかった?

良かったと思ってます。

自分の「やりたいこと」に近づけているからです。

前職時代は忙しさにかまけてました。
本当に心から自分のやりたいこと、そこに目を背けていた気がしました。
変に真面目だった気がします。

でも、
今の自分のいる場所は、親からの期待とか、周囲の大多数が賛同するとか、ではない
自分で選んで、自分の意思で今の場所にいる、

  • 周りの人間が「こっちの道がいいよ」と言い、でもやりたくない嫌なこと、
  • 周りの人間が「そっちの道はやめた方がいいよ」と言い、でも好きでやりたいこと、

前職時代で、前者の生き方を選んでいたのを、
後者の生き方に変えた

自分の意思で選んだ結果、自然と
「次は何をやりたい?」と自問自答できる
「やりたいこと」を探し続けられる人生になれたんだなと

「最初からエンジニアの道を選んでいたら幸せだったのでは?」
そう思う人もいるかもしれません。
でもあながちそうとは言い切れないかも。

前職時代に辛い思いをしたからこそ、今の環境に幸福を感じ感謝できているのかもしれません。
いろんなことをやってきて、消去法で最後に残ったピースが自分のやりたいこととして見つかった。
そう解釈もできます。

この記事を読んで、誰かのエールになれればとても嬉しいです。

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