マッチング理論による高校入試制度改革の概要
本稿では、経済学や計算機科学で研究が進むマッチング理論について、最近活用が期待されている公立高校入試制度改革を例に解説します。
1. はじめに:マッチング理論とは何か?
マッチング理論とは、ヒトとヒト、ヒトとモノ・サービスなどを希望を考慮した上で最適に組み合わせる方法を研究する理論です。マッチングと聞くとあまりなじみがないかもしれませんが、皆さんの生活の様々な場面でマッチングは行われています。例えば身近な例では、入試では「生徒と学校のマッチング」、就職では「求職者と企業のマッチング」、配属では「社員と部署のマッチング」、などが挙げられます。
上記で挙げたようなマッチングでは、「どのようなマッチングが望ましいのか?」ということが重要になります。例えば、入試では生徒はどんな学校に進学してもいいわけではなく、なるべく希望の学校に進学したいはずです。同様に学校もどんな生徒が進学しても良いわけではなく、試験の点数が高い生徒などに優先的に進学してほしいはずです。マッチング理論では生徒や学校といったマッチングの対象が持つ希望や優先度に基づいて望ましいマッチングを決めます。
また、望ましいマッチングが決まったら「そのマッチングをどのように実現するのか?」ということが問題になります。マッチング理論では直面する状況や望ましいマッチングの内容に合わせて、マッチングを決めるためのアルゴリズムを設計します。
2. 高校入試制度の「単願制」とその問題点
最近、公立高校入試制度の見直しが話題となっています。本稿では、マッチング理論が改革にどのように活用されているかについて解説します。
現在、日本の多くの都道府県の公立高校入試では単願制と呼ばれる制度が採用されています。単願制とは、受験生が出願できる公立高校は1校のみと定める仕組みです。要するに、高校受験は「一発勝負」であり、もしその1校に不合格だった場合、公立高校には進学できず、代わりに私立高校など別の道を考えざるを得なくなります。 単願制はシンプルな制度ですが、受験生にとって非常に大きなリスクとプレッシャーを伴います。そして、この仕組みが原因で毎年多くの不公平が生じています。具体的には以下の2つのような不公平が生じています:
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志望校選択の不公平 – 経済的に私立に進む余裕がない家庭では、「確実に公立に合格する」ことが最優先になります。その結果、本当はもっと上位校に合格できる実力があっても、安全策として自分の実力より難易度が低い学校を第一志望に出願せざるを得なくなります。このようにして、本来ならより適した学校に行けたはずの生徒が、リスク回避のために進学先のレベルを下げるケースが生まれています。
また、「どの高校なら合格できるか」を見極めるには、内申点や模試の偏差値、各校の競争倍率など膨大な情報と経験が必要です。多くの地域では中学校の先生が進路指導をしますが、特に都市部では高校の数も多く、合格可能性を正確に判断するのは非常に困難です。そのため塾など民間の模試データや指導に頼る家庭も多く、情報と戦略を持つ生徒が有利になります。 - マッチング結果の不公平 – 各受験生が上記のように緻密な受験戦略やリスク回避行動に基づいて志望校を決定すると、その結果生じるマッチングも不公平なものとなります。たとえば、リスクを回避して挑戦を諦めた生徒が本当に行きたかった学校に、自分より成績が低いものの情報戦略に長けた生徒が進学してしまう――という状況が典型例です。つまり単願制では、出願段階での不公平(挑戦校を選べるかどうか)に加えて、マッチング結果としての不公平(本来より低い優先順位の生徒が進学してしまう)が同時に発生します。結果として、生徒が努力で高めた学力が十分に報われず、学校側も本来欲しかった生徒を取り逃がす構造的なロスが生まれるのです。
では、どうすればこの状況を打開できるのでしょうか?次のセクションでは、マッチング理論の観点から提案されている解決策受入保留アルゴリズムを見てみましょう。
3. 受入保留アルゴリズムの概要
単願制の問題点を解決する新たな入試方式として注目されているのが、受入保留アルゴリズムにもとづく併願制です。受入保留アルゴリズムはゲールとシャープレーという2人の研究者により提案されたアルゴリズムで、マッチング理論において長年研究されてきました。このアルゴリズムに基づくマッチング制度はすでに海外の高校入試や日本国内の研修医と病院のマッチング(医師臨床研修マッチング)などで導入実績があります。
受入保留アルゴリズムのポイントは、生徒・学校双方の希望や条件を取り入れながらも、最終的に生徒一人につき合格できる公立高校は1校だけとなるように調整するところです。併願制とはいえ、「公立高校の定員を超えて合格者を出す」ことはありません。以下に仕組みの概要をステップごとに説明します。
- 志望順位の提出 – 受験生はあらかじめ「第1志望校、第2志望校…」という形で志望順リストを提出します。
- 進学優先順位の決定 – 試験の点数や内申点を基に、各高校は受験生に対して入学許可の優先順位を決めます。
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受入保留アルゴリズムの実行 – すべての生徒と学校の希望リストをコンピュータ上で処理し、以下の手順を繰り返します:
- 仮合格の提示 – 各受験生はまず自分の第1志望校に仮出願したとみなします。各高校は、自校を第1志望とした生徒の中から自校の優先順位上位(=点数が高い順)から定員数までの生徒を仮合格とし、それ以外の生徒はこの時点で不合格とします。仮合格となった生徒は一旦その高校に受け入れ枠を「キープ」された状態になります。
- 次点志望校への出願 – ステップ1で不合格となった生徒は、自分の次の志望校(第2志望)に出願します。各高校は新たに志願してきた生徒と、前のステップで仮合格としてキープしている生徒をあわせて候補とみなし、改めて優先順位の上位から定員数までを仮合格とし直します。つまり、この段階で各高校の仮合格者リストが更新される可能性があります。第2志望で出願した高得点の生徒がいれば、前のステップで仮合格だった生徒が押し出されて不合格になることもあります。逆に仮合格だった生徒がキープを維持するケースもあります。
- 繰り返しと終了 – 上記の「不合格者が次の志望校に出願する→各校が優先順位上位を仮合格にする」処理をすべての生徒がどこかの高校で仮合格になるか、もしくは全志望校に落ちてしまうまで繰り返します。最後まで残った仮合格者がそのまま最終合格者となり、各生徒はその時点で仮合格していた1校にのみ正式合格します。もし最後までどこにも仮合格できなかった生徒がいた場合、その生徒は残念ながら公立高校には進学できませんが、どの公立高校にも定員以上の合格者が出ないことが保証されます。
4. 受入保留アルゴリズムに基づく併願制の利点
では、このDA方式を導入すると実際に前述の単願制の問題点はどう解消されるのでしょうか?以下にその効果をまとめてみます。
- 志望校選択の不公平解消 – 受入保留アルゴリズムでは、合格確率や他の生徒の受験動向などを気にせず本当に行きたい学校をそのまま志望するのが最も得策になります。リスク回避的な出願や受験情報に基づく出願といった戦略的な志望校選択が無意味になるため、各生徒が自分の実力相応かそれ以上の学校に挑戦できます。この性質はマッチング理論では耐戦略性と呼ばれています。
- マッチング結果の不公平解消 – 受入保留アルゴリズムの結果は公平性の観点でも優れています。どの生徒も、最終的に自分が進学する学校より志望度が高い学校には、自分より学校側の優先順位(=入試の成績)が高い生徒しか合格していません。裏を返せば、「自分より成績の低いあの子が自分の志望校に合格していたのに自分は落ちた!」という不公平が起こらないのです。この性質はマッチング理論では安定性と呼ばれています。
このように、受入保留アルゴリズムは耐戦略性と安定性という望ましい性質によって、単願制において問題となっていた志望校選択及びマッチング結果の不公平を解消することが期待されています。
まとめ
本稿では、マッチング理論において古くから研究されてきた受入保留アルゴリズムが、高校入試に潜在する「志望校選択とマッチング結果の不公平」という問題をどのように解決し得るかを概観しました。今回は、生徒の志望順位と学校側の優先順位・定員だけでマッチングを決める、シンプルな設定を扱いましたが、実際の制度設計では 「志望校リストの長さに上限がある」「学科や地域枠など追加の受入制限がある」といった、より複雑な制約が存在します。こうした現実の制約下でも耐戦略性や安定性といった望ましい性質を満たすアルゴリズムを設計することで、様々なマッチング課題への理論の応用が期待されます。
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