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不動産分野で感じる「生産性」のねじれ

2024/03/22に公開

個人開発でplaceofというサービスを開発しているところ、必要があり不動産分野の調査をしています。「生産性」という概念が自分が感じていたものと違うことが度々あるというかいろいろ ねじれている 気がするので、少しまとめてみました。

不動産データベースを活用した業務の「生産性」とは?

日本には不動産業者同士のデータベースとしてREINSがあり、同じくアメリカにもMLSというデータベースがあります。どちらも「生産性」を阻害している!みたいな議論を現地の不動産周りのブログで見かけますが、「生産性」の方向性が全然違う気がします。
まず日本には「物件コンバーター」なる言葉があります。それはREINSへの入稿と各webポータルへの入稿はそれぞれ個別にする必要があり、それぞれの投稿先に適したデータを作る何かです。
一方で、MLSにはAPIがあり、アメリカのwebポータル(Zillowなど)はそのデータと同期して表示しています。日本の場合は、その「物件コンバーター」が使いにくいとかの話でありアメリカの場合はAPIが使いにくいなどの話が「生産性」を阻害している!みたいな議論として、全く別物です。

不動産データ掲載のために金を払うのは誰?

MLSのAPIからデータを取得するため、アメリカのwebポータルの掲載件数はあまり変わらないようです。また、データを取得する際に、webポータル側はMLSからのいろいろな条件を受け入れつつお金を払っているようです。

アメリカのwebポータルは買主側エージェントからの収入が多い

2023年第4四半期のプレゼン資料[1]を見ると、Zillowの売上で半分近くは買主側エージェントからのものです。

興味深いことに、売主側が物件を目立つところに置くオプションみたいのは無いようです[2]。また、どのwebポータルも掲載内容に大きな違いは無いので、最大手のZillowでさえ成約課金のような課金体系も導入しています。

日本の場合は、、、

日本の場合は、REINSの運営のために各不動産業者は少なくないお金を払っているのに、そのデータをwebポータルに売るのではなくて、webポータルに掲載料を払っているのは不思議な気がします。
MLSとアメリカのwebポータル、REINSと日本のwebポータル、の力関係を見ると何かがねじれています。日本の不動産の業界団体がどのような利益を代表しているのか、良く分からない感じもします。

アメリカのMLSと日本のREINSの設計思想が違いすぎるのでは?

アメリカのMLSは単なる不動産データベースというよりも「売主側と買主側が適切に協力するデータベース」みたいな設計思想を感じます。その背景にはアメリカ社会の「不動産は公共財」というような感覚もあるのだと思います。

不動産は公共財

アメリカでマイホームを所有するには様々な規制があります。HOA、建築規制、戸建てしか建てられない用途地域が75%[3]。。。国有地も多く、その管理の仕方も違います[4]。土地の強制収用("eminent domain")も日本より激しいです[5]
多分こうした「不動産は公共財」的感覚はヨーロッパの国々も近いものを持っているのだとは思います。

協力のためのデータベース

ヨーロッパとは違い、アメリカが独自の業者間不動産データベースを構築することになったのは、1929年の大恐慌後の経済政策が影響している印象です[6]。1938年には「Fannie Mae」なる住宅ローンを買い取る機構を作っていますが、そこには既存住宅売買取引を活発化させたいというような意思があったようです[7]
そのなかで、「新参者」が不動産取引には重要という共通認識が形成され、「売主側と買主側が協力するデータベース」が生まれたのだと思います。重要なのは、売主側エージェントはこのMLSにほぼ強制的に情報を提出させられますが、それを自らの利益だと考えている人が多いことです。

REINSの設計思想

良く分かりません。

REINSを公開して何か意味があるのか?

「REINSを公開するべき!」「情報の非対称性を無くすべき!」みたいなのも不思議に感じます。REINSの設計思想は不明とはいえ、個々の日本の不動産業者がREINSに情報を登録するモチベーションをそこまで持っていない印象があり、実際に売買・賃貸ともに登録率も高くないと推測されるので、多分そのデータを一般公開してもあまり意味が無いと思われます。

日本では、健康保険がほぼ強制参加のゲームかと思います。アメリカでは不動産が強制参加のゲームで健康保険はゆるいというように、逆のねじれが生まれているのも興味深いです[8]

おとり物件は何故日本だけにしかないのか?

「おとり物件」という言葉も日本にしかないと思われます。そして改善案もどこか日本っぽいです。

アメリカにおとり物件がない理由

アメリカの場合は、webポータルと数百あるMLSがAPIで自動連携していて、契約しているMLSが同じであれば基本的にどのポータルを見ても、情報は同じようです。mlsとwebポータルが契約しているときは、どのポータルにデータを出す出さないみたいな情報コントロール権は売り主には無いようです(FSBOなどで自分で売却プロセスを主導しない限り)。なお、あるwebポータルで物件のデータを更新したい場合は基本的にMLSのデータを更新する必要があります[9]

不動産データベースが無い国におとり物件がない理由

不動産業者同士のデータベースが無い国[10]では、物件所有者から依頼を受けたエージェントは自分のネットワークで買い主を探すかwebポータルに直接投稿するようです(もしかしたら「物件コンバーター」はあるかも)。もし「おとり物件」を掲載したらそれは限りなく「詐欺」に近いのでしょう[11]

結局、日本で「おとり物件」があるのは、不動産データベースとwebポータルの情報のずれを解消するのが手間だから、ということになります。

不動産IDで解決するのか?

現在個別の不動産にIDを付ける「不動産ID」が政府より提唱されており、物流や災害分野などでは非常に有効だと思われますが、「おとり物件」を無くすことにも期待があるようです。
各物件にUniue Keyがあれば、確かに「おとり物件」は少なくなるのでしょうが、REINSのWebhook APIがあるわけではないので全てのwebポータルは公開している数百万件の物件の現在のstatusを確認するには定期的にREINSにアクセスする必要があると思われます。そもそも、それならば、REINS内での物件のUnique Keyを使っても出来るような気もします。
「おとり物件」を無くすためにそこまでのサーバーコストを掛ける必要があるのか、良くわからないですが、今の日本の不動産業の慣習を前提[12]とすると、REINSを無くすのが一番手っ取り早い気がします。ただ、それだと国交省的に難しく、REINSがAPIを有料で公開すると既存のwebポータルにとり競争環境が大きく変わるので、不動産IDが落とし所なのでしょうか。

そもそも重要事項説明書は「重要」なのか?

重要事項説明が電子書面でもOKになりました!、というような規制緩和により日本の住宅取引も完全にオンライン完結が可能になり「生産性」が上がる期待がされていますが、他の法定開示事項がある国[13]とは何かが違う気がします。
それをまだ言語化出来る能力が無いのですが、「権利関係が難しくない限り、法定開示事項の多くが自分で調査できる」「その物件の今の状態のような法定開示事項がほとんど無い」「重要事項の開示が契約当日のケースが多い」「重要事項説明以外の事項の説明を回避される傾向がある」「ババ抜きみたいになってる」などなどでしょうか。たとえば、日本で物件を引っ越す人の多くは「音」「断熱」の問題があるようです[14]が、C値やL値が事前に説明される、とかではないです。
そもそも日本は「重要事項説明」大国で、保険でも中小企業のM&Aでもそのような概念があります。契約内容のサマリーが何故こんなにも好きなのか、は不明ですが、契約内容を特定するのが下手でトラブルになりやすい、行政の天下り先を増やしたいとかでしょうか。
こうした必要なのか必要ではないのか良く分からない規制のために仰々しくなるのも不思議です。どちらかといえば1~2週間前に契約書(+そのサマリー)を送付して、検討期間を与えれば良いだけにも感じます。アメリカではこのような政府による儀式も特になくSight Unseen Offerが増えているようです[15][16]

(番外編) アメリカで今起きていること

何故買主側エージェント産業が成立するのか?

Zillowの売上の半分程度が買い主エージェントから来ている点は、よく考えると不思議に感じます。というのも、買い主はZillowで物件を自分で見つけることが多く、契約までオンラインで完結するようなSight Unseen Offersも一定数あるぐらいなので、買い主が直接売り主エージェントに問い合わせても良い気がします。
買い主エージェント産業が成立している重要な背景は、NARの規制で「売り主側が買い主エージェントの手数料を決める」というような規則がある[17]からですが、この規制が独禁法違反なのではという訴訟が多発しており、一部の訴訟では18億ドルの損害賠償額を陪審員が認定しましたが、一連の訴訟はNARが数日前に突然和解に応じたため終了するようです(バークシャー・ハサウェイ系の不動産会社は和解しなかったようです)。

和解案はアメリカの不動産産業を「日本化」させるか?

この和解案を見ると、買い主エージェントを使わない買い主が増えるのでは?、今後買い主エージェントという産業が成立するのか?、疑問を感じています。そのときに売り主エージェントが取引をまとめるような「両手仲介」なり、「一般媒介(open listing)」で「協力するデータベース」であるMLSにデータ登録を避けたり、MLSにデータを登録しても有効活用しないような「囲い込み」なり、「日本化」が進むかもしれないです。
不動産データベースがないイギリスが双方代理(dual agency)も出来ない[18]ように、買い主エージェントがアメリカから居なくなっても「不動産データベース」は一応存在し多くの州で双方代理も可能なので、一番近くなるのは日本である気がします。
また、Zillowとは違い"your listing your lead"のような売主側エージェントから収入を得るビジネスモデルであるhomes.comがアメリカNO.1の不動産ポータルになる可能性もあるかもです。ただ、どのwebポータルでも基本的にはデータが同じならば、潜在的買主をどれだけ集客できるかが重要で、その点に関しては大きな変化はない気がします。売主側がどのwebポータルにデータを出すか出さないかを自己決定出来るようになると、状況はまた変わるかもしれません。

まとめ

日米の不動産業の平均収入なり生産性なりアメリカとの差があることは事実のようです[19]

様々な媒体で日本の不動産関連の記事で「生産性向上!」みたいなスローガンを見ますが、そのたびに何かいつも微妙な違和感があったのですが、少しずつその正体が分かってきた気がしています。
恐らくこうした微妙な違和感は他の分野にもあると思います。エンジニアの業務では「生産性」という言葉をよく聞くと思いますが、その「生産性」はエンジニアがアプリオリに感じる「生産性」ではなくて、微妙にねじれた「生産性」を追求する必要がある、みたいなところでしょうか。
今回は自分が感じているねじれを言語化してみたかったのですが、「アメリカが最も参考にならないのに最も参考にした」「利害関係者が多く解決案があさってになりがち」「業界団体が必ずしも利益を代表していない」「日本がアメリカ化しようとしているときに、アメリカが急に日本化」「一見不合理なルールが合理的なのかも」みたいな日本あるある(「ジャパンパターン」)をまとめて行くのも重要な気がしています。

脚注
  1. https://s24.q4cdn.com/723050407/files/doc_earnings/2023/q4/presentation/Zillow-4Q23-Investor-Presentation.pdf ↩︎

  2. realtor.comには"listing promotion"のようなオプションがあり。Zillowも2024年2月頃に入って初めて売り主側のソリューションを市場投入↩︎

  3. https://en.wikipedia.org/wiki/Single-family_zoning ↩︎

  4. https://toyokeizai.net/articles/-/447956 ↩︎

  5. こちらの動画が参考になります https://www.youtube.com/watch?v=w0cCF2pG13U ↩︎

  6. オランダの不動産業者団体NVMが運営するfunda https://www.funda.nl/ はMLSに近いらしいです ↩︎

  7. どの本だったか覚えていないですが、多分森利博著『アメリカ住宅金融の仕組みと証券化: サブプライム危機以降の課題と展望』に記載があった気がします。 ↩︎

  8. 災害大国の日本で不動産は公共財のように考える人が少ないのも不思議です。恐らく、日本の歴史では、7世紀の「班田収授法」の崩壊以降、地方の為政者は新田開発や土地開発よりも、税徴収に徹する傾向があったと思われることが関係している気がします。江戸時代の参勤交代が地方の公共セクターの予算を奪っていた点も重要かもしれません。大規模なインフラは中央政府が作る印象もあります。日本では地方の土地開発主体として民間セクターが重要な役割を果たしていたことが、土地「所有権」に対する独特の感覚を形成した、とかでしょうか。「田部 長右衛門」のような大規模土地所有をする民間人なり「徳川の森」のような為政者が大規模土地所有していた範囲なり同時期のヨーロッパと比較すると面白い気がしています。 ↩︎

  9. ZillowのFAQより: 物件写真の更新物件を編集 ↩︎

  10. 実は意外に多く、不動産透明度インデックス1位のイギリスにも3位のフランスにも無いようです ↩︎

  11. とはいえ、勝手に掲載されることはあるらしいので、「おとり物件」は日本だけではないのかもです。https://viefrance.exblog.jp/668466 ↩︎

  12. 登記との差をみると全流通量の10~20%ぐらいしか登録されていないようです。レインズの売買成約件数(14万件)と既存住宅の所有権移転登記(FRKの推計で50~60万件)での差。アメリカとは違い一般媒介契約も多く、20~30%/年。2012年の国交省の資料によると、REINSに登録されていても内容が薄く、登録するインセンティブの薄さを示唆しています。 ↩︎

  13. https://www.jstage.jst.go.jp/article/jares/25/3/25_26/_pdf/-char/ja ↩︎

  14. https://www.kenbiya.com/ar/ns/research/chintai_market/120.html ↩︎

  15. https://www.redfin.com/news/remote-homebuying-surges-to-new-high/ https://orchard.com/blog/posts/how-to-buy-a-house-online ↩︎

  16. イギリスでは不動産契約書に電子署名を認めるべきか、などの論点 https://goodmove.co.uk/blog/buying-advice/can-house-sale-contracts-be-signed-electronically/ フランス・ドイツでは公証人が立会う不動産契約のデジタル化の論点などがあり、不動産取引全体のデジタル化は進んでいない印象です。 ↩︎

  17. この一見不合理な「売り主側が買い主エージェントの手数料を決める」制度は「新参者」の参加をスムーズにさせているもしれないです。アメリカの不動産市場が「日本化」したときに、それはアメリカ経済並びに世界経済の没落につながるのでしょうか。それとも日本との決定的な違いを寧ろ感じるきっかけになるでしょうか。 ↩︎

  18. https://itraglobal.com/blog/dual-agency-banned-in-uk ↩︎

  19. https://www.jpc-net.jp/research/assets/pdf/10bad8fb307149202fee4c4be50b5f9d_1.pdf ↩︎

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