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私の考え方・仕事の仕方に影響を与えた書籍たち

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はじめに

本記事で紹介する書籍が、令和の今を生きる皆様にそのままおすすめできるかというと、正直なところ少し微妙です。なぜなら、同じ内容をよりわかりやすく説明した本が後に出版されていることが多いからです。
それでも、ここで取り上げる本は刊行当時、人真似では決して書けない独自の視点と内容を持って世に出たのは間違いありません。物好きな方は、ぜひ私の紹介にお付き合いいただければ幸いです。

「超」整理法

  • 著者:野口悠紀雄
  • 出版社:中央公論社
  • 初版刊行:1993年
  • 私が読んだ年:1997年

本書が画期的だったのは、まだPCが一般家庭や職場に十分普及していなかった時代に、情報整理の方法として「ガーベジコレクション(GC)的発想」を導入していた点にあります。

従来の整理術は、分野別や用途別に分類して「どこに置くか」を人間が決める静的な方法でした。しかし野口氏は、書類や情報をすべて時系列で一元的に積み上げ、参照されるものは自然に上に残り、参照されないものは下に沈んで忘れ去られるという動的な仕組みを提示しました。これはまさに「参照されない情報は死ぬ」というリファレンスカウント的な考えであり、また「短命情報は消え、長寿情報だけが生き残る」というジェネレーションスキャベンジング的な思想でもあります。

分類の正しさに依存せず、利用パターンに応じて情報の生死が自然に決まる──この視点は当時の整理術には存在しなかったものであり、のちにデジタル情報管理や検索前提社会の基盤となる思想を先取りしていました。PC時代到来を見越し、人間の手作業による分類を超えて「利用実態に即した動的管理」へと発想を転換した先見性こそが、『「超」整理法』の真の凄さです。

私は、高校時代にこの本を読みましたが、大学生になり、社会人になり、という過程において一層この本で言われていることの合理性を実感して行くことになりました。

ノンデザイナーズ・デザインブック

  • 著者:ロビン・ウィリアムズ (訳:米谷テツヤ他)
  • 出版社:マイナビ出版
  • 初版刊行:1998年
  • 私が読んだ年:2001年

私にとって『ノンデザイナーズ・デザインブック』(初版)は、学生時代に出会った最も重要な本の一つです。インターネットが一般に広まり始めた2000年前後の頃、ホームページやPowerPointのスライドは目も当てられないほど無秩序でした。レインボーの文字装飾、星空の背景に白抜き文字、行揃えの崩れたレイアウト――そんな「デザインのカオス」が社会を覆っていました。当時、この状況に対して「本来あるべきデザインの姿」を誰にでもわかる形で提示したのは、この本以外に存在しなかったのです。

著者ロビン・ウィリアムズが示した「近接・整列・反復・対比」という4原則は、シンプルでありながら普遍性を備えたものでした。私は大学のレポート作成においても、Microsoft Wordは使わず、Microsoft Publisherで段組を組み、文章を流し込み、見出しや余白に徹底的にこだわりました。当時の私の文書作成作法は本書から多大な影響を受けていたと言えます。

重要なのは、当時はまだ「整えられたテンプレート」が存在しなかったことです。今でこそブログやSNSは、すでにプロのデザイナーがCSSを設計し、見出しや段落の行間、文字サイズ、余白に至るまで最適化されています。私たちはただ文章を流し込むだけで、誰もが「それなりに見栄えのするページ」を手にできます。しかし90年代はそうではありませんでした。ホームページビルダーやHTMLを自分で打ちながら、配色やフォント、段組を試行錯誤しなければならず、ちょっと気を抜けばすぐに悪趣味なページになってしまったのです。だからこそ、『ノンデザイナーズ〜』の示したシンプルな原則は、私のような素人にとって実際的な武器となりました。

加えて、この本を手に入れた場所も象徴的でした。私はヴィレッジヴァンガード一号店、まるで倉庫を改造したような雑多な空間でこの本と出会いました。カルチャーのカオスを編集して提示するその店で、秩序の原理を説く一冊に出会ったことは、今も自分の体験の核となっています。その後ヴィレッジヴァンガードはイオンモールのテナントとして全国に広がり、やがてミーハー化と陳腐化を経て衰退していきましたが、原点の場で出会ったという事実は特別な意味を持ち続けています。

初版と二版は水色やオレンジの単色刷りという潔い装丁でした。それは色に頼らず「形と構造こそがデザインの本質である」と無言で語るかのような神々しさを放っていました。しかし三版以降はフルカラー化され、書店に並ぶ他の実用書と大差ない存在感になって個人的にはちょっと残念でした。さらに2010年代に入ると、「伝わるスライド」「図解のルール」といった類書が雨後の筍のように現れ、この本の独自性は霞んでいきました。ただ、これは逆説的にですが、それはこの本が「デザインをセンスからルールへ」と翻訳した思想が広く浸透した証でもあります。

ライト、ついてますか ‐ 問題発見の人間学

  • 著者:ドナルド・C・ゴース / G・M・ワインバーグ (訳:木村泉)
  • 出版社:共立出版
  • 初版刊行:1987年
  • 私が読んだ年:2002年

大学時代に出会って衝撃を受けた本です。本書は一見するとシステム開発やマネジメントの本に見えますが、その実態は「問題とは何か?」を問い直す寓話集です。

冒頭に登場する「ブロントサウルス・タワービル」のエレベーターの例は象徴的です。入居者は「エレベーターが遅い」と苦情を言うのですが、解決すべき問題は本当に速度なのか、それとも待ち時間のストレスなのか、あるいは苦情自体をなくすことなのか――立場によって定義がまったく変わります。ここから「問題は与えられるものではなく、定義するものだ」という視点を学ぶことができます。

さらにタイトルとなった「ライト、ついてますか?」の問いかけは、スイスのトンネルで掲げられた実際の標識に由来しています。「ライトを点けよ」と命令するのではなく「ついてますか?」と問うことで、ドライバー自身に気づきを促し、結果として行動を変えたのです。説明や説得よりも、シンプルな問いの力が状況を変える――このエピソードは一度読んだら忘れられません。

2000年代前半、ラテラルシンキングやクリティカルシンキングが日本で流行するより前に、問題解決の本質を寓話で示した書籍はほとんど存在しませんでした。だからこそ、本書は当時の自分にとって強烈な衝撃でした。工学的な題材を扱いながら哲学的でもあり、「問題解決とは何か」を根底から揺さぶってくれる本なのです。

C言語ポインタ完全制覇

  • 著者:前橋和弥
  • 出版社:技術評論社
  • 初版刊行:2001年
  • 私が読んだ年:2004年

2000年に刊行された前橋和弥氏の『C言語ポインタ完全制覇』は、今なお高い評価に値する一冊です。C言語学習で最大の壁となるポインタについて、単なる「アドレスを扱う変数」という定義にとどまらず、なぜ初心者が混乱するのかを分析し、その誤解を解きほぐしながら理解へ導く構成になっています。メモリと変数の関係を図解で明示し、配列とポインタの相違や*p++といった記法の落とし穴まで丁寧に説明しており、教育的に見ても今なお先進的です。

私自身、2000年代半ばに文系学部からSIerへ就職しました。当時の新入社員研修はC言語が中心で、文系出身者にとってポインタは特に大きな課題でした。その際に本書に助けられた経験があります。難解な概念を曖昧にせず、誤解の生まれる理由を明示した上で解説するため、理解が進みやすかったのです。また、著者が同じ名古屋出身であると知り、身近さを感じたのも印象に残っています。

IT技術書は数年で絶版になるケースが多い中、本書はC言語需要が縮小していた2010年代に改訂版が刊行されました。これは、本書が一時的な流行り本ではなく、長期にわたり信頼され続けた教材であることを示しています。現在、C言語を学ぶ場は工学系に限られることが多くなっていますが、ポインタをここまで体系的に解説できる書籍は依然として数少ないのが現状です。

本書はC言語を学ぶ学生やエンジニアにとって、つまずきを乗り越えるための有効な手段であり続けています。プログラミング教育の観点から見ても、先進的な教材としての意義を持つ一冊です。

WSHクイックリファレンス

  • 著者:羽山博
  • 出版社:オライリー・ジャパン
  • 初版刊行:1999年
  • 私が読んだ年:2004年

2000年代半ばに新卒で社会人になった私は、文系出身でC言語研修を終えたばかりの状態でサーバー管理・構築の部隊に配属されました。ところが、先輩から教わったコマンドを誤って入力し、お客様に迷惑をかけるという痛いアクシデントを起こしてしまったのです。そのとき強く思ったのは、「人間が手で入力する以上、ミスは必ず起きる。ならば自動化で補うしかない」ということでした。

そこで出会ったのが「WSHクイックリファレンス」です。当時はWindowsで業務を自動化する手段といえばWSHくらいしかなく、しかも情報はほとんど英語の公式ドキュメント頼み。そんな中で、この本は日本語でまとまっていて、現場ですぐに使える辞書のような存在でした。Excelを外部から操作できる、メッセージボックスで通知できるといったWSHならではの便利さを、この本を片手に学びながら実践できたのをよく覚えています。人間の不注意で事故を起こす代わりに、スクリプトに任せて安心して作業できるようになった経験は、今でも私のエンジニアとしての基礎になっています。

もっとも、今この本を読む意味はほとんどありません。同じオライリーの本で業務自動化を学ぶなら「入門Python3」を読む方が圧倒的に有利です。というか、正直に言えばAIにコードを書かせた方が早くて安全です。「WSHクイックリファレンス」が輝いたのは、あの時代に唯一の“現場即戦力のスクリプト辞書”だったからです。今となっては、過去の技術史を知る資料としての価値が主でしょう。

私にとってこの本は、単なる技術書という以上に、新人の頃のワタシに作業自動化マインドを与えた思い出深い一冊です。WSHがレガシーとなった今も、その教訓はPowerShellやPython、そしてAI時代の自動化にまで受け継がれていると感じています。

オブジェクト指向でなぜ作るのか

  • 著者:平澤章
  • 出版社:日経BP
  • 初版刊行:2004年
  • 私が読んだ年:2004年

私が新人時代に読んだ技術書の中で、特に記憶に残っているのが本書です。2004年当時、多くのオブジェクト指向関連書籍は、JavaやC++の文法を解説する内容に偏っており、クラスや継承の書き方を学ぶことはできても、「なぜオブジェクト指向で設計する必要があるのか」という根本的な疑問には答えていませんでした。私自身も入社前に短期のJava講座を受講しましたが、文法を覚えても理解が進まず、なぜそうするのかが見えない状態でした。その後、本書を手にしたことで、ようやく全体像を理解し始めることができました。

本書が優れている点は、オブジェクト指向を抽象的な概念として語るのではなく、メモリ構造に即して解説していることです。オブジェクトは単なる“入れ物”ではなく、メモリ上に確保された領域であり、そこに状態や振る舞いが結びついていることを具体的に説明しています。さらに、参照、カプセル化、継承といった要素が、ソフトウェア開発における複雑性の制御や将来の変更への対応にどう役立つのかを実際の仕組みと関連付けて論じています。このように、オブジェクト指向を思想と実装の両面から理解できる構成は、単なる文法書やデザインパターン集とは異なる説得力を持っていました。

当時はガーベジコレクション(GC)付き言語が普及し、「newすればGCが処理してくれる」という意識が広まり、開発者がメモリを深く考えなくてもよいという風潮がありました。しかし本書は、たとえGCが存在してもメモリの基本構造を理解していなければ性能や設計上の問題に対応できないと指摘しており、その姿勢は今読んでも古びていません。

もう一つ特筆すべき点は、この本が日経BPの「なぜ作るのか」シリーズの中で唯一、異例の2度の改訂を経たことです。シリーズの多くの書籍は一度刊行されれば数年で役目を終えましたが、本書だけは長く読み継がれ、改訂が重ねられました。これは、内容が特定の言語やツールに依存せず、普遍的な問題意識を扱っていたからだと考えられます。現場の課題に直結する「なぜ」を問い続けたため、世代を超えて読まれ続けたのです。

AIによってコード生成が容易になった現在、文法や構文を覚えるだけでは価値を持ちにくくなっています。その一方で、「なぜその設計を選ぶのか」という視点の重要性はむしろ高まっています。『オブジェクト指向でなぜ作るのか』は、その問いに真正面から答える数少ない本であり、今後も参照され続ける意義を持つと考えています。

Joel on Software

  • 著者:ジョエル・スポルスキ (訳:青木靖)
  • 出版社:オーム社
  • 初版刊行:2005年
  • 私が読んだ年:2005年

『Joel on Software』は、米国のエンジニアであるジョエル・スポルスキ が2000年代初頭に発信したブログ記事をまとめた一冊であり、ソフトウェア開発の現場を生々しく描いた点で今なお評価され続けています。本書の凄さは、技術的なハウツーではなく、開発を取り巻く人や組織、文化を等身大に語っているところにあります。

私自身、この本に出会ったとき強く感じたのは、「アメリカの現場も結局、日本と大差ない」という事実でした。当時私は『闘うプログラマー』を読んで、「米国のエンジニアは天才ぞろいで、日本は凡庸」といった幻想を抱いていました。しかし ジョエル が描く世界には、できないエンジニアや無能な上司、政治的な社内事情があふれていました。これは衝撃的でしたし、同時に「日本だけが特別にダメなのではない」と安心感すら覚えたことを記憶しています。

また、本書で最も印象に残ったのは「プログラマーの雇用方針」のくだりです。ジョエル は「優秀なプログラマは凡庸なプログラマの10倍の成果を出す」と断言し、採用の重要性を繰り返し強調します。そして「妥協して普通の人材を採るくらいなら、ポジションを空けておけ」とまで言い切ります。この主張は、当時日本の現場で頻繁に叫ばれていた「属人性を排除せよ」「誰でもできる仕事に落とし込め」といった ISO9001 や CMMI 的な思想とは真逆でした。日経コンピュータなどを開けば「システマティックに管理せよ」と書かれ、部長が会議でそれを叫んでいる時代にあって、ジョエル の言葉は一種の救いに思えました。

さらに面白いのは、本書が「アジャイル」という言葉を一切使わないにもかかわらず、思想的には極めてアジャイル的であることです。仕様書よりもユーザーの声を重視し、日々の改善を積み重ね、人間中心で考える姿勢は、アジャイル宣言そのものと重なります。当時アジャイルという言葉は日本にほとんど浸透していませんでしたが、ジョエル の文章を読むことで自然にその空気を感じ取ることができました。

総じて『Joel on Software』は、ソフトウェア開発を神話化せず、凡人が集まる現場でどう戦うかを描いた実践知の書です。私にとっては「アメリカも日本も結局同じ泥臭さを抱えている」という気づきを与え、そして「それでも人を大事にすることで成果は出せる」という勇気をくれた本でした。今では同種の書籍が数多く出版されていますが、2000年代中盤の時点でここまで語った本は極めて少なく、ジョエルの存在はやはり特別だったと思います。

あなたの話はなぜ「通じない」のか

  • 著者:山田ズーニー
  • 出版社:筑摩書房
  • 初版刊行:2003年
  • 私が読んだ年:2005年

この本が出版されたのは2003年。今となってはビジネス書コーナーに「伝え方」「聞き方」「影響力」といったキーワードの本が並ぶのは珍しくありませんが、当時はまだ「話し方本」といえば敬語やマナー、あるいはプレゼン技術の指南書が中心でした。そうした中で本書は、のちに2010年代に乱立することになる“コミュニケーション本ブーム”を先取りしていた先駆け的な存在だったのです。

本書で特に衝撃を受けたのは「正論だからこそ通じない」という指摘です。私自身、正しいことを言えば伝わり、納得してもらえると信じがちでした。しかし現実には、正論は相手の自律性を脅かし、「上から押しつけられた」と受け取られてしまう。結果として反発や孤立を生み出すことになります。この指摘は単なる会話テクニックではなく、人間関係の力学そのものに光を当てたものです。コミュニケーション本というジャンルにおいて、こうした論理展開は当時としてはかなり新鮮でした。

さらに本書の核心のひとつが「メディア力」という概念です。これは「何を言うか」よりも「誰が言うか」「その人がどういう信頼残高を積んできたか」という力のことを指します。日常の態度や姿勢、約束の守り方といった積み重ねが、その人の言葉の届き方を決定づけるのです。私は本書を読む以前、コミュニケーション力を知識力や技術力とは切り離された独立のスキルのように考えがちでした。しかしこの節を読んで、コミュニケーション力とは結局、人の総合力に他ならないのだと強く実感した記憶がありありと残っています。

今でこそ「伝え方が9割」などの言葉が広く知られるようになりましたが、そのはるか前に「正論の罠」と「メディア力の重要性」を提示したこの本は、やはりエポックメイキングな一冊だと思います。

ブラック・スワン

  • 著者:ナシーム・ニコラス・タレブ (訳:望月衛)
  • 出版社:ダイヤモンド社
  • 初版刊行:2009年
  • 私が読んだ年:2015年

ナシーム・ニコラス・タレブの『ブラック・スワン』は、予測不能で巨大な影響を及ぼす事象をテーマにした書籍です。著者が提示するのは「未来は予測できない」という単純な指摘ではなく、人間がその事実をどのように認識し、どう対応すべきかという実践的な問題です。

本書で最も知られているのが感謝祭の七面鳥の寓話です。毎日餌を与えられることで「人間は安全な存在だ」と信じ込む七面鳥は、感謝祭当日に突然殺されることでその前提が崩壊します。この例は、人間が過去のデータを延長して未来を安心視する傾向の危うさを端的に示しています。七面鳥の寓話は、私たちが安定した日常をそのまま未来に延長して考えてしまう傾向を鋭く突いています。

また、本書で導入される「月並みの国(Mediocristan)」と「果の国(Extremistan)」という概念も重要です。身長や体重のように平均値が意味を持つのが月並みの国であるのに対し、資産や科学的発見、戦争の死者数のように極端な事象が全体を支配するのが果の国です。多くの人は自分の世界を月並みの国だと誤解しがちですが、実際には果の国の法則が支配する領域が多いとタレブは指摘します。私はこの視点を得てから、ニュースや経済動向を「どちらの国のルールで説明できるか」と考えるようになりました。

地球規模の歴史を見ても、この構図は当てはまります。破局的火山噴火や小惑星衝突は数万年単位で繰り返されており、数千年の平穏をもって「地球は安定している」と考えるのは誤りです。七面鳥の例と同様、人類もまた「長期的に見れば破局は必然」という現実を直視する必要があります。

読後、私の中でタレブの提言は思考の補助プログラムのように機能し続けています。「この安心は七面鳥の錯覚ではないか」「このデータは月並みの国の枠組みで通用するのか」などの問いが、意思決定の場面で自然に浮かぶようになりました。

『ブラック・スワン』は、従来の平均値や予測に依存した考え方を改め、不確実性を前提とした視点を提供してくれる一冊です。その内容は、単なる理論の紹介にとどまらず、日常や仕事に応用可能な思考の枠組みを与えてくれる点に特徴があります。

もっと言ってはいけない

  • 著者:橘玲
  • 出版社:新潮社
  • 初版刊行:2019年
  • 私が読んだ年:2023年

本書を手に取ったきっかけは、YouTubeの岡田斗司夫チャンネルで紹介されていたことでした。私はもともと「優生学」という言葉に、ナチスによる悪用の歴史が強く結びついていて、どこか怪しい学問だという印象を持っていました。ところが本書は、そうした先入観を揺さぶり、行動遺伝学や進化心理学の最新研究をもとに、エビデンスに裏づけられた「不都合な事実」を突きつけてきます。その点が衝撃的で、強く引き込まれました。

私は『もっと言ってはいけない』を先に読み、その後に前作に当たる『言ってはいけない』を読みました。順番としては逆でしたが、どちらが面白かったかといえば、やはり最初に読んだ『もっと言ってはいけない』の方です。なぜなら、前作が個人差――努力や美貌、学歴や収入といった身近な格差――に焦点を当てていたのに対し、続編は人種や文化差、さらには自己家畜化といった“集団レベル”の問題に切り込んでいたからです。

特に印象に残ったのは、人種と知能のテーマです。私は仕事柄、海外の取引先との会議を多く経験しています。韓国や中国とのやりとりでは文化的な違いから苛立つことはあっても、知能の差を意識することはありませんでした。しかしインドや東欧の相手と議論すると、論理展開の粗さや議論の収束の仕方に違和感を覚え、文化差というよりIQ差に起因するのではないかと感じることがあったのです。本書を読むことで、その直感に学術的な背景を与えられたように思いました。

もちろん、こうした視点は一歩間違えば偏見に陥ります。橘玲の狙いは、事実を価値判断と切り分けて考えることです。事実を無視するのではなく、直視した上で社会制度や倫理をどう設計すべきかを考える――その挑発的な姿勢が、本書の真骨頂だと感じました。

この読書体験以来、私のブログ記事も少なからずこの影響下にあります。『もっと言ってはいけない』は、単に不愉快な事実を提示する本ではなく、事実を受け止めた上で自分の思考をどう深めるかを迫ってくる一冊でした。

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