なぜ、AIはどんな職業においても、シゴデキから職を奪うことは無いと言えるのか?
はじめに
AIの急速な発展、とりわけ大規模言語モデル(LLM)の進化は、従来の労働構造に大きな影響を与えています。特にGPT-5に代表される最新の生成AIは、これまで「人間の知的労働の領域」と考えられてきた部分にまで踏み込み、その作業を高水準で代替できるようになりました。この変化を受けて、「いずれはAIが人間の職を根こそぎ奪うのではないか」という危惧が語られるようになっています。
しかし冷静に観察すれば、AIが淘汰しているのは「凡庸な作業」や「偽プロフェッショナル」に限られ、真に仕事ができる、いわゆる“シゴデキ”の人材はむしろ価値を増しているのです。本稿では、なぜAIはどんな職業においてもシゴデキの職を奪わないのか、その理由を多角的に論じます。
AIが入り込める領域=「露出」とは何か
AI研究では“exposure(露出)”という概念がよく使われます。ここでいう「露出」とは、その仕事のうちAIが入り込みやすい部分の割合を意味します。
もっとわかりやすく言えば、仕事全体を大きな家にたとえると「AIが入れる部屋の広さ」が露出です。あるいは料理にたとえれば「AIが味見できる部分」が露出と考えると直感的です。
弁護士を例にすれば、契約書をひな形に沿って作成する作業は露出が大きい(AIが得意)ですが、依頼人との交渉や裁判での戦略判断は露出が小さい(AIが苦手)領域です。研究者であれば、文献整理や要約は露出が大きいですが、新しい仮説を社会的に正当化し研究資金を獲得する部分は露出が小さいといえます。
世間に広がる誤解:「職業がなくなる」という言説
近年よく目にするのが、「AIによって◯◯という職業はなくなる。ではこれからどんな職業に就くべきか?」といった言説です。しかしこれは本質を外しています。職業が“まるごと”消滅するわけではなく、消えるのはその職業の中に含まれる凡庸なタスクや無能な作業者だけです。
正しく言うならば、「AIによって無能な人に仕事はなくなる。どうやって無能を脱するべきか?」という問いを立てるべきです。つまり、未来の議論は「どの職業を選ぶか」ではなく、「自分がAIに代替される凡庸な存在にとどまらず、責任と判断を担うシゴデキに成長できるか」に焦点を当てなければならないのです。
偽プロフェッショナルの淘汰
これまで専門職においても、単純作業を積み重ねることで「プロっぽさ」を演出できていた人が存在しました。例えば、法律の専門用語を多用して契約書を作成する弁護士や、膨大な資料を提示するコンサルタントは、見かけ上は専門性を発揮しているように見えます。しかし、こうした作業はAIによって再現可能であり、表層的な部分が露出してしまうのです。
結果として「偽プロフェッショナル」が可視化され、淘汰されていきます。AIはシゴデキの職を奪うのではなく、凡庸な人材をふるい落とし、本物と偽物を峻別するリトマス試験紙として機能しているのです。
シゴデキが生き残る理由①:責任の不可分性
AIは出力を生み出しても、その責任を負うことはできません。法的判断、倫理的選択、経営上の決断など、社会的責任を伴う領域は必ず人間に残されます。シゴデキな人材はこの責任を引き受ける覚悟と判断力を備えているため、AIが広く活用される時代においても不可欠です。むしろ責任の集中により、彼らの存在はさらに重要になります。
シゴデキが生き残る理由②:評価軸の設計力
AIは優れた生成能力を持ちますが、その成果物を評価する「基準」までは自律的に設定できません。どのアウトプットが妥当か、どのリスクを許容するかといった評価軸は、人間が定める必要があります。シゴデキな人材はこの評価設計に長けており、AIが吐き出す大量の候補を迅速に選別し、最適解へと導けます。これこそがAI時代におけるプロフェッショナルの真価です。
シゴデキが生き残る理由③:プロンプトと検証力
AIの出力品質は、入力であるプロンプトの設計に強く依存します。具体的で前提を整理したプロンプトを与えられる人は、AIから桁違いに価値ある成果を引き出せます。また、出力を鵜呑みにせず、矛盾や幻覚を検証できるかどうかでも差がつきます。シゴデキはこの「問いの立て方」と「結果の検証」に優れているため、凡庸な作業者との差がむしろ拡大していくのです。
シゴデキが生き残る理由④:人間関係と交渉
AIは論理的な文書を生成できますが、利害関係者との交渉や、信頼関係の構築にはまだ限界があります。顧客やチームを説得し、合意を形成するには、感情・信頼・責任を伴う人間的な要素が不可欠です。シゴデキな人材はこの人間関係のマネジメントに強く、AIが代替できない部分で不可欠な役割を果たし続けます。
AIは経済活動において人間の競争相手にならない
もう一つ見落としてはならないのは、AIが「人間の経済的ライバルではない」という点です。AIはどれほど高度な成果物を生み出しても、報酬を得て生活するわけではなく、消費者として市場に参加することもありません。つまりAIは人間と同じ舞台で競争する主体ではなく、あくまで人間が利用する道具なのです。
したがってAIは、人間から「職を奪う」存在というより、人間が自分の職をどう再設計するかを迫る存在だと言えます。シゴデキな人材はAIを活用して成果を拡大できるため、競争に敗れるのではなく、むしろ競争力を強める立場に立ちます。
新人の早熟化と上司の可視化
AIは新人にとっての強力なアシスタントでもあります。これまでなら数年の下積みを経なければできなかった高次のタスクに、新人でもAIを通じて挑戦できるようになりました。結果、地頭の良い新人は早期に頭角を現しやすくなっています。
同時に、部下に依存していた無能な上司の「化けの皮」も剥がれつつあります。AIがあれば資料作成や分析が瞬時にできるため、上司自身の判断力や責任感が直接問われるからです。このようにAIは、組織内の力量差を隠れなくする装置でもあります。
まとめ
AIの進化は確かに多くの仕事に「露出」し、定型作業や凡庸な職務を淘汰していきます。しかし、それは「シゴデキの職」を奪うことにはなりません。むしろ真に優秀な人材は、責任を引き受け、評価軸を設計し、AIを使いこなし、交渉や信頼関係を構築する役割を通じて、これまで以上に価値を増していきます。
重要なのは、世間で語られる「AIによって職業そのものがなくなる」というシナリオは誤りであるということです。正しくは「AIによって無能な人に仕事はなくなる。だからこそ、どうやって無能を脱するかを議論すべきだ」という視点です。AIは人間と競争するのではなく、人間を試す装置なのです。
AIは単なる代替ではなく、凡庸さを削ぎ落とし、真のプロフェッショナルを浮かび上がらせる存在です。したがって「AIはどんな職業においてもシゴデキの職を奪わない」のです。これからの社会は、AIをいかに活用し、自らの強みをどこに位置づけるかによって、シゴデキがますます輝く舞台になると言えるでしょう。
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