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なぜ、カイゼン大好きの日本人がアジャイル開発を苦手とするのか?

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はじめに

日本人は世界的に見ても「改善」に強い民族だと言われます。トヨタ生産方式やカイゼン活動は、現場の主体性と積み重ねによって品質と効率を飛躍的に高めた事例として、経営学の教科書にまで取り上げられています。日常業務においても、少しずつ手を加え、無駄を減らし、より良い形を追求する姿勢は多くの日本企業に根付いています。こうした背景からすると、アジャイル開発――すなわち過去の観測と小さな改善を積み重ねながら進める開発手法――は日本文化と相性が良いように見えます。しかし現実には、日本企業にアジャイル開発を根付かせることは非常に難しく、多くの組織でウォーターフォール型の計画主義が依然として主流となっています。本稿では、その理由を現場文化と経営文化の乖離に注目して掘り下げ、日本社会におけるアジャイル導入の難しさを論じていきます。

現場レベルに根付く「改善」精神

まず、日本の現場が持つ改善精神は、アジャイル開発の基本思想と極めて近いものです。アジャイル開発は「未来を正確に予測することはできない」という前提に立ち、短いスプリントを繰り返しながら成果物を少しずつ積み上げ、利用者の反応や市場の変化を取り込んで次の一歩を決めます。このプロセスは、トヨタ生産方式における「現地現物」や「小さな改善の積み重ね」に通じます。実際、日本の現場では「試してみてダメならすぐ直す」という姿勢が自然に取られることが多く、職人気質と相まって品質改善の成果が顕著に現れてきました。つまり、現場レベルではアジャイル開発の精神に必要な基盤はすでに備わっているのです。

経営層の「青写真」信仰

しかし問題は経営層にあります。日本の経営者は意思決定に際して「未来の青写真」を強く求めます。企画書や事業計画書においては、数年先の売上予測や完成品の仕様を詳細に描かせ、それを根拠に投資判断を下すのが通例です。ここには「未来が不確実である」という前提を拒絶し、「未来はあらかじめ設計できる」という信念が横たわっています。このため、現場に対しても「完成形を最初に示せ」「納期を保証しろ」と迫る文化が生まれます。これはウォーターフォール型開発の典型であり、経営者が未来を「見たい」と欲する限り、現場は未来の保証を伴う虚構の企画書を作らざるを得ません。

ウォーターフォールが生む虚構

ウォーターフォール型開発では、長期的な完成予想図を提示することが前提となるため、現場は「できるかどうかわからない」未来を「必ずできる」と言い切るしかなくなります。これは現場の誠実さや努力不足の問題ではなく、構造的な要請です。その結果、実際の進行状況と計画との乖離が発生し、後工程での手戻りや追加コストが膨らむことになります。しかし経営者にとっては、未来が不透明な状態で資金を投下することは恐怖であり、虚構の青写真にしがみつく方が心理的に楽なのです。こうした責任の回避こそが、ウォーターフォール文化の根底にあります。

アジャイルに必要な「パトロン」の存在

アジャイル開発が成立するためには、パトロンとしての経営者が現場を信頼することが絶対条件です。未来を保証する青写真があるから資金を出すのではなく、「これまでの積み重ねを見れば、次も大丈夫だろう」という過去に基づいた信頼が必要になります。そして経営者は「未来の不確実性は自分が引き受ける」と覚悟し、資金を投下し続けなければなりません。つまり、アジャイルにおける経営者の役割は「未来を知りたがる人」ではなく、「未来の不確実性を背負う人」なのです。この認識転換がない限り、現場の改善精神はいくら旺盛でも、アジャイル開発は組織全体として成立しません。

日本における責任構造の歪み

日本企業では、責任の所在を曖昧にすることで組織を運営してきた歴史があります。稟議制度に象徴されるように、多くの承認を経て物事を進めることで、誰か一人が明確にリスクを背負う構造を避けてきました。そのため、経営者が「未来の不確実性を自分が負う」と宣言する文化が根づきにくいのです。結果として、不確実性は現場に丸投げされ、「未来を保証せよ」という形で押し付けられます。これこそが、日本でアジャイル開発が根づかない最大の理由です。

カイゼン文化とアジャイル文化のすれ違い

ここで改めて、日本の改善文化とアジャイル文化の違いを整理してみます。両者は一見似ていますが、改善はあくまで「既存の仕組みの中で効率や品質を上げる」ことを目的とします。これに対しアジャイルは、「不確実な未来に向けて、過去の積み重ねから新しい価値を創り出す」ことを目的とします。改善は枠内での最適化、アジャイルは枠を更新し続ける実践です。現場は改善が得意であっても、経営が未来の不確実性を引き受けない限り、その改善はアジャイルには結びつきません。つまり、日本企業は現場にアジャイルの素地があるにもかかわらず、経営層の文化的壁によってアジャイルを成立させられないのです。

まとめ

日本人は改善を愛し、現場の積み重ねによって成果を生み出すことにおいて世界一の力を持っています。しかし、その力がアジャイル開発に直結しないのは、経営層が「未来の不確実性を引き受ける」というアジャイル的な責任感を持たないためです。ウォーターフォール型の青写真信仰と責任回避の構造が、現場の改善精神とアジャイル文化を分断しています。アジャイルを真に日本に根づかせるためには、経営者が「未来は見えない。だが現場を信じて賭ける」という姿勢を持つことが不可欠です。すなわち、日本におけるアジャイルの課題は技術的なものではなく、経営文化そのものに根ざした問題なのです。

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