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なぜ、20世紀において、ウォーターフォール開発プロジェクトというものが成り立ったのか?

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はじめに

ソフトウェア開発史を振り返ると、20世紀後半を象徴する方法論の一つが「ウォーターフォール開発」でした。しかし今日においては、アジャイル開発など反復的・適応的な手法が主流となり、ウォーターフォールは“時代遅れの手法”として批判されがちです。

それでも20世紀においてウォーターフォールが一定の合理性を持ち、広く受け入れられていたことは否定できません。本稿では、なぜウォーターフォールが20世紀に通用したのかを考察します。その際、ナシーム・ニコラス・タレブが提示した「月並みの国/果ての国」という社会・経済現象のメタファーと、生物学者ユクスキュルの「環世界」という認知的枠組みを参照し、さらに両者を接合した独自のハイブリッド解釈を用いて整理します。

線形病とウォーターフォール

ウォーターフォールの根底にあるのは「線形病」と呼ぶべき思考習慣です。
線形病とは「努力は時間に比例して報われる」「要件定義から運用まで直線的に積み重なる」「工程を分割すれば進捗が見える」といった、直線的な因果で世界を理解したい心理です。

自然現象や社会現象はほとんど非線形ですが、人間は直線で描かれた計画に安心を覚えます。ウォーターフォールは、この心理にぴったり合致する「線形の物語」を開発手法として定式化したものでした。

タレブの「月並みの国/果ての国」

ナシーム・ニコラス・タレブは、社会・経済現象を「月並みの国」と「果ての国」に分けました。

  • 月並みの国(Mediocristan)
    身長や体重のように正規分布に従う現象が支配し、外れ値が全体に大きな影響を与えません。
  • 果ての国(Extremistan)
    富や災害、技術革新のようにべき乗分布が支配し、わずかな外れ値が全体を決定づけます。

人間は本来果ての国に生きているのに、月並みの国に住んでいるかのようにふるまい、外れ値の影響を軽視してしまう。この錯覚がプロジェクト計画にも反映されました。ウォーターフォールとは「月並みの国にいるつもりで果ての国に立ち向かう」矛盾した方法論でもあったのです。

ユクスキュルの「環世界」

ユクスキュルは、生物が知覚し行為できる範囲を「環世界(Umwelt)」と呼びました。環世界は現実全体ではなく、各生物の感覚器官や脳が切り取った主観的な世界像に過ぎません。

人間もまた、知的能力や文化的文脈によって異なる環世界を生きています。ある人には世界が線形に見え、別の人には非線形の複雑系として映るのです。

ハイブリッド解釈:月並みの環世界と果ての環世界

ここで、タレブの「月並みの国/果ての国」とユクスキュルの「環世界」を接合すると、次のように整理できます。

  • 月並みの環世界
    より直感的・具体的な思考に依拠する人々が生きる世界。努力は比例的に報われ、計画は直線的に進むと感じられる。ウォーターフォールは、この環世界の住人にとって直感的に理解しやすい手法だった。
  • 果ての環世界
    より抽象的・分析的な思考に強い人々が生きる世界。非線形な成長や突然の破綻を認識でき、線形計画が幻想であることを直感的に理解できる。

20世紀にウォーターフォールが広がったのは、社会の多数が月並みの環世界に属しており、そこでは直線的な工程管理が唯一の理解可能な物語だったからです。

エビデンス不足と暫定的合意

ただし、ウォーターフォールが支持されたのは、直感的な理解のしやすさだけではありません。20世紀当時は、ソフトウェア開発がまだ新しい営みであり、大規模開発の成功・失敗データも十分に蓄積されていませんでした。そのため、「要件を決めて順番に進めれば完成する」という直線的モデルが、もっとも納得感のある説明として機能していたのです。

この納得感は、現場の技術者や管理者だけでなく、抽象的なモデル化や長期的な見通しを得意とする研究者や経営層にも共有されました。彼らにとっても、当時の計算資源やシミュレーション環境では反復的な検証が非現実的であり、他に代替手段が存在しなかったのです。そのため「ウォーターフォールは理想的ではないが、現状ではもっとも合理的な選択肢である」という暫定的な合意が社会全体で成立していました。

初期ソフト開発の線形的性格

加えて、初期のソフトウェア開発・運用はそのものが線形的でした。

  • パンチカードとバッチ処理
    プログラムをカードに穴あけし、オペレーターに提出、翌日に出力を受け取る。この直列的作業は工程表的であり、ウォーターフォール的世界観を自然に裏づけました。
  • 事務処理型アプリケーション
    給与計算や在庫管理など、入力→処理→出力という線形フローが中心であり、「直列的に進む世界」が現実的に存在しているように見えたのです。

つまり、実務上の体験そのものが、ウォーターフォールという直線的モデルを合理的に思わせる要因となっていました。

社会的合意と安心の物語

ウォーターフォールが支持された最大の理由の一つは「合意形成の容易さ」です。

非線形な現実をそのまま提示しても、投資家や経営層は理解しづらく、不安を覚えます。直線的なガントチャートや工程表は、「管理可能である」という安心の物語を提供しました。ウォーターフォールは科学的に正しかったわけではなく、組織をまとめるための物語として機能したのです。

まとめ

20世紀にウォーターフォールが成り立ったのは、物理現象や経済現象が線形的だったからではありません。そうではなく、
‐ 人間の「線形病」という心理傾向、
‐ タレブの「月並みの国/果ての国」という分布論的比喩、
‐ ユクスキュルの「環世界」という認知枠組み、
‐ 両者を統合した「月並みの環世界と果ての環世界」という解釈、
‐ 非線形を示すエビデンス不足とシミュレーション資源の乏しさ、
‐ ソフト開発の黎明期の線形的な作業の事実的な存在、
‐ 組織の合意形成における“安心の物語”としての直線性、

これらが複合的に作用した結果でした。

ウォーターフォールとは、「月並みの環世界に適した暫定的な方法論」であり、決して普遍的真理ではなかったのです。21世紀に入り、非線形を扱う証拠と技術が豊富になったことで、その虚構性が暴露されただけに過ぎません。

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