なぜ、物理よりデジタルの方がセキュリティレベルが上がるのに、そう感じない人が多いのか?
はじめに
デジタル化が進む社会において、私たちは頻繁に「従来よりセキュリティが強化されます」という言葉を耳にします。特に行政や金融サービスのデジタル移行に関しては、暗号技術を活用したデジタル鍵によって、物理鍵に比べて圧倒的な安全性が確保できています。それにもかかわらず、多くの人々は「デジタル=危険」「紙や物理の方が安全」という印象を持ち続けています。この違和感は、単なる知識不足ではなく、人間の心理構造と情報の伝わり方に起因しています。本稿では、なぜ人は「現実と逆の感覚」を抱くのか、その根本理由を掘り下げて考察します。
見える危険は安心し、見えない危険は恐怖になる
人間は、理解できる危険には冷静でいられますが、理解できない危険に対しては強い不安を覚えます。物理鍵には壊すための「手順」が存在し、それを想像することが簡単です。泥棒が工具を持ってきて壊す姿は、映画やドラマでよく描写されるため、イメージが湧きます。一方でデジタル攻撃は、数学的な計算やネットワーク越しの攻撃であり、過程が視覚化されません。つまり、デジタルの危険は見えません。人は見えない危険を大きく見積もる傾向があります。実際には暗号技術により突破はほぼ不可能でも、理解できなければ安心できません。
メディアが「ハッカーは何でも破れる」という誤解を作っている
映画やドラマに登場するハッキングは、多くの場合ただの魔法です。黒い画面に文字列を打ち込み数秒後に「アクセス成功」という流れが繰り返し描かれます。本来は暗号破りなどではなく、ソーシャルエンジニアリングや運用ミスの悪用が現実的な侵入方法ですが、物語では説明されません。この繰り返しが、人々に「デジタル鍵は簡単に突破できる」という思い込みを与えています。つまり、デジタルの安全性が理解されない理由の一つは、フィクションが現実のイメージ形成に影響を与えてしまっているからです。
「デジタル=自分では制御できない」という無力感
物理鍵の場合、鍵を持ち歩き、鍵をかけ、管理しているのは自分自身です。そのため「自分が守っている」という感覚を持ちやすくなります。一方デジタル鍵は、自動的に処理され、暗号方式も見えず、セキュリティはシステム任せです。すると「仕組みが分からないものに命を預けている」という無力感が生まれます。セキュリティが高くなっているにもかかわらず、心理としては「自分で握れていない不安」に支配されます。人間は、理解しているものに安心し、理解できないものには恐怖を抱くようにできています。
「集中管理=危険」という直感的誤解
マイナンバーなどのデジタル管理に反対する理由として挙げられるのが「情報をまとめるのは危険だ」という意見です。しかしセキュリティの基本設計では、入口が多いほど危険になります。物理での管理は、紙が印刷され、郵送され、窓口で扱われ、さまざまな場所で保管されます。入口が増えるとは、突破可能な場所が増えるという意味です。デジタルでは、アクセスログが残り、不正操作は記録されますが、紙管理では盗んでも痕跡が残りません。入口が多い方を「安心」と感じるのは、直感としては自然ですが、技術としては完全に逆です。
暗号の強さは数学であり、感覚で理解できない
物理鍵は「硬い」「厚い」「重い」ことで、防御力を視覚的に感じられます。デジタル鍵は、数学によって守られています。鍵長256bitとは、2の256乗通りの組み合わせを持ちます。宇宙の全原子をコンピュータにしても総当たりはできません。この「計算的に不可能」という概念は、人間の感覚の範囲を超えます。理解できない強さは、強さとして認識できません。だから多くの人は「本当に安全なのか?」と感じてしまいます。
破られるのは暗号ではなく、常に人間の運用
デジタル鍵が突破されるように見える事件は多くありますが、原因は常に人間側にあります。弱いパスワード、使い回し、端末の紛失、メモに書くなどの運用ミスです。数学の問題として暗号が破られた例はありません。それでも「デジタルが破られた」という印象だけが独り歩きします。この誤解は、デジタルの評価を下げ、物理優位という錯覚を補強します。
まとめ
デジタル化は、物理的な管理よりも圧倒的にセキュアです。暗号技術は数学に支えられ、物理鍵とは比べものにならない強度を持ちます。それでも多くの人は逆に感じてしまいます。その理由は次の通りです。
- 見える危険より、見えない危険を強く恐れる心理が働くためです。
- フィクション作品が「デジタルは簡単に破れる」という誤解を再生産しているためです。
- デジタルは“自分で守っている感覚”を持ちにくく、不安を生むためです。
- 「集中管理=危険」という直感が、攻撃面という概念と逆であるためです。
- 暗号技術の強さが数学であり、理解の外にあるためです。
- 実際に破られるのはシステムではなく、人間の運用であるためです。
つまり、デジタルは壊れにくく、壊されるのは人間です。セキュリティへの理解を深めるためには、感覚ではなく構造に目を向ける必要があります。デジタルを恐れるのではなく、合理的に理解することで、より安全な社会を選択できます。
Discussion
とても理解できます。
主語をでかく書きますが、エンジニアの我々とその他の人々の違いとして、人間と機械への信用性の認識の差があると思います。
エンジニアとしては人間はミスを犯しますし過去の自分は信用できないという意識があるので、物理よりデジタルのほうが信頼できる認識があると思います。
なのでエンジニアの多くはデジタルを選択していると思います。
その差からくる世間の認識なのかなと。
少し異なる意見を持っています。この記事の筆者と私はセキュリティについて大きな考えの齟齬があると思います。というのもセキュリティの機密性の観点からしか議論がされていないと感じるからです。セキュリティには必要な時にアクセスできること(可用性)も意味として含まれており、その見地に立つと例えばあまりデジタルに明るくない人がアカウントにログインできなくなったりすることもセキュリティのリスクとして想定することができるはずです。であればデジタルが必ずアナログよりセキュリティが高いとは言うことはできず、それは扱う人のデジタルリテラシーによるので決して感覚的な問題ではないと思います。