なぜ、組織内に巨大Excelファイルを発見したら、それだけで企業統治が失敗していると言えるのか?
はじめに
現代の企業において、Excelは最も身近で便利なツールの一つです。表計算、帳票、グラフ、分析、さらには簡易データベースとして、多くの現場で日常的に利用されています。しかし、その柔軟さゆえに、組織内でしばしば「巨大Excelファイル」という異常な存在が生まれます。数十万行に及ぶデータ、数十シートにまたがる構成、数十人が同時編集する状況――。
表面的には業務を回しているように見えても、実際にはガバナンス(統治)機能の崩壊を可視化する証拠物件となっているのです。本稿では、なぜ巨大Excelファイルを発見しただけで「企業統治が失敗している」と断言できるのか、その理由を技術的・運用的・組織的の三つの観点から明らかにし、さらにそれがもたらす文化的・倫理的な意味を考察します。
巨大Excelは「統制が効かない業務」の象徴である
Excelというソフトウェアは、本来一人の利用者がローカル環境で操作することを前提に設計されています。ファイル単位でしか排他制御を行わず、セルごとの同時更新や整合性保証は基本的にサポートしていません。それにもかかわらず、数十人が同時に巨大なExcelを編集しているという状況は、システムとしての統制原理が破壊されていることを意味します。
このようなファイルでは、誰がいつ何を変更したかが追えません。バージョン管理も不完全で、意図的な改ざんすら検出できないこともあります。つまり、業務の透明性・再現性・説明責任が消失しているのです。この状態を放置しているということは、組織がすでに「形式上の管理」を失い、「属人的な慣習」でしか業務を維持できていないことを意味します。
ガバナンスとは本来、業務の標準化・透明化・責任の明確化を通じて組織を統制する営みです。巨大Excelはその正反対、不透明・非標準・無責任を可視化する存在です。したがって、その存在自体が「統治の失敗」を証明しているのです。
現場の問題ではなく、経営の怠慢の結果である
巨大Excelが生まれる背景には、現場が無能だからという単純な理由はありません。むしろ、現場は与えられた条件の中で最も効率的な手段を選んでいるのです。真の問題は、経営や情報システム部門が、業務データを扱うための環境と人材を提供していないことにあります。
本来なら、業務データを大量に扱う部署には、データベースを設計・運用できるスキルを持った担当者を配置しなければなりません。ところが、コストや人員配置の問題でそれが行われず、データ管理が現場任せにされると、人々はExcelを「唯一の逃げ道」として使い始めます。
つまり、巨大Excelの存在は、システム整備や人材育成を怠ったマネジメント層の構造的過失なのです。組織におけるリスクマネジメントの基本原則は、「予見可能なリスクを放置したら過失が成立する」というものです。巨大Excelによる混乱や破損リスクは、すでに過去20年にわたり繰り返し指摘されており、完全に予見可能な事象です。それを放置して「現場の工夫」に任せている時点で、経営の統治責任は果たされていないのです。
SharePoint Onlineによる“喫煙室的”延命措置
Microsoft自身も、この問題を理解しています。そのためSharePoint Online(SPO)は、Excelの同時編集やバージョン履歴をクラウドで管理する仕組みを提供しています。しかしこれは、Excelの欠陥を根本的に直したものではなく、「暴動を避けるために喫煙室を作った」ような暫定的措置に過ぎません。
本来、理想的な方向性は「Excelをやめ、データを構造化して扱う」ことです。それにもかかわらず、SPOは「すぐには禁煙できない人たちのための隔離空間」を設け、Excel文化を段階的に移行させるための橋渡しをしているにすぎません。したがって、SPOを導入しているからといってガバナンスが確立されたわけではなく、“禁煙補助具を使っているだけの喫煙者”状態に留まっていることが多いのです。
巨大Excelは「無主物化した情報資産」である
もう一つの深刻な問題は、巨大Excelにおける「責任の所在の消失」です。数十人が関与するExcelには、必ずこうした状況が発生します。
- 誰がどの値を更新したのか分からない
- どのシートが正なのか誰も確信していない
- 更新履歴が人の記憶に依存している
これは情報資産の無主物化(オーナー不在化)を意味します。企業におけるあらゆるデータは、責任を持って管理されなければならない経営資源です。ところが巨大Excelの世界では、その資源が誰の所有物でもなく、誰の責任にもならない状態で漂っています。
この状態を放置している企業は、法的にも監査的にも重大なリスクを抱えています。金融、医療、製造などの業界であれば、トレーサビリティやコンプライアンスの観点から、監査指摘や行政処分に直結しかねません。つまり、巨大Excelを見つけた瞬間に、「無責任の温床」が存在することが確定するのです。
現場の“Excel信仰”と責任回避の共犯関係
なぜ企業はこの状態を放置してしまうのでしょうか。それは、現場とマネジメントの間に、責任回避による共犯関係が成立しているからです。現場にとってExcelは、「自由に編集できる安心なツール」です。どんな仕様変更にも即座に対応でき、他部署の承認を待たずに動けます。
一方、経営層にとってもExcelは便利です。専門的なツールを導入しなくても、「資料を見れば進捗が分かる」と錯覚できるからです。つまり、Excelの巨大化と多人数運用は、「現場の自由」と「上層の無関心」が結託した結果、組織が制度的怠慢を正当化している構造なのです。
この構造を放置することは、企業文化そのものが「責任よりも保身を優先する」方向へと傾くことを意味します。したがって巨大Excel問題は、単なるIT統制の課題ではなく、倫理的な統治の劣化を示す警告でもあります。
巨大Excelは“デジタル不衛生”のシンボルである
巨大Excelの発見は、家でゴキブリを見つけるのと同じです。1つ見つけた時点で、裏では100件以上の同様のファイルが存在していると考えるべきです。しかも、それらは見えない場所で連携し、複製され、組織の情報空間を蝕んでいきます。
この問題は「駆除」だけでは解決しません。重要なのは、なぜゴキブリ(=巨大Excel)が発生したかという環境そのものを変えることです。つまり、
- 権限設計を明確にする
- データベースを正式に提供する
- システム申請手続きを簡素化する
- Excel依存を評価指標から外す
といった繁殖できない構造を作ることこそが真のDXです。この意味で、巨大Excel問題は「ITの問題」ではなく「組織の衛生問題」です。企業統治とはすなわち情報衛生の管理能力であり、巨大Excelの発見は、まさに組織内のカビや害虫を見つけたのと同じ意味を持ちます。
真に統治された組織とは
統治が機能している組織では、巨大Excelは物理的に存在できません。なぜなら、
- データベースが正式に提供されている
- 権限と責任が明確である
- 監査・トレーサビリティが機能している
からです。つまり、「巨大Excelがある」という事実そのものが、統治機能が欠けているという間接証拠になります。これを見逃すことは、経営層が「システムの健全性を検証する能力を放棄している」ことを意味します。
そのため、DXを掲げるのであれば、まずやるべきはAIやクラウド導入ではなく、「社内から巨大Excelを撲滅する」という“情報衛生の徹底”です。これを行わずに「DXを推進している」と言うのは、家の中にゴキブリが走り回っているのに、「外壁を塗り替えました」と言うようなものです。
統制下の巨大Excelは、統治崩壊の最終段階である
ここまで述べたように、巨大Excelは現場放置によって生まれるケースが多いですが、より深刻なのは、情報システム部門(情シス)などの統制部門が「公式Excel」として全社に配布・管理している場合です。これは、一見すると秩序立っているように見えますが、実際には**「誤った手段を制度化した統治の自己崩壊」です。
まず第一に、Excelは構造的に統制不可能なツールです。セル単位でのアクセス制御もなく、整合性も保証できず、監査証跡も脆弱です。そのようなツールを「統制の枠組み」で扱うこと自体が論理的な矛盾です。つまり、「統制の名のもとで統治不能を制度化している」状態です。
さらに悪いのは、公式化することで責任が分散し、誰もリスクを管理しなくなる**点です。現場は「情シスが作ったから安全」と思い込み、情シスは「内容責任は各部門にある」と逃げる――。この結果、誰も所有権も責任も持たない“公式の無主物”が生まれます。このような構造は、ガバナンスという概念を形骸化させ、「管理されているつもりで、実際には誰も制御していない」状態――つまり統治の仮面を被った無政府状態を生み出します。
さらに深刻なのは、こうした“公式Excel”が一度制度化されると、監査でも「前例として承認されたもの」として扱われ、問題があっても是正が遅れることです。形式的な安全が担保されたように見えても、文化的な腐敗と知的退行が始まっています。その意味で、“公式巨大Excel”の存在は、**現場の混乱より上位レベルのガバナンス崩壊――制度的自壊――**を示すサインです。統治とは、ルールを守らせることではなく、ルール自体が合理的で安全に機能することを担保する行為です。したがって、情シスが巨大Excelを「管理しているから安全」と言った瞬間、統治の本質を失っているのです。
まとめ
巨大Excelファイルの存在は、単なるツールの問題ではなく、組織統治の崩壊を可視化する指標です。それは技術的欠陥でも現場の怠慢でもなく、経営層の制度的怠慢と文化的放置が生み出した結果です。特に「統制下での巨大Excel」は、最も危険な段階です。それは、無秩序が制度に昇格した状態――**“統治の形をした無政府”**です。
巨大Excelを発見した瞬間、その企業はすでに以下の三つを失っています。
- 統制:業務が管理プロセスから逸脱している
- 責任:データの所有者が存在しない
- 透明性:意思決定の根拠が追跡できない
DXとはデジタル技術を導入することではなく、人と情報の流れを正しく統治する能力を取り戻すことです。したがって、巨大Excelの発見は企業にとって最大のチャンスでもあります。それを「現場の工夫」として容認するのではなく、「統治の破綻を示す警告」として真摯に受け止めることが、真のデジタル改革の出発点なのです。
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