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IT技術解説⑥:なぜ、非組込開発者はRustによるC言語置換えが簡単だと思うのか?

2025/03/30に公開
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はじめに

近年、Rustという新しいプログラミング言語が注目を集めています。その安全性や抽象化能力の高さから、「システムプログラミング言語としてC言語を置き換えることが可能である」と広く宣伝されています。しかし、組込開発の現場において、RustがCを完全に置き換えることが難しいことは周知の事実であるにもかかわらず、非組込開発者は安易にその置換が可能だと誤解しがちです。本稿では、なぜこうした誤解が生じるのか、その理由を明らかにします。

1. Rustが「システムプログラミング言語」という宣伝を真に受け過ぎている

Rustは「安全でモダンなCの代替言語」としてのマーケティングが非常に成功しており、しばしば「OSまで書ける」「no_stdでベアメタルもOK」と強調されます。これを聞いた非組込開発者は、あたかもCの使用領域すべてをRustだけでカバーできると思い込んでしまいがちです。しかし実際のところ、RustだけでOSやファームウェア全体が構築されているわけではありません。割り込みベクタやスタートアップ処理、リンカスクリプト制御など、現場ではアセンブリやCによる初期化コードが依然として必要です。

また、Rustはあくまでメモリ安全性を高めるための仕組みが充実している一方で、Cの果たしてきた役割はメモリ安全性だけにとどまりません。CはABI(Application Binary Interface)の事実上の標準であり、ベンダーが提供する豊富なライブラリやツールチェーン、既存のエコシステムと密接に結びついています。RustでCを「完全に」置き換えるには、このエコシステムごと移行しなければならず、現実的には非常に困難です。

さらに、Rustが備えるno_std機能はベアメタル開発を可能にすると言われていますが、実際には #[entry]#[interrupt] の属性、build.rs でのコンパイル制御、memory.x でのリンカ設定といった多岐にわたる手間が必要になります。特に複雑な周辺回路やRTOS、ベンダー提供のドライバと連携するには多くの追加コードや設定が求められるため、「Rustでベアメタルも簡単に書ける」という宣伝はあまりに楽観的だと言えます。

2. スマートフォンをはじめとした製品全体の複雑さを理解していない

非組込開発者が想像する組込みシステムは、スマートフォンやPCのように「メインSoCとソフトウェアがあれば完結する」と思われがちです。特にスマートフォンに関しては、メインSoCの上で高級言語ソースからコンパイルされたソフトウェアが動作しているだけだと考えられがちですが、実際には数十個ものマイコンが存在しており、それぞれが独立した制御や処理を行っています。たとえばIPコアとしてSoC内部に組み込まれている場合もあれば、ディスクリートのマイコンチップとして搭載されている場合もあります。多くの機能はこうした個別のマイコンで動き、メインSoCやアプリケーションからは見えない部分で複雑な制御が行われています。

コンポーネント名 主な役割
メインSoC(AP) OSとアプリの実行、ユーザインタフェース、カメラ画像処理、セキュリティ処理
電源管理IC(PMIC) 電圧レギュレーション、電源シーケンシング、バッテリー充電制御
ディスプレイコントローラ 液晶やOLEDディスプレイへの信号出力、リフレッシュレート制御
タッチパネルコントローラ 静電容量式タッチ入力の検出、ジェスチャー処理
カメラ・イメージセンサ(CIS) ピクセルデータの読み出し、露光制御、HDR処理、センサ内部制御
カメラI/Fマイコン 複数カメラ間の切り替え制御、AF/AE補助、センサ制御との通信インタフェース
通信モデム 4G/5G接続の基地局制御、信号変調・復調、プロトコル処理
Wi-Fi/BLEコントローラ Wi-Fi/Bluetooth通信処理、電波制御、接続状態維持
NFCコントローラ 近距離無線通信処理、FeliCaやICカードとのやりとり
オーディオコーデックIC DAC/ADC、スピーカー・マイク制御、ノイズ除去処理
振動モーター制御IC リニアバイブモーターの駆動パターン制御
センサーHUB(Sensor Fusion) 加速度・ジャイロ・磁気・気圧センサーなどの集約処理
USB/充電IC USB Type-C経由のデータ・電力切り替え、PD通信処理

このように、製品全体としては複数のマイコンが連携し合い、それぞれ専用のファームウェアが動作しているにもかかわらず、非組込開発者は「ひとつの大きなソフトウェアがすべてを司っている」と思い込む傾向があります。そのため「Rustで書けば一括で置き換えられる」という誤解につながりやすいのです。

3. マイコンチップ内部の実態を知らない

単体のマイコンチップ内部に目を向けても、実際にはCPUコアはチップ全体のごく一部しか占めていません。UARTやGPIO、ADCなどのペリフェラル回路はハードウェアロジックとして大半を占めており、ソフトウェアができることは、これらの回路が用意しているレジスタに対してビットを書き込む程度です。つまり、ソフトウェアの自由度は非常に限られており、「プログラムを書けば何でも自由に実現できる」という発想とはかけ離れています。

また、非組込開発者はソフトウェアが万能であり、すべての挙動はソフトウェアのコードによって自由に変更できると考える傾向があります。しかし実際には、マイコンの動作はハードウェアによって厳格に決定されており、ソフトウェアの役割は極めて限定的です。こうしたソフトウェア万能主義的な思考が、Rustの万能性を過大評価し、「Cの代わりにRustを導入すればすべて解決する」という誤解をさらに強めてしまいます。

このように現実にはハードウェア依存の仕組みが極めて多く、メインとなる制御がCで書かれている理由は単に言語の古さだけではなく、周辺回路やベンダーが提供するライブラリ、ビルド環境との整合性に深く根ざしています。安易なRust導入を試みても、その複雑さやエコシステムの壁に直面し、全面的な置き換えが不可能であることに気づくでしょう。

まとめ

以上のように、非組込開発者が「RustでCを完全に置き換え可能である」と考えるのは、宣伝で強調されるRustの魅力(OSまで書ける、no_stdでベアメタルも簡単)をそのまま受け取りつつ、組込みハードウェアの複雑な実態を十分に理解していないためです。製品全体には多数のマイコンが存在し、それぞれが独立した制御を担っており、マイコンチップ内部も多くの専用回路に支えられています。Rustの能力を正しく理解し、組込み開発の現場が直面するリアルな制約を知ることが重要です。RustはCを部分的に補完することはできても、現状では完全に置き換えることは困難であり、慎重な評価が必要だと言えるでしょう。

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