なぜ、ウォーターフォールの権化な印象の富士通がアジャイル的で、米国を代表するIT企業のアクセンチュアが圧倒的にウォーターフォール的なのか?
はじめに
日本のIT業界において「富士通=ウォーターフォール」というイメージは根強く存在してきました。公共や金融の巨大案件を詳細仕様書に基づき、数年がかりで完成させる姿はウォーターフォールそのものでした。一方で、米国の代表的IT企業であるアクセンチュアは「DX」「アジャイル推進」といった華やかな言葉で語られがちです。しかし実態は逆で、富士通はむしろアジャイルを積極的に打ち出し、アクセンチュアはウォーターフォール色を濃厚に残しています。本稿の目的は、この逆説を明らかにし、なぜそうなったのかを文化・市場構造の違いから分析することにあります。
富士通:ウォーターフォールの象徴からアジャイルの旗印へ
富士通が「ウォーターフォールの権化」とされたのは、官公庁・金融を中心とした巨大案件の歴史に由来します。仕様書に基づく入札制度の下では、変更があれば契約改定を伴うため、ウォーターフォール以外の進め方は事実上不可能でした。
ところが近年の富士通は大きく舵を切りました。ハードウェア事業の整理と選択と集中により、「広告になる先端技術」以外は切り捨て、システム開発においても「従来型の請負」から「顧客と共に価値を生む共創」へと軸足を移しました。アジャイルは単なる開発手法ではなく、「企業変革の象徴」として打ち出されています。富士通のアジャイル化は、顧客の要望に合わせた部分的導入ではなく、「自社の未来像を示す旗印」として強調されているのです。
アクセンチュア:アジャイルを語りつつウォーターフォール依存
対照的にアクセンチュアは、DXやアジャイルの旗手として語られることが多いにもかかわらず、実際のプロジェクトはウォーターフォール的に進められます。理由はアメリカ東海岸文化に根ざしています。
- 契約重視:ニューヨークの金融、ワシントンの官公庁を相手にしてきたため、契約遵守と責任分界が絶対。訴訟社会では曖昧さを避けるため、文書と工程管理が徹底されます。
- 案件特性:公共・金融・ERP刷新といった超大規模案件では「失敗しないこと」が最優先であり、アジャイルの柔軟性よりもウォーターフォールの堅牢さが合理的。
- 組織のDNA:会計事務所出自の「成果物とマイルストーンで進める」文化が根付いている。
結果としてアクセンチュアは「部分的なPoCでアジャイルを試す」ことはあっても、全体の進め方はウォーターフォールそのものです。ここに「アジャイルの母国で最もウォーターフォール的な企業」という逆説が生じています。
東海岸と西海岸の対比
この逆説を理解するには、アメリカ国内の文化的差を押さえる必要があります。
- 東海岸企業(アクセンチュア、IBM) は、契約と訴訟リスクを背景に「工程を管理するウォーターフォール型」が最も合理的。顧客もこれを期待します。
- 西海岸企業(Google、Amazon、Metaなど) は、自ら顧客のシステムを作り込むことはなく、クラウドやAPIといったプラットフォームを提供するだけです。
ここで補足的に「ハリウッドの原則(Don't call us, we'll call you)」を思い起こすと分かりやすいでしょう。西海岸企業のプラットフォームは「利用者が呼び出すのではなく、必要に応じて基盤側が利用者の処理を呼び出す」IoC型の仕組みです。つまり彼らは制御権を握る土台を提示するだけで、その上にシステムを構築するのは東海岸企業や日本のSIerの役割になります。
日本企業の選択
日本企業はかつて東海岸型に似て、公共・金融調達に縛られウォーターフォール依存でした。しかし近年は「西海岸的プラットフォーム提供」は自社ではできない以上、「顧客と共に動く」アジャイルを取り入れるしかないという状況にあります。富士通がその旗印を掲げているのは、まさにこの中間的立場ゆえです。NECや日立は依然として領域による制約が大きく、NTTデータは顧客迎合的な柔軟さに留まる中、富士通は「全社の顔をアジャイルに変える」という明確な方向を打ち出しました。
まとめ
「ウォーターフォールの象徴」と見られてきた富士通がアジャイルを掲げ、アジャイルの本場アメリカでアクセンチュアやIBMがウォーターフォールを強化するという逆説は、開発手法の流行の問題ではありません。
- 東海岸企業は契約文化と訴訟リスクゆえにウォーターフォールを合理的に選ぶ。
- 西海岸企業はプラットフォームを提供するだけで、自ら作り込みはせず「ハリウッドの原則」的な制御構造をとる。
- 日本企業はその狭間にあり、富士通はアジャイルを「変革の象徴」として掲げることで独自の立場を示した。
この逆説が教えるのは、開発手法の選択は文化・契約・市場構造に根ざすということです。富士通とアクセンチュアの対比は、その現実を最も鮮明に示しているのです。
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