なぜ、日本の保守派の人はTRONを過大評価するのか?
はじめに
TRON(The Real-time Operating system Nucleus)は、1980年代に坂村健氏を中心に開発された日本発のリアルタイムオペレーティングシステム(RTOS)です。その高い性能や柔軟な設計思想、そして当時の日本の産業界での導入実績は、多くの期待を集めました。一方で、近年では保守的な立場の一部論者から、「TRONはアメリカの圧力によって潰された」「本来ならば世界のOS市場を席巻していた」といった評価が語られることがあります。
本稿では、TRONの技術的および社会的評価について、日本の保守派に見られる過大評価の傾向を取り上げ、その背景にある誤解や文脈のずれについて考察していきます。
TRONは本当に「潰された」のか?
1989年、USTR(アメリカ通商代表部)は、日本の文部省が小中学校向けにBTRONベースの端末を導入しようとした政策に対して、スーパー301条に基づく強い懸念を表明しました。これにより教育市場におけるBTRONの展開は中止されました。この一件が「TRONが潰された」と言われる根拠の一つとなっております。
たしかに、この政治的圧力はTRONにとって打撃であったことは間違いありません。しかし、この一件だけでTRON全体が「潰された」と結論づけるのは早計です。実際には、TRONはその後もITRONを中心に、家電製品や産業機器、車載機器など多くの分野で広く採用されてきました。むしろ、TRONがグローバル市場で覇権を握るまでには至らなかった背景には、国際標準化戦略やエコシステムの構築、資本集中の面での課題があったと考える方が妥当です。
OSという技術領域の本質とその誤認
OSの役割は、アプリケーションとハードウェアの橋渡しをすることにあります。具体的には、プロセスやメモリの管理、ファイルシステム、入出力デバイスの抽象化といった機能を提供することで、アプリケーションが複雑なハード制御を意識せずに動作できるようにします。
つまり、OSは舞台装置のような存在であり、中心的な知能ではありません。社会において、水道管の配管工やごみ収集作業員がいなければ都市生活は成り立たないのと同様に、OSも不可欠な存在です。しかし誰もこれらの職能を「政治家」や「国家の頭脳」とは呼びません。それと同様に、OSは社会的インフラであって知的中枢ではありません。
にもかかわらず、アニメやSF作品などでは「OSを書き換えるとロボットが強くなる」といった描写がなされることが多く、これが誤解の一因となっています。ロボットの動作ロジックは、実際にはアプリケーションレベルで記述されたアルゴリズムが担っており、OSはその補助をするに過ぎません。
しかしながら、上記を誤解した人たちは「OSを自前で開発できた」という事実に対して、過大な価値を見出しがちです。これが次節の「TRON=日本独自技術の象徴」としての物語化につながるのです。
「TRON=日本独自技術の象徴」としての物語化
日本の保守派がTRONを語る際、しばしば「欧米依存を脱却する日本独自技術の象徴」として持ち上げられる傾向があります。そこでは技術的実績や市場シェアよりも、「本来あるべきだった日本の姿」が投影されており、TRONはその象徴となっています。
このような評価には感情的側面が多分に含まれており、「現実のTRON」ではなく「理想のTRON」が語られる傾向が見受けられます。技術は物語ではなく現実の市場と資本の力学の中で評価されるべきものであり、そこに誤解が生じると健全な技術評価が困難になります。
日米摩擦の影響とその位置づけ
1989年のUSTRによる圧力は、たしかにTRONの教育市場進出に対して大きな障壁となりました。これは政治的な背景による明確な不利益であり、無視することはできません。
しかし、国際標準を巡る争いにおいて、こうした政治的・外交的な干渉は過去にも多く見られます。その中で成功するためには、単に技術力があるだけでなく、継続的な資金調達、国際的な提携、標準化団体との関係構築など、長期的かつ多面的な取り組みが必要です。
日本に足りなかったのは、技術そのものではなく、こうしたエコシステム形成のための資本集約力であったといえます。アメリカにおけるGAFAのような巨額の投資を集めて事業化を推進する構造は、日本には馴染みにくく、孫正義氏のような例は極めて稀です。したがって、TRONが成功しなかった理由をすべて外的圧力に帰すのではなく、内的な体制や資本構造の問題として冷静に捉えることが必要です。
まとめ
TRONは、組み込み分野において世界的に成功したRTOSであり、日本の技術の一つの成果であることに疑いはありません。しかし、その評価が一部で過度に持ち上げられている背景には、OSという技術の本質に対する誤解や、政治的・感情的な物語への依存があると考えられます。
OSはアプリケーションの土台であり、インフラのような存在です。そのため、OSを開発できたというだけで国際的優位性が得られるわけではありません。ましてや、その上で動作するアプリケーション群やエコシステムの不在は、市場競争において致命的です。
日本が今後、再び国産技術で世界に挑戦していくためには、過去の栄光に浸るのではなく、現実的な事業構想、資本戦略、国際標準との調和といった「地に足の着いた」取り組みが求められます。TRONの歩みからは、誇りと同時に多くの教訓を得ることができます。その教訓を正しく活かすことこそ、今後の技術政策において重要なのではないでしょうか。
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