アジャイル&ウォーターフォール⑩ ~正義のアジャイルと悪のウォーターフォール~
はじめに
ソフトウェア開発において、ウォーターフォールとアジャイルは対照的なアプローチとして広く知られています。しかし、これらを単なる開発手法として捉えるのではなく、それぞれの哲学や組織論的特徴に目を向けると、興味深い物語的な対比が浮かび上がります。ウォーターフォールは悪役の組織に見られる特徴を多く内包し、アジャイルは正義のヒーロー的価値観を象徴する側面を持っています。本記事では、これらの手法が持つ本質的な違いを「正義と悪」の物語的視点から探り、なぜこのような対比が生じるのかを考察します。
ウォーターフォールと悪の組織
ウォーターフォールは、その構造上、計画主義と中央集権的な管理を特徴とします。このモデルでは、上層部が詳細な計画を策定し、下層部はそれに従うだけの役割を担います。こうした特性は、仮面ライダーシリーズに登場するショッカーなどの悪の組織とよく似ています。ショッカーの戦闘員たちは、個々の意思や能力を無視され、指揮官の命令に従うだけの存在として描かれます。彼らは「一山いくら」の人足として扱われ、倒されてもすぐに補充可能なコマに過ぎません。
ウォーターフォールでも同様に、現場の実行者は個々の創造性や判断を発揮する余地がほとんどありません。計画通りに進めることが最優先され、現実の変化に対応する柔軟性は排除されます。このため、矛盾や問題が生じた場合でも、計画を維持するために「口裏を合わせる」必要があり、これがさらなる硬直化を招きます。嘘を基盤とする組織がその矛盾を隠蔽するために中央集権的な管理を強化せざるを得ないのと同じ構造がここに見られます。
アジャイルと正義の組織
一方で、アジャイルは柔軟性と自律性を重視するアプローチです。計画そのものが絶対的なものではなく、変化に適応しながら進化することを前提としています。これにより、チームの各メンバーが自律的に行動し、全体として調和を保つことが可能となります。この構造は、正義の味方の組織によく見られる特徴と一致します。たとえば、仮面ライダーやスーパー戦隊では、主人公やその仲間たちが個々の能力や特性を活かしながら共に戦います。彼らは「代替不可能な存在」として描かれ、一人ひとりが重要な役割を担います。
アジャイルでは、現場の創造性と柔軟性が最大限に活用されるため、真実を隠す必要がありません。問題が顕在化した場合には即座に共有され、迅速に対応することで組織全体が自己修復的に機能します。このように、アジャイルは「真実ベース」で動くことを前提としており、計画を守るために矛盾を隠蔽する必要がないのです。
嘘と真実が生む運営の違い
ウォーターフォールとアジャイルの本質的な違いは、嘘と真実を基盤とする構造の違いに由来します。ウォーターフォールでは、計画そのものが現実から乖離してしまうことがあり、その乖離を埋めるために嘘が必要となります。嘘を維持するためには、矛盾が広がらないように口裏を合わせる仕組みが欠かせません。このため、中央集権的な管理が強化され、個々のメンバーの自律性は犠牲にされます。
一方で、真実を基盤とするアジャイルでは、各メンバーが自律的に動くだけで組織全体が調和します。真実に基づいているため、変更や問題にも柔軟に対応でき、矛盾を恐れる必要がありません。これは、悪の組織が矛盾の隠蔽に苦心するのに対し、正義の味方の組織が自然と調和を保つのと同様です。
まとめ
ウォーターフォールとアジャイルは、単なる開発手法の違いに留まらず、人間性や組織論の哲学的な違いを反映しています。ウォーターフォールは計画を絶対視するため、矛盾や問題を隠蔽する中央集権的な構造を持ちます。その姿は悪の組織やラスボス的な存在と重なります。一方、アジャイルは柔軟性と自律性を重視し、真実に基づいて組織全体が自然に調和する点で、正義のヒーロー的な価値観を体現しています。
この対比から、アジャイルが持つ価値は単なる効率性や柔軟性にとどまらず、組織の中で個々の人間性や創造性を最大限に活かすことにあると言えます。悪の組織ではなく、正義の組織を作りたいと願うならば、真実を基盤とし、自律性を尊重するアジャイルの哲学を学ぶことが重要なのです。
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