📓

なぜ、富士通・日立はメインフレームを廃したいのに、IBMは違うのか?

に公開

はじめに

メインフレームという言葉は、かつてのITの中枢を支えていた存在として語られます。日本の大手ITベンダー、富士通、日立は、それぞれ独自のメインフレームを長年提供してきましたが、近年ではこのメインフレーム事業からの撤退やオープンシステムへの移行を強力に推進しています。一方、グローバルに目を向ければ、IBMは今もなお「z Systems」というブランドでメインフレーム事業を継続しており、むしろその存在意義をクラウド時代においても強調し続けています。

なぜ、かつてIBMを模倣して始まったはずの日本のメインフレームベンダーが、その本家とは真逆の方向へ進んでいるのでしょうか。本稿では、歴史的背景、データベースの選択、アーキテクチャ設計、文化的要因など多角的な観点からその理由を考察します。

IBMのメインフレームはなぜ続けられているのか?

IBMは、1960年代からメインフレーム(System/360シリーズ)を世界的に展開し、現在もz/OSを中心としたz Systemsを継続しています。その基盤には、高い可用性、処理能力、セキュリティ、そして拡張性があり、大規模な業務処理を担う金融・保険・政府系の基幹システムで多く採用されています。

IBMが今日までメインフレームを捨てなかった理由の1つが、DB2によるリレーショナルデータベース(RDBMS)の早期導入と標準化です。IBMは1980年代初頭に、CODASYL型やIMS型(階層型)DBMSからDB2に主軸を移しました。この決断により、アプリケーションは物理的なファイル構造から解放され、SQLを通じて論理的なデータアクセスを行う構造に移行しました。これは、システムの移植性、拡張性、保守性において大きな進化をもたらし、メインフレームでありながら柔軟にシステムを再構成できる土台を作り上げたのです。

また、近年のIBMは、z/OS上でLinuxコンテナを動かしたり、ハイブリッドクラウドとの連携を前提としたソリューションを提供するなど、メインフレームを「進化させる基盤」と位置づけています。これにより、メインフレームは「レガシーを抱えた過去の遺物」ではなく、「クラウドと共存できる堅牢な中枢」としての役割を維持しているのです。

富士通・日立のメインフレームはなぜ縮小・廃止されるのか?

これに対して、日本のメインフレームベンダーである富士通・日立は、2020年代に入り、自社のメインフレーム事業を相次いで縮小・終了方向に舵を切っています。その背景には、過去の設計選択が将来的な柔軟性を著しく制限してしまったという構造的な問題があります。

各社はかつて、IBMの後を追う形でメインフレームを開発しましたが、DBMSについてはIMSやDB2のようなIBM製品をそのまま採用せず、独自のCODASYL型DBMS(DMS、DCCM、RDMなど)を自社で設計・実装しました。これにより、各ベンダーのアプリケーションはそのDBMS構造に密接に結合され、ファイル構造やポインタの設計がアプリケーションロジックに深く入り込むという、高度に密結合な設計となっていきました。

その結果、アプリケーションを別のOSやDBMSに移植する際に、構造全体を作り直す必要が生じるという、非常に重い技術的負債を抱えることになったのです。さらに、これらのDBMSはオープンな標準技術とは無縁であり、若い技術者が触れる機会も学習リソースも少なく、保守や再構築に必要なスキルが属人化・世代断絶を起こしました。

現在、各ベンダーはこの“負の遺産”を自ら清算すべく、アプリ資産のオープン系への移行支援を打ち出し、メインフレームの廃止を主導しています。すなわち、捨てたいのではなく、捨てなければならないというのが正確な表現でしょう。

RDBMS導入のタイミングがもたらした将来の自由度の差

IBMと富士通・日立の明暗を分けた最大の分岐点は、RDBMS(とくにDB2)への移行の早さと徹底度にあります。

IBMは、1980年代にはすでにDB2を商用展開し、RDBの標準インターフェースであるSQLを提供することで、データアクセスの論理化・抽象化を進めました。これは、物理ファイルへの直接依存を断ち切るものであり、アプリケーション開発における柔軟性と保守性を大きく向上させました。結果として、アプリケーション資産はメインフレームに限定されず、将来の移行・拡張に耐える設計となったのです。

一方、国産ベンダーは90年代以降になってようやくRDBへの関心を高めましたが、それまでの間に膨大な資産が既存の独自DBMSに依存して構築されており、もはや後戻りができない状態に陥っていました。移行は困難で高コストであり、無理に残せば保守不能、かといって捨てるにも巨額のコストが必要という「技術的閉塞」に突入したのです。

標準化文化の有無が構造に与えた影響

IBMと国産M/Fベンダーの差は、単なる技術の選択ではなく、“標準化を推進する文化”の有無にもあります。

IBMは、リレーショナルモデルの提唱者E.F.コッドを社内に抱えていたこともあり、早期からデータベースの標準化、言語の標準化、APIの抽象化に取り組んできました。IMS、DB2、SQL、JCLなど、後発製品にまで継続性と文書化がなされており、長期的なシステム保守や教育が可能な設計になっています。

一方、富士通・日立は、顧客ごとの個別最適化、商習慣への柔軟対応、業界特化対応など、**属人性とベンダーロックインを前提とした“縦割り開発文化”**が長く続いてきました。その結果、システムの設計思想が文書化されず、ベテラン社員の頭の中にしか存在しないといった状況が当たり前になり、「設計としての再利用」ではなく、「知識の継承」という人間依存の保守体制が常態化してしまいました。

これは「変えられないから残す」のではなく、「変えるための方法が見つからないまま、終わらせるしかない」という、悲しい廃止決断を招く根本要因となっています。

メインフレームの“終わらせ方”の違い

IBMは今、z Systemsを中心に「メインフレームの未来」を語ることができます。それは、基幹業務を担う高可用性とセキュリティに加え、クラウドやDevOpsとの連携など、未来への橋をすでに持っているからです。

一方、富士通・日立のメインフレームは、残念ながら「これ以上の未来は無い」と自ら判断した結果、事業者自身が“出口戦略”を公式に設計し始めているのです。これは一見、前向きな変革のように見えるかもしれませんが、実態は技術的負債の手動処分とも言えます。

この違いは、どちらが正しい・間違っているという話ではありません。重要なのは、初期の技術選択と設計思想が、数十年後の生存戦略にまで直結するという事実です。

まとめ

IBMが今もメインフレームを維持・発展させているのに対し、富士通・日立がメインフレーム事業から撤退を始めているという現象には、明確な理由があります。

それは、RDBMSへの移行タイミング、標準化の推進、設計の抽象度、そして文化的な要素まで含めた「構造的な差分」の結果です。

IBMは「早期に論理化・標準化された設計」へ移行し、今もメインフレームの未来を描けている。

国産ベンダーは「自社独自の密結合設計」を長く保持したがゆえに、それを残すことが困難になり、今では「自ら幕引き」を進めている。

もしこれから先、同じような分岐点に立たされる技術者や企業があるとすれば、この教訓は極めて重いものとなるでしょう。

技術の選択とは、今の便利さではなく、「30年後も維持できる構造かどうか」を見据えて行うべきなのです。

Discussion