なぜ、ゲーム業界でも普及させられないRustを組込みで普及させるのは、順序がおかしいのか?
はじめに
Rustは「メモリ安全」「データ競合防止」「高パフォーマンス」を兼ね備えた次世代システムプログラミング言語として注目されています。所有権と借用という独自の仕組みによって、コンパイル時に安全性を保証できる点は画期的であり、多くのエンジニアの関心を集めてきました。
しかし、Rustの普及をめぐる議論にはしばしば順序の混乱があります。特に「Rustは組込みで普及するのでは」という期待は繰り返し語られますが、実際にはゲーム業界こそRustがまず成果を出すべき場です。ゲームはMMUと大容量メモリを前提にヒープを駆使し、性能を限界まで引き出す文化を持っています。Rustが本当にC++の代替になれるなら、まずはここで証明されるべきです。
本稿では、まず現在Rustが実際に普及している分野を整理します。そのうえで、組込みにおけるmalloc忌避とゲームにおけるヒープ多用という文化の違いを対比し、なぜ順序として「ゲーム→組込み」でなければならないのかを論じます。
Rustの現在の普及状況
Rustは2015年に1.0がリリースされてから、次のような分野で徐々に存在感を高めてきました。
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Webバックエンド
フレームワークのActixやRocketを使い、高性能なWebサービスを書く事例が増えました。特にマイクロサービスやAPIサーバーで採用されるケースがあります。 -
CLIツール
パッケージマネージャのcargo自体がRust製であり、ripgrep、bat、fd、exa など人気の高いCLIツールがRustで書かれています。LinuxやmacOSのユーザーの間で定番となりつつあります。 -
ブラウザとシステム周辺
FirefoxのレンダリングエンジンServoや、ブラウザ内部のモジュールがRustで書き直されています。LinuxカーネルにもRustサポートが入り始めました。 -
クラウドとインフラ
AWSの一部サービスがRustで実装されていることが公表されています。クラウド向けコンポーネントや分散システムにおいて、Rustは効率と安全性の両立が評価されています。
つまり、Rustは現状「Webバックエンド」「CLI」「一部のシステムソフト」での普及が中心であることをおさえておいてください。
組込みがmallocを嫌う理由
組込み分野ではmallocやfreeは基本的に避けられます。理由は明確です。
- 多くのマイコンはMMUを搭載しておらず、仮想メモリによる保護や断片化緩和ができない。
- 長期連続稼働する機器では、フラグメンテーションにより数ヶ月後にメモリ確保が失敗するリスクが致命的。
- 安全規格(ISO 26262、IEC 61508、MISRA-C)でmallocやfreeが禁止または強く制限されている。
そのため、組込みは静的確保やスタック確保を前提に設計され、「malloc禁止文化」が制度的に根付いています。
ゲームがヒープを前提にした理由
ゲームも1990年代まではベアメタルに近い開発を行っていました。PS1やNINTENDO64などではレジスタやDMAを直接叩き、固定長バッファを駆使していました。
しかし、ゲーム機やPCは初めからMMUと大容量メモリを前提としていました。この基盤があったため、2000年代以降はC++を中心としたヒープ多用の設計へと移行しました。
- ゲームエンジンは膨大なリソースを動的にロード・破棄する仕組みを当然のように採用。
- UX向上のためロード短縮やシームレスな切替を実現するにはヒープ利用が不可欠。
- そのため「C+++ヒープ文化」がゲーム業界全体に定着した。
ゲーム業界は、組込みのmalloc忌避文化と対照的に「ヒープ多用文化」を徹底して発展させてきたのです。
Rustが真価を問われるのはゲーム
Rustの最大の強みは所有権モデルによるメモリ安全です。この特徴が本当に有効かどうかを試すのは、ヒープ利用を前提にした分野でこそ意味があります。
- ゲームはリソース管理の失敗が致命的であり、Rustが持つ安全性を証明するのに適している。
- 1msの遅延がUXを損なう分野であり、Rustのゼロコスト抽象化が本当に有効かどうかを測るのに最適。
- 組込みはmallocを避けるため、Rustの強みが活きる場面が少ない。
ゲームで成果を出せなければ、組込みにいきなり普及することは不自然です。
なぜ組込みRustの方が話題にされやすいのか
現実にはRustの普及論では組込みの方が表に出やすいのは事実です。ただし、これは世間全体が組込み開発に強い関心を持っているからではありません。
- 自動車や医療機器といった分野は「人命や社会インフラに関わる」というインパクトがあり、報道や解説記事に取り上げられやすい。
- AUTOSARやMISRAといった標準化団体の場でRustの議論が出るため、「公式に検討されている」という印象を与えやすい。
- ゲームは娯楽とみなされ、技術的意義が過小評価されがちであるため、相対的に組込みの方が話題にされやすい。
このように、組込みRustが表に出やすいのは事実ですが、だからといって社会が組込みに特別な注目をしているわけではありません。単に話題化しやすい条件が揃っているにすぎません。
普及の順序として自然な道筋
Rustが本当に普及するなら、次のような道筋が自然です。
- ゲーム業界で成果を示す。ここでC++の牙城を崩せればRustの存在感は確立する。
- サーバーやシステムソフトに展開する。Rustの並列性や安全性はここでも評価されやすい。
- 最後に、規格やツールチェーンが整った段階で組込みに進出する。
この順序を飛ばして「まず組込みからRustが普及する」と語るのは、歴史的にも技術的にも無理がある話です。
まとめ
Rustは現状、Webバックエンド、CLIツール、システムソフトの一部といった分野で普及しています。ゲームや組込みではまだ本格的な普及に至っていません。組込みはMMU非搭載が多くmallocを嫌う文化であり、Rustの強みを活かす場は限られます。一方、ゲーム業界はC++とヒープを駆使する文化を持ち、UXを守るために性能を極限まで引き出す分野です。Rustが本当に未来を担うなら、まずはこの舞台で成果を示すのが自然です。
結論として、ゲームで普及できないRustが組込みで普及するという順序は不自然です。Rustの未来を占う試金石は、表向き軽視されがちなゲーム業界にこそあるのです。
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