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mysqlを採用したら会社が潰れるという記事の所感

2024/09/01に公開
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twitterでツラツラと思ったことを書いていたが纏めてみた。

スマホだど見づらい。長い。

あとで多少表現や内容をわかりやすくもっとええ感じに直すかも知らん。

結論

ムカつくなら放っておけ。わざわざ「ボクが好きな技術を批判したらから許せない!」と意思表明を
わざわざ本人にしに行くな。

人が寄ってたかって自分と違う意見や表現のものを悪役に仕立て上げるな。

どうしても、変えて欲しければ後述の「お願い」をしろ。

経緯で思った所感

筆者が該当する記事を削除して、アカウントを消したらしく非常に残念な結果である。 -> 復帰して表現ちょっと変えたっぽい。

javascriptやtypescriptの技術選定において、
prismaやexpress採用したらうまいこと行きました!や
など部分で上手くいったというとりあえず採用してみましたまでの感想が多い。

普通の人が会社のシステムとして色々組み合わせてこれは良かった、あれはダメだったみたいな記事は少なめで、
技術的にも価値がある記事だと思う。
zenn以外の媒体でも運用まで行ってダメだったみたいな内容で会社全体の技術について色々書いてるの少ない。

会社の記事として、ダメだったみたいなの基本的に書けないからね。
書く場合は「いやーちょっと前まではCentos7使ってて遅かったし、作りも古かったんですよ。痛みを伴いましたがubuntu22.04にして他も色々新しくなって良かったです。」
みたいに会社のダメな所書くなら、ダメだったところにして今は大丈夫ですよ!良くなりました!と書く必要がある(でないと読み手がこの会社大丈夫か?って不安になる。)。

いいね数も1000を超えており、zennであそこまでついている記事は私は見たことがない(記事の良し悪しはおいておいて、ブックマークとしてつけている人もいるだろうが、それを考えても良いね数はかなり多い。)。

社会に公表する文章表現としてはもっとマイルドな方が適切だったとかはあるかもしれないが、記事としては結構価値あったと思うよ。
実際触ってみて思った感想なのは分かる文章だったし。
新しめな技術だったもんね全体的に。普通の人が触って感じた内容と温度感を知りたい人は結構いると思う。

筆者がどちらかというとフロントエンドエンジニア?っぽいらしくその視点は
入っていた。

なぜムカつくか?

あの記事を見てムカつく人がそれなりいいたっぽい。
原因を立場や行動によって変わるので「なぜムカつくか?」とその人たちに対しての所感を下に纏めてみた。

そのOSSやプロダクトの中心人物、責任者である

正しい意見でもムカつくのは分かる。
正しく無い意見だともっとムカつくのはわかる。

でもIT以外の技術でもバリバリ貢献している人で、そこまで赤の他人を頭っから強く否定する人そんな見たこと無いんよなぁ...
それは違うよ!程度かな?
基本的に相手も考えていること前提で受け答えするし。

もし、立場なりを公開した上で本人に意思表明しないなら、
後述の「お前は誰だ?」になります。

興味が無いorカッとなる前に距離を置くという事を徹底しているんだと思う。
アンガーマネジメントできてたり、そもそも忙し過ぎるんだろう。

そのOSSやプロダクトのいちユーザーである

自分の技術選定やらキャリアを否定されているみたいでムカつくのは少しは分かる。
だが表現の強弱はあれど、「あなたがムカついて技術選定による批評を批判する」ことは「あなた自身が他人の技術選定を批判している」ことになります。

人格やら人間力やら否定するのはmysqlを採用したら会社が潰れるよりも強い言葉ではあるし、
他人にそれを求めるな。

これだけ見て人格についても技術力云々についてもどうこういうべきでは無いし、技術力云々から言うならばあなたとあなたが批評する奴と決定的な差は無い。
なぜならあなたもあなたが批判したいやつも単なるユーザーに過ぎないからだ。

差があるとしたら「このジャンルのゲームが上手いか下手か」でしかない。
「あなたがヘタクソなゲームはあなたが批判している奴が得意」というのは普通にある。


こっから下はなんでムカつくのか分からん。
私からすると宇宙人。

OSSやプロダクトに敬意を表しないのは道徳的に云々カンヌン

あなたはただのカルト宗教信者です。
または、あなたは知らず知らずのうちHunter Hunterのトンパになっているかもしれません。

日本国憲法でも精神の自由は保障されています。
他人が「周りと考え方や表現の仕方が違うから否定する」のは「他人の人格や人生経験を否定している」のとそんなに変わりません。

やめましょう。

ところで、赤の他人に道徳や振る舞いを押し付けることが出来るあなたはさぞ人間が出来ているかと思います。

もしどうしても譲れないものがあって貫きたい、みんなの考えを変えたい、世界を変えたい、ならその努力をすべきです。

Linusの振る舞いを引用して赤の他人の振る舞いを諭すのでは無く、あなたがLinusになって下さい。
世界のゲームチェンジャーになって下さい。

そうすれば世界は変わります。

有名な何々さんや会社と違う結論を出した

あなたは有名な何々さんや会社の推しボットつまりは、
アイドルオタクや、ビジネスインフルエンサーの信者ですね。

異端審問官として魔女狩りをやりたいという事だと思います。

やめなさい。
集団ヒステリー見てるみたいで怖いです。

有名な何々さんが「お前はプログラマーに向いてない」や「お前の会社に社会的には価値がない」と言ったらそれに従うのでしょうか?
もっと自分の意見を持ちましょう。

「自分が他人を批判する」という責任が発生する意思決定に「他人の意見」を引用するな。
もっと自分の責任にしろ。

多数決の正義に酔って反撃されることを考えていないなら一番害悪かも知らん。
タマとるぞ、お前。

他人を否定する意思決定という意味では非常に幼稚なのだが、「人間社会において必要のために、権威を借りて来て自分の意見を主張する」という事はごくごく一般化しているため、有名な他人の意思を引用して相手を否定するという事は正当な行為であると周りも自分も誤解しやすい。
特に集団と化すと厄介ね...

行うべきは「正しい理屈や現実論の引用」であって、意見の引用ではありません。

第三者は有名な何々さんやあの周りの界隈怖いとドン引きしてる。

ただ、人間って知らず知らずにこれを選択してしまう可能性あるから危険なんよね。
振り返りが必要なわけだ...

そもそもお前は何者だ?

かなり多かった。
「有名な何々さんや会社と違う結論を出した」の内容と重複します。

「お前は何者だ?」
普通に怖い。

ここだけ分かりやすさのために、「私」という視点を変えます。

あなたは一体何者なのでしょうか?
ひょっとしたら私が知らないだけで、特定のコミュニティでは有名人かもしれません。
私は知らないです。
ただ私は「あなたがLinusでは無い事」は知っています。
高圧的に理屈も現実論も何も言わず、コミュニケーションを取らずに自分が不快であるという主張と暴言だけ吐いてブロックとかいう通り魔行為は辞めてください。
単純に怖いです。
あなたは他人を殴りたいのに、殴られる事を恐れている卑怯者ですか?

じゃあどうすれば良かった?

変える必要があったのは筆者じゃなくて、周りの人間の対応だったんですよ。

「お願い」したら良かったんですよ。
「お前の考えや表現はおかしいから変えろ」やら、「OSSやプロダクトに敬意を払え」と
「命令」するのでなくて。

漫画の話を引用します。

Hunter Hunberという有名な漫画があります。

この漫画の選挙編と言われているストーリーにメインキャラクターのキルアというキャラクターの兄弟である「アルカとナニカ」というキャラクターが出ます。
ナニカはアルカの体を借りている生物で、もう一人のアルカ(別人格)のような扱いで話は進みます。

そしてナニカには人のお願いを叶える力があり、その代償として痛みを伴うおねだりを求めるという能力があります。

このナニカの能力を使って物語上の課題をクリアするというのが一つのテーマです。

そして、物語の途中で「お願い」ではなくキルアの「命令」ならノーリスクである。
また、誰かを治すための「お願い」なら代償としてのおねだりは痛みは伴わず緩い(これもまた実質的にノーリスク)という事実が発覚します。

作者がなぜこのようなノーリスクの条件を二つ用意したのかというと、
綺麗に問題を解決するのは「他人のためのお願い」である。
ということが言いたかったんですよ。あれは。
だから、「治すお願い」をノーリスクにして、実質的には「遠回しの命令である普通のお願い」を痛みを伴う代償というふうに設計した。
そして信頼関係が強くて問題解決を伴うなら「命令」もまた問題とはならない(人間関係が拗れるような言い方でない限り)。

ラストの会話シーンにもその物語としてのテーマの結論を読者に理解させる必要があるから、
ナニカに引っ込んでろと言った後にキルアが謝るというやりとりが必要な訳なんです。あれ。
読者からすると「なんで?してもらったのに?急に厳し過ぎない?」と驚くところだと思います。

あれには「お涙頂戴的なもの」と、「人間関係が拗れる、他人を拒絶するような命令は物事を解決しない、人を傷つける」というテーマの結論を
両方提供するために必要だったんです。

ただ単に今後のフラグとして「ノーリスクでやりたいことができる暗黒大陸由来のチート能力を描きたかった」だけじゃないと思います。
恐らく作者自身も「命令」するより「(優しい)お願い」をした方が上手くいったという社会人としての経験談を書いたものなのでしょう。本人の経験談だから、新たに調べること少なくて、アリ編や暗黒大陸編より休載少ない

キメラアント編の王直属護衛軍の3人が絵本から名前をとった事を考えたりすると、もともと絵本や童話に興味があって童話的な教訓含めたなものを描きたいみたい
な欲求がクリエイターとしてあったんでしょうね。

長くなりましたここで話を記事について戻します。
ということで、該当する記事の筆者に「お願い」したら良かったんですよ。

赤の他人が要求して良いのは、せいぜい「僕はmysqlが好きなのでこう言われると悲しい。「mysql採用したら会社潰れる」を、「mysqlではこの事業に向かない」と思う。 ぐらいに訂正して頂けませんか?」

という情に訴える提案かな?

これなら嫌味な部分は全く無いし、赤の他人から言われても怖くは無い。

表現する感情が間違っているのですよ。みなさん。怒りの前の悲しみを書くべきであって、
それに同情してもらえれば良いんです。

怒りに任せて書いたら、攻撃されているわけなんだから記事の筆者も攻撃的な文章になります。
その結果がのちの「mysqlを採用しても会社は潰れない」という記事でしょう。
なんで、「誰かも知らないし状況も知らないお前になんで上から目線で批判されないとあかんねん!」はまっとうな感情です。
それに対して、「その記事書くぐらいなら前の意見を貫いて欲しかった」という意見は私もまあそう思うのですが、若かったらその判断を行うのはちょっと難しいかなと思います。
全方向から刃向けられているわけですし、パニック起こすのはしゃーない。

これを読んだ上で「組織やコミュニティの目的のためにお願いという下手に出るなんてムキー」とかいう人は社会人としてあまりにも幼いので、偉くないorならないことを願います。
嫌ならLinusになってください。

OSSやプロダクトに敬意うんたらという業界の風潮について

他業種でももちろんコミュニティやら派閥やらはあります。人間社会なので当たり前です。
人間が5人いたらその時点で2人と3人で派閥できたりしますし。
派閥自体は悪くない。岸田さんも派閥無くしましたが、派閥が無くなると結局一つの大きな派閥が出来上がるんですよ(本筋とは関係ないので略)...

しかし、「考え方」や「表現方法」にまで「お前はおかしい」とお気持ちを表明したり、
やんや言う人が多過ぎて、正直異常な雰囲気に見えます。

同調圧力に近く、なんか「迂闊なこと言えないな、パッと思ったこと口に出したらなんか怖いこと起きそう。
プログラマーやITエンジニア怖い」って感じるのは一般社会からすると割と正常な感覚だと思います。

OSSやらプロダクトを通して、結果としての行動が「人を憎んで、技術を憎まず」となるのは流石におかしい。
異常です。普通は逆です。

筆者のギャグセンスについて

「graphqlを辞めたら、肌艶が良くなって彼女ができました!」
っていう文章。

恐らく、ウケ狙いで書いたんだろうけど、私以外誰も触れていなくて滑った感じになっているが、
進研ゼミみがあって私は面白かったよ!

次書くときは「tRPCを始めたら、肌艶が良くなって彼女ができました!」としよう。
進研ゼミ構文的にもこちらの方が正しいですね。

終わり

なんでこういうこと書いたかというと、自分でもしょーもない理由で他人の技術選定を批判した経験があるからです。
つまり自分向けの記事。
戒め。

個人的に思ったのは赤の他人に要求し過ぎてて、心理的なパーソナルスペースがおかしい人が多過ぎる。

「もう一度聞く、お前はいったい何者なのだ?」

精神の自由は保障されていますからね?

それこそ嫌ならみなければ良いんですよ。
高い金払わされているわけでもこれ、読んでと押しつけられてるわけでないので。

「自分達が正しいと思って、赤の他人に考え方やら感じ方、表現方法を改める様に迫るのも同じぐらいクソやで。」

せいぜい、あなたができるのは悲しいから
直して欲しいという常に訴えて動かす事です。

「私が好きな技術自体が否定されて悲しい。
私も携わっているので、
できたら、ここの部分の表現をもう少し柔らかい。
会社に合わなかった。事業に合わなかったとお手数ですが、修正して頂けると
嬉しい限りです。」

感情論と現実論考えて、俯瞰で常に自分を見れたらええんですが、
なかなか難しい....

後、個人的な感想いうと、人格やら人間力やらというキーワードは私は基本的に嫌いです。
大抵他人を神格化するためか、攻撃するために使うからなあれ。

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