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技術者のための!かいつまみ哲学(その3)

2022/04/29に公開

近代科学の課題

近代科学は次の特徴を持っていました。
・機械論的自然観
  自然も生物もすべて物質からできた機械である。全ての物体は機械だから一つ一つの部品
  から成り立っている。分解して細かく調べれば、対象を完全に理解できるはずだ。
・実証主義
  実際に証明や検証ができることだけを研究するという態度
・因果関係の法則化
  実験の結果から原因を考え、その因果関係を法則とみなす方法論
・要素還元主義
  物事をそれ以上分けられない要素にまで細かく分けて(還元して)分析し、それら
  を再構成して対象を理解する。

上記は当然のもので正しいと思うかもしれませんが実は課題があります。

実証主義は科学の根本のように見えるかもしれません。実証できるからこそ、科学が科学たる所以と思われるかもしれません。しかし、いかに実証できるからと言ってヒュームの懐疑論から逃れることはできません。例えば、いかに現代の素粒子理論が実験と整合しているからといってはたして、理論が記述している素粒子像(素粒子を大きさを持たない点とみなす)が本当に正しいかを正当化できるのかということになります。

因果関係もやっかいです。ヒュームもカントも因果関係は物自体の世界から人間が世界を認識するために勝手に見出した認識と位置付けています。「事象Aが起きたから事象Bが起きたかのように見える」という1点をもって事象Aが事象Bの原因であることを正当化するのは乱暴になってしまいます。

要素還元主義はあまりに複雑な事物を相手にするには非力です。かつての科学者は部分に分解して要素を理解すれば全体を理解できると信じていました。ですがこれでは全体を要素に分解したときに切り捨てられる側面を無視していることになります。システム開発に携わる我々技術者にとっても耳の痛い話です。個々の要素に分解してそれぞれはそれなりに設計されていても、全体の性能はいまいちであることはよくあることです。

また、近代は次々と科学理論が発展した時代でもありました。「ある理論は後になって偽であることがわかった。だから今成功している理論も後で偽であるとわかるだろう」という悲観的な帰納法にも悩まされます。

では、上記の課題をどのように考えればよりよく物事をとらえることができるのでしょうか。
いよいよ現代の哲学に入りたいと思います。

現代の哲学

物理学者であった中谷宇吉郎は次のように述べています。
 "感覚を通じて自然界を見ることによって、ある知識を得る。
 その得た知識とほかの人がその人の感覚を通じてえた知識との間に
 互いに矛盾がない場合には我々はそれをほんとうであるという。そうでない場合には
 それはまちがっているという。"
また科学の本質について次のようにまとめています。
 1.素朴実在論(人間が一人も生きていなくても、ものは自然界にそのままにある)
  という態度をとる。
 2.自然現象やその間の法則はすべて人間が見つけるものであることを受け入れる。
 3.科学とは科学で使われるいろいろな思考形式(分析したり綜合し、あるいは因果律に
  従って順序だてたり)を通じて自然を認識した結果に過ぎない

ここで重要なのは科学的真理は人間の感覚の外ではなく、人間の認識の中にあるとしている点です。
カントが人間が物自体を認識できず、現象しか認識できないとしたことと整合しています。

現代の哲学は次の特徴を持つと考えられます。
・数理論理学の発展
・科学哲学の発展
・システム理論の発展

数理論理学の発展

近代から現代にかけて、アリストテレスの論理学を超えた数理論理学が発展しました。例えば述語論理、様相論理といったものです。これによって、矛盾のない理論体系の性質について理解が深まりました。数理論理学の枠組みはシステムを整合性のとれた形で記述するために重要です。実際に、非常に大規模な複雑なシステム開発ではSPINやVDMといった形式手法の言語でシステム仕様を記述し計算機上で整合性を検証するのに役に立っています。数理論理学の用語や枠組みはシステム開発の世界で非常に登場するので、今後触れるかもしれません。

科学哲学の発展

ヒュームの懐疑論から逃れるために、哲学者は様々な回答を模索しました。科学哲学とよばれる分野が発展し、科学哲学者は様々な回答を用意しています。
ストローソンの主張
"何かを正当化するために帰納を使うことは合理的であることの最も基本的な態度の一つであり
これを否定することをは合理的であるということが合理的なのかという変な問いである。
合理的であるとはどういうことかを反省すれば、ヒュームの問題は消える。"
戸田山和久の主張
"それによれば我々がいるこの宇宙は、帰納が役に立つような場所であるから
*なぜなら経験的に自然の斉一性は広く成り立つので妥当化できないが擁護はできる。"

科学哲学者の議論は私の科学に対する認識を変えてくれました。科学理論は現実を見事に説明します。科学的な見方が現実そのものであるかのように思えますが、中谷宇吉郎は科学は人間が現実を認識した結果にすぎないといいます。例えば素粒子論は正しいと受け入れられていますが、素粒子は本当に存在しているのかといったやっかいな議論があります。我々は物自体を認識できないので存在しているとも存在していないとも本来言えないはずです。この問いに対し科学哲学者は次のような回答を提示してくれています。理論のモデルは現実との間に重要な点で類似関係が成り立てば、理論は擁護されると考えます。そして科学は現実に"似ている"モデルについて議論するのであって、現実について述べないということのようです。

・演繹法 真理から出発して別の真理を導く
・枚挙的帰納法 いくつかのデータから真理を導く
・仮説推論(帰納法の一種)
  1.ある驚くべき事実Bが観察される。
  2.もしAが事実なら、Bは当然のこととして説明される。
  3.したがって、Aが事実ではないかと疑う根拠がある
・アナロジー(類似関係,帰納法の一種)←これも擁護されるに至った。
  1.aはPである。
  2.aとbは似ている
  3.よって(きっと)bもPである。

我々技術者も科学者と同様にこれだけの武器があると考えるべきです。

現代科学の方法の立場は類似関係の程度を認めているのである理論が偽であるとわかったからといって100%否定する極端な悲観的な帰納法から理論を擁護することができます。

システム理論の発展

近代から現代になるに従い、要素還元主義で事物を研究するには限界が見えてきました。さらに複雑な人工物を開発する際にも要素還元主義の立場では無理が出ていました。これに対処するため、欧米ではシステム理論というものが発展しました。

システム理論では次のように考えます。
"世界には還元主義では説明が難しい複雑さをもつ物事がある。つまり、物事全体の性質が、部分の性質以上のものを示すために、部分にわけて調べても説明できない。それは、あたかもシステムとよばれるものが、創発という特性を備えていることに似ている。システムつまり、何らかの目標や目的を達成するため相互作用する要素からなるもの、という視点からこの世界の物事を説明すべきである。"

ここでシステムとは「あることを実現するために、ひとまとまりに組織化した要素が互いに関係しあう集合」と定義されます。

さらにホーリズムという立場に立ちます。ホーリズムとは「システムは単なる部分の寄せ集めではなく、それ以上の性質(これを創発特性という)を備えている」とする立場です。自動車は部品の性質の寄せ集めで説明できず、乗り心地や安全性といった創発特性を備えていると考えることができます。

このシステム理論を理解せずにシステム開発はできないと思っています。システムには一定の法則性があります。システム理論の枠組みをもとにして、システム開発をしなければ、行き当たりばったりのシステム開発になると思います。

次回は現代の哲学の肝であるシステム理論について述べたいと思います。

参考文献

[1]科学の方法, 岩波新書
[2]科学哲学の冒険 サイエンスの目的と方法をさぐる, NHKブックス
[3]情報科学における論理,日本評論社
[4]システムの科学, パーソナルメディア
[5]世界はシステムで動く ― いま起きていることの本質をつかむ考え方, 英治出版

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