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typoを見つけると、ちょっと誇らしいけど

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\オカウチワニが1人でやっている okauchiwani-hitori Advent Calendar 2025 1日目の記事です!!!/

見つけると嬉しい、typoの不思議な魅力

レビューやテスト時に誤脱字を見つけると、なんだか気持ちがいい瞬間があります。
「あ、ここ 'login' じゃなくて 'log-in' ですね」と指摘できると、自分が細かい部分まで気づけているようで少し誇らしい気持ちになる。相手から「ありがとう!助かりました」と言われると、なおさら嬉しくなります。

typoは、いろんな人の目をすり抜けて最終段階まで残っていることが多いです。だからこそ、それを見つけたときの「自分だけが気づけた感」には達成感がある。typoを見つけることが“褒められやすい行為”であるのも頷けます。

でも、致命的な問題になることはほとんどない

ただし、冷静に考えるとtypoそのものがプロダクトの致命傷になることはほとんどありません。
もちろん、変数名のtypoで実行時エラーになるケースもありますが、多くの場合はUI文言やドキュメント、コメントのミスです。つまり「見つけたら直しておこう」程度の軽微な問題です。

それでも私たちは、気づけばtypo探しに夢中になってしまうことがあります。これは、目に見えて成果が出しやすいから。正誤がはっきりしているし、発見すればすぐに“改善”できる。達成感が得やすいタスクなんです。

ただ、ここに少し落とし穴があります。typoばかりに意識が向くと、「それ以外の大事な問題に目が行きづらくなる」のです。

見つけやすい問題ばかりを探してしまう

人はどうしても、成果が出やすい領域に注意を向けてしまいます。
レビューでも同じで「typoを直す → 感謝される → また探す」という小さな報酬サイクルが生まれると、つい“探しやすい問題”ばかりにフォーカスしてしまうのです。

でも、レビューの本質はtypo探しではなく、より本質的な課題を見つけることにあります。

  • この仕様はユーザーの意図に合っているか
  • この設計で運用を行うイメージが持てているか
  • このテストは本当に重要なパスをカバー出来ているか

そうした「探しにくい問題」こそ、チームの成果に直結する部分です。typoを見つける力は素晴らしいですが、それをきっかけにもう一歩先の“気づく力”へと広げていく意識が大切なのだと思います。

まとめ

typoを見つけることは、細かい部分に注意を向けられる証拠であり、誇っていいスキルです。
ただ、それが目的になってしまうと、チームの価値判断や品質向上という本来のゴールを見失ってしまうこともあります。

“見つけやすい問題”から“本質的な課題”へ。
typoを見つける嬉しさを入口に、気づく力を少しずつ広げていけたらいいですね。

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