TypeScript の codemod ツール開発時の失敗談と得た知見メモ
更新履歴
- (2025-05-15) ts-morph の API で躓いたポイントの具体例を追記
- (2025-05-13) 公開
Codemod とは
Codemod(コードモッド)とは、"Code Modification"(コード修正)の略語で、プログラムを使ってコードベース全体にわたる変更やリファクタリングを自動的に行うプロセスや、そのためのツールを指します。
手作業で一つ一つコードを修正する代わりに、スクリプト(codemodスクリプトやトランスフォームと呼ばれる)を実行することで、大規模なコードベースに対しても一貫性のある変更を効率的かつ正確に適用することを目的としています。
主な目的と用途:
- APIの変更への追従: ライブラリやフレームワークがバージョンアップし、古いAPIが非推奨になったり、使い方が変わったりした場合に、コードベース全体の該当箇所を新しいAPIの呼び出し方に自動で書き換える。
-
非推奨機能の置き換え: 言語仕様やフレームワークで非推奨となった古い構文や機能を、推奨される新しいものに一括で置換する(例: JavaScriptの
var
をlet
/const
に置き換える)。 - 大規模リファクタリング: コード全体の構造改善や、特定のパターンに基づくコードの書き換えを自動で行う。
- コードスタイルの一括修正: LinterやFormatterだけでは対応しきれない、より複雑なコードスタイルの変更や規約の適用。
- フレームワーク移行の支援: あるフレームワークから別のフレームワークへ移行する際に、定型的なコードの書き換え作業を自動化する。
- コードの品質向上: 特定のアンチパターンを検出して修正したり、より効率的なコードに書き換えたりする。
仕組み:
多くのcodemodツールは、コードを単なるテキストとして扱うのではなく、AST (Abstract Syntax Tree - 抽象構文木) を利用します。
(図1: https://efcl.info/2016/03/06/ast-first-step/ より引用)
- パース (Parse): 対象のコードを解析し、その構造を表現するツリー構造(AST)に変換します。
- 変換 (Transform): 作成したcodemodスクリプトがASTを走査し、目的のパターンに一致するノードを探し出して、ノードの置換、追加、削除などの操作を行います。
- 再生成 (Generate): 変更されたASTから、再びコードを生成します。
ASTを使うことで、単純なテキスト検索や正規表現による置換よりも、コードの構文構造を正確に理解した上で安全に変更を加えることができます(例えば、変数名の一部だけが偶然一致してしまう、といった問題を避けられます)。
メリット:
- 効率性: 大規模なコード変更を迅速に行える。
- 正確性: 手作業によるミスを減らせる。
- 一貫性: コードベース全体に同じ変更ルールを適用できる。
- メンテナンス性: ライブラリ等の追従コストを削減できる。
TypeScript の Codemod 周辺環境
既存の Codemod 実装の例
- auto fix 実装を持つ eslint ルール
-
https://github.com/reactjs/react-codemod
- React 19 へのアップデート対応を行う
-
https://codemod.com/registry/typescript-use-template-literals
- 文字列連結を
+
ではなく template literal で行う
- 文字列連結を
とか
TypeScript の codemod を行うためのツールサーベイ
-
Recast
- 元のコードスタイル(フォーマット、コメント、括弧など)を可能な限り保持したままコードを再生成するのが得意。
-
jscodeshift
- JavaScript や TypeScript の codemod のためのツール
- recast のラッパー
- Meta (旧Facebook) 製。
-
ast-grep
- コード片のような直感的なパターン (
console.log($MATCH)
) を使ってASTノードを検索・置換する。$MATCH
はキャプチャ変数。 - 精密さに欠けるテキストベースの置換ではなく、ASTベースでの置換を行いたいが、ASTでの記述は面倒、というときに便利。grep のような手軽さで AST ベースのコード置換を行うことができる。
- Rust 製で高速
- 紹介記事: 大規模コードベース向けASTツールのast-grepについて
- コード片のような直感的なパターン (
-
eslint
-
eslint --fix
でコードの自動修正が可能 - eslint ルールの一つとして導入することで永続的に lint にも使えそう。
-
-
ts-morph
- TypeScript Compiler APIをラップし、より使いやすくオブジェクト指向的なインターフェースを提供するライブラリ。
-
TypeScript Compiler API
- TypeScript の API を直接使う方法
codemod.com - codemod を登録できるプラットフォーム
- ドキュメント
- 紹介記事:Codemod PlatformでCodemodがより身近になる日が来るかもしれない
-
https://codemod.com/registry
- 実装した Codemod 関数を登録できるところ
-
VSCode 拡張
- これを使えば VSCode 拡張経由で codemod を適用できそう?
- しかし現在 https://marketplace.visualstudio.com/vscode を検索しても見つからない…
今回私が作ろうとしたもの
今回私が TypeScript の codemod について調べたのは、以下のような、TypeScript コード中の型定義をすべて再帰的に readonly なものに置き換える codemod ツールを作りたいと思ったのがきっかけでした。
// Before
type User = {
id: number;
description: string;
preferences: Map<string, string>;
friendIds: number[];
mut_items: string[]; // With ignorePrefixes: ['mut_']
};
type T = [string, ...number[]];
// After
type User = Readonly<{
id: number;
description: string;
preferences: ReadonlyMap<string, string>;
friendIds: readonly number[];
mut_items: string[]; // Not made readonly due to 'mut_' prefix
}>;
type T = readonly [string, ...number[]]; // not readonly [string, ...(readonly number[])]
モチベーション
なぜ Readonly にしたいのかというと、 mutable には以下のような危険があるからです。
const t: [string, number] = ['a', 1];
function f(x: number) {
if (typeof x !== 'number') throw new Error('Error!!');
}
t.reverse(); // [1, 'a']
f(t[1]); // "Error!!" (but no type errors)
この例では t
という mutable なタプルを reverse
で反転させて f
に渡しています。 reverse
は破壊的メソッドであり、適用後は t
の中身は [1, 'a']
という値になっていますが、 t
の型は [string, number]
のままになってしまうという TypeScript の仕様があります[1]。 t[1]
は TypeScript 上は number
型であるにもかかわらずランタイムの値は string
型という不整合が生じ、 f
を呼び出した時点でランタイムエラーになってしまいます。
もしこれを以下のように readonly な型注釈をしていれば、破壊的メソッド reverse
を readonly tuple である t
に対して呼び出すことはできず、代わりに非破壊メソッド toReversed
を呼び出すことになりますが、この結果は (string | number)[]
という型に推論されるようになっているため、 「string | number
は number
に代入することができない」という型エラーが出てくれます。
const t: readonly [string, number] = ['a', 1];
function f(x: number) {
if (typeof x !== 'number') throw new Error('Error!!');
}
const r = t.toReversed(); // (string | number)[]
f(r[1]);
// Argument of type 'string | number' is not assignable to parameter of type 'number'.
これ以外にも、コード中の変数の大部分を immutable として扱うことができると見通しが良くなったり、 React のレンダリングにおいてオブジェクトの参照を変えずに内部を破壊的に変更してしまい描画されないなどの問題を防げたりなど、堅牢性の観点で様々なメリットがあります。
ただ、 TypeScript で型をいちいち Readonly にしていく作業は結構面倒であり見逃しも発生しやすいため、 codemod で自動化したいと考えました。
ツール選定
前述の通り、 codemod 実装にはいくつかの選択肢があります。
調べて見つけられたこれらのツールをとりあえず試してみたのですが、結論から言うとこれらの中で ts-morph
以外の選択肢は断念しました。
まず最初に jscodeshift を試しました。 jscodeshift は React や Storybook のような著名ライブラリのアップデート作業のための codemod 実装に用いられている利用実績があり、 Meta 社製で信頼度が高いですが、今回の Readonly 化変換には不向きであると感じました。
Readonly 化実装では、
- (先ほど示した変換例のように)
mut_
prefix を付けたノード配下はすべて無視させたい -
Readonly<Readonly<{ x: number }>>
のように多重に Readonly 適用することは避けたい(できれば既存コードの正規化までやりたい) -
...T[]
などのRestTypeNode
の直下のT[]
は readonly 化する意味が無いため無視させたい - 再帰的に Readonly 型にする
DeepReadonly
型ユーティリティなどを用いている場合子孫の readonly 化はスキップしたい
など、文脈に応じて変換を行っていくようにしたかったのですが、 jscodeshift は少し使ってみた感じだとこのような AST の traverse 順序を細かく制御したり、文脈情報を受け渡しながら変換していく複雑な実装ができる API ではなさそうでした(やり方があったらすみません)。
// jscodeshift で any 型を unknown 型に置き換えるコード例
// any-to-unknown.transform.js
export default function transformer(file, api) {
const j = api.jscodeshift;
const root = j(file.source);
// TSAnyKeyword ノードを見つけて TSUnknownKeyword ノードに置き換える
root.find(j.TSAnyKeyword).replaceWith(() => j.tsUnknownKeyword());
return root.toSource({ quote: 'single' }); // 必要に応じて出力スタイルを指定
}
同様の理由で recast
や eslint
、 ast-grep
も使用を断念しました。
recast は、デフォルトで Esprima という parser を使用するのですが、これが JavaScript 用のものであるため、 TypeScript の変換を行うためには parser を指定する必要があり、 AST の構造・変数名などが Esprima 想定で実装されている recast のメソッド等定義と微妙に異なることによる実装しづらさも感じました。
// recast-any-to-unknown.js
import * as recast from 'recast';
import * as babelParser from '@babel/parser';
import fs from 'fs';
const filePath = './target.ts'; // 対象のファイルパス
const code = fs.readFileSync(filePath, 'utf-8');
const ast = recast.parse(code, {
parser: {
parse: (source) =>
babelParser.parse(source, {
sourceType: 'module',
plugins: ['typescript'], // TypeScriptプラグインを有効化
}),
},
});
recast.visit(ast, {
visitTSAnyKeyword(path) {
// TSAnyKeywordノードをTSUnknownKeywordノードで置き換える
const b = recast.types.builders;
path.replace(b.tsUnknownKeyword());
return false; // このノードの更なる探索は不要
},
});
const outputCode = recast.print(ast, { quote: 'single' }).code;
fs.writeFileSync(filePath, outputCode, 'utf-8');
console.log(`Recast: Transformed ${filePath}`);
eslint を使った実装も同様の問題があります。 eslint ルールとして実装できれば様々なプロジェクトへの導入がしやすそうで魅力的だなとも思ったのですが…。
// eslint ルール実装例
// rules/any-to-unknown-rule.js
export default createRule({
meta: {
type: 'suggestion',
docs: {
description: "Replace 'any' type annotations with 'unknown'",
},
fixable: 'code',
schema: [],
},
create(context) {
return {
// typescript-eslint/parser が生成するASTのノードタイプを指定
// 'TSAnyKeyword' ノードが見つかるたびにこの関数が呼ばれる
TSAnyKeyword(node) {
context.report({
node: node,
message: "Use 'unknown' instead of 'any'.",
fix(fixer) {
return fixer.replaceText(node, 'unknown');
},
});
},
};
},
});
ast-grep は、grepのような容易さでコードを置換する、というのが売りのツールであり、今回のような複雑な要件だとあまりその利点を活かせなさそうでした。
# ast-grep ルールファイル
# any-to-unknown.yml
id: any-to-unknown-typescript
language: TypeScript
rule:
# 'any' という名前の predefined_type (any, number, string など) を見つける
# tree-sitter-typescript の文法では 'any' は predefined_type として扱われる
pattern: $TYPE
constraints:
TYPE:
kind: predefined_type
regex: ^any$ # 厳密に 'any' であることを確認
fix: 'unknown' # 置換後のテキスト
消去法で ts-morph が選択肢として残ったので、使い方を詳しく調べていくことにしました。
ts-morph は以下のコード例のように AST を sourceFile.getDescendants()
や sourceFile.getChildren()
を使って traverse し、 マッチしたノードを node.replaceWithText(*)
を呼び出して置換します。 子孫のノードすべてを辿る node.getDescendants()
API だとその順序を制御しづらそうですが、 node.getChildren()
のみを使い AST の辿り方を自分で制御すれば実際に今回やりたいことが実現できそうでした。
// tsmorph-any-to-unknown.ts
import { Project, SyntaxKind, Node } from 'ts-morph';
import path from 'path';
async function transformAnyToUnknown(filePath: string) {
const project = new Project();
const sourceFile = project.addSourceFileAtPath(path.resolve(filePath));
sourceFile.getDescendants().forEach((node) => {
// SyntaxKind.AnyKeyword を持つ TypeNode を見つける
if (Node.isTypeNode(node) && node.getKind() === SyntaxKind.AnyKeyword) {
// console.log(`Found 'any' type at: <span class="math-inline">\{sourceFile\.getFilePath\(\)\}\:</span>{node.getStartLineNumber()}`);
node.replaceWithText('unknown');
}
});
await sourceFile.save();
console.log(`ts-morph: Transformed and saved ${sourceFile.getFilePath()}`);
}
// 実行
const targetFile = './target.ts';
transformAnyToUnknown(targetFile).catch(console.error);
TypeScript Compiler API か ts-morph か
ts-morph で目的の置換処理を実装している中で、いくつか引っかかるポイントがありました。
一つは、ts-morph のコードを正しく動作させるためには、置換は AST の葉ノードの方から親に向かって置換していく必要があるということです。
node.replaceWithText(x)
を呼ぶと、 node
の子孫ノードが破棄されてしまう(厳密な動作は理解していないので不正確な表現でしたらすみません)ため、その後の処理で置換前の node
の子孫ノードの情報を得ようとするとエラーになってしまいます[2]。
例えば、 { x: number }[]
という型定義のノードを readonly 化しようとしたとき、先に T[] -> readonly T[]
という変換をしてその後オブジェクトに Readonly<*>
を付けようとすると、 replaceWithText
を使う都合で T
の情報が最初の readonly array 化の時点で消えてしまい上手くいかなかったり、ということがありました。
replaceWithText
実行後にどのように内部状態を管理しているのかの詳細はまだ自分は理解できていませんが、少なくとも replaceWithText
を行う際は常に葉ノード側が先に処理されるような順序で AST を辿ると親側で置換後のノードの情報を得ることはできるようだったので、シンプルに node.getChildren()
で深さ優先探索で子孫ノードから先に置換していくのが無難に良さそうでした。
もう一つは、文字列として置換することにより結果が意図せず構文エラーになってしまうケースがあることです。これは、今回の codemod 実装では readonly
modifier を多重配列に対して適用する場合に遭遇しました。
例えば、 number[][]
を deep に readonly な型にしようと思うと readonly (readonly number[])[]
となりますが、 "T[]" -> "readonly T[]"
という置換を T[][]
というコードに対して replaceWithText
で行ってしまうと、 readonly readonly T[][]
という文字列になってしまい、構文エラーになってしまいます。これを回避するために、 T[]
に相当する node に対して node.replaceWithText("(readonly T[])")
のように ()
で括った文字列を返すようにすることで構文エラーを回避しました(多重配列でない場合の結果には余計な括弧が付いてしまう場合もありますが、これは後で prettier などでフォーマットすれば正規化できる想定)。
しかし、このような実装をしているうちに、「そもそも node の置換を replaceWithText
のような破壊的メソッドでしかも文字列置換により行うAPIだからこういった問題が起きやすくなるのではないか?」という不満が ts-morph の API に対して生まれてきました。
もし transformer を「ノードをもらって変換後のノードを返す純粋な関数」で実装でき、しかも変換後ノードも文字列ではなく AST ノードのオブジェクトで返せるとしたら、 ()
で文字列を囲う、などというアドホックな対応はせずに済むのではないか?と考えるのは自然に思えます。
そして、そのような方法での実装は実際 TypeScript Compiler API を直接使えば実現できそうでした。
TypeScript Compiler API を使った実装は以下のようなコードになります。
// compiler-api-any-to-unknown.ts
export const replaceAnyWithUnknownTransformer: ts.TransformerFactory<ts.SourceFile> =
createTransformerFactory((context) => {
const visitor: ts.Visitor = (node: ts.Node): ts.VisitResult<ts.Node> =>
transformNode(node, visitor, context);
return visitor;
});
type TransformNodeFn = (
node: ts.Node,
visitor: ts.Visitor,
context: ts.TransformationContext,
) => ts.Node;
/** Convert all nodes to readonly type (recursively) */
const transformNode: TransformNodeFn = (node, visitor, context) => {
if (ts.isTypeNode(node) && node.kind === ts.SyntaxKind.AnyKeyword) {
return context.factory.createKeywordTypeNode(ts.SyntaxKind.UnknownKeyword);
}
return ts.visitEachChild(node, visitor, context);
};
const createTransformerFactory =
(
genVisitor: (context: ts.TransformationContext) => ts.Visitor,
): ts.TransformerFactory<ts.SourceFile> =>
(context) =>
// return a transformer
(rootNode) =>
rootNode.getFullText().includes(IGNORE_FILE_COMMENT_TEXT)
? rootNode
: ts.visitNode(rootNode, genVisitor(context), ts.isSourceFile)!;
const sourceFile = ts.createSourceFile(
resolvedPath,
sourceCode,
ts.ScriptTarget.Latest,
true,
);
const transformationResult = ts.transform(sourceFile, [
replaceAnyWithUnknownTransformer,
]);
const transformedSourceFile = transformationResult.transformed[0];
const printer = ts.createPrinter({ newLine: ts.NewLineKind.LineFeed });
const resultCode = printer.printFile(transformedSourceFile);
ここで、 transformNode
という関数は ts.Node -> ts.Node
の変換を行う関数で実装できており、 mutation が発生しないので transformer 実装の見通しが良くなると考えていました。
先ほどの ts-morph での実装失敗例で T[][] -> readonly readonly number[][]
になってしまう問題も、シンプルに
const transformNode: TransformNodeFn = (node, visitor, context) => {
if (ts.isArrayTypeNode(node)) {
// node == T[]
return context.factory.createTypeOperatorNode(
ts.SyntaxKind.ReadonlyKeyword,
node,
); // readonly T[]
}
return ts.visitEachChild(node, visitor, context);
};
という形で新たな ts.Node
型オブジェクト context.factory.createTypeOperatorNode(ts.SyntaxKind.ReadonlyKeyword, node)
を返しさえすれば、あとは Printer が AST を print するときに多重配列なら括弧を適切に入れてくれるので綺麗に悩みが解決できます。
こう見比べてみると、 ts-morph より多少コード量は増えますが、純粋な関数で transformer を実装でき、文字列置換により生じる構文エラーも回避しやすいこの実装パターンの方が遥かに優れているような気がしてきます。
しかし、 TypeScript Compiler API を使った方法にはある重大な欠点があることにかなり実装を進めた後に気づくことになります…。
Trivia との戦い
元のソースコードを忘れて AST から AST への置換を行った結果を print する方針には、ある重大な問題があります。それは AST のノードとして表現できないコードの詳細情報、具体的には改行やスペース、コメントなどの情報(Trivia)が print 後も維持されるとは限らない(少なくとも TypeScript Compiler API を使った場合には)、ということです。私はこの問題に、 codemod を具体的なアプリケーションコードでテストした段階で初めて気づきました。
AST(Abstract Syntax Tree, 抽象構文木) とはそもそもその名の通り、プログラムの具体的なソースコードを構文木に落とし込む際に意味的に不要なもの(括弧や改行・スペースなど)を削ぎ落とし抽象化したものなので、 Trivia が含まれるとは限らないデータ[3]になっているのは考えてみれば当たり前です…。
言語実装に詳しい開発者なら codemod ではこういったことが問題になり得るというのは当然考慮すべきことだったかもしれませんが、自分は元々この分野に詳しいわけではなく codemod 実装もほとんど今回が初めてくらいだったので、こういう落とし穴があることに気づくまでに結構時間がかかってしまいました。
まず最初に気づいたのが、コード中の空行が消えてしまう問題で、
// before
const f = (arg1: number, arg2: number): void => [];
const g = (arg1: number, arg2: number): void => [];
のようなコードは f
と g
の間の空行が無くなった結果に print されてしまいます。
// after
const f = (arg1: number, arg2: number): void => [];
const g = (arg1: number, arg2: number): void => [];
こういった問題も、ユニットテストでは1ノードに相当するコードでほぼテストしていたため、実用コードに適用するまで気付くのが遅れてしまいました。
コードの細かいスタイルは prettier などのフォーマッターで正規化されていることを前提としても良いと考えていましたが、 prettier は AST に対して決定論的な動作をする関数ではない(例えば2行以上の空行は1行にまとめてくれるが空行が無いところに空行を新たに挟むわけではなかったり、改行位置が元のコードのスタイル依存になるケースがあったりする)ため、元コードのスタイルを維持する実装はどうしてもこのように自前である程度行う必要があります。ソースコード文字列の一意なスタイルを決めてくれる決定論的なフォーマットツールが現れたとしたら、このあたりの事情も変わる可能性があります。
元のコードのスタイルをなるべく維持するために空行を '//--empty-line--4c6654a3-456f-49b8-b1ca-720d17638f04'
のような他と被らなさそうなコメント文字列に置換して後で戻す(emptyLineEncoder
)、という実装でこれは解決できました[4]。
しかし、一番厄介で最後まで完全に解決できなかったのがソースコメントでした。
例えば以下のようなコードを ts.createSourceFile
でパースし transformer を適用せずそのまま printer.printFile
で print すると // line-comment-2
や /* params-end */
などのコメントが欠落した結果となってしまいます。
/** f */
const f = (
/* description1 */
arg1: number, // line-comment-1
/* description2 */
arg2: number, // line-comment-2
/* params-end */
): /* ret-before */ number[] /* ret-after */ => [];
/* description1 */
などは arg1: number
というノードに紐づけられ保持されるため printer が出力してくれるのですが、// line-comment-2
や /* params-end */
のような仮引数の最後の閉じ括弧の手前にあるコメントなどは欠落しやすいようです。
TypeScript Compiler はそもそも codemod のためのツールというより JavaScript を出力することが目的のツールであるため、Trivia を厳密に維持することよりもパフォーマンスなど別の観点を重視しています。コードのスタイルが問題となるユースケースにはそれに特化したツールを使うべき、という方針であり、そのためこういった問題はなんらかの TypeScript Compiler API 一発で解決するということは望めなさそうです。
今回私はこれを解決するために、一度 transformer を適用する前に parse & re-print 前後で欠落したコメントを洗い出し、前後の適当なノードに強制的に紐づける、という解決策を試しました[5]。
ts.createScanner
が出力する token 列の比較で大部分は洗い出せましたが、一部、コメント部分が1トークンにパースされず他のノードに紛れ込んでしまうケースも生じたため、そういったケースは token をさらに文字列 diff アルゴリズムで分割しコメントを洗い出す実装も行いました。
しかし、どこまで頑張っても、欠落したコメント文字列を前後どちらのノードに紐づけるべきかは結局ヒューリスティクスにしかならないため、試してみると次から次へと例外が見つかってしまいました。相当頑張って実装してみたのですが、元のコード中のコメント位置を codemod 前後で維持することはこの方針ではほぼ不可能に思えました。
ここに来て、最初に調査していた recast
などのツールが「元のコードスタイル(フォーマット、コメント、括弧など)を可能な限り保持したままコードを再生成する」ことを謳っていた理由がより身に染みて分かってきます。 prettier などでフォーマットする前提ならコードの細かいスタイルの変化は無視できる問題だと思っていましたが、コメントの事を考えるとそうでもなかったのです。
結局 ts-morph に戻る
結局、 TypeScript Compiler API を使い AST to AST の変換で codemod を実装する方法は Trivia の復元が困難を極めたため断念することになりました。
そうなると、次の方針としては、元のソースコード文字列情報を忘れずに保持しつつ、 AST としてパースした結果のノードにマッチする部分だけ文字列置換する、という方法が考えられますが、これを TypeScript Compiler API を使って自分で実装するのはもはやライブラリ開発の規模でありかなり手間がかかりそうです。
その後も、やはり recast を使った方が早いか…?、など色々悩みつつ調査していましたが、調べていくうちに結局 ts-morph を使う方針に戻るのが良さそう、という結論になりました。
当初はよく理解していなかったのですが、そもそも ts-morph は、置換を行ったノード以外は元のソースコードの文字列を使った結果を返すように上手く処理してくれる、まさにやろうとしていたことをやってくれるツールであることが分かったためです(= TypeScript Compiler API の単純なラッパーではなさそうだった)。
置換したノードの中のコメントなどでは同様の問題が起きる可能性がありますが、これは eslint --fix
などでもたまに見かける事象ですし、変換対象のノードについては許容範囲かなと思います(そもそもこういう自動変換は適用前に git でバージョン管理している前提)。置換と無関係な箇所のスタイルを維持してくれることが何より重要そうです。
ts-morph を最初触った時は、ノードの置換処理だけは node.replaceWithText(*)
と文字列置換で実装する API になっているのがなぜなのか不思議に思い、実行中にノードの破壊的変更が行われるこのような実装パターンはできれば避けたいと思ってしまいましたが、このような理由があってこの API になっているであろうことが理解できました。
実装コード
まだ公開のための準備中の段階のためテストが十分できていませんが、実装した codemod ツールです。
TypeScript Compiler API で作った不完全作:
ts-morph で実装し直したもの
この実装コードを見れば、このような readonly 化の context 情報(state)を引数に含む相互再帰関数により実装された transformer 実装は ts-morph でないとやりづらい理由が分かってもらえるかもしれません。
Readonly 化 codemod ツールの実装詳細についての説明はほぼ省きましたが、機会があれば別記事で紹介しようかなと思っています。
まとめ
- TypeScript Compiler API を codemod のために直接使うのはやめた方が良い。
- TypeScript Compiler API は JavaScript を出力することを念頭に置いたツールであるため、改行や空白、コメントなどの Trivia が適切に出力できるとは限らない。代わりに ts-morph などの codemod 向きのツールを使った方が良い。
- ts-morph は、
node.replaceWithText(*)
API などで置換する箇所以外は元ソースコードのテキストをそのまま使うように設計されており、元ソースコードのスタイルを維持しやすい。 - transformer を AST to AST の変換を行う純粋関数で実装すると部分的には実装が綺麗になるが、 Triviaを復元するのが難しく codemod では上手くいかない。
- ts-morph はTypeScript 限定ではあるが、今回挙げた他の codemod ツールより AST の traverse 方法を制御しやすいため、複雑な変換処理に向いている可能性が高い。特に型情報へアクセスできる点も強み。
本記事が今後 TypeScript の codemod 実装を行う人のツール選定の助けになれば幸いです。
-
ちなみに、あるノードが置換により破棄されたかどうかは
n.wasForgotten()
というメソッドで判定できます。 ↩︎ -
一応、 TypeScript Compiler のパース結果のノード型である
ts.Node
は、ソースコード上の位置や前後に付属するコメントの範囲などの情報も持っているオブジェクトなのですが、完全ではなく、後述の例で説明する通り一部の Trivia は抜け落ちたデータになっています。 ↩︎ -
空行は複数行コメント
/* ... */
の中に現れることもあり得ますが、//
は複数行コメント中に現れても無害であることを利用しています。 調査中に https://github.com/Serj-Tm/ts-empty-line-encoder という実装も見つけましたが、 marker に/* empty-line */
のような文字列を使ってしまっているため、/* ... */
の中に空行が現れる場合に入れ子になってしまい上手く動きません。 ↩︎ -
https://github.com/noshiro-pf/mono/blob/develop/experimental/ts-codemod-lib/src/functions/transform-source-code.mts ↩︎
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