個人的な感覚による「使いやすさ」と「ユーザビリティ」や「UX」の違いについて
個人的な感覚で語られるUI
あんまり気にしてはいなかったのですが、最近良く目につく「UX」や「UI」、「ユーザビリティ」についての記事がとても、個人的主観によるものが強すぎることが多いなと見ていて思います。
たとえばこの記事において
率直に言います。
「イラッときます!」
まあ実装者目線ではこれが楽ってのは分かるんですよ…。
というのを見ていて、これは「ただのあなたの感想ですよね?」というただ、デザイナーの独善的な主観で、UIの良しあしや「ユーザビリティ」さらには「UX」を語られているのを目にします。
「それはあなたが思っただけですよね、ユーザは本当にそう感じているのでしょうか?本当に調査したんでしょうか?」そう思うわけです。あなたの感覚ではそうかもしれません。でも、地域や、世代を超えると感想ってのはコロコロ変わっていくわけです。
UIが良い悪いというのはこのように人や状況によって異なることがあります。主観的なのです。だから、そこに提示されているインタラクションも含めたUIという現象と、人間の評価は全く一対一対応しないわけです。このUIにすればすべての人間が全ての状況でハッピーになるなんてありえないそういうわけです。
どのようにUIの良し悪しを考えるべきか?
このように語ると、どのように良し悪しの評価を考えるか?というのが問題になってくるように思います。「すべての人間がハッピーにならないんだから、そしたらUIが独善的になるのも仕方ないんじゃね?」という意見になるのも分からないわけではないです。その意見はもっともだと思います。正直デザイナーの主観でUIを決定する判断もありだと思います。
しかしユーザビリティを考えているわけでないことを自覚すべきです。それは結局、個人の主観の域を超えず、自己満足の作品というだけですから。「エンジニアリング」とは全く異なる方向だと思います。
とはいえ、ビジネスを考えると、ビジネスとしては成功する...なんてことも多々あるでしょう。デザイナー主導だからこそ、そこにブランドなどの価値を感じる...とかもあると思います。ある意味それは、デザイナーの美学だったりクリエイティビティだったり芸術性が求められる世界のように思います。
ですが、何度も言いますが、それはただ単に価値のあるデザイナーの独断的で独善的であり主観であり、それはユーザビリティのための設計ではないのです。ユーザビリティやUXを考えるためには、ユーザがUIを評価することが大事であり、ユーザを根拠にしていないただ「使いやすそう」な設計は、ユーザビリティの設計とは全くことなるモノです。
つまり、デザイナーが主観でUIを評価し決定するのではなく、ユーザが評価し、デザイナーはユーザの調査を根拠にUIを設計することがユーザビリティを真に考えた設計なのです。この「ユーザ調査」が非常に大切です。そしてまた、「ユーザ調査、ユーザ評価をもとに、設計、再設計をすること」が重要だと思います。
このところで、UIの主観を、ある程度客観性のある状況に持ってこれるわけです。「このUIイラつく」とデザイナーが思ってそれを勝手にいうだけではそれは根拠のある設計ではないと思います。けれども、ユーザを数人連れてきてそのユーザが「このUIはクソ!」みたいなこを一定数のユーザが言えば、「ある一定数のユーザは不快に思うUI」と客観性を持つ文脈で戦えるようになるのです。「それはお前が思うだけだろ」の状況から脱却するわけです。
またこれも非常に大事なのは、「デザイナー、開発者」=「ユーザー」と思い込むのも辞めておいたほうがいいでしょう。それは、デザイナーや開発者がユーザという認識が行き過ぎれば身内のサービスになるだけで、ターゲットユーザではなく身内が使いやすい、独りよがりサービスとなるだけでしょう。
つまり、「ユーザを根拠にしていない」のであって、たんに、デザイナーが独断で決めたデザインを「ユーザビリティ」「UX」なり言わないでほしいと思っています。
ユーザを勝手に想像≠ユーザを考慮している
さて、ここでユーザが大事だと言いました。でもただ 「ユーザのことを考える」とか「ユーザ視点を持つ」とか私は言っていません。それは違うのです。 ユーザのことを無根拠に勝手に想像するのは、それはあなたの想像でしかなく、ユーザではないのです。また、完全にユーザ視点を持つなんてできません。「ユーザ視点」を持て!という人たちは、大抵、ユーザ視点ではなく、勝手な想像で、それをユーザ視点を持つことができると勘違いしているだけなのです。
たとえば、40代ぐらいが思う、「30代の視点」を考えてみましょう。それは「40代の人が10年前に持っていた視点」を想像するだけです。それは「今の30代ではない」のです。現在の30代はあなたにはできないことができるようになってるかもしれません。逆に、できることができないものもあるかもしれません。それをちゃんと調査してつかみ取って、UIの根拠にしていくことが大事なのです。
ユーザをちゃんと調査する、ユーザにUIをちゃんと評価してもらう。このことがユーザビリティをしっかり考えた設計だと思います。そうじゃなければただのアートであり、自己満足です。
カッコよければユーザビリティ良くなるわけではない。
結局のところ元の参照した記事では、UIのパターンを紹介しているわけですが、それはユーザ評価に基づいたものには見えません。それは無意味とは言いません。実際にUIを設計するときには参考になる面はあるでしょう。サービスの魅力を高めるのには一役買うかもしれません。ですが、ユーザを根拠としていない以上、それらはユーザビリティが必ずしも向上するための根拠があるものではないのです。(何度も言いますが、だからといって、この記事の情報は無用になったわけではなく、有用な場合もあるでしょう。)
マイクロインタラクションは果たして本当にユーザをハッピーにするでしょうか?「エラーの表示は本当にユーザが入力し終わった後」が本当にいいんでしょうか?この答えにユーザからのフィードバックだったり、評価だったりするべきだと思います。
そもそも「ユーザビリティ」とは何でしょうか?というのは、しっかりISOとかの標準規格に定義されています
特定のユーザが特定の利用状況において,システム,製品又はサービスを利用する際に,効果,効率及び満足を伴って特定の目標を達成する度合い。
あくまでも「の目標を達成する度合い」であって、ユーザが持っているタスクがしっかり完遂できるのが大事なのです。そのところで、たとえば、マイクロインタラクションだとか、エラー表示の細かいところは、重要なのでしょうか? 本当にそのインタラクションが無ければユーザはUIについて理解できずに路頭に迷うのでしょうか?
もちろん、「効果、効率及び満足を伴って 」 とあるよう、そのところでそれらが「イラつかない」「楽しい」などの感情の要素もちゃんと重要ではあります。けれどもそれらを「特定のユーザが特定の利用状況」の上での要素であり、何度も言いますが 「デザイナーが開発のテスト段階で思っている」こととは全く異なります。
ユーザ調査とユーザテストをしよう
結局のところ、ユーザビリティやUXをしっかり根拠をもって設計するには、ユーザ調査およびユーザテストが大事なわけで、それを前提としないデザインは、「ユーザビリティが向上する」なんて言わないでほしいですね。しっかり、ユーザを根拠に、ユーザのデータ(質的だったり量的だったり)を元にして、そのUIはいいんだと言うべきでしょう。(もちろんそれだけで、すべてのUIが決定できるわけではなく、デザイナーの独善だったりUIパターンに頼ったりするのは悪くはないとは思います。それらに頼り切りユーザに関して調査しなさ過ぎたり、逆に創造性が無くなるこがないようにしようということです。)
追記
こういった意見を頂いたので追記しております。(このツイートのリプライにも書いています。)
これはあくまでも「ユーザビリティ」というものをどのように正当化するか?客観的に語るか?みたいなもので、開発者が感じる「使いにくさ」を放置するのとはまた異なるものです。それは、一つの根源的なクリエイティブさを無視することと同じですから。
ただ、それに自覚的になって欲しいと思います。それは、「開発者やデザイナーが使いにくい、この方が使いやすい」と言い、それを根拠にするのは、それはユーザビリティではなくて、ユーザーへの一つの美学の提示だとか、サービスの独自性につながるとおもいます。
「ユーザビリティ」という言葉はユーザの根拠にするべきだと思うので「(我々の)使いにくさ」とはまた、区別できれば良いと思います。最早は一般的用語としては「使いにくさ」をユーザビリティは示すけれど、専門用語として、デザイナー自身が誰にとって使いにくいのかをちゃんと区別できればと思います。
それともう一つとして、それらを説得性をもたせるにはという視点です。つまり、デザイナーの思う使いにくさを一つの「仮説」と捉えてしまうと良いでしょう。そうすると、それは検証すべきものになり、検証され続けるとそれら根拠を増してより地に足をつけた意見になります。
追記2、ユーザー調査、ユーザー評価の具体的な手法について。
じゃあ、どのようにあユーザー調査をするべきか? ユーザー評価をするべきか?についてはあると思います。ですが、それを書くと非常に記事が長くなります。ですので、ここでは書籍などの紹介に留めておきます。(実際には、おそらくどこかのHCDコミュニティに参加するなど合わっせてやってみると良いと思います。)
以下の書籍をあたると良いでしょう。いくつか上げておきます。
追記3 ユーザの言いなりになるわけではない
ユーザの声を絶対視するべきではないという意見をいただきました。それはその通りです。ユーザの言葉を絶対視するのとはまた違います。ですが、それを根拠に「洞察する」ということが必要だったりするわけです。
あくまでも、ユーザの声のような定性的なデータに客観性を持たせていくか?ユーザの真理(心理)を見つけていくか?ということが必要でしょう。
Discussion
ユーザー調査は大事というために、人様の記事をボロクソにいう必要があるのかはよく分かりません。
さらに、その大事なユーザー調査について具体的な方法を書かないのは、ユーザビリティが悪いのでは?
「ボロクソに言ってる」というのがどういうことを意図しているのかわかりせん。(そもそも私はとしてはボロクソに言ってはないです。) 単に一例として上げているだけです。そして、それは私の記事内にも書いてはいるのですが、そもそもこういったブログを全部否定しているわけではありません。
また、ユーザ調査についての具体的な方法は、書くと長くなるのと、この記事の趣旨から若干外れていくので、書籍等を参照して頂ければなと思います。(その辺は追記します。)
それってあなたの感想ですよね?
少なくともこの記事のユーザの私としてはタイトルと例の挙げ方から悪意を持ってバカにしてるなと感じましたよ。あまりこういう治安の悪い記事は増えてほしくないです。
感想ではありません。自分が書いた主張の意図を説明しているにしか過ぎません。
じゃあ、なぜ、悪意を持ってバカにしていると思ったか、そういった箇所を含めて指摘して頂けませんか? そういう、ものが無い限り、なんとも対応や再度意見ができませんね。
普段、チーム内のレビューでも「ユーザーに、ここは伝わらないと思います」のような「ユーザーを分かった風」に意見してしまうことがありました、、
その指摘自体はいいとしても、あくまで「デザイナー個人の主観」であることを認知して動きたいと思います。
書いてくださってありがとうございます!
記事書いた人ふつうに傷ついてるから配慮してくださいね
私は最近Google User Experience Certificateを受講していたのですが、ユーザビリティ調査の計画、実施、評価、デザインへの適応の重要性がとにかく繰り返されているのがとても印象的でした。
冒頭で取り上げられている記事については、コメントにもあるようにもう少しリスペクトの態度を示されるべきかと思いましたが、私もNobkzさんと同じことを思いました。
客観的な調査に基づいたユーザーへの共感なくして、いいUXなんてありえないと思います。
私はNobkzさんのUXに対する考え方が素晴らしいものであり、よく浸透するべきだと思うので、応援しています。
良い記事をありがとうございました!
Twitterで騒がれていたのでどんな内容だろうと思ったら、ただひたすら正論だなと思いました。
仕事として、誰かにそのデザインにした根拠を説明しなければならない場合、この記事のような視点と活動をしていないと苦しいのではないかと思います…。
私はNobkzさんが悪意を持っているとも、参照元の記事の人を攻撃しているとも感じませんでした。
ユーザーとしてのイチ意見として記しておきます。
会議で「ここちょっと時間がかかるから、処理中(ローディング中)とわかる表示をしましょう」と提案したら、「それって本当にユーザビリティが上がりますか?」とか突っ込まれてみんなうんざりするという光景が思い浮かびました。