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デザイナーは、ユーザーを憑依させるシャーマンか、聖書を説く神父か

2024/09/24に公開

自己紹介

  • U'eyes Designというユーザーへの調査や評価がメインのデザインコンサルで、約5年間ユーザー中心マインドをみっちり叩き込まれた
  • UXデザイナーとして、ゆめみに2024年6月より転職。現在3ヶ月半経過。
  • ゆめみでは、調査や評価が伴わないデザイン業務がたくさんある

はじめに

入社エントリー的な意味と、自分の初心をメモする意味があり書いているので、あくまでも個人の見解であることをご了承ください。

前提知識

人間中心設計とは

すでに多くの方が語っているところなので、多くは記載しないが、平たく話すと、

ちゃんと使い手のことを考えてものづくりしようね。そのためには、使い手に確認しながら開発をすすめようね。

ということかと認識している。
人間中心設計プロセス
画像元:ゆめみ、DX実現を加速させる『デザイン人材育成支援』を提供開始

ちゃんと勉強したい人は以下の本など読んでみると良いと思う(みんながおすすめと言ってたけど、自分は読んでいない本)。
参考:人間中心設計入門 (HCDライブラリー)

実際には、作る前からユーザー調査や評価を入れられない案件が多い

今まで、日本での人間中心設計の草分け的な存在の企業であるU'eyes Designにいたため、調査や評価ありきでデザイン活動を行ってきた。そしてそれが普通のことだと思っていた。
しかし、一般的には、ユーザー調査や評価がほぼできない環境下で開発をし、リリースしてみて、その結果から改善していくということはよくある。というか、そちらのほうが大半なのではないかと思う。とくに、リリース後もバージョンアップを重ねるウェブやアプリの界隈では、基本的な姿勢であるとも言えると思う。ゆめみに入社して、実際アサインしてもらった案件も、ユーザーと関わるタイミングはないものばかりであった。

ユーザーがいないとデザインできない病

上記の状況で、私が陥ったのは、「ユーザーという存在が見えない中で、UXやUIはどういった基準で決めればいいのだろうか」という感覚であった。具体的にどんなときに、悩んだかを以下であげてみる。

例1:クライアントの言うこと何でも聞いちゃう

クライアント担当者から「〇〇という機能がほしい」「△△は今はいらないかも」みたいなコメントをミーティング中にもらうと、それにどのように反応すればよいのか分からなくなる。

ユーザー調査・評価をしたあとであれば

結果から考えると、それは□□だと思うので、いれるの(いれないの)が良さそうですね!

していない今

あー…たしかにそうも考えられますね。一旦コメントしてもらった通りで行きますか…

少しであれば、とりあえず採用しておく、という対応でもいけるが、上記の状況が何度も繰り返されると、「言ったもんがち」状況になり、とにかく声が大きい人の案がモリモリになった仕様になっていく…。モリモリになってから、「やばい流石に開発大変すぎるし、コンセプトブレブレだな」と思って修正を試しみるが、どういう判断基準で減らせばいいか分からないし、一旦採用したのに減らした説明ができない。

例2:デザイナー自身の嗜好性でUX決めがち

ユーザーがどんな人か掴めていないため、デザイナーメンバーも「こういうふうには自分は使わないなあ」「こんな機能は自分だったらほしいなあ」など、デザイナーの価値観でUXを設計してしまう。(デザイナーがターゲットユーザーであれば問題ないのだが)

ユーザー調査・評価をしたあとであれば

こういう行動や価値観が見られたので、こんなことが嬉しい/嫌だと感じると想定できる。そういう人であれば、こんなふうに使うんじゃないかなあ(と想像しながら、ジャーニーを作る)

していない今

ペルソナ決めるか、、、多分こういう人が既存ユーザーじゃないかね、あーいるいるこういう人〜。じゃあ絵に起こしてみて。。。属性情報付け足して。。。何となくイメージ湧いてきたかも。じゃあこれでジャーニー書いてみるか(ジャーニーを書き出したら、すっかりペルソナイメージさえ薄れ、自分たちが満足するジャーニーを作ってしまう)

決定的な違いは、ペルソナとして描いた人が本当に存在しているかどうかであると思う。「そういう人いるよね〜」くらいでは、その人の一面(「そういう」人の部分)しかしらず、多面的に考えたときに、どんな価値観や行動指針がある人なのかまで想像できない。そうすると、ペルソナを考えた本人でさえ、ペルソナを忘れ、自分が満足するUXを構築することになる。。。
昔、セミナーでサブ講師をしたときに、「いいペルソナってどんなですか?」と質問されて「漫画のキャラクターみたいに、頭の中でペルソナが勝手に動き出してくれるか」と回答したことを思い出した。4年越しのブーメランを食らった。

なぜ病に陥ったかの考察・改善策

上記状態になった理由を、自分なりに言語化してみた。

要因1:ユーザーを神様だと思っていた

ユーザーの声や行動を知り、そこから解釈して、デザインの判断基準にする、という活動が、UIデザインでもUXデザインでも基本ではあると思うが、その状態が行き過ぎていた感覚がある。
神様であらせられるユーザーの声を代弁するのが、デザイナーの仕事だと思っていた。つまり、シャーマンみたいな仕事だと思っていた。しかし、突然神様の御心を知るすべがなくなり、自分で主体的に生活を送れなくなっているような状況である。
開発のたびにユーザー調査や評価を行わなくとも、デザイナー自身の中に、蓄えられた知見で打ち返していく必要がある。神を憑依させなくとも、聖書を参照することはできる。デザイナーはシャーマンじゃなくて神父なのかもしれない(たとえが雑)。

知見の例:

  • ユーザーイメージ:普段の生活で様々なタイプの人と関わったり、エクストリームな人の記事をインプットしたりして、多様な人格を多面的に見聞きする。
  • デザインガイドライン:これまでのデザインの試行錯誤から、一番いいと現状考えられる方法がガイドラインとして形式的にまとめられているわけなので、キャッチアップしておく。
  • 業界トレンド:最近多くのユーザーに支持されている、提供価値やインタラクションの例を知っていることで、現状のユーザーがプロダクトに求めるレベル感をある程度つかめると思うので、話題のプロダクトは追っておく。

(書き出してみると、デザイナー的には当たり前の知見たちだった。)

一部のエゴイスティックなデザイナー(チクチク言葉すぎる)以外は、日常生活で上記の知見が貯まるように、センサーを地道に働かせ、自分の中の聖書を改善しながら暮らしているのだと思う。たまに「デザイナーさんはやっぱりセンスあるね」と言われるが、センスは聖書を作る過程で身につくのであって、別に生まれつきあるものではない。

要因2:ウェブやアプリのドメインに慣れていない

HCDのプロセスを見返すと、ユーザーに受け入れられるものになったと確認してから、リリースするようになっている。そもそも、HCDが生まれたのは、産業革命以降の「たくさん売れればよい」というものづくりに一矢報いるものだった。大量生産では、ユーザーの存在感は薄れ、開発はサイロ化し、誰のために作っているかが分からなくなる。その状況を改善する方法としてHCDができた。そのため、基本的には「作りきって売り切り」というスタイルの製品の開発をイメージしているので、用意周到に「本当にリリースして大丈夫か…?」と確認するのだと思う。リリース後、1ヶ月でも改善版を出せる今になっては、そこまで用意周到にやる必要はないかもしれない。

すぐに改善版が出せるのであれば、とにかく早くリリースし、こまめにフィードバックを受けて改善するのがユーザーに問い合わせる簡単な方法である。PoCやMVPという概念が出てきたのも頷ける。
ウェブやアプリでのHCDは、おそらくリリース後が勝負になるのだと感じている。とはいえ、リリース後の改善をはやめるために、はじめの段階で準備できることはあると思う。

準備内容の例

  • 自分たちの仮説を明確にしておき、その妥当性を検証できるように、要件仕様にする
  • 検証結果の扱いを決めておく(利用率の高い上位半分の機能はグロースさせよう、など)
  • 今までのクライアントの築いてきたブランド感を損ねないように、開発全体の方向性は固めておく

まとめ

だいぶ乱文になってしまい申し訳ない。まだ自分自身も3ヶ月半しか経験できていないので、実際にリリースを見届ける経験もしておらず、憶測で書いている部分もあるので、これからゆめみで働きながら、この内容自体も更新していきたいと思う。(Zennもウェブだから、どんどん更新できるしね!)

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