理屈っぽい人に捧げるマインドフルネス入門【テレワーク仕事術①】
マインドフルネスはサウナのようなものです
はじめに
これから2回に分けてマインドフルネスや瞑想がテレワークを行う方々にとって大切である理由をお伝えしたいと思います。前半に当たる今回では、マインドフルネスと座禅とは何か、そのメリットや一般的に誤解されがちな点について説明します。実践方法についてはあまり触れませんが、理屈の部分を中心に解説するため、理屈好きな方にも楽しんでいただける内容となっています。
近年、マインドフルネスは海外のエグゼクティブや意識の高い方々、またメンタルコントロールの手段として認知が広まっています。特にマインドフルネスは仏教の影響が大きく、座禅と同様のものと認識されることが多いです。そこで、まずはマインドフルネスと座禅の違いについてお話ししましょう。
マインドフルネスと座禅の違い
マインドフルネスと座禅の違いについて説明しましょう。基本的に両者は仏教をベースとしており、行っていることはほぼ同じですが、マインドフルネスは宗教的要素がほとんどありません。
ごちゃごちゃ書いてますが、結論としては大差ありません(暴論)
両者とも呼吸や体からくる感覚にフォーカスし、重要なワードである「今」と「ここ」に意識を集中させることで、ストレス解消に役立てられています。
マインドフルネス・座禅の一番の目的
とはいえ、私もそんなに詳しくないのでマサカリは投げないようにしていただければと思います。
正直マインドフルネス・仏教にそんな詳しくないです
それぞれ本を数冊読んだ程度
鉞投げないでくださいね(この図は鎌)
座禅=「床に座って座禅を組む」のが一般的なイメージですが、必ずしもそのスタイルではありません。座線/マインドフルネス共に椅子でもOKです。
椅子でもOK
私自身も禅寺で座禅を体験したことがありますが、実際にやってみると、マインドフルネスと座禅の違いはあまり感じられません。ただし、私は仏教の専門家ではないので、これまでの経験から述べています。
あくまで私の実感です
日本の禅宗では、臨済宗と曹洞宗の2つの宗派が主に座禅を実践しており、泊まり込みで座禅を体験できるプランが提供されているお寺もあります。私も以前、お寺に泊まり込みでお坊さんと一緒に生活し、座禅や掃除などの日常作業を体験しました。
日本の2大禅宗
泊まり込みプラン例
この記事では、マインドフルネスと座禅をひとまとめにして説明していきたいと思います。私の意見は素人のものですが、より詳しい方のご意見も大切にしながら、これらの瞑想法について理解を深めていきましょう。
マインドフルネスのメリット
マインドフルネスのメリットを理解するために、まずマインドフルネスをパソコンに例えましょう。皆さんはパソコンを長時間使っていると、プログラムが開きすぎたり、ブラウザのタブが増えすぎたときに、プログラムを終了させたり再起動させてメモリーやCPUのリソースを解放した事があるかと思います。マインドフルネスはこのパソコンのリソース開放に似た、人間版のリソース開放だと考えることができます。この閉じるべきアプリは何かというと人間における「反応」です。
マインドフルネスはパソコンで不要なプロセスを止めるようなもの
リソース開放していい感じにします
人間は日常生活の中で様々な刺激や思いにさらされます。例えば、肩が痛いとか腰が痛いとか、広告を見てこれはどうなのかといった刺激や思いが次々と浮かびます。こ
れは心理学で言うところのシステム1のようなもので自動的に発生し止めることはできません。
日常は刺激や思考にあふれてます
(左:思考はぼんやり浮かんでも来ます、右:広告は思考の入り口です)
心理学有名なでシステム1,2(ダニエルカーネマン)のシステム1のようなもの
しかし、こうした刺激や思いに自動的に反応することで、問題が生じることがあります。例えば、ネットやツイートを見てクリックし、仕事をせずにネットサーフィンに時間を費やして本来すべきことができなかったりします。
刺激や思考にとらわれるとやるべきことができません
また、甘いものを食べたいという感情に従いお菓子を食べてしまい体重が増えてしまったりします。こうした状況は、自分にとって好ましくない結果を生み出してしまいます。
また、理想の状態(この図だとスリムボディ)から遠ざかってしまいます
刺激や思いが発生するのは避けられないことですが、それに流されてしまうことが問題です。そのため、流されないようにすることが重要になります。具体的には、湧き上がる思考を一旦横に置いて、適切な行動を取ることが求められます。こうすることで、自分自身のパフォーマンスを最大化できると言えます。
「その時とるべき行動をとる」それが大事です
自己啓発本でも、このような考え方が語られています。例えば、「7つの習慣」では、反応的にならず、主体的になるべきだと説かれています。つまり、自動的に湧き上がってくる感情に反応するのではなく、自分で適切な行動を選択し実行することが重要だとされています。
7つの習慣では刺激や思考にとらわれるのを"反応的"
やるべきことを選び取るのを"主体的"といいます
また、アドラー心理学も同様の考え方を示しており、自動的に湧いてくる感情やトラウマをシステム的なものと捉え、それに流されずに自分の意思で行動を決めることが大切だとされています。
アドラー心理学もトラウマを否定して自分の行動を「主体的」に選ぶ事を提唱してます
ちなみに「やるべきことに全集中できている状態」のことを「フロー状態」と呼びます。フロー状態は、マインドフルネスや座禅においてよいとされている状態に近いです。私が禅寺に行った時も掃除に集中しているとお寺のお坊さんが来て「いいですね👍」とおっしゃってました。ちなみにこのフロー状態、仏教用語では「三昧(ざんまい)」が近いです。「〇〇三昧」という形で今も使われますね。
フロー状態(〇〇三昧な状態)はある意味理想です
マインドフルネス初級編~呼吸に集中
マインドフルネスや座禅は、さまざまな刺激や思いに流されず、取るべき行動を取れる状態にすることを目指します。では、どのようにしてその状態を作るのでしょうか。いくつかのアプローチがありますが、まず1つ目として、特定のことに集中し、他のことに気を取られないようにする方法があります。これは、フロー状態に近いものです。
フロー状態を作る一番シンプルな方法は、呼吸を観察することです。私が禅寺で最初に教わったことは、呼吸の仕方でした。具体的には丹田呼吸法というものでした。この方法では、丹田に意識を集中して呼吸を行います。呼吸は非常に重要視されている要素です。
検索すれば見つかります。ほぼ腹式呼吸と思っていただければOKです
呼吸に集中する理由は、呼吸が人間が行う一番プリミティブ、つまり原始的なものだからです。人間は常に呼吸をしており、呼吸を止めることはできません。呼吸に集中し、他のことを気にしない状態になると、徐々に刺激や思いが気にならなくなります。これは、パソコンで無駄なプロセスを切り、リソースが解放される状態に似ています。
マインドフルネスの初級編では、呼吸に集中することで、気持ちを落ち着かせ、刺激や思いから自分を遠ざけることを学びます。このスキルを身につけることで、より高度なマインドフルネスの練習に進むことができるでしょう。
なんか宗教臭くない?
仏教の話が出てきましたが、宗教的要素に抵抗感を持つ方もいるかもしれません。しかし、今回共有する要素は基本的に宗教的要素は皆無です。特に原始仏教は、宗教色が薄く、自己啓発やメンタルの管理術に重点が置かれています。人間の苦しみを軽減する方法を模索する、自己啓発的な発想が仏教の根底にあります。
「仏教って宗教でしょ。うさん臭くない?」んなことはありません
特に原始仏教は宗教というよりは自己啓発メソッド
生老病死は仏教用語です
生きるってことはデフォルトで辛いもんです
悟りの状態に至るためのプラクティス、例えば座禅などは、宗教色のないスタイルで取り組むこともできます。仏教は、悟りに至る道は自由であるという基本スタイルを持っています。山頂を目指す方法は各自自由に選べますし、宗教的要素を含むスタイルで登ることもできます。
仏教の目的は悟り(山頂)に到達する事。
そこに行くまでの道筋は何でもいい
(宗教的でもそうでなくてもOK)
宗教的なスタイルが必要となるケースとしては頭のいいお師匠さんが全然学の無い弟子に教える時などがわかりやすいかと思います。これはインテリ集団だった初期の仏教が一般大衆にまで裾野を広げて大乗仏教になったときにおこったと思われる問題でもあります。
宗教的な要素が必要なのは
めっちゃ頭いい師匠が学のない弟子に教えるとき等
(鎌倉仏教で教育を受けてない一般市民を救おうとした
時などがわかりやすいです)
鎌倉仏教ができたころを想像するとわかりやすいですが、そのころの大衆の一部は生きるのに精いっぱいで教育や学問などとは無縁の存在でした。そのような相手に対して、仏教の教えを伝えようにもインテリの人に教えるようなやり方では全く理解してもらえません。
こんな関係性だと悟りメソッドをそのまま伝授しても馬の耳に念仏です
なので、地獄や極楽浄土などといった宗教的な要素を取り入れて、弟子が望ましい行動をとるように誘導したのです。
なので「地獄が~」とか「バチが~」とかで脅したり
「極楽浄土いけるよ~」とかで釣ることで悟りの登山道を登らせるわけです
お師匠さんが本当に極楽浄土や地獄を信じているケースもありますが、大事なところはそこではなく、弟子が望ましい行動をとるようになった(登山道を登り始めた)という事です。宗教的要素は手段であり目的ではないのです。嘘も方便という言葉もありますが「方便」とは仏教用語で、この例でお師匠さんがとったような行動のことを指します。仏教が根本的に実益に基づいていることがわかるかと思います。
まさに嘘も方便(ちなみにこれも仏教用語)
とはいえ我々は宗教的じゃない登り方をします
また、悟りの状態まで行く必要はなく、人生を少しでも良い方向に持っていければ十分です。気軽に取り組んでいただければと思います。
マインドフルネスをやるとどうなる?
マインドフルネスや座禅に取り組むと、呼吸に集中することで他のことが気にならなくなります。その結果、無駄なプロセスが減り、リソースが開放されるのです。これを実際にやってみた人は、たとえ5分だけでも、結構すっきりすることが分かるでしょう。
リソースが開放されることで、様々なタスクがすぐにできるようになります。家事対応であろうと、仕事であろうと、コーヒーを入れるような簡単な作業であろうと、スムーズに取り組むことができます。これはまさに、リソースが空いているため、新しいタスクを簡単に始めることができる状態になっているからです。
マインドフルネス初級編2~ボディスキャン瞑想~
呼吸にフォーカスすることで無駄なプロセスを終了させるアプローチがありますが、別の方法として、ボディスキャン瞑想というものもあります。これは自分の体の状態を1つずつ確認しながら、体の各部位からの刺激や信号に気づくことで、反応的に動かずに適切な行動を選択できるようにする瞑想法です。
体を丹念に観察していきます
ボディスキャン瞑想では、頭痛があるか、肩が固いか、腰痛があるかなど、体の状況を把握して、それに対して主体的に行動を決めます。例えば、腰痛がある場合はストレッチをすることを選択するなど、適切な対処が可能になります。
この瞑想法も呼吸に集中する瞑想法と同様に、頭の中や体の各部位からの刺激や反応に対して、即座に反応せず、一度間を置くことが重要です。これを定期的に行うことで、怒りや悲しみなどの感情が沸き起こったときも、一旦距離を置くことができるようになり、冷静に対処する力を身につけることができます。
自分の刺激や思考に対して客観的に観察します
大事なのはいったん保留する事
(買い物で衝動買いをなくせば節約できるのと同じです)
脳科学的に見ると、人間の認識は体からの刺激の「解釈」です
マインドフルネスでやってる事はこの解釈の主導権を握ってるといえます。
以前にこのことに関する記事を書きました。画像をクリックしてください
マインドフルネスや瞑想は、適切な行動を取るための状態を作り出すものであり、これを実践することで、人生において常にベストな行動ができるようになります。
いったんまとめ
これまで、理屈っぽい人向けのマインドフルネスや瞑想の概要を紹介してきました。呼吸瞑想やボディスキャン瞑想については、詳しいやり方はインターネットで調べていただくことができます。
しかし、ここまでの紹介は実は前置きで、後半ではテレワークを行っている方に対して、マインドフルネスや瞑想が非常に相性が良いことをお伝えしたいと思います。続きの動画やブログ記事をチェックしていただければ、テレワーカーの方にとって参考になると思います。
続きます(次はテレワークでの実践方法を述べます)
この記事の元となった動画
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